前の記事で『ケインと「あびる」』と書いて、ふと思い出したことがある。数年前に買った本物の『ケインとアベル』のことである。純粋なビジネス小説とは言えないかもしれないが、銀行家と企業家としてのホテル経営者が主人公の小説で、とても面白かった。イギリス貴族院議員の、ジェフリー・アーチャーの作品である。私は、日本で発売されたこの作家の文庫本は全て買った。この作家との最初の出会いは、何とラジオであった。おそらく、中学1~2年の頃だったと思う。
当時、ラジオドラマが放送されており、これがとても楽しみであった(確かNHKだった)。色々な作品を「声のドラマ」として放送していて、単発ものもあったし、連続ものもあった。テレビのような映像が無い分だけ、想像される映像が勝手に頭に浮かんで、非常にわくわくするのであった。なので、好んで聴いていた。このラジオドラマで出会った作品には、アシモフの中で最も好きな作品である、『黒後家蜘蛛の会』がある。これも後に文庫本を全て買って、今でも何度か読んでいる(現在はウチの子に貸しています)。それ以前に『鋼鉄都市』を読んでいてアシモフは知っていた。しかし、小学生の私にはあまり好きな作家とはならなかったのであるが、ラジオドラマのお陰で、復活できたのである(笑)。
アーチャーの作品は、『大統領に知らせますか?』が放送されていたように記憶しています。その何年か後に、『百万ドルを取り返せ』を初めて買い、その後はチビチビと文庫本が出る毎に読んでいきました。破産した人が、このような議員さんになれるんだな、と感心したものです。『ケインとアベル』は、その人間ドラマと、銀行家としてのケインの「哲学」に感嘆しましたね。物語が、ちょっと出来すぎというのも、シェークスピアをかなり意識しているのも、まあ小説ですから、と思えば楽しく読めます。今話題の「株買占め」「企業乗っ取り」も、偶然ですが丁度時流に合っていますね。
私は「銀行家」としてのケインが印象深く、確かにバブル期に見られたような「銀行家」とは呼べない「金貸屋」に成り下がってしまっては、やはりダメなんだろうな、と素人ながら考えたものです。よい会社を見出して、世に送り出す、そうすることで社会に貢献出来る、そういう志が銀行家には必要なんだろうな、とも思いました。企業を育てるのは、一般に取引先であったり消費者であったりするのですが、「資金」という水を丁寧にかけて企業という植物をすくすくと育てるのは、はやり銀行なのですね。そういう銀行家がきっと求められているのかな、と思うのです。
ですから、私は「銀行家」という言葉が好きです。「銀行マン」や「銀行員」ではなく、「銀行家」。よく考えると専門家は、「家」がつくのが多いですね。書家、陶芸家、建築家、演出家、脚本家、企業家、機関投資家、法律家、政治家等々、たくさんあるのです。これらに共通するのは、「その道の専門家」ですね。高度で特別な或いは特殊な、知識・技能・能力を持つ人々です。こういう人々は、「その道」を誤ることなく進まねばなりません。道(みち)は、人として踏み行うべきみち、道理などを含むものですから、根本にはこうした志が必要だと思います。専門家としての能力の発揮も重要なのですが、それ以前に人としての道を大切にして欲しいと思うのです。
昨夜のテレビ東京系のWBSでは、中小金融機関の取り組みが紹介されていました。旅館や中小企業に研修に出て経営実態を学び、同業態への融資の判断力を養うとか、コンサルティング業務の一部を含むような融資に取り組むとか、企業育成・支援の流れが戻りつつあるようです。「銀行家」としての心を失うことがなければ、きっと企業からも地域社会からも感謝される金融機関となっていくでしょう。
一方、「政治家」はどうでしょうか。果たして、人の道・道理を正しく進んでいるでしょうか。専門家としての能力は発揮されているでしょうか。道に外れた人や、高度で特別な知識や能力のない人は、「政治家」ではないのですね。単なる政治屋に過ぎないのでしょう。今の日本に、どれ程の「政治家」が存在するでしょうか。
