♪♪ 私の お寺ライフ ♪♪

 ブログアップして9年目に突入。相変わりませんが、私の「如是我聞」をお送りします。南無阿弥陀仏

慶聞抄2019年7月号

2019-06-20 22:11:48 | 随想
慶聞抄(きょうもんしょう)
 了雲寺 釈幸華

夾竹桃―私の夏の花

自尊感情

中学を卒業して以来初めての同窓会に行ってきました。初恋の人に会えるわけで、友人には言いまくるわ、決めシャツ・決めパンツを用意し、(友人が勧めた)エステこそ行かなかったけれど数日前から少しハイテンション。

しかし当日は、名札があるから彼だと分かったという次第。おそらく私を見た彼もそうだったことでしょう。いや、絶対。半世紀以上を経た諸行無常を、互いに声には出さず(出しているグループもあり)改めて確認。何人かの級友と恩師の訃報も知らされたことでした。でもちゃんと言っとくね、あの頃と同様に君は素敵でしたよ。
 
思春期を思い出すと何となく胸が苦しくなってきます。母が教員をしていたので、その小学校から上がって来た子たちから○○(私の旧姓)センセの子と呼ばれて窮屈な思いをしていたものです。当然、先生たちにも知られていたから勉強に励まなくてはならない(と、勝手に)プレッシャーを感じていました。吹奏楽部の数人ぐらいしか思い出せず、こんなに友だちがいない子だったのかとガクゼンとしました。

川崎市の20人殺傷事件の数日後、今度は東京練馬区で元農水省事務次官が息子を殺めるという痛ましい事件が起こりました。ともに引きこもり状態であったことが背景にあって、「犯罪予備群」のようにレッテル貼りがされぬかと心配です。

川崎市の事件では「拡大自殺」といわれることに対して「死ぬなら一人で死ね」とか、「不良品」呼ばわりなど心が痛む言説がありました。被害者やその遺族に同調する気持ちから発せられたこととしては理解できますが、もともと社会的に孤立しがちな当事者たちをさらに苦境に追いやるような言い方は控えてほしい。事件の悲惨さに動揺する社会にどう対処していくべきか、大きな影響力をもつタレントやメディアはもっと自覚をもって言葉を発してほしいです。

また、元事務次官の方ですが、北御堂であった講演会で精神科医の名越康文さんは、「誰か一人でもいい、相談できる人がいたら事態は変わったのでは」と発言されました。とかく家族の問題は家族が問題です。(これは私の理解)

名越さんも(家族でなく)一般の人がかかわる方が問題解決の確立が高いと言われました。という事は、カウンセリングを学ぶのがいい。


世間の価値観でいうと、社会の中でバリバリやる(社会適応)事のみが大事。どう生きるべきか、人間とはどういう存在か、そういうことを教えられず考えもしないまま、勝つか負けるか、得か損か、だけ。カウンセリングはキリスト教を基にした哲学の上にある技術。日本には学問の体系がない。だから仏教を石垣にしたら心理学を伝えることができるようになったと名越さんは言います。

自分を「価値のない人間」「社会に要らない存在」と悩み続けている人がいます。そうじゃない、たまたま今うまくいってないだけの人。セルフエスティーム=自尊感情を失くしているだけ。仏さまの前には私もあなたも、誰だって同様に尊い人。

世間虚仮 唯仏是真 (聖徳太子)

                  合掌
コメント
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