いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

話題シリーズ13(追加あり)

2005年10月20日 02時11分38秒 | 社会全般
1)アリックス・パートナーズ日本上陸

オリックスとは無関係です(笑)。企業再生のプロ集団だそうですよ。日本の銀行は、指をくわえて獲物をさらわれてしまっては、立つ瀬がないかも。

NIKKEI NET:国際ニュース


企業再生というのはどういうものなのか、私には全く見当もつかないのですけれども、これからの日本企業の底上げが必要なんだろうと思います。例えば、伝統技術や先端技術など、よい技術を活かせるような経営環境も必要なんだろうと思います。企業資産として、人的な資源とか有形・無形の資源があるのでしょうから、そういった資源を有効に使うことが出来れば、きっと組織は生き返るのかな、と。


内部にいると見えない部分もあったりするかもしれません。公正・客観性などが必要なのかもしれませんね。日本の再生機構が終了となったことで、新たな再生市場が生まれているのかもしれません。主に金融機関が企業の育成に寄与してきたんだろうと思いますが、金融危機以後、自分達のことだけで手が一杯で、貸出先にまでは手が回らなかったのかもしれません。これからは、「銀行家」(参考記事:日本の進む道)として活躍して欲しいですね。アリックスに案件を沢山さらわれる前に。


2)株式市場の続落

ここ数日の調整局面が長いですね。6日続落で13000円割れが目前に迫ってきました。ちょっと心配ですね。上がってきた時の勢いが強かったので、調整もキツイのかな?僅か2日で300円以上の下落です。

私の持ち株はどうなっているかって?大丈夫です(笑)、というのはウソで、含み損を抱えているのがちょっとありますよ。信用取引をしていないので、「カラ売り」が出来ないですから下落局面には滅法弱い。あまり短期売買をしてこなかったのですけれども、今年は少し色気を出して上がってきた時に幾つか買いましたが、上値が異常に重くて苦労させられました。


少し例を挙げてみます。
みずほHDですが、乱高下の中、少しの利益で満足することにしました。ひと月のタバコ代くらいにはなりました(笑)。滅多に気配値を見ないのですけれども(注文は夜遅く出すことが多いので)、この前板を見ていたら、ジェットコースターみたいな状況になっていました。9時5分頃見たら、前日終値から急速に上昇していたので(2万円以上だったかな)直ぐに成行売り注文を出したのですが、入力中の数秒で今度は暴落していて、高値から1万円くらい下がった値段でしか売れませんでした。「くそー、間に合わなかったー」とほぞをかんだのですが、仕方がなかった。まあ、負けた訳ではなかったからいいけれど。ほんのちょっとの差なんだろうと思いますね。デイトレをする人は、光ファイバーじゃないと一瞬のことで大きく変わることもあるかも、と思いました。デイトレは余程自信がないと難しいな。時々大量の売り(数億円規模)がドカンと出されたりして、急速に買い方が総崩れになったりしてることもありますね。でも、逆に一瞬の間に、物凄い勢いで上がっていくこともある。こういう銘柄は、きっとプロが多く参加しているだろうから、板を見て勝負するのはとても困難だろうな、と思う。


困っていたのが、双日。高値で掴んでしまい、動きが止まっていてので売ることが出来なかったのですけれども、今日の相場全体の大幅下落の中でも一時20円以上の上昇(理由は不明、謎です)となったようで、処分できました。良かったーー。終値は高値から大きく戻ってしまったようなので、ある程度の利益に満足して売ったのが良かった。もうちょっと下がったら、また買ってみようかな、と思いますが、私にとってはちょっと難しい銘柄でもあるかな。


他の銘柄も少し売買しましたが、単なる勘で飛びついた鉄鋼株とか食品株は損した。やっぱり、相場に「乗ってけ作戦」はダメでした。あと、ベネッセとポイントは一度全て売り切りました。「謎の上げ」だったので、連騰した後には売るのが正解だった。これはまあまあうまくいきました。ポイントは買い戻す積もりですが、下げ止まりが見えたら、ですね。今は金融関係と化学薬品関係の含み損が株価で数円程度ありますから、明日以降の値上がりに期待です。


大金を投入する程の余裕もないですから、私はデイトレで生きていけません(というか、そんな決意も能力もないです)。毎日取引して勝つ人はハッキリ言って凄いと思う。これで生活できるなら、尊敬しますね。本当に。


案外と気持ちに余裕があるのが、ミニ株です。これは大抵推奨されない取引だと思いますが(指値が出来ないので)、しょっちゅう売買する訳ではないという人なら、そんなに悪くない方法だと思える。投入資金が少なくても、高い値段の株が買えるし、長く待てる余裕があるなら、ほぼ負けは少ないと思う。大体数年に一回くらいはチャンスが巡ってくる(笑)し、よっぽど変なのを選ぶとか高値で掴んでしまわない限り、大負けは少ないかな、と。配当だけ考えても、定期預金よりは断然利回りは高いし。100万円を元手として、3年で110万円は十分可能。年利3%は、今のご時世なら、十分でしょ?

私は結構長くミニ株をやっています。資金効率はデイトレの人から見れば悪いことは確かですが、5年で30万円増とかなら、十分嬉しいレベルですね。ある程度利益が出てる銘柄は時々売却して、他の銘柄に入れ替えたりしながら地道に育てると、それなりに増えます。どれ位待つ忍耐力があるか、ということも関係あるかな?あまりに心配性の方は、止める方がいいかも。下がる時期もそれなりにありましたが(最悪期の02~03年頃は確かに不安だった)、待っていればチャンスは来るだろう、と思います。いつまでも「冬」という時代はないのだろう、春はいつかやってくる、と。欲望の水準も、程ほどであれば、ミニ株でも結構満足できます(笑)。もっとお金がある方々は、IPOとかでガッポリ儲けているんだろうな、と思います。ちょっと羨ましい。


明日は上がると信じて、いくつか買う積もりです。ああ、もう日が変わって、今日になってますね。連敗もいつかは終わるものです。なので、もうそろそろ上げ時かな~?と思いたいですね。


3)議員年金廃止の方向へ

与党が方針を変更してくれたようで、これは評価したいと思います。総理に「議員年金が廃止になると、国庫負担が増加するんですが・・・」とインタビューをしていた記者がいたようだが、もっと頭を使って欲しいと思うぞ。単年度の国庫負担額について考慮するだけでは意味がないだろ?廃止しなければ当面の単年度国庫負担額が少なく済むが、将来にわたり国庫負担を永続的に行うことになる訳で、トータルで見れば明らかに国庫負担総額が多くなるだろう。この記者は頭が悪いのか?


議員年金受給者はいずれ全員死亡するから、受給が終了すればその分の負担はなくなるのだ。20年後とか50年後まで、議員年金が存続した場合と廃止した場合の国庫負担額を計算してみたら分かると思うけどね。


4)ブルーレイの勝利宣言じゃなくて予測

昔の「ベータ・VHS戦争」とよく対比されますが、やっぱり統一規格にしてもらいたいよね、普通は。

NIKKEI NET:国際ニュース


記事によれば次の通り(一部抜粋)。

米有力民間調査会社のフォレスター・リサーチは19日、次世代DVD(デジタル多用途ディスク)規格争いは、ソニーなどが提唱する「ブルーレイ・ディスク(BD)」方式が、東芝などが推す「HD DVD」方式に「勝利する」との調査結果を公表した。フォ社はBD方式が米映画界やIT(情報技術)、家電業界などからより多くの支持を得ている点を強調。「BDが勝つのは明らか」と述べ、近い将来、規格がBD方式に一本化するとの見通しを示した。


要するに、HD DVDは敗れる、ってこと。そして、ブルーレイが勝つ、と。
前に、統一規格決めようよ、ということだったが、それも決裂しちゃったし、映画会社獲得競争も大体終わっているし、それでも決定的な差が出来ていないと思っていたんだが、専門調査によれば「勝つのは明らか」とキッパリ。


どっちでもいいけど、一つにしてくれればいいな。映画が半分観れるけど、半分は別な器械がないと観れないというのも悲しい。ベータを買ったことはなかったけど、買った人達は泣いたと思うよ。なので、自分が損したくないし、規格は統一されるのを強く希望してます。


書いたら記事を消してしまい、ちょっと怒った。

ダラダラ書いてしまった。


日本の汚職清潔度??

2005年10月19日 17時23分10秒 | 社会全般
今後改善されていくことが期待される「清潔度」であるが、きっと今年の選挙によって来年度のランキングは上昇するかもしれない(笑)。あと10年以内でベスト10入りを果たすような「目標」も必要だろう。経済成長を遂げている北欧諸国などは、高い教育レベルとか「清潔度」「透明度」が高められている、ということを思えば、いかに人間の心というか倫理観が「国の底力」に繋がるか、と感じるのである。そういう組織体・社会を目指すことが、これからの日本に最も必要なのである。

Yahoo!ニュース - 共同通信 - 日本の「汚職清潔度」21位 昨年より改善

記事より一部抜粋します。

日本の「清潔度」は159カ国・地域のうち21位で、昨年の24位(146カ国・地域)よりやや改善した。同組織は「腐敗は貧困の要因であり、貧困脱却の妨げでもある」と指摘。今年12月に発効する国連腐敗防止条約が、外国公務員らに対する贈賄などの防止に役立つことに期待を表明した。清潔度1位はアイスランド、2位はフィンランドとニュージーランドが並び、4位はデンマーク、5位はシンガポール。





アイスランドとかフィンランドは以前にもちょっと取り上げました(電子マネーは紙幣を殺すのか?(笑)教育を考える8)。国の規模ということもあるけれど、大きくなると汚れた部分も多くなるのかもしれないが、基本的には人間に起因する問題だろうと思う。腐敗を生み出したり、その存在を許すという組織やシステムにも勿論問題があると思うが、システムとして改善できる点についても研究して頂き、改めていくべきだろう。例えば、「談合」とかの温床となるものは、「天下り」というようなシステムにも原因があるということだ。これを何故「改められない」「なくせない」ということを言うのか、疑問である。


ちょっと急用で、後で書き足します。


追記です。

日本企業の海外での不正への加担といった問題点も指摘されており、海外で現地役人達などに「日本式根回し」を普及して回っているのかな?(笑)外務省もただODAを増額したりするだけで、民間企業とのある種の「癒着」を続け、目立たないように遠い海外で「腐敗」をばら撒いているとしたら、これは由々しき問題だろう。「ムネオマニュアル」を作っているどころじゃないぞ。内部事情通のムネオに逆に外務省特権をバラされているじゃないか(笑)。


国際社会での信用を作り上げることは、一朝一夕では出来ないことなのであり、官民ともに地道に実績を残すことが必要だ。今までに高い評価を得ることも多く行ってきたのだろうから、そういう良い評価を台無しにするようなことのないように、クリーンな国として知られるように努力することが求められる。


それにはまず、国内での「腐敗」を根絶しようという強い意志とか、政治・行政での手本を示していくことだろうと思う。ですから、天下りとか談合を排除することだ。「なくせない」といつまで言っていても、何も変えられないでしょ?ね、奥田さん。



靖国参拝の続き

2005年10月18日 17時48分12秒 | 社会全般
靖国参拝自体は、日本人が騒がなければ、外部からもいくら言ってみたところで何の意味もないことの気付くだろう。小泉首相は「私的参拝なのです」という明確な意図を持って参拝したのであり、これを日本国内が誰も騒がなければ国際的問題ともなり得ないと思うのだが。小泉さんの配慮というものは、評価してもいいのではないかな。先日ちょっと触れたが、司法判断を尊重したことにこそ、大きな意味があったと思うけどもね。


宗教的行事などの多くのことは、長い間続けられれば歴史的慣習として定着する。例えば、クリスマスに何故七面鳥を焼いて食べるか、ということにはどんな意味があるか知らない。でも長く続けば、慣習として行われる。ユダヤ教徒が行う宗教的行事で羊や山羊をして家に血をかけたりするのは、異教徒達にとってみれば異常な行動の類だろうが、当事者達にとっては普通だ。大挙して「野蛮であり、羊を殺すな」などと攻撃したりはしないのではないか。

私は宗教学者でもないので全く知らないのだが、全世界の宗教的行為というのは、それこそ山のようにあるだろう。特にキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒などでは、宗教と政治が結びついているものが多々あるだろう。恐らく、日本以上に多いと思う。たとえ紛争当事国同士であったとしても、相手国への「宗教的行事への非難」とか「行為停止要求」などということはまず聞いたことがない。民族的対立の根底には、言語や宗教の違いなどとという文化的な対立も勿論含まれていることもあるだろうが、それでも相手国に「七面鳥を焼くな」的な事柄を要求することなどないだろう。そこまで干渉したりはしないものなんじゃないかな、と思う。


それに韓国は、秀吉や加藤清正、小早川隆景、宇喜多秀家などの墓に行ってはいけない、とか言うのか?日本は「元寇」についてあれこれ言ってないけどね。モンゴル人に過去の罪を非難するどころか、差別なく「横綱」として最上級の敬意を払っている。それが普通であろうと思うぞ。トルコだって、かつてはキリスト教徒のヨーロッパ人を殺戮しまくり、無理やりイスラム教徒に改宗させたり、ハーレムにロシア美女を奴隷として連れてきたって、EUの仲間として迎えられるかもしれないじゃないか(かなり昔、日本では「ソープランド」のことを「トルコ」と呼んでいたな。どうしてか知らないが。これはさすがに抗議を受けて呼び方を変更することになったな。それでも中韓に比べれば、誠に穏やかなものであった。「トルコ」と呼ばれる方が、「靖国参拝」よりも怒ることだろうと思うけどね。トルコ人は優しかったんだろう)。


国家として相手国に要求するべきことが、中韓は何だか他とは違うかも。

中韓は日本人が相手にして国内的に騒げば騒ぐ程、「靖国参拝非難は効果がある」ということに味をしめるんじゃないか、とも思う。だからしつこく言うんだろうと思う。なので、対応は出来るだけ淡々と行った方がいいのだ。国家としても、国民レベルであるとしても(個人間ということ)。

日本人の国民感情として、現在はまだ「靖国参拝」に抵抗がある人々もいるかもしれないが、これがあと百年後くらいになれば状況はかなり変わるだろうと思う。中韓も「靖国参拝」とはどのようなものであったか、忘れてくれるといいけどね。

日本人やベトナム人が、アメリカの「パールハーバー」とか「ランボー」(これはアフガンだったか?「怒りのアフガン」ではそうだけど基本はベトナムだよね?)とか「地獄の黙示録」という映画に強烈な非難もしないし、キリスト教行事にも非難しないし、ネオコンの支持母体的宗教団体への抗議運動もしない。ごく一部には存在するかもしれないが、お互いの安穏を保てる程度なのだろう。ならばその方が望ましいと思う。


長い年月にわたって継続されれば、それは行事として定着したものとなるんだろうな、と。外国人から見て、それがどれ程奇異であるとしても、それに応じることって必要なんだろうか?



やっぱり靖国参拝に行っちゃった

2005年10月17日 19時43分50秒 | 外交問題
中国もオーバーな騒ぎっぷりだが、行く前にマスコミが情報を掴んでいたの?わざわざ大袈裟に報道しなくても良かったのに。隠密行動に徹すれば良かったんだけどね。バレちゃ、しょうがない。はい、小泉さんは行きましたよ。ですが、かなり密やかに参拝して、これは「私的参拝ですから」と言いたげに、気遣っていたんだろう。記帳もせず、一般参拝者達と同じ形式で参拝したようだもんね。

マスコミがそっとしておいてあげれば、中国も騒いだりしなかっただろう。まあ、参拝に行ってしまったものは仕方がない。これからの対処をどうするか、だ。


男が合コンに行ったら、彼女が「あれほど合コンに行かないで、って言ったじゃない」と騒いだ場合、どのように事態を収拾するだろうか?元々「合コン絶対反対!」と強固に主張しており、「合コンに行くということは、私への挑戦よ」とか「過去の罪(昔大喧嘩したり、合コンに行ったことにもの凄い非難を受けた)を謝罪する積もりがないってことなのよ」と主張された場合、どう対処するかな?自分の経験では、こういうことが全くないので判りません。


彼女とハッキリ絶縁状態になるのは「得策ではない」という時(今のような経済的関係が重要だと考えられている時)、こういう状況だったら何て言い訳するかな?「合コンには仕方なく行ったのさ」では、芸がない?「男の付き合いだ」とか?それとも「ごちゃごちゃぬかすな、ボケ。嫌なら別れたるか、おんどりゃあ」という強気の態度?あなたはどうする?

①素知らぬ顔で、「うーん、今度レストランでご馳走するよ」「何かプレゼントするから」とか話を逸らす。遊び人っぽい?
②「お前と別れても、いくらでも付き合う女がいるんだ。捨てたるか」と逆ギレ。一つの賭けではある。結果も賭けになるかな。
③「本気じゃないんだ。君の事大切にするから」と合コンに行ったことを詫びる。だが、次からも行けなくなる。
④「会社の付き合いだから、これも」「男同士の約束だったから、仕方ないさ」と淡々と言う。マイペース路線。
⑤「合コンは悪いことじゃないんだから、行ってもいいだろ」と自己正当化。ついでに「結婚してる訳でもないのに文句言うな」とか。


どれを選択すると、相手の怒りは少ないかな?どの場合が自分にとって有利になるかな?
①は下手に出なくてはいけないので、選択しづらいか。他の部分で譲歩を迫られてしまう。
②は思い切った方法(というか逆ショック戦法?)だが、完全決別になれば他の面で損することもある。緊張も高まる。
③は自分の非を認めることとなり、二度と行けない状況を作る。これも困る。
④は責任というか原因を不明確にすることで、煙に巻く。冷静に対処するが、相手の怒りが治まるか不明。
⑤は相手が余計に怒る場合あり。正当化の理由を頑として認めない(相手が受け入れない)場合、治まりがつかないかも。


このように考えると、「合コンに行くなんて許せない」と彼女が言う場合には、④が良さそうかな?何も取られない、次も行ける、こちらがあれこれ言い返さなければ、とりあえずやり過ごせる、かも。


ということで、中国が「靖国参拝は断固許すまじ」「とんでもない所業だ」という非難をするけれども、これへの対処は次の通り。

「(退任した後の)来年も行きますよ。靖国参拝は私個人の約束ですから」

以上。
どうだろう?怒る?やっぱり。
でもね、参拝したことがバレちゃったんだから、仕方ないよ。
知られなければ、行ってないのと同じなのに。
マスコミもね、何でもかんでも伝えなければ良かったのに。


合コンも行ったことがバレなければ、「行ってない」のと同じなんだよ?(笑)

暫く対中関係で忙しくなるか。でも外務省は行く前に、連絡してたんでしょ?



話題シリーズ12

2005年10月16日 19時21分41秒 | 社会全般
1)コンピュータソフトとの将棋対局

これは以前の記事(小さな話題シリーズ1)にもちょっと触れましたが、将棋連盟が対局を控えることを要請したようです。

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 将棋ソフトと対局、プロ棋士に禁止令


人間vsコンピュータというのは、前世紀からSFの題材としてもよく使われたし、今後も永遠のテーマとして残されるでしょう。そういう意味では、対抗側であるコンピュータ(ソフト・ハードとも)の進歩は期待したいところですね。将棋連盟も単に禁止だけじゃなくて、ビジネスチャンスとして活かしたり、普及活動に一役買ってもらうとか工夫をしたら?


ソフト販売において『「プロ棋士の”公式指導対局”100局実践済み」-by 日本将棋連盟』とかって銘打って、販売額に応じて連盟がお金を貰える仕組みとかにすればいいんじゃないかな?ソフト開発側は、こういう実績があれば、ある種の「箔付け」となるだろうし、注目度もアップするだろう。人間との対戦時には指導対局料を貰うのであれば、問題ないと思うけどな。


名前も、カッコイイといいんだけど。チェスの時のスパコン「ディープ・ブルー」は、キザっぽいかもしれんが、「2001年宇宙の旅」の「ハル」のような感じでいくと、どんな名前がいいかな?そうだな、「閃き」とかは?強そうじゃない?「次回対局は、ハブ王将とサイバー棋士「閃き3段」の対局です」みたいな感じで。ダメですか?米長会長。


2)経団連次期会長

Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <経団連次期会長>奥田会長、条件に「国際性」重要視


来年の、新時代の幕開けという予感があります。「戌年」というのはどういった年なんだろうか?よく判らないけれども、奥田さんも小泉さんも第1線から退かれるとなれば、たとえ偶然にしても、日本の重要な指導者が変わっていくという時代の移り変わりの年ということになるんだろう。

その一角は、まずキャノンの御手洗氏ということになった訳だ。日本の製造業を支えてきたデジタル産業が中国や韓国などに急追され苦戦を強いられる中で、国際優良企業として成長を続けてきたキャノンの成功は御手洗氏の評価を高めている。奥田さんも意外と高齢だが、御手洗氏も既に還暦どころか古稀を迎えられた方だ。ではあるが、頑張って欲しいですね。


3)医療費削減問題

何とか摩擦を避けようとGM救済に乗り出したトヨタだが、今年に入ってからのGMショックといい、この前のデルファイ破綻といい、トヨタは将来の恐怖を見たかのような状況なのかもしれんな。その為に、将来の医療費削減については、強い要求が奥田さんから出されているのだろう。アメリカみたいな、はっきり言えば超高額医療費というのは日本とは比較にならないし、費用が払えず病院から追い出されるというような環境とも違うのだから、冷静に考えて欲しいと思う。


Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 医療給付費、2025年度15兆円削減を…日本経団連


こちらへの反論(笑、医療費の分析~その2)ということではないだろうが、経団連の医療費削減要求は、ベンチマークを基準とした「率」による抑制ではなく、「絶対値」として削減するという方向性に変更したようだ。心配する気持ちは判らないでもないが、自助努力に必ずしも起因しない(ちょっとはあるかもしれないが、肥満とか贅沢とか不摂生とか)疾病や障害というのは、これこそ公的「保険」としての機能が重要なのである。だが年金というのは自分の老後資産形成という、まさに自助の要素が医療よりもはるかに強いものであるから、公的「保険」の重要度は低いはずなのだ。そういう社会保障の意味合いについて、もっと総合的に考えるべきだ。


自動車の国内台数が経年的に増加を続けたことが環境に大幅なマイナスであり、高速道路や一般道路にも多額のお金がかかったのは自動車業界がこぞって大量に販売したことが原因であるから、今後の歳出削減の為に自動車の年間販売額を規制する、という法律や制度を作るとしたら、君達は何と言うかな?ハッキリ言えば、自動車の増加のせいで交通事故は増えるし、CO2は増加するし、車を走らせることにしか使いようのない高速道路等の整備に多額の費用がかけられたことで国民負担が50兆円弱も残されたんだから、車の販売額は総額を決めて抑制することにしたらいいんだよ。

ベンチマークは、削減目標のCO2と、交通事故発生件数及び支払われた損害保険料にしておけばよい。交通事故による経済学的損失は医療事故よりもはるかに大きいぞ?これは全部自動車販売のせいだ。安全よりも儲ける為に、自動車の無軌道な販売が招いた結果だ。トラック輸送の増加によっても、環境を破壊し人々を病に陥らせ、交通渋滞を巻き起こし、鉄道事業の圧迫を招いたんだ。これも車のせいだ。高速道路整備が行われなければ、人々はもっと鉄道やバスを利用し、他の分野に投資することが出来たし、環境にも格段に良かったはずだ。これも自動車の大量販売のせいだ。


