3月3日 金曜日。
世間はひな祭り。
今週中に仕上げなければならない原稿に苦しんでおります。
ひとつは雑誌『Tarzan』に書く不定期連載のボルボ・オーシャンレース2005-2006の第2回目の記事。
もうひとつは、ヨットの専門誌に書く、RC44というレーシングヨットの試乗記事。
RC44というのは、ラッセル・クーツが自分で設計した艇で、この「風の旅人セーリング日記」でも1月に簡単に紹介した。
この艇のコンセプトは、2003年の夏にラッセルと一緒に瀬戸内海をクルージングしていたときから聞かされていた。
原稿に時間を取られて日記を書く時間がないこともあり、そのときの、瀬戸内海クルージングの様子を日記形式で綴ったエッセイを、何回かに分けて掲載してみることにします。
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ラッセル・クーツと巡った紀州&瀬戸内クルージング日記(その1)
文 西村一広
text by Kazuhiro Nishimura
【Yokoso JAPAN!】
国土交通省が中心になって、「日本の美しさを外国人に知ってもらう」、「日本の魅力をもっと海外にアピールする」、「そして結果として日本の観光収入を増やす」、という眼目の"ビジット・ジャパン・キャンペーン"なる事業を推進している。
その事業の一環として、ラッセル・クーツに和歌山、瀬戸内海の海をクルージングしてもらい、彼の目で見た日本の海の魅力を本として出版し、日本語だけでなく外国語にも翻訳して海外にもアピールする、という企画が実現した。
ぼくもその事業に関わることになり、2003年7月20日から8月1日まで、ラッセル・クーツの身の回りの世話係として紀州・瀬戸内の海を一緒にクルージングした。
【ラッセル・クーツ関空に現る】
7月20日 パリ~関西国際空港~和歌山マリーナシティー。
7月20日午後3時。関西国際空港到着ロビー。ラッセル・クーツが乗ったパリ発JAL426便が、定刻より30分ほど遅れて到着。それからしばらくしてラッセルが入国ゲートから顔を出す。和歌山県関係者の人たち、大阪国際会議場関係者の人たち数人とお出迎え。
オリンピック金メダリストにして、アメリカズカップ史上初めて三連勝を達成したスキッパーである。サッカーで言えばベッカム3人分くらいに相当するスーパースターの来日だが、カメラの場所取りで喧嘩をしている報道陣なし。カメラ付き携帯を構えて群がるファンなし。
セーリングというスポーツのマイナーさをヒシヒシと感じる。
今年のアメリカズカップに勝った翌日、3月3日にアリンギのコンパウンドで行なわれたプロトコール発表の席以来に会うラッセルだが、その時期の戦闘モードの表情は消えて温和な表情。
少し太ったかな?
和歌山マリーナシティーに向かうバスの中で、来日中のスケジュールを説明。
毎日非常に密に組まれたスケジュール、一度に説明しても覚えられず、3日先の予定までとする。
バスの中で、ここに来る直前まで家族と過ごしていたボルドー地方でのバカンスの話、アメリカズカップ後に生まれた長女の話。
マリーナシティー内ロイヤルパインズ・ホテル着後、一息つく間もなくTV撮影開始。
レポーター役の世良公則氏をヨットに出迎えるシーン、和歌山の海を語り合うシーンを、偏頭痛をおして収録。
撮影終了後そのまま前夜祭会場へ。
特にOPの子供達へ向けたスピーチ。被っていたアリンギ帽子を一番前にいたOP少女にプレゼント。子供たちにサイン。子供セーラーを押しのけてサインをねだる大人セーラーたちの姿に驚く。
前夜祭の後、数時間前の到着以来初めてやっと人心地つき、食事。お互いの近況報告など。
ゴルフの全英オープンをテレビ中継していることを教えると、ラッセルはそれを観るために急いで部屋に戻る。
【ラッセルは寝てないよ】
7月21日 和歌山マリーナシティー・島精機カップ~白浜。
9時、微風の中、島精機カップのスタート。
3月2日のアメリカズカップ最終戦以来のステアリング。
あのアメリカズカップ。5試合すべてのスタートでの、望んだサイドから、トップ・スピードで、ジャスト・タイミングで、まったくディーン・バーカーを寄せ付けない鬼気迫るスタートそのままに、このレースでも微風の中、重量艇X481を操って本部船側からジャスト・スタート。
その僅か3分前までキャビンで熟睡していたとは思えない(某ヨット専門誌のレースレポートで、レース途中から寝ちゃったとあったが、ラッセルの名誉のために敢えて言いますと、彼はレース中寝てません。ステアリングこそ途中でぼくに替ったが、デッキでいろいろ指示を出したりして一生懸命レースしてました。プロが、招待されたレースで寝る訳ないです)。
レース後、昼過ぎからマリーナシティー内数箇所で撮影。
そのまま15時30分表彰式出席。入賞者全員と握手。
17時30分表彰式後部屋に戻ってスーツに着替え、18時からの木村和歌山県知事主催のパーティーに出席してスピーチ。握手。記念撮影。
マグロの解体アトラクションの横に陣取り、刺身ほおばり写真撮影協力。
19時30分パーティー終了。部屋に戻り着替えを持って貸切バスで白浜へ。島精機カップ協賛の島精機社が経営する白浜ホテル・マーキーズに22時到着。ふー。来日2日め、忙しい一日が終わった。
(続く。無断転載はしないでおくれ)
