日々楼(にちにちろう)

古今東西・森羅万象の幾何(いくばく)かを、苫屋の住人が勝手御免で綴ろうとする思考の粉骨砕身記です。

慶應MCC

2012年02月12日 | 日記

A.慶應MCC
社会人のために慶應義塾が行っている教育・研修機関に “ 慶應MCC ”というのがあります。

今度そこで竹中平蔵教授が『複合連鎖危機とニッポンの改革』というプログラムを持たれます。

社会人のためのゼミのようなものです。

思考を柔らかく持ち、視野が狭くなるのを戒めるためにも、私もプログラムに参加しようと思います。

まだ先のことですが、

得られた思考の糧は報告します。


B.正義の日和見(ひよりみ)

まるっきり話題は変ります。

日和見の正義はあるだろうかと問えば、たくさんありますね。

行為するのは人間ですから。

元警視総監の米村敏朗 氏が産経新聞の『正論』というコラムに “物来順応” というタイトルで何度か書いていらっしゃいました。

示唆に富む名文で、私は期待して読んでいました。

その中に「100%の熱意と80%の正義」と述べられている箇所があります。要旨は、昭和43年か44年の頃、作詞家の永六輔 氏が警察学校で講演され、

「自分が正義そのものになりきっては、かたくなな、幅のないコチコチの人間になって、相手の立場や人によって違う対応もできなくなる」と述べられたのを受けて、

「100%の熱意と80%の柔軟な正義」が大切だと述べられたものです。

確かにそうですね。

そしてこれは日和見の正義とも違いますね。

「天誅!」と称して刀を振るったのは幕末の志士の達ですが、恐らく彼らの正義だけでは歴史は動かなかった事でしょう。

思考にも行動にも柔軟さが必要です。

 

 

 

 

 


                  

                              風にたわむ若竹


                 

                             木立の中の陽光

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする