池上優游涵泳

「料理と散歩と仕事で海外」「ベトナム生活あらかると」改め、「池上優游涵泳」として日々を綴っています。

行きの天祖神社、帰りの鹿嶋神社

2019-08-11 18:25:11 | 地域情報

じゃがいもを沢山いただいた奥さんのお友達から、追加で、かぼちゃ、じゃがいもなどを頂き、

奥さんが私の調理した、かぼちゃやじゃがいもの料理の写真を送ったところ、喜んでいただけたようで(私も嬉しい)、

更に、追加の追加が、宅配便で届きました。

素晴らしい!お金払いたいくらいです。

ただ、最初のじゃがいもに加えて、追加のじゃがいももまだ沢山あるので、保存が心配でした。

が、シンシア、べにあかりは、常温で10月まで保つ、とのお手紙が入っていました。

そう言われてみると、インカのめざめとかインカルージュは芽が生えてくるのですが、シンシア、べにあかりは、最初にいただいた分もまだ芽が生えてきません。

となると、肉の黄色い、煮崩れしにくい方から、食べていくことになるので、最近はポテサラが多めでしたが、肉じゃがとかソテー系(酸辣土豆とかジャーマンポテトとか)で行きますかね。

ああ、煮崩れしないと言っても、インカ系は、コロッケにしてもまとまりがいいから、いろいろ作れるな。

こう言うことをあれこれ考える楽しみが、奥さんと共有できないのは。。。

 

さて、先日、品川歴史館大森貝塚遺跡庭園に行ってきましたが、

行きがけに天祖神社、帰りがけに鹿島神社なるところにも立ち寄りましたので、軽く、その紹介を。

天祖神社は、大森駅の西口、池上通り沿いにあります。

駅の真ん前に、急な階段があり、

看板で神社があることはわかるので、大森駅の西口から出る度、気にはなっていました。

駅への通勤路になっているので、この階段を、朝は結構、人が通ります。

タイルの階段の先から、石段を登ると、天祖神社です。

石段の途中、左手に赤鳥居がありますが、

伏見稲荷の稲荷社でした。

ただ、大きな灰皿が置かれて、喫煙所になっていました。

なんだかね。。。

駅前ですし、最近喫煙所もないので、こうでもしないと、階段の踊り場にポイ捨てとかされしてしまうのでしょうか。

しかし、神様にとっては煙たいことこの上なしですね(うまいこと言ったかな(笑))

 

天祖稲荷の境内に上がると、一対の狛犬がいます。

割とふっらした顔立ちの狛犬で、子供の狛犬を背負っていたり(立髪咥えてぶら下がっている)、抱えていたり、微笑ましいデザインです。

本殿はこんな感じ。

非常にコンパクトです。

結構、お年寄りがいて、涼んでいるようでした。

まあ、何度も言いますが、神社の境内って、なぜか涼しいものですからね。

ちなみに、天祖神社のFacebookホームページがありました。

そんなにupdateされている感はありませんが、例大祭は9/22との告知が載っています。

「八景天祖神社」とも書かれているのですが、大森駅の階段は裏口で、大きな鳥居のある入口が面している坂が、八景坂ということからのようです。

 

続いて、鹿嶋神社(または、大井鹿嶋神社)。

こちらも池上通り沿いで、品川歴史館に近いところにあります。

天祖神社と対照的に広い境内で、樹木が鬱蒼と茂っています。

境内にある二本のタブノキ(クスノキ科)は、どちらも樹齢約二百年で、品川区指定天然記念物に認定されています。

ちなみに、こちらは旧本殿らしく、

中心の大きなのが、言われなくてもわかる、現在の本殿です。

開いていたの、写真をパシャ。

舞殿かな。

品川歴史館の建設時に発掘された、大井鹿島遺跡と名前が一緒で、この一帯が遺構なのでしょう。

安和2年(969)の創建とのことで、この下にも色々眠っているのでは。

 

暑さ凌ぎにいい場所でしたが、この後、大森貝塚遺跡庭園も待っていたので、足早に。

次、通る機会があれば、もう少し時間をかけて、神域の何かを感じたいものです。

ではでは


大森貝塚碑と大森貝墟碑

2019-08-10 16:07:35 | 地域情報

先週、ルッコラを間引いて、サラダプレートにしましたが、

この猛暑の一週間で、見事、再生しましたね。

多めに収穫して(イタリアンパセリも一緒に)、

今日のブランチも、(奥様曰く)味の濃〜いサラダプレートです(メインのベビーリーフが見えん)。

後一回半分くらいはあるけど、今週末で食べ切るか、来週までに盛り返すのを期待するか迷うところです。

 

さて、貝塚は古代のゴミ捨て場なので、住居跡や古墳とは異なり、土器や装飾品よりは、貝殻とか骨(動物、魚)から古代の食生活、生態系を知るものであると、認識を改めて、大森貝塚に立ち寄ることにします。

 

大森貝塚は、品川歴史館の展示にあったように、割と広範囲に広がっているようですが(後年の発掘によって)、エドワード・S・モース(1838〜1925、東京大学初代動物学教授)が発掘調査を行った場所が、大森貝塚遺跡庭園になっているようです。

しかし、発掘調査報告書に正確な場所や周辺の地図が記載されていなかったことや、その後の景観の変化などで分からなくなっていたようで、二つの貝塚碑が存在します。

ひとつは、大森貝塚遺跡庭園にある「大森貝塚碑」

もうひとつは、NTTデータビル敷地内になる「大森貝墟碑」

です。

どちらも広域な発掘場所に入っているのですが、

品川区の「大森貝塚碑」か大田区の「大森貝墟碑」のどちらがモースの発掘した場所かの論争があったようです。

まあ、ありがちですね。

お店なら”本家”とか”真”とか。

自治体なので、どちらが”大森貝塚のふるさと”とか名乗って、饅頭、ゆるキャラを作るかみたいな(笑)。

で、結局、その後の調査で、品川区の「大森貝塚碑」がその場所であったと。

大森貝塚遺跡庭園は、国指定史跡になっていますが、大田区への配慮かな(苦)

