慶聞抄(きょうもんしょう)
大人になったら
第一生命保険が「大人になったらなりたいもの」アンケートをした結果を新聞でみました。小学生男子第1位が「会社員」、同じく女子第1位が「パティシエ(洋菓子職人)」。パティシエはともかく、何で会社員やねん!と思いましたが、コロナ禍でリモートワークが進み、自宅で仕事をする親を目の当たりにして会社員を身近に感じた子どもが多かったのではとの解説がありました。中高生の一位は男女とも「会社員」でした。
「なりたいものは」と聞いているのだから職業、ですよね。これって答えになってない。「公務員」という答えもあって、生活の安定感を求める大人の価値観が言わせています。これがもし、「どんな大人になりたいですか」というものだったら?
私が子どもの頃、図書館で手にした伝記には、野口英世やエジソンが載っていました。困難を克服し、世のため人のため尽くした人という選択から大人の教育的意図が感じられます。今時の子ども向けの伝記にはどんな人が載っているのでしょう。
本願寺新報で前に読んだあるお坊さんの話を思い出します。子どもの頃、学校からもらってきた成績表を父親に見せた時のこと。とても良い成績だったので褒めてくれるだろうと期待していたら、「学校で教えてもらうことはそんなところだろう」と軽くいなされ落胆したというのです。このお父さんが子どもに期待するのは違うことだったのですね。
そこでまた思い出すのが、七高僧の一人、源信和尚の逸話です。(ご存知の方も多いでしょうが私の大好きなお話なので付き合ってください。)
平安中期。奈良は當麻の生まれ。7歳で父を失い、母一人の手で育てられます。その神童ぶりは評判となって9歳の時比叡山から「是非僧侶に」とお使いが来たといいます。13歳で正式に仏門に入り、名を源信と。15歳、時の帝、村上天皇の御前で「称賛浄土教」の講義をするのに推挙されます。いたく感激された天皇は、数々の褒美の品と「僧都」の位を授けられました。嬉しくて、當麻で一人暮らしている母に喜んでもらおうと手紙を添えてもらった品を送りました。
ところが母は、歌をしたためてその品々を送り返してきたのです。
後の世を 渡す橋とぞ 思いしに
世渡る僧と なるぞ悲しき
「あなたを出家させたのは、この世で苦しみ迷う人々に生きる喜びの灯をともし仏さまの世界に渡してあげる橋の役になってもらうためであって、自分の自慢をしたりましてや世渡りのためではありません。」
おおいに恥じた源信僧都は、比叡の山の奥深い横川(よかわ)で仏道修行に励まれ、「往生要集」を著し我が国で初めてお念仏のみ教えを説かれたのでした。
四月は、新しい門出の人もおられることでしょう。お釈迦さまがお生まれになった月だという事もお忘れなく。いのち輝くこの季節に、世渡りのハウツーではなく、どう生きるのか、生きたいのか、そんな話を子どもさんとできたらいいなあと思います。
後で知ったのですが、あの森発言、会議の冒頭で何と40分間もしゃべってたそうですね。おまけに大半がご自分の自慢話。これじゃあ日本の子どもが「政治家になりたい」と言う日は絶対きませんなぁ。 合掌
大人になったら
第一生命保険が「大人になったらなりたいもの」アンケートをした結果を新聞でみました。小学生男子第1位が「会社員」、同じく女子第1位が「パティシエ(洋菓子職人)」。パティシエはともかく、何で会社員やねん!と思いましたが、コロナ禍でリモートワークが進み、自宅で仕事をする親を目の当たりにして会社員を身近に感じた子どもが多かったのではとの解説がありました。中高生の一位は男女とも「会社員」でした。
「なりたいものは」と聞いているのだから職業、ですよね。これって答えになってない。「公務員」という答えもあって、生活の安定感を求める大人の価値観が言わせています。これがもし、「どんな大人になりたいですか」というものだったら?
私が子どもの頃、図書館で手にした伝記には、野口英世やエジソンが載っていました。困難を克服し、世のため人のため尽くした人という選択から大人の教育的意図が感じられます。今時の子ども向けの伝記にはどんな人が載っているのでしょう。
本願寺新報で前に読んだあるお坊さんの話を思い出します。子どもの頃、学校からもらってきた成績表を父親に見せた時のこと。とても良い成績だったので褒めてくれるだろうと期待していたら、「学校で教えてもらうことはそんなところだろう」と軽くいなされ落胆したというのです。このお父さんが子どもに期待するのは違うことだったのですね。
そこでまた思い出すのが、七高僧の一人、源信和尚の逸話です。(ご存知の方も多いでしょうが私の大好きなお話なので付き合ってください。)
平安中期。奈良は當麻の生まれ。7歳で父を失い、母一人の手で育てられます。その神童ぶりは評判となって9歳の時比叡山から「是非僧侶に」とお使いが来たといいます。13歳で正式に仏門に入り、名を源信と。15歳、時の帝、村上天皇の御前で「称賛浄土教」の講義をするのに推挙されます。いたく感激された天皇は、数々の褒美の品と「僧都」の位を授けられました。嬉しくて、當麻で一人暮らしている母に喜んでもらおうと手紙を添えてもらった品を送りました。
ところが母は、歌をしたためてその品々を送り返してきたのです。
後の世を 渡す橋とぞ 思いしに
世渡る僧と なるぞ悲しき
「あなたを出家させたのは、この世で苦しみ迷う人々に生きる喜びの灯をともし仏さまの世界に渡してあげる橋の役になってもらうためであって、自分の自慢をしたりましてや世渡りのためではありません。」
おおいに恥じた源信僧都は、比叡の山の奥深い横川(よかわ)で仏道修行に励まれ、「往生要集」を著し我が国で初めてお念仏のみ教えを説かれたのでした。
四月は、新しい門出の人もおられることでしょう。お釈迦さまがお生まれになった月だという事もお忘れなく。いのち輝くこの季節に、世渡りのハウツーではなく、どう生きるのか、生きたいのか、そんな話を子どもさんとできたらいいなあと思います。
後で知ったのですが、あの森発言、会議の冒頭で何と40分間もしゃべってたそうですね。おまけに大半がご自分の自慢話。これじゃあ日本の子どもが「政治家になりたい」と言う日は絶対きませんなぁ。 合掌