やまゆり園殺傷事件の犯人、植松被告が死刑判決となりました。
この事件、思えば思うほど悲しい気持ちになってしまいます。被告に死刑判決が下されても、この事件の根幹は解決していない事も悲しくなります。被告は結局、「意思疎通が出来ない障がい者は生きている価値がない。」という自身の思想を崩すことがありませんでした。せめて、彼の気持ちに変化があれば少しは救われるような気持ちになったかもしれないのですが。
そして、この事件をきっかけに世の中には、彼と似たような思想を持っている人が多くいるという事実にも気付かされてしまいました。
生産性、効率性ばかりを追い求めるとそうゆう考えに至ってしまうのかもしれません。
新聞に亡くなった19人の方々のエピソードが載っていました。
「好きなコーヒーを飲んで、お気に入りのソファに座った。」
とか、
「スプーンが使えるようになった。」
とか、
「水を美味しそうに飲んで、笑った。」
とか、本当に本当にささやかな事ばかり。そんな、小さな事に喜びを感じられる日々って凄くないですか?一緒にいると小さな喜び、発見があり、それを大事に出来る素晴らしさ。そんな事に気づけたら、ちょっと違う考えになるんじゃないかなぁと思っています。それを教えてくれる存在が障がいがある人たちだなぁと。
障がいがある人に対する考え方は人それぞれ、当事者もまた違う考えがあると思いますが、私が毎日利用者さんと接する中で感じているのは、そんな風なことです。
いろんな考えがあっていいと思いますが、存在を否定するような考えだけは、減って欲しいと願います。