ただ、モースの生まれたポートランド(アメリカ、メイン州)と姉妹都市になっているのは、品川区。

大田区郷土博物館、品川区立品川歴史館のどちらにも、あまりアピールがないのは、お互い気を使っているのかな。

それとも、国指定史跡なので、資料は国立博物館に集められているのかな。

 

まっ、それはともかく、

品川歴史館からの帰り道なので、まずは大森貝塚遺跡庭園から。

縄文っぽさを其処彼処でイメージしています。

入口の壁に続いて、公衆トイレ。

広場の回廊は、縄文っぽくもありますが、地層をイメージしているようです。

ところで、この広場は、噴水が上がってミスト状になる仕掛けがあるらしいのですが、

ポンプが故障中とのことで、、、「今でしょ!」と言いたい。

なので、ひとっ子一人いません(この炎天下、物好きなのは私だけ。歴史館も私以外の見学者はいませんでしたね)。

モースさんも暑そう。帽子くらい被せてあげたいね。後ろは品川区とポートランド市の姉妹都市の碑。

回廊に登ると、見晴らしはよろしいが、更に暑い。

裏手、線路の方へ行くと、謎の”波のオブジェ”

私には、ウルトラマンの怪獣に見えました(思い出しました)。

公園にある大森貝塚、縄文遺跡の説明板。

 

こちらでは、実際の貝層を見ることができます。

また、発掘した貝塚が、割と無造作にそのまま残されてあり、

埋まっている貝も触れます。

これ本物なのかな?無造作すぎる。

一番奥には、品川区側の「大森貝塚碑」があります。

 

そして、大森駅の方へ行くと、朝、通り過ぎた、NTTデータビルの前に「大森貝墟碑」のレプリカが。

建物の脇道を入って(ゲートは9:00に開くようです)

階段を降りると、

説明板があって、その裏に、

大田区側の「大森貝廃碑」があります。

こちらには、遺構などは特になく、これが線路沿いに建っているだけです。

 

まあ、貝塚碑を見たところで、何か感じるものではないので(苦)、

大森貝塚に触れると言う点では、大森貝塚遺跡庭園が一番かもしれません。

あとは、モースが動物学の教授だった東京大学の総合研究博物館か、、、上野の国立科学博物館はどうだったかな。。。

国立博物館では去年の今頃、縄文展が開催されていたようです。

その”見どころ”の説明文に「日本では明治時代になって、大森貝塚の発掘をきっかけにして近代的な考古学が始まり、「縄文」が発見されました。」とあるように、大森貝塚は、その出土品がどうのと言うより、古代史を紐解くきっかけとして大きな意味があったのでしょうね。

大森貝塚の自由研究は一旦おしまいで、大田区の豊富な遺跡巡りにシフトしていきます(暑さが緩んだら)。

ではでは 


品川歴史館の大森貝塚に関する展示は?

2019-08-09 19:36:28 | 見学・観賞

先の金麦キャンペーン「あいあい皿」の2回目の応募(3口)から2ヶ月経って、なかなか来ないな〜と思っていたら、

1口分(1組)だけ届きました。

それと、遅延のお詫びハガキが2通届きました。

残りの2口分(3+1組、ランチョンマットと小皿)は9月後半になりますと。

なかなかお披露目できませんね。

「夏皿」も夏のうちに来ないと、なんか料理の季節感と合わなくなってしまうなぁ。

まあ、応募ハガキはちゃんとサントリーに届いていたことが確認できたのでヨシとしよう。

 

さて、先日、郷土博物館に行って、大田区内の遺跡や発掘土器に関する展示は充実しているものの、大森貝塚に関する展示少ないな〜、と思ってWebで”大森貝塚”を検索したら、品川区の「大森貝塚遺跡庭園」がヒットし、”大森”なのに実は品川区か!?

となれば、行くしかありませんね。

夏休みの自由研究第三弾!

大森貝塚遺跡庭園と、その紹介が品川歴史館のHPであったので、そちらも。

さて、大森貝塚に関するあれこれは、こっちに充実しているのでしょうか?

 

既に30℃を超えている中、品川歴史館の9:00開館に合わせて、池上通りを歩いていきます。

大森駅を過ぎて、NTTデータのビルの脇にある貝塚碑のレプリカを過ぎて(帰りに寄ろうと)、

門の閉まった大森貝塚遺跡庭園(9:00開園)も通り過ぎると、

品川歴史館があります。

まず、品川宿の石垣石が出迎えますが、その脇に麦茶(無料)が置いてあり、超ありがたい♪

QRコードを読み込ませると、スマホで展示の解説文を読むことができます(音声ではない)。

スマホがなくても、解説シートは紙でたくさん置いてありましたけどね。

じっくり読もうと、軒並み貰ってきましたが、HPにPDFで貼ってありました(苦)。

入館料は100円。

まずは、常設展示の品川の歴史です(歴史館ですからね)