世間はひな祭り。
今週中に仕上げなければならない原稿に苦しんでおります。
ひとつは雑誌『Tarzan』に書く不定期連載のボルボ・オーシャンレース2005-2006の第2回目の記事。
もうひとつは、ヨットの専門誌に書く、RC44というレーシングヨットの試乗記事。
RC44というのは、ラッセル・クーツが自分で設計した艇で、この「風の旅人セーリング日記」でも1月に簡単に紹介した。
この艇のコンセプトは、2003年の夏にラッセルと一緒に瀬戸内海をクルージングしていたときから聞かされていた。
原稿に時間を取られて日記を書く時間がないこともあり、そのときの、瀬戸内海クルージングの様子を日記形式で綴ったエッセイを、何回かに分けて掲載してみることにします。
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ラッセル・クーツと巡った紀州&瀬戸内クルージング日記(その1)
文 西村一広
text by Kazuhiro Nishimura
【Yokoso JAPAN!】
国土交通省が中心になって、「日本の美しさを外国人に知ってもらう」、「日本の魅力をもっと海外にアピールする」、「そして結果として日本の観光収入を増やす」、という眼目の"ビジット・ジャパン・キャンペーン"なる事業を推進している。
その事業の一環として、ラッセル・クーツに和歌山、瀬戸内海の海をクルージングしてもらい、彼の目で見た日本の海の魅力を本として出版し、日本語だけでなく外国語にも翻訳して海外にもアピールする、という企画が実現した。
ぼくもその事業に関わることになり、2003年7月20日から8月1日まで、ラッセル・クーツの身の回りの世話係として紀州・瀬戸内の海を一緒にクルージングした。
【ラッセル・クーツ関空に現る】
7月20日 パリ~関西国際空港~和歌山マリーナシティー。
7月20日午後3時。関西国際空港到着ロビー。ラッセル・クーツが乗ったパリ発JAL426便が、定刻より30分ほど遅れて到着。それからしばらくしてラッセルが入国ゲートから顔を出す。和歌山県関係者の人たち、大阪国際会議場関係者の人たち数人とお出迎え。
オリンピック金メダリストにして、アメリカズカップ史上初めて三連勝を達成したスキッパーである。サッカーで言えばベッカム3人分くらいに相当するスーパースターの来日だが、カメラの場所取りで喧嘩をしている報道陣なし。カメラ付き携帯を構えて群がるファンなし。
セーリングというスポーツのマイナーさをヒシヒシと感じる。
今年のアメリカズカップに勝った翌日、3月3日にアリンギのコンパウンドで行なわれたプロトコール発表の席以来に会うラッセルだが、その時期の戦闘モードの表情は消えて温和な表情。
少し太ったかな?
和歌山マリーナシティーに向かうバスの中で、来日中のスケジュールを説明。
毎日非常に密に組まれたスケジュール、一度に説明しても覚えられず、3日先の予定までとする。
バスの中で、ここに来る直前まで家族と過ごしていたボルドー地方でのバカンスの話、アメリカズカップ後に生まれた長女の話。
マリーナシティー内ロイヤルパインズ・ホテル着後、一息つく間もなくTV撮影開始。
レポーター役の世良公則氏をヨットに出迎えるシーン、和歌山の海を語り合うシーンを、偏頭痛をおして収録。
撮影終了後そのまま前夜祭会場へ。
特にOPの子供達へ向けたスピーチ。被っていたアリンギ帽子を一番前にいたOP少女にプレゼント。子供たちにサイン。子供セーラーを押しのけてサインをねだる大人セーラーたちの姿に驚く。
前夜祭の後、数時間前の到着以来初めてやっと人心地つき、食事。お互いの近況報告など。
ゴルフの全英オープンをテレビ中継していることを教えると、ラッセルはそれを観るために急いで部屋に戻る。
【ラッセルは寝てないよ】
7月21日 和歌山マリーナシティー・島精機カップ~白浜。
9時、微風の中、島精機カップのスタート。
3月2日のアメリカズカップ最終戦以来のステアリング。
あのアメリカズカップ。5試合すべてのスタートでの、望んだサイドから、トップ・スピードで、ジャスト・タイミングで、まったくディーン・バーカーを寄せ付けない鬼気迫るスタートそのままに、このレースでも微風の中、重量艇X481を操って本部船側からジャスト・スタート。
その僅か3分前までキャビンで熟睡していたとは思えない(某ヨット専門誌のレースレポートで、レース途中から寝ちゃったとあったが、ラッセルの名誉のために敢えて言いますと、彼はレース中寝てません。ステアリングこそ途中でぼくに替ったが、デッキでいろいろ指示を出したりして一生懸命レースしてました。プロが、招待されたレースで寝る訳ないです)。
レース後、昼過ぎからマリーナシティー内数箇所で撮影。
そのまま15時30分表彰式出席。入賞者全員と握手。
17時30分表彰式後部屋に戻ってスーツに着替え、18時からの木村和歌山県知事主催のパーティーに出席してスピーチ。握手。記念撮影。
マグロの解体アトラクションの横に陣取り、刺身ほおばり写真撮影協力。
19時30分パーティー終了。部屋に戻り着替えを持って貸切バスで白浜へ。島精機カップ協賛の島精機社が経営する白浜ホテル・マーキーズに22時到着。ふー。来日2日め、忙しい一日が終わった。
(続く。無断転載はしないでおくれ)