どうですか?自動車は諸悪の根源だろ?医療費が増加することよりも、尊い人命を多数奪い、犯罪の道具となり、環境を破壊し、国民資産を浪費の元となった高速道路に無用に投資させ、はるかに多くの人々を不幸に陥れたんじゃないのか?いくらでも問題点を見つけ出し、費用を削減する名目を作り上げ、指標も用意できますよ。ちょっと現実的とは言えない面もありますが。唯一違うのは、自動車産業で儲ける企業や人々が多く存在しており、この恩恵に浴する人々がいて、国が多額の金を出していないかのように見えているだけだ。本当は国庫から大量の資金が投入されている。自動車に関連する業界に。道路もその一つだ。


不幸に陥れる人々の絶対数が、自動車業界と医療業界ではどちらが多いと思いますか?調べたことがないから判らないけれど。国民が多くの損害を被っているのは、医療でしょうか、自動車でしょうか?もの凄く儲かれば、たとえ多くの人々を大量に不幸にしても規制されず、一方では、人々を不幸に至らしめないようにしようとする人々が強い規制を受けるのですね。それが、日本のとてもいいところだということなんですね。資本主義経済って、素晴らしい。



国家公務員共済への補助金

2005年10月15日 19時22分32秒 | おかしいぞ
かなり古い話題ですが、国家公務員共済組合連合会は病院経営をしています。財務省主計局 給与共済課によれば、病院を経営すると、国家公務員達がみんな「公務の能率的運営ができる」ようになるんだと。何でだよ?片山さつき議員は、主計局出身だろ?こういうのも、きちんと説明できるはずだろ?


国家公務員共済の謎15


国家公務員共済が「病院経営」をすると、国家公務員の「生活の安定と福祉向上」に繋がるのはどうしてなのだ?「病院経営」じゃなくて、ソバ屋とかラーメン屋経営だって同じだろう?利益さえ出れば(笑)

それは、共済に利益が出ると公務員みんなが喜び、将来の自分達の年金受給額が増加するんじゃないか、という希望や期待を生じせしめ、その結果、公務の能率が上がるのか?(爆)

主計局は、本当に公務能率が病院経営によって向上するという根拠があると思っているのか?こういうのが、「勝手な解釈、都合の良い解釈」だ、って言ってるんだよ。権限さえあれば、どんなにオカシナ決定でも出来るのだ。これを国民からは、止めさせることが出来ないのだ。


病院経営=公務員の生活安定と福祉向上
これは、財務省主計局給与共済課による解釈では、同じものだそうだ。こいつらはバカか?
単なるタカリだろ。病院に国庫から金をねじ込むことで、法人への利益供与を行っているのと同じだ。
病院経営の名の下に、タカリ同然のことが主計局給与共済課主導で行われ続けてきたのだ。補助金事業の持つ意義なんてのは、はじめから大して存在しないのだ。要するに、自分達の懐具合のみ心配しているだけ。財務省主計局にとっては、自分達で如何ようにも予算貼り付けが出来るから、絶対に止めようとしないのさ。


病院経営と称して、補助金を大量に安定的に供給することにより、あちこちに病院建設させ、たとえ赤字であっても全て補助金で穴埋め出来るような仕組みにしているのが、財務省のやり口なのさ。病院の建設費用は国庫補助金で賄われるから、しばらくすると次の病院を建設し、これも国庫から出て、次の病院も・・・・って無限に膨張を続けられる補助事業だろ、っての。主計局のくせに、何でこんな簡単なことが判らないんだ?自分達の取り分が減るからか?


一般会計から、国家公務員共済組合連合会に毎年70億円以上の補助金が流されてきた。法人としては、60億円もの利益を上げていたにも関わらず、補助金適正化法第7条第2項規定(補助金を受けた事業者が相当の利益を生じた場合には、国庫に返納させる条件を付けられる)を適用することも考慮せず、しかも、「補助金交付要綱」には元本償還費への充当という項目がなかったのに、それに充当を続けたことは、補助金目的からは逸脱しているだろ?「補助事業に利益を生じないから」とかぬかしていたが、条文は「補助事業者」への適用なんだし。そんなことも判らん連中なのに、「適正だ、問題ない」と絶対に主張を曲げないんだぞ?相手が私のような、タダの国民だからだ。常に突っぱねれば済むと思っていて、決して自らの誤りを認めようとしない、そういう人種なのだそうだ、主計局とは。


谷垣くん、こういうのは放置ですか?医療費削減という目標を厚生労働省に突きつけておきながら、一方では国家公務員共済への特定の利益供与をなす為の、病院補助金は温存ですか?細川次官もこれでいいと思っているのか?まず、自分達の共済への補助金を切って、運営させるのが筋だろ。何で、共済の施設整備費を国が面倒をみなけりゃならないんだ?特殊法人の利権を温存しようとすることと何ら変わらないだろ?谷垣くん、病院経営がそれほど「オイシイ商売」ならば、こういう補助金をまず全部切るべきだろ。特定団体の利益を生み出させる為に、何故国が施設整備費を補助せねばならんのだ?


まず、自分達の病院を変えてから言えよ、主計局も。医療費削減の手本をまず見せてみろ。国家公務員共済組合連合会医療施設費等補助金の全額カットだ。少ないけれど、仕方ないだろ?たった80億円弱だからね。医療費削減目標3500億円に比べれば、僅か2%ちょっとくらいにしかならないけれども、「病院にも痛みを」だろ?これくらい簡単なはずだろ?出来ないとは言わせないぞ。



若者文化って今は何だろう?

