いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

車はコンサートホール?だ

2005年02月23日 10時59分26秒 | 俺のそれ
木村氏が佐野元春の記事を前にも書いていましたが、今再び取り上げておられます。「そんなに好きなのか?」と思いつつ(笑)、学生時代の苦い記憶が蘇りました。


大学に入って最初の夏休み、部活の合宿があって、そこまで車で移動することになった。何人かの車を出せる人が運転して、一台に4~5人づつ乗って行った。

私は、それまで日本人男性ボーカルには興味がなく、サザンくらいしか知らなかった。私が乗せてもらった車の持ち主であるA先輩は、大の佐野元春ファンだった。アルバムは全てカセットに入れて持っていた。


道中は当然車の中で音楽を聴く。これは欠かせないのである。車には少なくとも10時間は乗っていたと思う。A先輩の車は古くて少しボロ(サニーだったと思う)く、エアコンは効きが非常に悪いため車内はとても暑かった。そんなクソ暑い車に、体育会系男子大学生5人が乗っているのである。この状況だけでも、相当暑苦しく、殆ど我慢比べ大会状態なのであるが、真の地獄はこれからであった。


A先輩のお気に入りである、佐野元春のカセットが入れ物にずらっと並んでいて、ケースのインデックスに書かれているのは「佐野元春・~~」とタイトルが入っていた。A先輩が「おし、じゃあ~~にするか」という具合に指定して、助手席の人がそのテープを入れるのだが、全部佐野元春の曲ばかり。恐ろしく暑い車内で、延々と佐野元春攻撃を食らわされるのである。それまで一度も聞いたことがなかったので、初めは良いのであるが、これが10時間以上続く光景は、皆さんに想像できるでしょうか。しかも、運転しながら、A先輩の特にお気に入りのナンバーがかかると、先輩の地声のヘタな歌(先輩、ゴメンナサイ!みんな思ってたけど言えませんでした)も一緒に聴かされるのである。恐るべし!佐野元春。こんなにも感化するとは!


内心「もう勘弁してくれー」と思うのだが、みんな言えない。一通り気に入っているのを聴き終わった後、1人が「何か別のにしませんか?」と恐る恐る切り出した。A先輩は「そうかー、佐野元春が最高なんだよ。でも、違うのにしてみる?」と言って、カセットの入れ物に入っている別なアーティストを指定した。「ハマショー(浜田省吾)にするか」

「オイオイ、頭を耳を休ませてくれよー」と思ったが、我慢しました。でも、一本聞き終わった後、また佐野元春に戻ってしまった。車内は本当に「佐野元春コンサート会場」と化していた。このような悪夢の記憶が未だに残っており、彼の曲を聴くと「暑苦しい」という感覚が体に蘇り、ジーンと熱くなります。本当は別な意味で、心を「熱く」して欲しいのですが(笑)。未だに一曲もタイトルを知らないのですが、曲を聴くと「ああ、聴いたな」と思い出せます。

ようやく合宿所に辿り着いて、佐野元春から開放されましたが、A先輩はそこでもウォークマン(懐かしいー)で、佐野元春を聴いていました。


勿論帰りの道中も佐野元春攻撃を食らい続けたことは、言うまでもない。


翌年以降、A先輩の車に当たってしまう(車の割り当ては、先輩達が決めていた)ことを極度に恐れましたが、次はユーミン攻撃だったらしい。




印パの雪解け

2005年02月23日 09時36分31秒 | 外交問題
外務省はインドとの距離を詰める政策を積極的に行いつつある。小泉首相がGW頃にインド・パキスタンへの歴訪を予定しているとの報道も先日あったばかりである。BRICsの一角を意識していることは確かであり、常任理事国入りへのグループ形成でも協力関係にある。また、憎悪の歴史を持つパキスタンとの間で、和平が訪れる雰囲気が醸成されたことは大きな意義がある。何故なら、両国とも核保有国であること、パキスタンは以前から北朝鮮の技術移転先となっていたことが大きな問題であったからである。


インドは経済成長を目指して、先進国への仲間入りを熱望しているであろうことは理解できる。その意味において、米露との積極的外交が見られたし、日本との関係においてもほぼ良好である。日本に滞在したインド人の方々が、日本に悪い印象を持たなかったのかもしれませんね。こういう民間人レベルの交流は、意外に役立っているのかもしれません。インド人の優秀な人材は、概ね米英を中心とする先進国での留学経験者が比較的多いと容易に想像がつきますしね。こうした人々の活動により、国際情勢に合致した政治政策が浸透するようになってきたのでしょうか。

