法雲寺 京都市中京区河原町通二条上ル清水町364-1 縁切り寺
平安時代、公卿藤原兼家の邸があり、その没後に法興院に改められた
お堂の東側に祠が祀られています。御神体の「縁切石」は菊野大明神(菊野尊天)と呼ばれています。 「婚礼の際には菊野大明神の傍らを通らない」のが京都の習わしとなるほど地元では知られた縁切りスポット
本堂
瑞泉寺 京都市中京区木屋町三条下ル石屋町114-1
(1595年)7月、秀次は叔父豊臣秀吉から謀反を疑われ関白の職を剥がれて高野山に追放された。7月15日賜死を命じられた秀次は切腹した。山本主殿、山田三十郎、不破伴作など家来5人もまた殉死した
本堂
本尊・阿弥陀如来
秀次公 墓
妻妾の中で最初に処刑された継室、菊亭晴季の娘・一の台の辞世の和歌
蹲踞
高瀬川は、江戸時代初期に角倉了以・素庵父子によって、京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河である二条大橋の南で鴨川西岸を併走する「みそそぎ川」(鴨川の分流)から取水する。二条から木屋町通沿いの西側を南下し、十条通の上流で鴨川に合流する