2024(令和6)年 1月号(No.122) 了雲寺 釈幸華 |
慶聞抄(きょうもんしょう)
<テンプル食堂よしざき>に集まる親子
み仏のお心にそうように・・
「如来さまに」と言って、お布施を差し出してくださった方がいました。兄弟2人きりでお父さんの一周忌のお勤めが終わった時のことです。十数年前にお母さんが亡くなって、お父さんと兄弟が残されたお家でした。弟さんは結婚して出ておられるので、普段は、お兄さんが一人お家でお仏壇を守っておられるのです。私は、胸がいっぱいになって「お預かりいたします」とお布施を頂いたことです。
お正月。家族が集まって笑顔と笑い声があふれる、そんな光景を願いますが、現実はどうでしょうか? お年寄りでなくても一人暮らしが、あるいは家族と住んでいても寂しい思いをかかえている人がおられるのでは?
「コロナで旅行が思うようにできない」とのちまたの報道があふれていたころ、ママ友の「うちらコロナでなくても旅行なんかしたことないなぁ」とのつぶやきに反応したお寺の娘さんがいました。みんなが集まって安心できる場所がないものか? なければ自分が作っちゃえ! と始まったのが「テンプル食堂」だそうです。
ビハーラ大阪の現地研修は、11月の末8人で参加。福井県・吉崎別院で取り組みの「テンプル食堂よしざき(3年たって沖縄などあちこちで展開)」代表の八幡真衣さんは、笑顔の素敵な2児のシングルマザーでした。子育ての中で地域に支えられ守られ、決して一人ではできなかったと気づき、我が子と共に笑いながら過ごせる場所が欲しいとの願いだったそうです。
毎月最終日曜日に、寄付されたお米やおやつなど多くの食品がお供えされます。その日も近隣から集まった300人ほどの大人や子どもたちで本堂は埋め尽くされました。讃仏偈のお勤めのあと、子どもにも分かるご法話。「なんでごはん食べる前にいただきますって言うの?」そしてお待ちかねのお下がり配布タイム。私はトイレットペーパーの係。またそのあとは子どもたちのお楽しみゲームタイムで輪投げコーナーのお手伝いをしました。
素晴らしいのは、スタッフたちの笑顔と温かい声かけでした。どの子にも丁寧に対応、否定的な言い方は一切なし。「誰ひとり取り残さない」SDGs(=み仏のお心)そのままの実践がここにはありました。
前の晩、スタッフの交流会で聞いたMさんの話を思い出します。彼のお母さんはいわゆる「毒親」。タバコの火を押し付ける、お茶碗を投げつけるなどの虐待にあったそうです。お兄ちゃんと二人、雪の降る夜に家から追い出され、どこかの駐車場で寝ているところを警察に保護されたことも。15歳で家を飛び出し母とは絶縁、一人で職を転々として、ようよう20代半ばになって許せる気持ちなったので、今は一緒に暮らしているとのことでした。「きっと、母さんの一番しんどいピークがあれやったんやなぁと思えるようになりました。」
厳しい生活の中でふんばっている母子(父子も!)。少しでもそれに寄添いたいと集まってくる若者(だけではなく高齢者も!)。人々が去ったあとのスタッフたちの昼食会は、疲れたけれどとても居心地のいいものでした。
で、なんでいただきます、言うの? 言わんかったら犬や猫といっしょやんか。それはエサっちゅうの!
合掌
学校行くの⁈ 行かないの⁈ 9
こんにちは、坊守の由美です。
子どもが不登校になると、これは「怠け」なのか「ズル休み」なのか、病名がつかないだけに不安になることが多いです。
何かのきっかけで元気を取り戻せないかと焦るばかり。外へ連れ出したりして無理をさせてしまいがちです。そうした「一発逆転狙い」は本人にとっては、苦痛以外の何ものでもないのです。
自分の意志だけではどうすることもできない「病的状態」だということを認識することが大切です。病気ではないから‼ という親の思いはすなわち、「本人の病的な苦しみ」を理解してもらえないという無力感を増加させます。
受け入れることは難しいですが、大切なことですね。