2005年10月15日 13時20分20秒 | 俺のそれ
昨日WBSを観ていたら、何とネット上でしか知らなかった吉崎達彦氏が出演されていた。今までこの番組については何度か記事でも取り上げてきましたが、ナマの小谷さんの隣に座れるなんて羨ましい・・・です。吉崎氏は有名人だったのですね、密かに。


氏の著作である『1985年』も紹介されていて、映像を見ながら懐かしく思った。こういう「懐かしいな」という感覚を持つということは、きっと自分が歳をとったということなのだろうな、と思う。そういえば、「おニャン子クラブ」って、あの頃だったんですね。存在を知ったのは、半年以上経ってからだったけど(笑)。

ある意味バカな時代だったが、まだ若者にエネルギーがあった時代だった。新人類とか何とか言われたように思うけれど、新たな流行とか進取気質は若者達にあった。ところが最近は、新しいものを作っていくのは若者ではなくて、団塊ジュニア的な30歳半ば世代か、もうちょっと上の「金を使ってくれる世代」である40代とかじゃないかな、と思う。そういう人々に、世間の流行や消費傾向がフォーカスされているように思う。なので、「懐かしい」という音楽CDの復刻版とか、流行ったアイテムの復刻版とか、常に「レトロ調」(そこまで古くはないか)が意識させられるような気がするのである。大体昔に流行ったものが多いのだ。若者のエネルギーが弱くなったのかな?若者によって、色々なものがもっと生み出されてもいいと思う。


それとも、単に人数の問題なのかな?数が多い世代に合わせて色々なことが進められるから?好みとか価値観が細分化され、より一層多様化したから?理由はよく判らない。だが、若い人々のある種滅茶苦茶的な、無駄とも思える行動エネルギーとか、そういう部分に未知の可能性とか意外な成果があったりするんじゃないかな、という期待感もある。全てを悟った風で、「どうせ、やっても無駄さ」とか「どうせ、できっこないさ」というような、年寄的な発想が多くなったのかもしれない。合理的に先を見切って進むことも必要だろうが、がむしゃらな、ひた向きな取り組みの中でしか発見出来ないこともあるのではないかとも思う。特に自分のことに関しては。


いまどきには、「モーレツ」とか「がむしゃら」ということに対しては、「カッコわり~」「無駄、無駄」「精神論では解決できんのよ」という意見は多いのかもしれない。確かに「精神論だけでいくら頑張ったって、ダメなものはダメ」というのは、正しい。私も自分の記事にそのように書いたし。己の限界を知れ、というのは、場合によっては合理的判断だろうと思う。塚原ト伝のような剣豪を目の前にして、いくら「がむしゃらに頑張ればきっと勝てる」と言ったところで、対決すればバッサリ切られるだろう。その時に、己の無謀さとか浅はかさを知っても、時既に遅し、だ。「精神論だけではダメなのだ」というのは、己の限界にチャレンジしてみた者には本当の意味で判るだろう。だが、やる前から「どーせ、ダメに決まってるジャン」という何でも判ったような結論を掲げて、何も行動しないことについては少し違和感がある。


個人レベルで見れば強い若者達も存在するから(スポーツ選手、歌手や作家などの有名人等)、きっと頑張っている若者も結構いるんじゃないかな、と思うけれど、世代全体的にはもっと元気があってもよいと思う。何たって、若いんですから。自分が学生の時には、本当にバカみたいだったよ(笑、「みたい」じゃなく事実バカだったな)。元気だけが取柄だったような気がする・・・。今の若い人達は、私からすれば結構エライと思えるけどね。なので、元気出して、年寄りには負けない積もりで、新たなものをドンドン産み出していって欲しい。


日本の自律的景気回復は何故起こったのか?

2005年10月14日 21時51分08秒 | 経済関連
ちょっとよく判らないんですけれども、勝手に考えてみることに致します。現在までの経過については幾つか記事にしてきましたが、ここ数年だけで考えてみます。特別、経済指標とか統計データを調べていませんので、単なる感想と思って下さいね。いつもの妄想ですから。


まず、小泉政権が誕生した頃は、ITバブル崩壊直後で、97年金融危機以後の処理が残されていた時期でした。銀行不良債権は積み残しと、景気後退による新たな不良債権化が続いていて、金融不安は実質的に続いていた。その不安は一般国民にとってよりも、行政サイド若しくは政治的背景によって、金融不安が重視されていたかもしれない。本当に金融不安であれば、国民がもっと大挙して銀行預金を引き揚げて、郵貯に入れていたはずだからです。

しかし、バブル期崩壊頃の90年に急増した定額貯金が満期を迎えたこの時期には、争奪戦が繰り広げられたはずですけれども、郵貯残高が実質的に大幅なマイナスとなったことから、民間金融機関への信頼度が完全失墜していた訳でもなく、郵貯以外の運用方法を選択する国民が少なくなかったと推測されるのです。つまり、国民は大した「金融不安」を感じていなかったのではないかな、と。いくつかの銀行や信金信組等の破綻処理などもありましたけれども、行政サイドが思う程でもなかったのだろう、と。


民間企業は依然資産の適正化に努め、現金集めに勤しんでいたのだろう、と思います。銀行を中心に「持合解消売り」が続けられ、最悪期の日経平均8千円割れが起こってしまいました。これは景気後退と共に、「先高感」が全く見えないという失望もあったでしょう。一般個人は元々それ程多額の株式を保有していた訳ではないでしょうから、売られた株の多くは金融機関や企業などの保有であっただろうと思います。


当時「空売りが悪いんだ」という意見もよく出されたわけですが、基本的には「買い方」と「売り方」の勢力バランスによるものであり、「買い方」と「売り方」の総資金量や先行きに対する考え方によるものです。日本人の多くが「売り方」に回り、「買い方」についていたのは外国人投資家とか一部個人とかくらいでしょう。要するに、上げ相場ではみんな買いたがるに決まっており、いくら空売りが浴びせられても、買い資金が続く限り、「売り方」にも限界があります。売っても売っても、「買い方」が「将来上がるだろう」という夢と期待が大きくて買いに回っていれば、必ず資金が多い方が勝つだろうと思います。株価がある水準にまで下がっても、いつかは「売り方」も買い戻さなければならないし、買い方が優勢であれば「踏み上げ」になってしまうかもしれません。「空売り」にとっても、現物買いと同じくリスクがあるのです(「現物買い」は損害の限界(50万円で買えば損害上限は50万円です)がありますが、「売り」は株価が上がり続けるといくらでも損害が増大していってしまいます)。なので、無制限に続く「カラ売り」というのはありません。「買い方」の資金が細れば、「売り」優勢となるだけです。銀行が中心となって、保有株式の大量売却を進め、他の企業群も持合解消売りをひたすら続けたのです。「売り方」が圧倒的に優勢だった、ということです。


