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ブッシュの一般教書演説

2005年02月03日 21時39分25秒 | 外交問題
大統領演説ですから、全世界が注目しているでしょう。幾つかの重要事項がありましたので、見てみたいと思います。

以下にasahi.com (2/3)より抜粋します。



ブッシュ米大統領は2日夜(日本時間3日午前)、上下両院合同会議で2期目最初の一般教書演説を行い、当面の施政方針を示した。1月の就任演説を受け、自由と民主主義の拡大によって「圧制とテロの台頭」を阻止する方針を表明。イラク民主化と中東和平の実現を目指すとともに、アジアや欧州の同盟国と協力して外交手段で北朝鮮とイランに核開発を断念させる考えを示した。内政では公的年金制度の抜本的な改革を提案し、財政赤字を5年間で半減させる方針を表明した。

(中略)
テロとの戦いに関連して北朝鮮の核問題にも言及。「アジア各国の政府と協力して、北朝鮮が核の野心を放棄するよう説得している」と説明し、6者協議を通して外交的解決を図るという考えを改めて示した。
1期目の最重要課題だった対イラク政策については、「イラクの自由が今後、何世代にもわたって米国を一層安全にする」と主張。先月末の国民議会選挙を踏まえて「イラク国民は日曜日に世界に示したように自由を重んじており、我々は成功する」と述べ、イラク民主化への自信を示した。しかし、駐留米軍の撤収時期については「成果を収めたら帰国できる」と述べるにとどめた。

(中略)
内政では公的年金制度の改革を最重点課題として掲げた。現行の年金制度は、現役世代が払う保険料で高齢者が受け取る保険金を賄う「賦課方式」をとっている。しかし、高齢化に伴って「このままいけば42年には財政破綻(はたん)する」と説明。「個人勘定」の創設で、自分が払った保険料を積み立て、将来の給付にあてる「積み立て方式」を部分的に導入する案を提示した。




このように、幾つかのポイントを拾ってみました。北朝鮮問題にも触れられていますが、「アジア各国政府」という言葉のみですね。気をつかうならば、「日本をはじめとするアジア各国政府」ですね。ところが、日本については出てきていないようです。やはり、重要度はそれほどなく、中国にも配慮したのでしょうが、向こうにとっては日本の地位はこの程度ということですね。ざんね~ん!

次に、アメリカは軍隊も派遣しながら年金改革に着手するという、すごい技が使われるようです(何がすごいのかよくわかりませんが)。私が日本の社会保障改革の案として導入を提言していた「確定拠出型」の個人勘定をつくるという制度設計を考えたようですね。この方式は、年金財政の安定化には有利に働きますから、誰が考えてもこのような制度設計となるのは必定ですね。日本よりもよいところは、30年以上先の話ですがそれに向けて改革を行うことで、日本はというと尻に火がついているような状態なのに漫然と時を過ごし、未だビジョンも大枠もないままです。たわけ者!と大声で叫びたい。

日本の状況は、厚生労働省主導の馬鹿げたご意見とか、「抜本的改革が必要」「一体化した見直し」というお題目ばかりで、まるで形が見えてこないし、与党も民主党も「形」として何も示さない。「たたき台」すら体をなさないようなありさまだ。この国の議員さんたちは何をやっているんだ?郵政民営化の優先順位が低いとかぬかしている割には、「憲法改正」を殊更議論する自民党も、自慢げな私案を出した鳩山君を筆頭とする民主党も、大して変わりがない。国民にとって、憲法改正なんざ、後回しでいいんですよ。


厚労省は少し他の省庁を見習って、自らの意識改革を行い、「日本の未来をつくる」とか「日本の危機を救うぞ」とか、そういう大義により仕事ができる人はいないのか?下らない天下り先の心配や、監修費がなくなった後の金の心配でもしているのか?社会保障費が最大歳出項目なんですから、国にとって、それがどういう意味か判っているでしょ。下らん輩しか、厚労省にはおらんのかね。まあ、事務次官の逮捕者を出すようなところですから。自ら変革できないなら、外圧によって小さくなってもらうしかないね。




教育を考える 3

2005年02月03日 14時34分21秒 | 教育問題
今までは能力に応じた級位の導入や、到達度別クラス編成、一般科目以外の実用的授業や総合学習的なロールプレイングなどを実施してはどうかと、提案してみました。これらは、実際的な方法論がどのようなものとなるのか、教育現場の方でなければよくわからない面があろうかと思いますので、このような素人考えは果たして実行できうるものなのか定かではありません。


私が生まれたのは昭和40年代で、現在の状況とは全く違う環境で育ってきました。どの様な教育が望ましいのかは、私もよく判りません。自分の子供に対しても、どの様な教育方針で臨むか決めかねる面がありました。私立中学に行かせるか、公立にするかで、先日家族会議が何度か行われ、結局公立を選択することにしました。この時は、数日間で結論を出さねばならなかったので、ぎりぎりまで迷いました。話し合うことの意味はあったと思いますが、やはり当事者となると決めかねるものです。迷いに迷った挙句、公立ということに決定しました。