そのインドとパキスタンの間で、外相会談が行われた。その記事は次の通り。



16日共同通信より引用

インドのシン外相とパキスタンのカスリ外相は16日、イスラマバードで会談し、両国が領有権を争っているカシミール地方の実効支配線(停戦ライン)をまたぐ直通バスの運行で合意した。カシミールの帰属をめぐって起きた1947年の第一次印パ戦争後初めてとなり、核保有国でもある両国の信頼醸成の象徴的な成果となった。
直通バスは、直線距離で約130キロ離れたスリナガル(インド)-ムザファラバード(パキスタン)を結ぶ路線。両国は昨年から協議を続けてきたが、停戦ラインを越える際には旅券と査証が必要と主張するインド側に対し、パキスタン側は旅券を認めれば、停戦ラインが事実上の国境になるとして対立していた。




そして、日本はパキスタンに対しては、3月からの円借款の再開へ向けて、昨年から外交筋で活動していた外務省・経産省の働きかけが奏功しつつあると見ている(昨年私も記事に少し書きました。日中の相互譲歩で修復?)。インドとの和平に間接的に関与できたのではないか、と思っている。このことは、外務省を評価してよいと思う。ただ、常任理事国入りについては、日本の支持は出来ても、インド支持は「まだ尚早」という考えのようである。これは、長きに渡り争ってきたインドへの悪感情が、すぐには払拭できないことは、ある意味止むを得ないし理解できうるものである。今後のさらなる和平達成には、ある程度の時間が必要であろうし、時間が心を癒してくれるのを待つしかない。両国の平和的発展を促すことで、核拡散が防止できること、特にインドへの投資が促進できること、北朝鮮の外堀を埋めるのに非常に役立つこと、そして無意味な争いで人々の生命が失われたりひどい悲しみを無くせること、等を考えると、日本の外交努力は欠かせない。こういう外交は、真に国際社会に貢献しているし、高く評価できると思う。

記事では、次ような報道がされています。




22日共同通信より引用

町村信孝外相は22日夜、パキスタンのカスリ外相と飯倉公館で会談し、核拡散防止条約(NPT)、包括的核実験禁止条約(CTBT)への加盟と核実験凍結など核不拡散に協力するよう求めた。カスリ外相は核実験凍結を継続する考えを示したものの、NPT、CTBTへの加盟については、隣国インドも未加盟であることを念頭に明言を避けた。また町村氏が、日本などが候補に想定される国連安保理常任理事国に6カ国を追加する案に支持を求めたのに対し、カスリ氏は「日本には合理性があるが、インドは難しい」と述べた。


23日時事通信より引用

町村信孝外相は22日夜、都内でパキスタンのカスリ外相と会談した。席上、町村外相が北朝鮮の核開発への懸念を表明したのに対し、カスリ外相は「最近は北朝鮮との軍事的関係を薄めている。(パキスタンの核開発の父と呼ばれる)カーン博士も核研究所から切り離している」と述べ、「核の闇市場」として国際的な非難を浴びた同博士の核技術密売ネットワークとは現在は無関係との立場を強調した。 




当面両国関係が良好ならば、インドへの日本からの投資が増加でき、また中国への牽制が可能であるし、経済的な依存度を中国からシフトできると考える。中国は急速な経済成長を遂げているが、日本やアジア新興諸国が経験した停滞過程を必ず辿る。株でも土地でもそうだが、上がっている時というのは、多くが下がるとは考えず投資を続け、上がり続けるのが当然との錯覚に陥りやすいのである。しかし、どのような経済活動でも右肩上がりが永続することはないと思う。従って、中国経済と言えども例外ではないだろう。単に停滞時期がいつになるかが分からないというだけである。そういうカントリーリスクも考慮した上で、対外投資・経済活動を推進する必要がある。中国の人件費上昇や、20年後くらいには急速かつ史上空前の大規模な高齢化社会が訪れること(「一人っ子政策」の効果が明確に出てくるのである)を考えると、インドの人口構成比は中国よりもはるかに魅力的であるし、現状でも成長余力をかなり残していることは投資効果はインドに軍配が上がると思える。しかし、以前から存在するパキスタンとの緊張関係が、インド投資のとても大きなリスクとして刑務所の塀なみの障壁となっていた。この塀を取り払うことが、どれ程の意義があるか理解できよう。

この流れが、首相歴訪へと繋がっているのだろう。インドは津波被害国でもあり、外交政策上の優先国なのだ。大型案件の獲得競争も今後激化していくかもしれないですね。


今の国際的関心の焦点は(というか私的には)、中国、インド、イラク・イラン近辺、イスラエル・ヨルダン・リビア辺りということで、これらの地域で思い浮かぶのは、安全保障の中核部分は偶然にも…4大文明地域のような気がします。ちょこっと外れてる所もあるけど(エジプトの周りということで、まあ、細かい所は気にせずに!)、数千年前の「先進国」であった地域が今や復活を遂げつつ火種地域というか問題地域となっているのですね。何だか不思議な気がします。長い歴史の中で見ると、そういう不思議感覚が生じるのかもしれませんね。数千年後には、現代の歴史観がどうなているのか少し気になります。