オフィスが大手町に移転して、
通勤時に皇居を歩くようになって、
たまに、千鳥が淵の方を回ってみて、
初めて、「昭和館」なるものがあることを知りました。
場所は、九段下の交差点のところで、立派な建物です。厚生労働省所管の国立博物館で、「国民が経験した戦中・戦後の生活に係る歴史的資料・情報を収集、保存、展示し、労苦を次世代に伝える国立の施設です。(パンフレット)」ちなみに外壁はチタン製のパネルとのこと。
(写真は、Wikipedia「昭和館」より)
しかし、”労苦”と言われると、暗い感じですね。
戦争は確かにそうですが、その後の復興、発展も含めて「昭和」でしょうから、”労苦を次世代に伝える”ためだけのような言い方はちょっと。
その後の高度経済成長も、バブルだって昭和ですからね。
まあ、平成の次の世に移ろうとしている御時世ですから、古めかしい印象はしますし、昭和は戦争から始まって、残りは、ずっと”戦後”と呼ばれていたので、振り返った時は、戦争を中心に語られるもの仕方のないことでしょうか。
さて、正面から入っていきますと、
企画展の案内があります。「日本のオリンピック・パラリンピック 大会を支えた人々」
建物の3階 研修室というところが、特別企画展の会場等に使用されています。
1階と、2階の広場以外は、原則、写真撮影不可ですので、ちょっと画像に乏しい回になるかもしれません。
5階の映像・音響室を広角に撮影するのもダメと言われました。「写真が写り込むので」と。6、7階の常設展示室なんか、写真どころか、シリアスな個人情報ばかりだし、仕方ないですね(の割には、ネットで検索すると、個人のブログに、たくさん展示物の写真が掲載されています。見学者は少ないし、ノーチェックといえば、ノーチェックなので、”カシャ”っと言わないカメラなら、内緒で撮れてしまうように思えました)
さて、1階の受付ですが、職員の方が簡単に説明をしてくれました。
常設展示室は入場料が300円ですが、他は無料。4階の図書室は、改装(?)中とかで使用できません、とのこと。
なお、1階の奥には、ニュースシアターがあり、昔のニュース映像が流れています。
この時は、昭和14年(戦中)、昭和20年(戦争末期)、昭和22年、昭和25年(戦後)のニュースを見ましたが、
戦中は、戦線便りとして、調子よく勝ち進んでいる感じですが、戦争末期は、内容が、B24来襲とか、特攻隊出動とか、悲惨な状況でありながら勇ましく伝えていました。戦後になると、東京裁判の模様とか、復興が始まっているのか、鉄道の安全性の特集だったり、昭和25年になると、ニュース内容も明るく(前向き)なものになっているように感じました。美脚コンテストなど、ナレーションで「あまり綺麗でいないのもご愛嬌」とか、昔っぽくて笑ってしまいました。ただ、日蓮宗が”引揚促進祈願”を日比谷で行うなど、まだまだ戦争が終結していないこともわかりました。
一週おきにプログラムは変わるようです。
では、券売機で、常設展示室のチケットを購入し、上の階から回ることにします。
7Fが入口で、昭和10年頃から昭和20年(終戦)までの戦中の国民生活を伝える実物資料を展示しています。
展示室内の階段で、6Fに下りると、昭和20年(終戦)から昭和30年頃までの戦後の国民生活を伝える実物資料を展示しています。
ところで、入口では、何と表現したらいいのか、大きな、それこそ昔の携帯電話のようなものを貸してくれます。
展示物の番号に従って、番号を押すと、受話器のところから、音声ガイドが流れるので、それを耳に当てて聞きます。
手は疲れますが、結構、役に立ちます。
さて、7Fの戦中から終戦までですが、
召集令状とか、出征する夫や子に持たせた千人針や、家族とやりとりした書簡などの展示から始まり、重々しく感じます。
しかし、ベトナムのそこら中にある”戦勝博物館”とは違って、武器や、戦争の生々しい写真の展示ではなく、戦時中といいますか当時の生活風景が、パネルと実物展示でよくわかるようになっています。むしろ、当時の庶民生活を中心に、構成されています。
戦争の拡大で物資が不足し、物資(兵器となる金属)の徴収、都市部での配給制度の開始、学童の疎開、勉強どころではなく工場や農村で働くなど、戦況だけでなく、国民全体の生活が困窮していく様がよくわかります。
常設展示室で唯一、写真撮影ができる場所がありました。
防空壕の模型です。まあ、記念撮影したいかどうかは。。。
そして、終戦を迎え、
6Fへ降りる階段の踊り場に、「玉音放送」の全文を記したパネルがあり、放送も聞くことができるようになっていたので、文字を追いながら、初めてフルに集中して聞いてみました。これを聞いて自裁した人もいたということですから、戦後生まれの私などには理解しがたい感傷があったのでしょうね。
6Fでは、最初のブースこそ、終戦直後の混乱や暗い話が紹介されていますが、
選挙法の改正、農地改革(亡くなった祖父は、これで土地を巻き上げられたと怒っていましたね)、新憲法の施行など、復興に向けた再出発が紹介されています。
しかし、遺された遺族への恩給の停止、戦争孤児など、容易なことではなかったようです(当然のことながら)