これには、補助的要因もあったかもしれません。それはグループ中核を担っていた銀行の役割の低下です。昔、社会科の授業で資料集などで習ったのですが、所謂「財閥」という枠組みがありました。戦後の財閥解体後でも「三菱」「三井」「住友」「芙蓉」などといったグループが存在しており、その中核には銀行があってメインバンクを務めていた。大企業群はそういうグループに属していた。そういう銀行の役割が終わった、ということです。これによって、銀行が「株式を売る」と言えば、今までグループに属していた企業群も銀行の株とかグループ内企業の持合株式を売りに出すことになってしまった。つまり、「過去の関係」が清算されていったとも言えるでしょう。一つの「ムラ社会」の終焉でした。


象徴的に語られたのは、「三井住友銀行」誕生の時でした。かつての仇敵(とまでは言わないけれども?)だった違うグループの銀行統合によって、それまでグループを形成していた企業群は銀行の枠組みから離れて、独り歩きをさせられることになったのです。それまでは、グループ内での取引とかガイジン風に言えば「系列」とか、そういう恩典もなくなった。銀行の枠組みが外れていったのは、それぞれが独自に判断して、徐々に銀行の求心力が弱まったこともあったでしょう。そういう関係を解消していく過程で「売り」に出されたのが、大量の持合株だったということです。


行政サイドにも、「売り推奨」とも言うべき状況があった。それは銀行の資産健全化過程で、リスク資産を減らしたり分離したり(私にはコンサルのような知識がないので、大まかに言うだけですから正確には判りません)ということによって、保有株式売却を進めた。これも「資産売り」として作用したのだろう。それまで、企業や銀行は不動産を中心に「現金化」を図ることで、資産売却をどんどん行ってきた。例えばNECのような本社ビル売却というところまで、「売れるものは何でも売れ」という状況だった。不動産売却は進み(不動産の連続値下がりということですね)、あと残っていたのは持合株式だった、ということで、それが売られていったのが、ちょうど最悪期だったと言えるでしょう。


銀行の求心力低下には、別な側面もあったでしょう。それはITバブルを演出した、銀行融資資金によらない企業の資金調達でした。株式公開長者が沢山生まれ、直接金融による資金調達によって銀行貸出は減少を続けることとなりました。このITバブル期に発行された、社債や転換社債などがきっと多かったと思います。転換社債やEBなどの「隠れ株式」も、ITバブル崩壊後には株式のダブつきによる売り圧力として作用したかもしれません。要は、銀行からの資金調達に頼らない企業が多く出て来たということです。私の知らないような複雑な仕組みを持つ資金調達方法なども、外資が手助けしたかもしれませんね。


こうした資産売却は90年代から続けられていったということです。当初は不動産を中心に、小泉政権誕生後には持合株式を中心に、という経過を辿ったのではないかな、と。株式売却が続いていた時期には、先安感が強くて8千円割れまで起こってしまった。主に買いに回っていたのは外国人投資家、ということだ。大きな不動産や破綻金融機関なども外資が買いにやってきたのだ。日本人がほとんど買わないから。こうして、デフレ要因は続いていたが、いよいよ風向きが変わってきた。それは何か?自律的回復に繋がったものは何か?


企業資産を売る場合には、現物しかない訳ですが、遂に売り物が出尽くしたということでしょう。これは、売る側に売るべきものが存在しなくなれば、いずれは売り物が尽きてくる。買った人々は(特に不動産は)再開発とか大型ビルやマンション建設などに回している為、直ぐには売りに出さないし、株式市場にしても日本株が相対的に割安な水準となって外国人が買ってくると相場が上昇するので、期待感が膨らんで日本人が買うようにもなってきた。デイトレとか「株で1億稼ぐぞ」本とかで、一旗上げようという人々も出て来た。売りに回る人々が減り、やっと「アク抜け」した、というような状態なのだろう。売り物となる「玉」が無くなった、ということで、自律的反発に転じる可能性があったということですね。


それから、チャイナビジネスが本格軌道に乗ったという時期でもあった。製造業を中心に国内での雇用を減少させ、中国に工場などを移転したりした。移転費用などの負担が減り、中国での操業が企業収益に寄与するようになってきた。あとは、中国経済の成長による需要が増加したことで、対中輸出が増加したことだ。かつての価格破壊商法は「中国産品」の輸入増加によって始まったが、中国特需の恩恵を受けるようになり、中国本土での企業活動も利益を生む事業としてうまくいくようになったのだろうと思う。


①かつての銀行を中心とする企業群などのグループの枠組みが緩み、メインバンク主義は大きく後退した
②銀行は資産内容の変革を求められ、保有株式を売ることでデフレ要因を作っていた
③グループ企業間の持合解消売りが01年度以降、加速した
④不動産を中心とする価格下落、中国産品輸入による物価下落に続いて、株式資産下落となった
⑤株式公開や転換社債等、企業の直接資金調達が増加して、銀行融資は減少せざるをえなかった
⑥資産「売り」が銀行・企業中心で続けられたが、売り物が出尽くして「玉」不足となってきた為、下げ止まり感が出て来た
⑦ちょうどチャイナビジネスが軌道に乗り企業収益に反映された(中国国内での成功と対中輸出増加)


このようにして、日本経済は自律的回復局面を迎えたのではないかと思う。偶然にも、デフレ脱却の方向性が見えつつある消費者物価上昇傾向は、中国経済の成長要因(中国の人件費上昇による輸入品価格の上昇?)と、原油高とともに起こった素材価格上昇という外部的要因によってもたらされたのではないか、と思う。将来の日本経済の見通しで、物価の先高感が台頭してきたのとは違うと思う。


