法金剛院 右京区花園扇野町49
律宗の寺院である。本尊は阿弥陀如来、開基は待賢門院とされる。境内に現存する浄土式庭園の一隅にある青女の瀧は日本最古の人工滝とされており、国の特別名勝に指定されている 法金剛院は、古くから名勝の地として知られる双ヶ丘(ならびがおか)の東麓にある。ハス、スイレンが有名スイレンが有名
本堂と池庭
白式部
建礼門院 45歳で崩御 7人の御子 待賢門院(1101年 - 1145年)により再興された。待賢門院は藤原氏の出身で、鳥羽天皇中宮であり、崇徳天皇、後白河天皇の母である。最盛期の法金剛院には九体阿弥陀堂、丈六阿弥陀堂、待賢門院の御所などが立ち並んでいたというが、度重なる災害により、壮観だった当時の面影はない
西行と待賢門院璋子とは、17才の年の差があったが、西行は17才も年上の中宮(皇后)璋子に恋こがれ、想い叶わぬと知ると出家し、それでも彼女が亡くなるまで慕い続けた 西行〈1118年〉~〈1190年3月31日〉)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての日本の人物。武士であり、僧侶、歌人でもある。俗名は佐藤 義清 願はくは / 花の下にて / 春死なん / そのきさらぎの / 望月のころ
「待賢門院堀河 ながからむ 心もしらず 黒髪の みだれて今朝は 物をこそ思へ」
本尊 阿弥陀如来 重文 仏像 法金剛院より
十一面観世音菩薩 重文
キスゲ
五位山中の宝篋印
待賢門院桜 NETより
待賢門院花園西陵
青女の瀧 特別名勝