♪♪ 私の お寺ライフ ♪♪

 ブログアップして9年目に突入。相変わりませんが、私の「如是我聞」をお送りします。南無阿弥陀仏

慶聞抄 2020年1月号

2019-12-22 13:35:04 | 随想
慶聞抄(きょうもんしょう)


  工事中の水路と中村哲さん

阿弥陀仏の救い

中村哲さんの悲報には驚き、憤りを禁じえませんでした。ドクターとして登山隊に参加されたのが始まりでした。連れ合いから、1970年代の中ごろかの地で何度か会って、登山隊の残りの医薬品を提供したことがあったと聞かされてきました。

アフガニスタンの人々の日常を目の当たりにする中で、診療所を作るのも大切だけど、農地を作り出す方がより多くの命を救えると考えられたのでしょう。しかし、それを実行するのは誰にでもできることではありません。10月に名誉市民になったことが反政府勢力を刺激したのではとの見方がありますが、誰の益にもならない愚かな仕業です。

阿弥陀仏の救いには二種あり・・年末の教学講座のご講師は、私が通信教育生だった頃の中央仏教学院の院長、白川晴顕師でした。故・梯實圓師の表現を引用されて、
一、 論功行賞的救い・・どれだけ戒律を守り善行を積んだかで等級に分けて往生
二、 医療論的救い・・苦者に向けられた救いで善悪平等に往生

苦者とは悪人。煩悩具足の悪人(因)故に、苦悩が生じる(果)。「歎異抄」第三条には「悪人」について「煩悩具足のわれら」と親鸞聖人は表現されています。また「たとえば七人の子どもがいるとします。この中の一人が病気になれば、どの子も可愛いけれど父母の心はひとえに病気の子どもに向けられるでしょう、如来の心も同じです。」と、大部の主著「教行信証・信文類」に書かれています。
 
真実の救い・本願は、二、であるのは明らかです。一、の廃悪修善の教えは、教え道りにはいかない、自分の現実をかえりみた時難しい。法然聖人も「これは釈尊の功言(ぎょうごん=方便)なり」と言われています。(「西方指南抄」)
 そこで、白川先生の例え。「お肉屋さんで特上、上、並みとあるでしょう。特上はおいしいけど値が高い。お金をこれだけ出したらこれだけのお肉。算術ですね。それに対してお医者は、仁術、計算を越えた世界ですね。」
 
本願文には、阿弥陀仏の救いの対象について「十方の衆生」と誓われ、あらゆる人々がその対象とされます。しかし、その結びには「ただ五逆と誹謗正法とをば除く」という言葉が置かれ、五逆と謗法の人は救いの対象から除外されるとあります。これをどう解釈すべきかと古来から論議されています。五逆とは、①父を殺す②母を殺す③羅漢(聖者)を殺す④和合僧(仏教教団の秩序)を破す⑤仏身より血を出す。誹謗正法は阿弥陀仏に背き反発する心で、親に背く以上に重罪と考えられています。
 
親鸞聖人は、どれ程重い罪か知らしめるための表現だとしてこう述べられています。「実際に師匠や親殺しをしなくても、師匠や親をそしりおろそかにする人は、親を親と思っていない状態であるため親を殺したも同然。また、如来の真実の教えに気付こうとしない人は仏を殺すことであるため、五逆罪を犯しているとともにおのずと謗法の存在である。」いろんなことで私たちは「人を殺して」います。そんな私たちが阿弥陀仏の救いの目当です。

 罪障功徳の体となる (罪障そのままが功徳)
  こほりとみづのごとくにて
  こほりおほきにみづおほし
  さはりおほきに徳おほし  (曇鸞讃)
 
                      合掌

*お寺カフェ、1月お休み、2月第3水曜日
コメント (1)
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