まず、目を惹いたのが、中央にある、品川宿の模型。

私って、ジオラマに弱い(好きな)んですよね。

イメージしやすいというか、ジオラマや模型から、想像が膨らむのです。

スーパーカーから始まって、ミリタリーものや、ガンプラも作って、ジオラマに仕立てていたプラモマニアのバックグラウンドと言うのもあります。

ともかく、この品川歴史館は、ジオラマが充実していました。

小ぶりなものもあれば、

大物も色々。

これは現在の戸越公園のあたり、細川家の戸越屋敷と御鷹場(将軍が鷹狩りをするところ)です。

こちらは、現在の聖蹟公園にあった品川宿の本陣。

家紋から、滞在しているのは長州(ちょっと、イラッ(苦))

これも良くできていますね。左下が東海寺、右上が三代将軍家光の別荘として建てた品川御殿。

品川は江戸湾に面していますので、漁業も盛んだったこともあり、底引き網漁をする桁船の模型もあります。

それと、展示室が旅籠をイメージして作られていて、泊まり客と女中さんに見下ろされています。

2Fに行くと、彼らを後ろから覗けます。

 

ちょっと模型とジオラマに心を奪われていましたが、

掛け軸や絵巻でも、当時の様子を知ることができます。

妙国寺(現在の天妙国寺)の五重の塔。現在は、礎石だけ残っているようです。

先にジオラマの写真を載せましたが、花見の様子は絵巻物(浮世絵)でもよく伝わってきます。

 

と、根っからの歴史好きなので、うっかりスルーしていましたが、

大森貝塚の貝層です。

って、これだけ?

これは、、、常滑焼の大甕で、御殿山にあったものなので、、、発掘されたものではないと。

なんだか、大森貝塚の香りがあまりしないのですが、、、

隣の展示室に行くと、近代、現在の品川についてで、

なんかレトロなモノが展示されていました。

それと、講堂(と呼ぶには小さい会議室かな)では、企画展「暮らしの中の灯り」がやっていて、灯りに関する道具(行灯とか龕灯とか)が展示されていました。

ん〜っ、大森貝塚のコーナーもあるとHPには書かれてあったが、、、2Fに行きます。

中央のパネルが、大森貝塚に関するもので、ちょっとだけ発掘された土器などが展示されていました。

再びジオラマですが、大森貝塚の発掘を行ったエリアです。広域ですね。

ジオラマ好きにはグッとくる大作ですが、都立大崎高校の生徒が作った江戸時代の大崎・五反田の模型だそうです。

土蔵相模の模型。御殿山英国公使館焼き討ちのために高杉晋作ら攘夷志士が集まったという、のは知りませんでした。

品川駅の模型です。

先の大崎高校は、全国高校鉄道模型コンテストで最優秀賞をとったということなので、こっちを作ってもらえばよかったのに。

 

ということで、生憎、大森貝塚とか古代の感じは薄いです。

こんなものは置いてあるのですが(苦)

 

あとは、庭園をまわってみます。

元々は安田財閥の邸宅、茶室、庭園のあった場所のようです。(もちろん”俺の空”の安田財閥ではない)

中央の立派に剪定された木は桜ですね。花見の季節に来たいところです。

松滴庵(しょうてきあん)という茶室。

書院造りの邸宅。歴史館にくっついているけど、現在何かに使われているのだろうか?

水琴窟がありました。ちゃんと鳴ります。ちょっと暑さが和らぎました。

竪穴式住居跡。

歴史館の建設時、大井鹿島遺跡という、古墳時代後期から奈良・平安時代の遺跡が見つかったというので、遺構を残しているのかと思ったら、復元でした。

 

以上が品川歴史館でした。

品川の歴史という点においては、特に江戸時代に栄えた品川宿に関しては興味深いものがありました。

こんな姿で旅をしたのかな。

 

ただ、こちらも大森貝塚についての展示はあまりありませんでした。

しかし、貝塚についての説明文が「貝塚とは大昔のゴミ捨て場で、貝以外にも動物の骨・土器・石器など様々なものが見つかっています。」とあるように、この規模で見つかったことは価値があるとしても、ゴミ捨て場なので、展示するとしても、貝の層と、土器の破片とかになってしまうのかもしれません。

これはきっと私の思い違いでしたね。

 

大森貝塚遺跡庭園に寄って帰ることにしますが、その模様は、明日にします。

ではでは


龍子記念館

2019-08-08 17:04:22 | 見学・観賞

ベランダ菜園ですが、パセリとベビーリーフに注意がいっているうちに、いろいろ熟していました。。。

大きくなるかと思った唯一のゴーヤの実は、小さいサイズのままオレンジ色に。。。

やはり、小さいネットで”盆栽風”では、実は大きくならないか(苦)

 

獅子唐は、黒くなるのは栄養不足とWebで読んだので、黒くなりかけたら収穫していましたが、

黒くなった先に、赤くなるのですね。。。栄養不足じゃなかったんか。

 

鷹の爪もどんどん赤くなっています。

新しい緑の実もどんどんつくので、結構な収穫が期待できそうです。

何れにせよ、獅子唐は週末には収穫して食べないと。焼き鳥にでもしようかな。

 

さて、会社を辞めて、永遠の夏休みとか言ったこともありましたが、

子供の頃以来の、本当の夏休みらしい、夏休み感覚を味わっています♪

先日は、夏休みの自由研究のような気分で、郷土博物館へ行ってきましたが、

今日は、夏休みの自由研究第二弾、龍子記念館です。

 

池上本門寺の龍の天井画を描かれた日本画家で、同じ和歌山出身の奥さんが、本門寺に行く度に、自慢気に語ります。

私は絵を見るのは好きですが、評するほどの知識はなく、記念館という名の美術館があることは知っていても(大森に行く時、前を通るので)、ちょっと敷居が高かく感じていたのですが、

