♪♪ 私の お寺ライフ ♪♪

 ブログアップして8年目に突入。相変わりませんが、私の「如是我聞」をお送りします。南無阿弥陀仏

慶聞抄2024年12月号

2024-11-22 04:35:09 | 随想

2024(令和6)年

12月号(No.133)

了雲寺 釈幸華

慶聞抄(きょうもんしょう)

        曽爾高原ーススキの原を行く

トランプショック

11月6日の朝。「またトラ」が現実になった日。スマホでいち早く米大統領選挙の結果を知った連れ合いは、「ニュースは見たくない」と言いました。友人からもラインで「ショック」の文字。私も「間違いなく地球環境は悪くなるし、貿易(摩擦)、戦争、差別と分断etc.が進み、民主主義どころか人類の破滅への歩みが顕著になることでしょう! 最悪のシナリオのスタート・・」と返していました。友人は、「ヒットラーも選挙で選ばれたからね・・」

チャーチルが言ったという言葉を思い出します。「民主主義は最悪の政治形態である。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては。」専制政治や独裁国家は嫌だから民主主義しかない。だけど、上手く回していくのは難しい。

スマホを見ていたらこんなのも。「公平な議論を進める手順の面倒さ。少数派の意見を大切にする心くばり。多数派が何ごとも数の力で押し通す危険。皆さんのクラスの話し合いや討論でも意見をまとめきれず、議長役は大変でしょう。でもそうした『苦労』が民主主義の土台をつくるのです。」劇場支配人・毎日新聞客員編集委員・玉木研二

そこのところを言っているのが日本国憲法第12条。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」

トランプを選んだ人たちに言いたい。彼をヒーロー扱いするのはよしましょう。むしろヒーローは作ってはダメなのです。ヒーローに熱狂するのは子どもだけでいい。(子どもさん、失礼!)熱狂は冷静な判断を阻害する。責任ある大人は、自分の責任まで人に負わせないし、他者に忠誠を誓わない。かつてJ.Fケネディは言いました。「国が諸君に何をしてくれるかを問うな。諸君が国に対して何をできるかを問え」

ハリスさんの敗北宣言をみてみましょう。「私たちの国で忠誠を誓う相手は大統領や政党ではなく、合衆国憲法と自らの良心、神です。・・(中略)・・ 自由のため、機会のため、公平のため、そしてすべての人の尊厳のための闘い・・私たちの国の核心にある理想、アメリカが最も輝く理想のための闘い・・私はこの闘いを決して諦めません。・・また、日々の生活の中でも静かに実行していきます。互いに親切と敬意をもって接し、見知らぬ人の顔に隣人を見出し、自分の力を人々を元気付けすべての人の尊厳を守る闘いのために使うという方法で。」

臆面もなくてらいもなく、こういうのを公の場で言うのがいい!特に後半がいい。これこそ憲法第12条のキモでしょう! 誰だってできる。

 美辞麗句ではない、ましてや誹謗中傷ではない、こういう演説を聞きたいと思います。言う方も聞く方も、自分を問い連帯を呼びかける態度と人間精神の高みへと誘う言葉を。私はそれを可能にする「神」に注目します。そしてあと1枚になった今年の法語カレンダーの、特に10月の言葉を思い出します。「人間が人間だけでやっていく 現代の問題はそこにある」

 

トランプショックの友人は「しばらくは溜まっている録画を見ます」と言いました。連れ合いは「人がいないところへ行きたい」とテレビのスイッチを切りました。(竹林の七賢人か!?) 私は、1930年代初めに似ているこの世界を前に、腹をくくってその目撃者になろうと思います。      合掌

 

 

釈明和 

明る~く和む今月の一言

 

了雲寺の報恩講さん、お陰様で無事お勤めすることが出来ました。有難うございました。

 

今年のご講師は、奈良からお越しくださった冬野先生でした。お話は分かりやすく、丁寧で、時々笑いあり、熱中して聞かせていただきました。

 

そのお話の中で、なぜ毎年このように報恩講をするのか、成り立ちやその意味を教えていただきました。

 

永仁2(1294)年、親鸞聖人のひ孫である本願寺第3代宗主の覚如上人が23歳の時、親鸞聖人の33回忌を本願寺にてお勤めされたことに由来します。

 

以来700年を超える歴史の中で、先人たちが親鸞聖人のご命日の法要を「報恩講」と

して脈々として受け継ぎ、今日まで大切にお勤めしてきました。

 

私が一番感心したのは、23歳の青年の一言で始まった報恩講という行事が、浄土真宗で一番重要な行事として今まで続いていることです。

 

こりゃ、何でも言ったもん勝ちやな(笑)

 

これは後世に絶対伝えたい!というものは、声を大にして言わないといけない。そして、それが行く行くその家の家風になるかも知れません。

 

反対に、不要な慣例や決まり事、意味も分からずやっていることもあるかと思います。

これ、一回やめてみません? って自分から声をあげてみてはいかがでしょうか?

 

*覚如上人は「報恩講私記」「本願寺聖人親鸞伝絵」など多くの著作を残され、また「大谷廟堂」の寺院化に尽すなど本願寺の実質的な開祖と言われています。


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