コメントを頂いていたのですが、続きを書くのが遅くなりました。申し訳ありません。
前回の記事で紹介した読売新聞のアンケート結果の記事には、東大教育学部の刈谷教授のコメントも記されていました。以前から「医学教育のひろば」のInoueさんからコメントでお聞きしていましたので、とても役立ちました。ありがとうございます。
また、本日付の読売新聞朝刊には中山文部科学大臣と、元東大学長で文部省大臣を歴任された有馬先生の、『学力低下とゆとり教育』という記事が載っておりました。
私なりに要旨をまとめてみますと、中山大臣は、基礎教科の時間数を増やす方向性と、特に国語を重視する、ということでした。また、ゆとり教育の否定でなく、学習意欲の持たせ方と能力のある教師の確保が問題と捉えている。時間数は長期休暇短縮や平日の時間延長などで補うことも考慮するとした。
一方、有馬先生は、総合学習の趣旨が十分理解されていない、読解力の低下、刈谷教授の指摘する”できない子”のさらなる低下傾向などに懸念されております。学んだことを大人になっても身につけている教育、内容は少なくても基礎基本をしっかり教え考える力を養成すること、全員が勉強を好きになるのは無理でも個々の好きな分野を伸ばす教育が大切と述べている。
なるほど、両者とも現大臣と元大臣ということで(両者とも東大でもある)、それなりの考え方があるようですね。共通しているのは、「読解力が低下しており、この回復が必要」(国語教育についての再考ということか)、「授業時間数不足には、5日制は維持しつつ、従来の長期休暇等でカバー」ということですね。近年、英語教育については、かなりの関心の高さが見られていますが、国語については見過ごされてきたかもしれませんね。当然のことながら、言語や歴史は国としての(あるいは民族としての)文化の根幹であり、これについての教育・理解が不十分というのは憂慮すべきことであろうと思います。外国語教育の面でも、母国語がベースにあって、その語彙や文化などが理解されていることが、他言語の習得には必須であると思います。その意味でも、国語教育を見直すべきなのでしょう。
総合学習については、中山大臣は有効に行われているか再検討が必要、教師によって差があるという見方をしている。有馬先生は、「継続」を強く訴えておりますが、問題点に「体験学習ばかりに使う」と思われていること、しばりは良くないが現場任せにし過ぎた面があること、を挙げておられる。もう一度総合学習を検討し、実際にどのような授業が効果的であったのか教師自身で研究・検証すべきでしょう。
私も以前から述べているように、通常の科目以外の時間は必要と思っておりますので、総合学習は残すべきと思っています。どのような方法がよいのかは、教師が学ぶ以外にないと思います。実践例で評価の高かった方法などをよく研究して、共通して取り入れられることはどの教師でもできるようにすべきでしょう。
教師の質という点でも同様に、全員が一定レベルに到達するように研鑽するべきでしょう。前回のアンケートでは、質の低下が8割くらいに肯定されていましたが、現実にはそういう教師が以前から存在していた(逮捕されたり処分されている教師の年齢が、20代ではなく40代・50代というのも珍しくない)のであり、それが顕在化したに過ぎないのかもしれない。
前回の記事で紹介した読売新聞のアンケート結果の記事には、東大教育学部の刈谷教授のコメントも記されていました。以前から「医学教育のひろば」のInoueさんからコメントでお聞きしていましたので、とても役立ちました。ありがとうございます。
また、本日付の読売新聞朝刊には中山文部科学大臣と、元東大学長で文部省大臣を歴任された有馬先生の、『学力低下とゆとり教育』という記事が載っておりました。
私なりに要旨をまとめてみますと、中山大臣は、基礎教科の時間数を増やす方向性と、特に国語を重視する、ということでした。また、ゆとり教育の否定でなく、学習意欲の持たせ方と能力のある教師の確保が問題と捉えている。時間数は長期休暇短縮や平日の時間延長などで補うことも考慮するとした。
一方、有馬先生は、総合学習の趣旨が十分理解されていない、読解力の低下、刈谷教授の指摘する”できない子”のさらなる低下傾向などに懸念されております。学んだことを大人になっても身につけている教育、内容は少なくても基礎基本をしっかり教え考える力を養成すること、全員が勉強を好きになるのは無理でも個々の好きな分野を伸ばす教育が大切と述べている。
なるほど、両者とも現大臣と元大臣ということで(両者とも東大でもある)、それなりの考え方があるようですね。共通しているのは、「読解力が低下しており、この回復が必要」(国語教育についての再考ということか)、「授業時間数不足には、5日制は維持しつつ、従来の長期休暇等でカバー」ということですね。近年、英語教育については、かなりの関心の高さが見られていますが、国語については見過ごされてきたかもしれませんね。当然のことながら、言語や歴史は国としての(あるいは民族としての)文化の根幹であり、これについての教育・理解が不十分というのは憂慮すべきことであろうと思います。外国語教育の面でも、母国語がベースにあって、その語彙や文化などが理解されていることが、他言語の習得には必須であると思います。その意味でも、国語教育を見直すべきなのでしょう。
総合学習については、中山大臣は有効に行われているか再検討が必要、教師によって差があるという見方をしている。有馬先生は、「継続」を強く訴えておりますが、問題点に「体験学習ばかりに使う」と思われていること、しばりは良くないが現場任せにし過ぎた面があること、を挙げておられる。もう一度総合学習を検討し、実際にどのような授業が効果的であったのか教師自身で研究・検証すべきでしょう。
私も以前から述べているように、通常の科目以外の時間は必要と思っておりますので、総合学習は残すべきと思っています。どのような方法がよいのかは、教師が学ぶ以外にないと思います。実践例で評価の高かった方法などをよく研究して、共通して取り入れられることはどの教師でもできるようにすべきでしょう。
教師の質という点でも同様に、全員が一定レベルに到達するように研鑽するべきでしょう。前回のアンケートでは、質の低下が8割くらいに肯定されていましたが、現実にはそういう教師が以前から存在していた(逮捕されたり処分されている教師の年齢が、20代ではなく40代・50代というのも珍しくない)のであり、それが顕在化したに過ぎないのかもしれない。