現在の展示企画が「カッパと水辺の物語〜龍子のトリックスターたち〜」と、街角掲示板のポスターで知り、ちょっと敷居が下がった感があって、行ってみることにしました。

建物の外観です。

階段を上がって、受付でチケット(200円)を買って入ります。

館内は写真を撮ることができないので、今回、画像はないのですが、感想はちょっと紹介してみたいと思います。

繰り返しますが、絵画を評するほどの知識も鑑識眼もないので、私が見た範囲での、あくまで個人の感想とご理解ください。

 

絵の特徴としては、

墨絵、水墨画のような輪郭の取り方をしています。

墨書の筆使いのような力強く流れるような筆致が特徴的です。水の泡立つ感じとか、龍の輪郭とかが特に。

水彩画、水墨画のようなあっさりした彩色もあれば、油絵のような濃いの彩色もあります。(使われていたのは、天然岩絵具)

水が流れるような、動き(流れ)を感じるモチーフが多いように思えます。

 

これまで私が見たのは迫力のある本門寺の龍の天井画だけで、TVで紹介される昔の日本画家に対するステレオタイプから、厳格・頑固な人かと思っていたのですが、

今回、カッパの絵を見ると、この方は随分くだけた、柔軟な人だったのではないかと思い直しました。

自分を龍の子(故に、画号が龍子)として、龍へのこだわりを見せていたようですが、

人としての自分の気持ち、思い出、世相などを、龍ではなく、カッパに置き換えて、おどけて表現しているように思えました。

 

一時間弱、現在展示されている31点と、パネルや絵道具をゆっくり観て、次は道路を挟んで対面にある龍子公園(アトリエと旧宅がある)の定時ツアーに参加します。

この時、見学者は私だけだったので、学芸員の方と2人きり。なんと贅沢なことか。

旧宅の方へ行く前に、記念館の建物についてお話を聞きます。

57年前の1963年に、川端龍子本人によって、建てられた美術館(名前は記念館)。平成3年から、大田区に移管。

こういう美術館は故人になってから作られるものだが、龍子の場合は、生前、自ら作ったものなので、本人の希望が直接反映されている。

展示室は、片面だけに作品が飾られ、大きな窓から自然光が差し込んでいた。

これは、龍子が、自分の作品は自然光で見るのが一番と考えていたから。

当然、日差しで痛むことが懸念されたが、本人が自分で修復すると言っていた。作者が存命であった故の話。

亡くなられた後、流石に直射日光を当てている訳には行かず、カーテンで日光を遮蔽するようになったと。

 

続いて、龍子公園に入ります。

兎角、龍へのこだわりが強く、竹垣も龍の鱗のようだったから、とのこと。

公園(アトリエ、旧宅)の方は、特に写真撮影が不可ではなかったと思うのですが、

マンツーマンで丁寧にお話いただいたので、写真を撮る(心の)余裕がありませんでした(笑)

 

庭の通路が臥龍をイメージしていたり、

桟のところが、竹の網代編みになっていて、これも龍の鱗をイメージしていたり、

畳の組み方が、角を合わせず、卍の形にしているのも、鱗をイメージだったかな。

ただ、龍の絵はそんなに多くないと。

天井画のような大作は龍がモチーフだが、4点のみ。本門寺のは遺作で未完。

(鯉はよく書かれているように思えましたが、龍を意識してかな?鯉が滝を登って、龍に変ずるので)

 

それと、自然光こだわりがあるので、60畳のアトリエも、ガラスで囲まれたテラスのようでしたし、

旧宅には電灯のない仏間があり、明り取りから間接照明として、明かりを取り込んでいたりしていました。

 

一通り丁寧に説明していただき、雑談して終わりましたが、

私一人にすみません、と言ったら、まあ、今の時期は特に少ないとのこと。

夏休みを利用して子供に来て欲しいので、カッパの企画にしたと。

(それに、いい大人がひっかりました(笑))

近所に住んでいながら、なんとなく敷居が高くて、今回、カッパで敷居が下がったので来ました、と言ったら、

苦笑しながら、記念館と称していたり、階段を上がったところが入口だったり、なんとなく立ち寄り難さは気にしている。

区内より区外の人が多いそうで、もっと区内の人に気軽に来て欲しいと言っていました。

 

所蔵している作品は140点あり、四半期ごとの会期で、20〜30点ずつ展示しているので、一周するのに2年くらいかかるそうです。

今回、カッパの導きで、川端龍子の敷居が下がり、家から歩いていける距離だし、200円だし、3ヶ月に1回来るのもいいですね。

ではでは


湯殿神社

2019-08-07 18:09:48 | 散歩

ここのところ、朝7時台で30℃を超えているので、朝の散歩でもちょっとしんどさを感じます。

まして、日が昇ってからは、、、今日は、都心で37℃を記録したとか。

しかし、一日一万歩の目標(義務?ノルマ?恐怖感?)のためには、日陰を選んで頑張ります(苦)

他方、植物は、長雨の後、夏の日差しを浴びて、ぐんぐん育っている感じです。

急いでいる?