それでも、以後、高度経済成長に向かう、当時の様子が、当時の電気炊飯器、テレビ、それと”真知子巻き”で紹介されていました。
だいたい、一時間から一時間半で、音声ガイドを聞きながらゆっくり観てまわることができると思います。
コンパクトかつ、印象的な展示で、理解しやすいものだと思いました。
繰り返しますが、戦争そのものではなく、戦時中から戦後の庶民生活の紹介なので、若い世代に見て欲しいですね(修学旅行や遠足で)。
ただ、そんなに広くはないので、大勢では入れないかな。
私が行った時は、私以外、一人だけ女性(おそらく下見の先生)がいたのですが、おそらくボランティアガイドが付いていて、このガイドが、ノリノリで大声で話すは、展示物、ブースからどかない(進まない)わ、で結構イラつきました。そのなってしまう程度の広さなので、来場者が多かったら、音声ガイドに合わせて展示物を見るのは難しいでしょうね。
5Fは、当時の写真・映像・音響(SPレコード)資料をパソコンで見たり聞いたり調べたりできます。
試聴ブースは結構混んでいましたが、ブースの配置的には、かなりゆったりして、リラックスして使用できると思いました。
戦中・戦後の国民生活を中心とした文献・資料が集められ、情報がデータベース化されており、自由に検索・閲覧できるとありますが、この時は改装中か何かでみることができませんでした。
研修室(3F)
3Fは研修室ですが、企画展の会場になるので、この時は「日本のオリンピック・パラリンピック 大会を支えた人々」でした。
入口で、係員の方から”出典目録”の紙を受け取り、順繰り見て回りました。
Ⅰ オリンピック「はじめて」物語
日本人初のメダルは、第7回アントワープ大会のテニス男子シングルス(熊谷一弥)と男子ダブルス(熊谷一弥・柏尾誠一郎)の銀メダルだったことをはじめて知りました。そのメダルの実物が展示されていました。
あと、人見絹枝さんという女性初のメダリストは、アムステルダム大会で、100mで不本意な成績だったため、急遽、800mにエントリーし(できたことにまず驚きましたが)、銀メダルを取ったと、驚きました。
Ⅱ 幻のオリンピック東京大会 - 1940 -
私の世代は、西側諸国のモスクワ大会のボイコットや、その後に開催されたロスアンゼルス大会を、東側がボイコットした冷戦の影響は知っていましたが、
アジア初の開催地として一旦当選したものの、支那事変で戦闘状態に入った中国から異議を出され、IOCから辞退を勧められ、辞退したこと、そして、代替の開催地ヘルシンキ(フィンランド)も、ソ連軍の侵攻で、結局中止になったという、戦争の影響による平和の祭典中止の背景を知りました(冷戦のは、戦争というより政治の影響)。
Ⅲ 待望のオリンピック東京大会開催 - 1964 -
こちらは、文字通り”待望”の前回の”東京オリンピック”の模様です。
新幹線の開通って、大阪万博(1970)に合わせて開通したものと思い込んでいましたが(東京から大阪に早く行けるように)、東京オリンピックに合わせて1964年10月1日に東京-新大阪間が開通したんですね(お恥ずかしい)
なお、モノレールも、羽田空港に到着した外国人がスムーズに来られるように、この時開通したんですね。
北京オリンピックの時の地下鉄とか、交通インフラの整備のきっかけとしてオリンピックはいいですね。使い道がなくなったり、維持費が負担で気なくなったりするスタジアムとかと違って。
テレビも、1962年には受信契約数1000万件、全国世帯の49.4%であったのが、1964年には、1566万件、87.8%に急速に拡大(浸透)し、カラーテレビへの買い替えが進んでらしく、時差が大きい国で開催される時に、ビデオが売れたりしますが、さて、来年の東京オリンピックでは、何の買い替えとか、新しい需要が生まれるでしょうかね。
個人的には、4Kや8Kではない、と思うですが。。。
後、「公式ポスター」が展示してあるのですが、
迫力、あります。
写真ですが、”絵画”のような趣で、筋肉の躍動感がいいです。
そして、Ⅳ パラリンピックのあゆみで以上でした。
広場(2F)
2Fの広場は、外から直接行ける(もちろん中からも)オープンエアーな場所ですが、上記のオリンピック企画と開催時期を同じくして
「昭和館開館20周年記念写真展 昭和に出会う旅 - 47都道府県をめぐって -」
を開催していました。
オープンスペースなのですが、一応、掲示板に従って”入口”から
ただ、、、各県一枚、これだけ。パンフとか作ってある割には。。。
ちなみに、故郷の福島は、
なんと「沼尻スキー場」
子供の頃、よく行きました。実家から車で30分くらいでしたので、父親によく連れて行かれました(リフト券を買ってもらえず、ひたすら登り降りをさせられた、辛い思い出だけですが)
ところで、解説文に書いてあるのですが
「大正4年(1915)12月に開場した。現存営業するスキー場では日本最古である。」
驚きでした。
加えて、
「スキーに訪れた男性たち、ストックは竹製であろうか。」
写真は昭和15年頃に撮影されたものと、両親が生まれた頃なのですが、
私が、本当に幼い頃(幼稚園に上がる前)は、ストックは、まだ竹製だったような。。。
まあ、一番に昭和を感じたのは、ここかもしれません(苦)
ではでは。