慶(きょう)聞(もん)抄(しょう)
2017(平成29)年10月号
(NO・47) 了雲寺 釈幸華
在家主義
年に一度、石川南組で門信徒講座がもたれます。今年は、9月13日に大ケ塚の顕證寺さんにて。農閑期の一日を(昔は数日を)、本堂でゆっくり、ご法話の世界にどっぷり浸るというお楽しみのイベントです。
今回のご講師は3人、何と有難いことに全員親しくさせていただいている方です。同組・観念寺の宮本直樹師と大阪・住吉組の松本知子師は、既にうちの報恩講さんでご縁をいただいています。そしてもう一人、同組・極楽寺の田淵幸三師こそ、今年の報恩講さんのご講師にお招きしている方なのです。田淵師は、中央仏教学院の通信制の先輩で、津村別院での学習会でお世話になりました。何と、大阪芸術大学のピアノ科の教授。最初聞いた時にはびっくりしたものですが、この三月に退職され、もう今はあちこちのお寺やいろんな会
合に飛び回っておられます。
このお3人ですが、共通点があります。それは、どなたもお寺のお生まれではないということです。
ちょっと前に、Eテレ「百分で名著」(これ、よう引用させていただいています!)で、釈徹宗先生が担当なさった「維摩経」がありました。在家の維摩さんが病気になって、お釈迦様がお弟子にお見舞いに行くようにおっしゃるのですが、どの弟子も引き受けてくれない。その理由は、普段維摩さんにやり込められているので、またそんな目にあうことが予想されるからです。最終的に、文殊菩薩さまが行くことになるのですが、その二人の論争がこれまたし烈に繰り広げられるというストーリー。なかなか魅力的な物語だと思うのですが、まだ実際には読んでません、ハイ。
釈先生がおっしゃるには、これを最初に紹介されたのが、日本の教主といわれている聖徳太子。7世紀前半に著されたと伝えられる「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」という注釈書の三経というのが、法華経、勝曼(しょうまん)経、そして維摩経。このどれもが、在家の人が説く、あるいは出家を条件とはしない悟りの世界だということです。
考えてみれば、インドから東へ伝わった仏教は、大乗の流れでした。すべての生きとし生けるもの、衆生の救われる道です。以下は、月刊誌「大乗9月号」に掲載された釈先生の「全国門徒推進員のつどい記念講演(上)」から。
「真宗宗歌」で歌いますよね。
「六字のみ名をとなえつつ 世の生業(なりわい)にいそしまん」
世の生業にいそしむところに仏道があるのです。どこか特別なところにこもって、厳しい修行をしたり学問をしたりじゃなくって、世の生業の中に私たちの仏道はあります。世の生業というのは、生活のすべてです。お仕事することも家庭生活を営むことも、子育てすることも、ご近所づきあいするのも、ゴミ出しをするのも全部世の生業でしょ。それをいそしむのですから、誠心誠意、誠実に世の生業に向き合っていく。でも、世の生業にいそしむだけだったら、仏教にもならないし、浄土真宗にもならないんです。
「六字のみ名をとなえつつ」
(中略)浄土真宗の誇るべき伝統だと思います。
酒屋さんの息子さんや、結婚して坊守さんになった人に続いて、大学でピアノを教えていた先生がどんなご法話をしてくださるのか、どうぞお楽しみに。
*報恩講:11月5日(日)午後7時より
*お寺カフェ 10/18 11/15
*石川南組念仏奉仕団 12/11~12 合掌
2017(平成29)年10月号
(NO・47) 了雲寺 釈幸華
在家主義
年に一度、石川南組で門信徒講座がもたれます。今年は、9月13日に大ケ塚の顕證寺さんにて。農閑期の一日を(昔は数日を)、本堂でゆっくり、ご法話の世界にどっぷり浸るというお楽しみのイベントです。
今回のご講師は3人、何と有難いことに全員親しくさせていただいている方です。同組・観念寺の宮本直樹師と大阪・住吉組の松本知子師は、既にうちの報恩講さんでご縁をいただいています。そしてもう一人、同組・極楽寺の田淵幸三師こそ、今年の報恩講さんのご講師にお招きしている方なのです。田淵師は、中央仏教学院の通信制の先輩で、津村別院での学習会でお世話になりました。何と、大阪芸術大学のピアノ科の教授。最初聞いた時にはびっくりしたものですが、この三月に退職され、もう今はあちこちのお寺やいろんな会
合に飛び回っておられます。
このお3人ですが、共通点があります。それは、どなたもお寺のお生まれではないということです。
ちょっと前に、Eテレ「百分で名著」(これ、よう引用させていただいています!)で、釈徹宗先生が担当なさった「維摩経」がありました。在家の維摩さんが病気になって、お釈迦様がお弟子にお見舞いに行くようにおっしゃるのですが、どの弟子も引き受けてくれない。その理由は、普段維摩さんにやり込められているので、またそんな目にあうことが予想されるからです。最終的に、文殊菩薩さまが行くことになるのですが、その二人の論争がこれまたし烈に繰り広げられるというストーリー。なかなか魅力的な物語だと思うのですが、まだ実際には読んでません、ハイ。
釈先生がおっしゃるには、これを最初に紹介されたのが、日本の教主といわれている聖徳太子。7世紀前半に著されたと伝えられる「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」という注釈書の三経というのが、法華経、勝曼(しょうまん)経、そして維摩経。このどれもが、在家の人が説く、あるいは出家を条件とはしない悟りの世界だということです。
考えてみれば、インドから東へ伝わった仏教は、大乗の流れでした。すべての生きとし生けるもの、衆生の救われる道です。以下は、月刊誌「大乗9月号」に掲載された釈先生の「全国門徒推進員のつどい記念講演(上)」から。
「真宗宗歌」で歌いますよね。
「六字のみ名をとなえつつ 世の生業(なりわい)にいそしまん」
世の生業にいそしむところに仏道があるのです。どこか特別なところにこもって、厳しい修行をしたり学問をしたりじゃなくって、世の生業の中に私たちの仏道はあります。世の生業というのは、生活のすべてです。お仕事することも家庭生活を営むことも、子育てすることも、ご近所づきあいするのも、ゴミ出しをするのも全部世の生業でしょ。それをいそしむのですから、誠心誠意、誠実に世の生業に向き合っていく。でも、世の生業にいそしむだけだったら、仏教にもならないし、浄土真宗にもならないんです。
「六字のみ名をとなえつつ」
(中略)浄土真宗の誇るべき伝統だと思います。
酒屋さんの息子さんや、結婚して坊守さんになった人に続いて、大学でピアノを教えていた先生がどんなご法話をしてくださるのか、どうぞお楽しみに。
*報恩講:11月5日(日)午後7時より
*お寺カフェ 10/18 11/15
*石川南組念仏奉仕団 12/11~12 合掌