呑川沿いは、公共の花壇、家々の庭先で、赤いサルスベリ(で合ってる?)がモコモコ膨らんでいます。

他方、うちのパセリくんは、どうにも元気がなく、、、

枯れたところを捥いでいったら、こんなに小さくなってしまったので、

詰み切って、終わりにすることにし、

夕飯は、ケッパーのポテトサラダに致しました。

土は、一旦乾かしてから、元肥、石灰加えて、秋植えに備えます。

 

さて、昨日、大田区立郷土博物館に行きましたが、

その帰り道、住宅街の路地奥に、鳥居があるのが目に入り、

毎度のごとく、神域に魅かれて、立ち寄りました。

いつも感じることですが、

鳥居をくぐって神域に入ると、なんだかスッと気温が下がって、静かになる気がするんですよね。

感覚が鋭く、じゃないな、気持ちが浄化というか、水が澄むような感じになります。

私はそこそこ霊感があるのですが、その感じとも違うんですよね。

他人より余計に感じるだけかもしれませんが、まあ、そのは話はまた別途。

 

社額には、湯殿神社と書かれてありました。

由緒としては「湯殿神社の創建年代は不詳ですが、馬込村のうちの根古屋谷の鎮守で、江戸時代には羽黒権現と呼ばれていました。」と言うことです。

羽黒山、湯殿山、月山を出羽三山といいますが、三山信仰がこの辺りにはあって、どっかで羽黒山と湯殿山が混同されたのかな。

 

参道です。立派な銀杏の木があります。

神社って立派な神木がありがちですが、神社を建てる時に植えるのかな?

それとも、立派な木がある場所を境内にして、神社を建てて、樹霊の加護も得ようと考えるのかな?

 

境内に上がると、狛犬が出迎えます。

 

境内右手に階段があるので、登ってみると、

祠(右)があるのですが、本殿(左奥)が別にありました。

この規模の神社で、拝殿と本殿が分かれているのは珍しくないですか。

全体としては、いい感じに寂れているのですが(失礼)、

本殿と拝殿が別で、本殿が柵で囲まれている(守られている)のは、ちゃんとしていますね。

 

なお、この辺りは、戦国時代の馬込城跡とも言われているのですが、遺構っぽいものはありませんでした。

ではでは


大田区立郷土博物館

2019-08-06 17:24:02 | 見学・観賞

今朝も多摩川から富士山のシルエットが見えて、一安心(笑)

雲が夏っぽくなかったのですが、日中は見事に猛暑日、雲も立体的に変形していましたね。

 

さて、以前より興味があった大田区立郷土博物館に行ってみました。

子供の頃、夏休みって、日記や自由研究のネタがなくて、お金のかからない公共の博物館とか行きませんでしたか?

”大田区を中心とした人文科学系の博物館で、考古、歴史、民俗資料などの文化遺産を保管、展示しています。”と言うことなので、

夏休みの子供気分で行ってみました(笑)


1Fの特集展示は、三島弥彦について。

この人物は存じ上げなかったのですが、

大河ドラマの「いだてん」の主人公、金栗四三はストックホルムオリンピックのマラソンの代表でしたが、三島弥彦は、短距離の代表であったとのことです。

大田区出身なのかな?と思ったら、そうでもない三島弥彦の展示がある背景は、現在では滑走路の下になっている、羽田運動場で選考会が開かれたから。

 

2Fに上がって、右手のホールは、大田区の考古学、地中の歴史コーナーです。

歴史の教科書でしたっけ、大森貝塚を習ったのは。

大森貝塚から出土した土器です。

大田区って、多摩川の河口に位置しているので、古代にたくさん人が住んでしたんでしょうね。

それで遺跡、古墳が多く、しかも、旧石器時代の遺跡もあるんですね。

 

縄文時代の展示です。こんな感じで貝塚が発掘されたのでしょう。

イメージ(オオツノジカの角を彷彿させる)通りの縄文土器ですが、必ずしも名前の由来の縄目の文様があるわけではないのですね。

最近まで考えたことがなかったのですが、たまたま見たTV番組で、縄文土器の底が尖っているのは、土に挿して安定するようにしていたのと、

かまどを作らず、焚き火にかける時も、土器の周りで火を焚いたからと言うのを知り、なるほど〜っと思いました。

昔の学校教育って、これを縄文土器というのは教えても、なぜ、こういう形なのかは教えませんでしたね。

土器の作り方の解説ですが、白い手先が何だか不気味。。。

馬込貝塚から出土した、埋葬された犬の骨です。

オオカミをペット化したのが犬と、どこかで習いましたが、日本で家犬化が始まったのは縄文時代とのことです。

 

弥生時代に入ります。首の細い壺みたいな弥生土器。

なお、その時代の様子、遺跡の説明パネルもわかりやすくて、説明を読みながら展示品を鑑賞する事で、より興味を持って、理解を深めることができます。

「土師器の出現 古墳時代のはじまり」とあるのは、素焼きの土器が作られたのが古墳時代からで、埴輪も素焼きですね。

ぱっと見紛らわしいのですが、中世に、土師器(はじき)にとって代わったのが、土器(かわらけ)で、かわらけを作る職人が土器師(かわらけし)。漢字三文字の並びが違います(笑)

色々な埴輪も出土しているようです。

発掘作業のジオラマです。一度、こういうのに参加してみたいですね。できれば、恐竜の化石で。

考古学は、遺跡から当時の生活や文化だけでなく、自然環境や人類がどう適応してきたかもわかってくるので、必ずしも昔を知るだけではなく、現在、未来に適用する学問でもあります。

古墳時代ですので、豪族の墳墓からは、豪華な埋葬品も見つかっています。

大田区には、横穴墓が数百基見つかっているそうな。大田区ではありませんが、等々力渓谷にもありましたね。

人骨も出土していて、どんな顔だったのが復元模型の展示もありました。

横穴には、これらの模型のような形で埋葬されていたようです。

弥生時代の遺跡である吉野ヶ里遺跡では、甕棺の中に蹲っているようでしたが、古墳時代になると真っ直ぐ寝かすようになるのかな?それとも地域差?

 

長野県立博物館から拝借して展示している赤い土器もありました。

一個だけ?

 

続いて、2F左手のホールですが「水をめぐるふるさとの暮らし」コーナーとして、多摩川、六郷用水に絡めた、農業や伝統芸能の展示があります。

天井から吊るされた大きいのは「六郷とんび凧」です。

江戸時代に、漁師が、獲れた魚を干しているのをカラスに荒らされて困っていたところ、この凧を飛ばしたら、カラスが逃げたので、たくさん作られるようになったとか。

こちらは獅子舞(ししまい)ですが、「水止舞(すいしまい)」というようです。

室町時代に、日照りを解消するために、大森願証寺の法密上人が、藁の竜頭を海に放ったら雨が降り出したものの、今度は止まなくなったので、3体の獅子頭を作って舞わせたたら、晴れたので、「水止めの舞」「水止舞」と呼ばれるようになったとか。

 

ホールから出たところのショーウィンドーには、「友の会」のコーナーとして、会員の蒐集した(のかな?)、張子や土鈴の魚、舟の模型の展示がありました。

「玩具水族館」と言う命名がぴったりです。

こう言うのも、いかにも「郷土博物館」っぽくていいですね。

唐津くんちのでっかい金魚(じゃなくて鯛)を思い出しました。

 

3Fに行きまして、右手のホールは「馬込文士村」のコーナーです。

一帯の模型で、ボタンを押すと、その文士(作家、画家など)の家が光ります。

あまり詳しくないので、知っているのは数人かな。。。

まあ、ビックネームは、へぇ〜って感じですが、自筆原稿とかみてもイマイチ(苦)

絵だと、画家の名前知らなくても、ほぉ〜って思います(苦)

ちょっと笑いましたが、北原白秋の家の窓枠。文化的な価値があるのかな。。。

 

一転、左手のホールに続くところから、大田区の生活感のある展示になります。

昔、藍染が盛んだったようですね。池上にお店が残っていますし、地域のお祭りとかで、展示されたりしています。

こちらは、鎌や鍬。農具や、海苔の養殖、貝を剥く鉄製品も多く作られていたようですが、地域産業が機械工業に変わるにつれ無くなっていったようです。

よく見聞きする「大森海苔」の養殖です。

そのうち「大森 海苔のふるさと館」も行かねば、と思っているのですが、アクセスがね。。。

ところで、養殖海苔って大森が発祥だったような。

それに、海苔問屋街もありますが、大森の海苔というのはもうないんですね。

展示パネルを読んで気づきました。

確かに、大森や平和島あたりの、現在の東京湾では海苔の養殖はできませんね。

波が静かで、遠浅の東京湾は海苔作りに適していたことから、江戸時代の享保年間に海苔養殖が始まったようですが、昭和30年頃から海苔漁場の汚れが目立ちだし、昭和37年には、東京湾の改修工事に伴い、漁業補償の成立と共に、海苔漁業が終わったと。

漁業権は放棄したものの、仕入れ先を他県に替えて、問屋と小売は続けていると。

まあ、仕方ないかな。

この模型は、篊(ひび)から流れ落ちた海苔を拾う、昭和初期の様子らしいのですが、なんか遠い目をしていますね。。。

 

さて、大田区が農漁村から市街地に変わったのは大正時代で、機械・金属・電気関連の工場を誘致していったようです。

昭和に入って、戦時体制に入ると、兵器工場の様相を示し、故に、戦争末期は、空爆の対象となり、壊滅的な被害を受けることになったのですが、朝鮮戦争の特需がきっかけで、「モノづくりのまち」が再生したようです。

 

羽田空港がありますから、戦後、航空産業が発展し(写真は大森生まれ羽田育ちの航研機の模型)、

大きくは、下町の町工場ですね。1950年代の工場の模型です。

 

それと、これは知らなかったのですが、江戸時代「麦わら細工」が有名だったのですね。

色とりどりに染めた麦わらを動物の姿に編む「編み細工」と、木箱に縞や絵模様を張る麦わらを張る「張り細工」があり、「海苔」と共に、東海道を行き交う人々の旅の土産として親しまれていたと。

繊細な細工に驚きました。

「モノづくりのまち」の素地はこの頃作られたのかもしれませんね。

最後に、ちょっと戦争と、戦時中の学童疎開の話を見て、郷土博物館の見学は終了です。

 

展示物も豊富ですし、説明パネルはわかりやすいです。

大田区の特徴にフォーカスした展示で、大田区民歴が2年弱の私には、地域を知るための良い機会でした。

文士のところは、ちょっとスルー気味でしたが、とりわけ土器のところはじっくり鑑賞したので、一時間半くらいいました。

館内で、遺跡巡りの地図(5コース)が無料配布されていたので、遠慮なくもらってきました。

まずは、大森貝塚に行ってみることにしますが、暑さが緩んだら、それぞれ歩いてみたいですね。

 

それはそうと、土器のコーナーで、大森貝塚にフォーカスした展示が少ないように思えたのですが、、、

大森貝塚は、品川区(品川歴史館)だったのですね(苦)

ではでは


ビールの日?金麦夏皿応募(その2)

2019-08-05 17:39:49 | 雑感・日記

今朝は出がけに、奥さんから「富士山のシルエットが見えてる」と声をかけられたので、散歩は久しぶりに多摩川方面へ。

梅雨が明けてからは、日陰のない土手(しかも舗装)を歩くのが暑くて、ちょっと敬遠気味でした。

が、多摩川大橋の袂からもくっきり見えました。

(iPhone7の最大望遠なので、ちょっと画質が粗くて済みません)

18歳までは安達太良だったけど、富士山って見えると何で安心感を感じるのだろう?

日差しが強く、川辺の樹木が川面に映って、上下のシンメトリックになっているのも綺麗でした。

ただ、アスファルトの照り返しもあるので、暑かった。。。

 

さて、散歩中、ブログアプリからのメッセージで、「今日は#ビールの日」が表示されましたが、

あれっ?8月5日だっけ?

記憶の奥で、GWあたりじゃなかったけ?というのがあり、

自宅に戻ってから調べたら、

おそらく「世界ビール・デー(International Beer Day)」のことかと。

”2007年にアメリカ・カリフォルニア州サンタクルーズで開始。友人たちと集まってビールを楽しみ、醸造会社などビール製造に関わる人たちに感謝をする日。”とありました。

しかし、International Beer DayのHPで確認すると、

正しくは、「8月の第一金曜日」なので、今年は「8月2日(金)」でした。

8月の第一金曜日が、8月5日だった年に作られたと思われるWebサイトでは、8月5日と決め打ちされていたりするので、、、

gooブログスタッフの勘違い???

 

GWあたりと言うと、、、

日本地ビール協会が定めた「地ビールの日」が4月23日でしたが、

私の感覚は、オクトーバーフェストがGWに開催されている印象からでしょうね。

他に、近いところで、8月4日が「ビアホールの日」

”日本で最初の「ビヤホール」として、株式会社サッポロライオンの1号店が東京に開店したのが1899年8月4日。その日を記念して制定されたもの。”とありましたが、これを「ビールの日」とは間違えないだろうな。

 

でも、まあ、そのネタに乗ることにします。

私は、完全なビール党ですが、近年は、外食では普通のビールを楽しむものの、家飲みはもっぱら金麦です。

個人の味覚もあるでしょうけど、一番ビールに近いような感じがするのと、

お好みのピルスナーっぽくもあるのですよね。

 

その金麦の「絶対もらえる!金麦の夏皿」キャンペーンですが、

 

先に応募した「大皿2枚」も届いていませんが、

奥さんに呆れらても、まめに、金麦のストックを増やし、

「小鉢2枚」も応募します(苦)。

やはり、同じ柄の大皿と小鉢で、そうめんを食べたいと思って。

 

ただ、前のキャンペーンの「あいあい皿」も届いていない状況なので、

果たして「夏皿」を夏の間に入手できるでしょうか(笑)

 

なお、今回、「グラスと小皿」のセットまでコンプ目指すのはやめておきます。

だって、更に5ケース分を、PayPayランチに合わせて、炎天下、OKに買いに行くのは結構しんどい。。。

 

最後に、今朝の散歩で見かけた粋なディスプレイを紹介します。

建築現場を囲った壁の一角が、ディスプレイウィンドーになっていました。

こう言う”無駄”って、いいですね。

建設とか安全には全く関係ないので、建築会社にとっては”無駄”と敢えて言いますが、

通りがかった人にとっては、心が温まる(夏は涼む)感じがします。

ではでは


赤皮栗かぼちゃの料理と本門寺の盆踊り(の準備)

2019-08-04 16:51:32 | 料理・グルメ

うっかり寝坊して、散歩に行くには暑い時間になったので、今日はお休みかな、と思ったものの、

それは私の信念、というか拘りが許さず、

雲ひとつない、炎天下、もしもの時はすぐに帰れるよう、近所を歩きました。

呑川沿いのサルスベリも青空に映えています。

 

今晩と明晩は、本門寺の盆踊りが開催されます。

境内に、櫓が組まれていました。

しかし、なぜ、土日ではなく日月なのでしょうか?

邪推ですが、金土と、大田文化の森の夏祭りが行われており、そちらの盆踊りと被ること避ける忖度がなされたのかも?

先日、本門寺のキャンドルナイトがドタキャンされましたが、

近所の他のお寺のキャンドルナイトと見事に重なっていて、慌てて大人の対応をしたのかと思いましたね。(実際の理由は不明)

うちの奥さんは大のお祭り好きなので、暑いのは苦手でも、夕方は盆踊りに行きたいらしくソワソワしています。

私は、というと、鬱の影響で、人混みがまだ苦手なので、盆踊りの本番には行きたくないのですが。。。

 

さて、貰い物のかぼちゃですが、開けてびっくり、皮が赤かったので、調べたら「赤皮栗カボチャ」という、

現在は金沢野菜として有名ですが、元々は、私と同じ福島の出身だとか。

皮も実も柔らかくて、火を通すと、ホクホクと言うより、しっとり感があるそうです。

確かに、薄切りにするとき、すっと包丁が通りました。

で、上の1/4サイズを2個もらったので、

それぞれ、洋風と和風の料理を作ってみました。

薄切りにしたものは、ベーコンをソテーしたところに加えて、黒胡椒で味付けし、イタリアンパセリを添えた

洋風なかぼちゃとベーコンの洋風ソテーで。

レンジでチンした時間が長くて、ちょっと柔らか過ぎましたが、

昨夕、赤ワインに合いましたね。

 

和風の方は、

賽の目に切ったら、柔らかい方を上に向けて砂糖を振って、直に甘みをつけます(総量的に砂糖が少なくて済みます)

30分経ったら、ひっくり返して、煮崩れしやすい皮を上にして、煮ます。

10分少々で、十分火が通って柔らかくなりました(驚)

いんげんも合わせて、赤皮栗かぼちゃの煮物です。

今日のブランチです。

 

奥さんが送り主に写真を送ったところ、

「旦那さんが、こんな料理にしてくれるなら・・・」と、丸々もう一個届きそうです(これは嬉しい)

あと、奥さんが会社で手渡されて、会社から持ち帰っていないじゃがいも第二弾も来ます(こっちは微妙)

ではでは


ベビーリーフを収穫して、生ハムとルッコラのカフェ風サラダ

2019-08-03 15:08:50 | 料理・グルメ

今朝も洗足池を散歩して、コツを得たので沢山の蝉の抜け殻を見つけました。

こんな感じで、近距離に二つあると、兄弟?と思って見たりして。

 

大河ドラマが影響してか、勝海舟夫妻のお墓のある洗足池に、昨年から勝海舟記念館の建設が始まり(場所は、旧清明文庫)、

気がつけば、開館予定の”2019年夏”になっていますが、いつ開館するのかな?