アーチャーが議員となった、議会政治の本家イギリスでは、一足はやく改革が進められましたが、日本はその道を進むでしょうか。
当時、ラジオドラマが放送されており、これがとても楽しみであった(確かNHKだった)。色々な作品を「声のドラマ」として放送していて、単発ものもあったし、連続ものもあった。テレビのような映像が無い分だけ、想像される映像が勝手に頭に浮かんで、非常にわくわくするのであった。なので、好んで聴いていた。このラジオドラマで出会った作品には、アシモフの中で最も好きな作品である、『黒後家蜘蛛の会』がある。これも後に文庫本を全て買って、今でも何度か読んでいる(現在はウチの子に貸しています)。それ以前に『鋼鉄都市』を読んでいてアシモフは知っていた。しかし、小学生の私にはあまり好きな作家とはならなかったのであるが、ラジオドラマのお陰で、復活できたのである(笑)。
アーチャーの作品は、『大統領に知らせますか?』が放送されていたように記憶しています。その何年か後に、『百万ドルを取り返せ』を初めて買い、その後はチビチビと文庫本が出る毎に読んでいきました。破産した人が、このような議員さんになれるんだな、と感心したものです。『ケインとアベル』は、その人間ドラマと、銀行家としてのケインの「哲学」に感嘆しましたね。物語が、ちょっと出来すぎというのも、シェークスピアをかなり意識しているのも、まあ小説ですから、と思えば楽しく読めます。今話題の「株買占め」「企業乗っ取り」も、偶然ですが丁度時流に合っていますね。
私は「銀行家」としてのケインが印象深く、確かにバブル期に見られたような「銀行家」とは呼べない「金貸屋」に成り下がってしまっては、やはりダメなんだろうな、と素人ながら考えたものです。よい会社を見出して、世に送り出す、そうすることで社会に貢献出来る、そういう志が銀行家には必要なんだろうな、とも思いました。企業を育てるのは、一般に取引先であったり消費者であったりするのですが、「資金」という水を丁寧にかけて企業という植物をすくすくと育てるのは、はやり銀行なのですね。そういう銀行家がきっと求められているのかな、と思うのです。
ですから、私は「銀行家」という言葉が好きです。「銀行マン」や「銀行員」ではなく、「銀行家」。よく考えると専門家は、「家」がつくのが多いですね。書家、陶芸家、建築家、演出家、脚本家、企業家、機関投資家、法律家、政治家等々、たくさんあるのです。これらに共通するのは、「その道の専門家」ですね。高度で特別な或いは特殊な、知識・技能・能力を持つ人々です。こういう人々は、「その道」を誤ることなく進まねばなりません。道(みち)は、人として踏み行うべきみち、道理などを含むものですから、根本にはこうした志が必要だと思います。専門家としての能力の発揮も重要なのですが、それ以前に人としての道を大切にして欲しいと思うのです。
昨夜のテレビ東京系のWBSでは、中小金融機関の取り組みが紹介されていました。旅館や中小企業に研修に出て経営実態を学び、同業態への融資の判断力を養うとか、コンサルティング業務の一部を含むような融資に取り組むとか、企業育成・支援の流れが戻りつつあるようです。「銀行家」としての心を失うことがなければ、きっと企業からも地域社会からも感謝される金融機関となっていくでしょう。
一方、「政治家」はどうでしょうか。果たして、人の道・道理を正しく進んでいるでしょうか。専門家としての能力は発揮されているでしょうか。道に外れた人や、高度で特別な知識や能力のない人は、「政治家」ではないのですね。単なる政治屋に過ぎないのでしょう。今の日本に、どれ程の「政治家」が存在するでしょうか。
アーチャーが議員となった、議会政治の本家イギリスでは、一足はやく改革が進められましたが、日本はその道を進むでしょうか。