私が同じ年頃には、大して勉強もせずに外で遊ぶことがほとんどでした。学校から帰ったら、近所の公園やグラウンドなどに出かけて行き、野球したり、鉄棒したり、近所の子供が集まって適当に遊んでいました。また、近所の水田などで、カエルやドジョウを捕まえたり、オニヤンマを果てしなく追いかけたり(本当にでかい!普通のトンボと比べるとゼロ戦とジャンボ機くらい違う)、農家で飼っているやぎや馬を見に行ったりしてました。自慢ではありませんが、周りには自然がいっぱいあって、遊ぶには困りませんでした。


今思うことは、私が子供の頃の方が、遊びが違ったということは確かですが、家の仕事もあれこれやらされていたように思います。ウチは田舎でしたので、庭の草むしり、ぞうきん掛け、石炭運び(風呂は石炭釜だったのです)、炊事や後片付け(兄弟姉妹で当番があった)、などが思い出されます。毎日というほど多くはないのですが、家の用事を言いつけられるのが非常に嫌でした。でも、これらのことをこなすことで、その後自分の役に立つことも多かったです。学生の時には1人暮らしでしたから、自炊できて本当に「良かった」と思いました。家族の一員として、大袈裟に言えば、「家庭運営」に直接参加していたのだな、と思います。その役割が1人ひとりに与えられていた。このような環境は、大切なのではないかと思うのです。


今の子供達は、みんなで遊ぶことが少ないし、勉強以外の作業などをあまりしていないのではないかと思うのです。これが、直ぐに勉強の成績に直結するとは思っていませんが、スポーツや部活もせず他のこともしないで、勉強ばかり頑張っても、能力が高まるとは思えないように思います。ウチの子供の場合に、愕然としたことがありました。低学年の頃には、何でも親がやってしまっていて、缶詰も開けられず、栓抜きも使えず(現在ではどちらもあまり使われませんが)、私達が気づかないうちに道具を使うとか自分で考えてやってみるということが出来なくなっていました(やって見せても出来なかった・・・)。親としても知らないうちに、子供にできることをさせず、考えさせることが少なくなっていました。そこで、このままではいけないと思い、主に家の用事をさせるようにしました。


私が中学・高校時代には、近所のスーパーに、「バイトさせて欲しい」と直接頼みに行き、夏休みや冬休みに働かせてもらいました(お小遣いが少なく、欲しいものがあったからです)。昔は、このような飛び込みで頼んでも、雇ってくれたんですね(こんなんで、よく雇ってくれたな、と思います)。田舎だったこともありますが、このようなことは、今どきないでしょうね。お盆前とか年末年始の一週間程度でしたが、学校は楽だな、と感じました。一日8時間働くと、本当に疲れてしまい、終わるのがすごく長く感じました。同時に、自分が働いてお金をもらうことで、働く事は大変なんだな、お金はとても貴重だな、とも思いました。ほぼ最低賃金でしたから、日当はたかだか4千円程度だったと思います。自分としては、とてもよい体験だったと思います。

大学時代には体育会系の部活もやってました(パワーはまるで自信ないんです)が、空いてる時間は家庭教師や塾のバイトを主にしました。でも、暇がなくなると塾はできなくなり、家庭教師を掛け持ちでしてました。お金がなくなると(合宿とかでお金がなくなるし、普段は飲み代に使ってしまう)、日雇いのバイトに行きました。その日払いであった(現金はとても有難かった)ので、肉体労働しかなく、引越し屋とか古紙運搬とか(紙や本は死ぬほど重い。握力がなくなるくらい辛かった)の仕事をしました。他には、学生向けに単発の求人があって、抽選で当たれば仕事がもらえるバイトもありました(イベントや催事関係の設営などで、夜中に作業するので時間が短く給料がよかった。でも、当たらないと、そういう割のいい仕事は貰えなかった)。


こんな下らないことばかりやってましたから、勉強は出来ませんでしたね。よく考えると、とんでもない学生ですね。貧乏を絵に描いたような学生でしたから、本当に貧乏になると、食べるものもお金もなくなり、パンの耳を買ったり(今は売っていないかもしれません。昔は一袋50円くらいで売られていました。これが、かなりお腹一杯に食べられ、4~5食分くらいは楽に入っていました)、実家に住んでる友人の家で食事をご馳走になったり、家庭教師先で目一杯食べたりしました(当時は、何故か必ず食事が出された。今はどうなのでしょう?)。このような生活のお陰で、粘り強く生き抜く力だけは養われました(笑)。バイト先で気の荒い、肉体派のオヤジに怒鳴られたりしても、勿論平気になりました。逞しさは身に着いたと思います。


話が大きく逸れましたが、子供にはやはり仕事や何かの作業をさせるとか、スポーツですごく頑張るとか、そういう体験が必要であると思います。勉強も大切ですが、教科書や本には書いていない、実体験によって培われる何かがあると思っています。どのような方法で、それを体験させるのがよいか分りませんが、そのような体験を通じて、人を当てにせずとも道を切り開いていけるような、強く生きることの出来る子になって欲しいと思います。


下らない脱線で、長くなりました。すみません。