建物は既に出来上がっているようですが。

家に帰って、webで調べると、9月7日にオープンするようです。

一応、行くかな。。。

 

私の故郷は佐幕派で、会津戦争では焼け野原にされ、薩長は明確な敵なのですが(苦)、

(幼い頃、「薩長の娘を嫁にもらってはいけない」とは普通に言われていました)

勝海舟は、微妙なところです。

幕府の要職にありつつも、明治維新に貢献して、新政府の要職にもありましたからね。

日本の近代化の功績=佐幕派の不幸、では必ずしもないのですが、何となく功績として見たくはないんですよね。

でも、裏切った津藩や、丸投げして逃げた慶喜とは違うしなぁ。

 

さて、晴れが続いて、気温が高いので、ベビーリーフが随分育ちました。

レタス3種とルッコラがミックスされたタネを蒔いていて、

先に収穫したひと鉢は、レタスばかりでしたが、現在はルッコラばかりになっています。

背丈も、ベビーリーフとしては、スーパーで売られているのと同じくらいになったようなので、

ちょっとカッコつけて、カフェ風なサラダを作ります。

ルッコラの大きめな株と、イタリアンパセリも飾り用に収穫しました。

 

他に、普通のレタス、きゅうり、頂き物のミニトマト、おつまみとして常備しているKALDIの生ハムを使い、

粒マスタードのフレンチドレッシングを作って、

”生ハムとルッコラのカフェ風サラダ”の出来上がりです。

真夏の週末のブランチとして、奥さんにもお褒めいただきました。

レシピは、こちらから。

生ハムとルッコラのカフェ風サラダ
生ハムとルッコラのカフェ風サラダ

 

なお、頂き物のトマトというのは、

以前、じゃがいもを大量にくださった奥さんの友人から、

じゃがいも以外に、かぼちゃなどの夏野菜もいただき、赤と黄色のミニトマトも沢山あって、超タイムリーでした。

今晩は、かぼちゃをどうしようかな。

ではでは


蝉の抜け殻

2019-08-02 19:58:00 | 散歩

毎日暑いですね。

しかし、今年の梅雨明けは、昨年より30日遅く、平年より8日遅かったので、

暑い時期が、短くて済む?とも言えます。

まあ、人間はそれで良いのですが、

自然界では夏の暑さを待っていた生物、植物も多いことでしょうから、

暑さも二、三割増しで、夏全体の熱量の帳尻を合わせていただければと思います。

ダメ?

 

その暑さを待っていたであろう蝉について、

今朝、蝉そのものでも良いのですが、抜け殻ないかな〜と木の幹を見上げなら洗足池を周っていたものの、

なかなか見当たらずにいたのですが、

昨日お話しした自然教育園見頃情報ウバユリと一緒に掲載されていた、ヤブランが咲いている、と視線を落としたところ、

抜け殻がくっついていました。

おやっと思い、足元の方に注意を向けると、あるわあるわ(驚)

確かに、よく考えると、公園の遊歩道を歩いていて、立派な樹木は、根元はアスファルトで固められていて、

幼虫が潜っているようには思えません。

花壇の柔らかい土の中で育って、いざ地上に出てきて、目の前の茎を登るとすれば、

その草木の丈次第ですが、だいたいは地表に近いところで羽化することになるのでしょうね。

 

ところで、蝉の抜け殻って、見つけると、なんかラッキーな感じしません?

蛇の抜け殻だと、財布に入れておくとお金が貯まると言われますが、蝉の抜け殻には御利益はないのかな?と思って、ちょい調べると、

一応、縁起は良いと言われており、

家にくっついていたら取り除かないとか、箪笥に入れておくと着物が増えるとか(着替える感じかな)、”引っ掛かっている”ので、受験の御守りにするなど出てきました。

それと、マイブームの東洋医学においては、蝉の抜け殻は「蝉退(せんたい)」と言う生薬で、解熱作用があると。

う〜ん、東南アジアで色々な虫は食べてきましたが、蝉はともかく、抜け殻となると、エビの身を食べずに、殻だけ食べるような、なんか違和感が。。。

あれ?一般の人とは違う感覚でしょうか?(笑)

まあ、バッタやタガメも揚げると、中身が飛んでしまって、殻だけパリパリ食べる感じだから(塩かけると、ポテチみたいになる)、抜け殻も一緒かな。

それに、エビの殻も、揚げてスープの出汁に使ったりするので(シンガポールにいた時、牛肉板麺が大好物でしたが、出汁はエビの殻でしたね)、蝉の抜け殻も、煎じて飲むといい味がでるかも。

なお、私は福島の田舎の出で、イナゴとかハチノコが普通に食卓にのっていましたので、元々免疫はありましたが、

虫に限らず、東南アジアの、日本では食べない食材は、現地の食文化への敬意と共に、違和感より、どんな味や食感なんだろうと言う興味が勝ってしまっていたのですよね。

ではでは


現在までの変遷

「料理と散歩と仕事で海外」として、タイトルの通り、趣味の料理と散歩、そして出張する海外の情報を掲載していましたが、ハノイ赴任となり「ベトナム生活あらかると」でベトナム生活、近隣の国への旅行模様などを掲載するようになり、一時、仕事が忙しく更新が滞りましたが、2017年末に帰任し、2019年から改めて「池上優游涵泳」として、知識探求、スローライフを紹介しています。

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