マックのハンバーガーが、価格大幅引き下げという、ハッキリとした目に見える「デフレ戦略」によってある程度成功すると、消費者は「いずれまた下がるだろう」と思って、価格上昇には「買わない」という反応しか示さなかった(これで、マックは業績が悪化した)。これには、現状でも「将来価格は下がるだろう」というある種の「デフレ期待」が常に存在している、という消費者心理がうまく顕れているんじゃないか、とも思える。「価格引下げは一時の麻薬的効果だ」というのは誰かが言っていたが、確かに値下げによる「うまみ」を知ると、次にはもっと安くなるんじゃないか、という強い期待心理が働き、結果的には消費の手控えというのが起こりやすいかもしれないな。次の刺激がもっと強いもの(=もっと値引き)を求めてしまうことも、デフレ要因として存在するかもしれない。


以前私もパソコンを買おうかどうしようか迷っていた時に、「まだ待てば、同じ性能のパソコンがどうせ半額で買えるようになるんだから」という先安感があった。友人に「それじゃ、いつまでたっても買えないよ」と言われ、「確かにそうだな」と思い、やっと買う決心がついたくらいですから(笑)。ですが、今にして思えば、えらく高い買い物につきましたよ。もっと待てば良かった。分かり易い、IT関連製品は、値下がりが早く、ある意味デフレ代表選手みたいな存在なのかもしれません。パソコン、デジカメ、薄型テレビ、等々いつも踏み切れないものばかりですね。

ですが、デフレは終わらせなければならないのです。これからの日本にとっては、重要なことなのです。



また間違えていました

2005年10月14日 17時22分03秒 | 俺のそれ
先日書いた記事や、かつての会計検査院の記事では、会計検査院長を「森本検査院長」と表記していましたが、実は「森下」が正しかったようです。誠に申し訳ございません。お詫びして訂正いたします。

間違い記事はこれらです。

会計検査院の仕事4
官の意識改革は可能か


その検査院長の森下氏ですが、退官予定とのことです。

Yahoo!ニュース - 時事通信 - 会計検査院検査官に伏屋氏

記事に次のような記述がありました。
『会計検査院検査官3人のうち来年1月20日に退官する森下伸昭会計検査院長の後任の検査官に、内閣官房副長官補の伏屋和彦氏を充てる人事を内定した。』


色々とご批判をしてしまいましたが、個人的にはちょっと申し訳なく思ったりします。たまたま在任されていただけで、特別な悪行三昧を働いたわけでもありませんし。けれども、検査院に求められることは「公正な監査機能」ですから、法に基づく適正処理が必要です。そのための権限と機能を備えていると思っています。


先頃には民間監査法人の問題も出ましたが、検査院の監査自体が曖昧では、適切な評価に繋がりませんし、役所の遵法意識も低いままで過ぎていってしまいます。そうした監査機能の充実によって、行政内部に「規律」と「自律」を取り戻していって欲しいと願っております。

いつも「会計検査院法第20条」を思い出して頂き、独立した地位と特別な権限が与えられた組織であるということをお忘れなきように職務に励んで頂ければ幸いでございます。




それから、郵政関連法案が可決されました。まさに「産みの苦しみ」でした。今年の1月くらいからブログに記事を書き始め、大体10ヶ月間(出産の期間と似てるな、笑)かかりました。様々な出来事があり、その中で色々な勉強をさせて頂きました。郵政問題を通して見えた「政治」というもの、行政とかその他モロモロのこと・・・長かったようで、「落城」してみれば何となくあっという間に過ぎ去ってしまったようでもあります。

ですが、今後の政策については、難題がまだあります。終わりなき挑戦と思って、これからも書いて参りたいと思っています。


もう一つ、bewaadさんがブロダ&ワインシュタイン(2004)の日本語要約を記事にされていましたが、経済素人の私も「存外いい線いってたじゃないか」と自画自賛(爆、「ブログ」じゃないよ、似てるけど。「ブロダ」という人名らしい)。

金融資産をベースに考えること、「土居・星論文」(オリジナルじゃないけど)やSNA統計に辿り着いたこと、とか、私にしては上出来だ。ブログやネットは有難いと思う、本当に。

参考記事:
郵政と財投と周辺組織の問題2
特殊法人の不良債権額の推測?


??というか、最初から本を読めば良かったのか・・・なんだ、そうか、そうなんだな。結論は「本を読め」「文献を嫁」なんだな・・・・そうすれば、回り道せずとも、いきなり結論部分に辿り着くじゃないか・・・普通に。笑

なんか、ぬか喜びして損した・・・でもね、素人は「どの本が正しいか」という見分けをつけられないので、やっぱり当てずっぽうに読んでも出会わなかったかもしれないから、どうだったか判らんな。


知識の集積は、個々の試行錯誤を減らせることで無駄な時間やトライが無くせることが利点だ。けれども経済学は、そういう結論の集積は少ないようにも思える。なので、延々と議論が起こってしまうのではないか、と感じる。不思議な学問だ。



与党のごり押し

2005年10月14日 00時51分30秒 | 社会保障問題
議員年金の議論は平行線となって、与党は民主党との合意が得られないとしても法案提出を目論んでいるようです。いよいよ、数の論理で全てを進めようということでしょうか。

Yahoo!ニュース - 共同通信 - 隔たり大きく平行線 議員年金改革で協議会


先日神崎代表は「(民主党案のように給付3割カットで、議員OBが)訴訟を起こしたら敗れるだろう」と民主党を批判していた。

Yahoo!ニュース - 共同通信 - 「民主案は哲学ない」 議員年金廃止で神崎氏


よくもこんなことをいけシャアシャアと言えるな。国民は将来の年金すらきちんと給付されるかどうか分からんのに、年金保険料を支払い続けているんだぞ。国民には給付額を約束している訳じゃないから、訴訟を起こしたって国民は負けるに決まっている。なのに何故、議員OBが訴訟を起こせば勝つんだ?年金保険料をいくら払えば、最低幾ら以上給付する、という約束によって年金保険料が納められてきたのか?企業年金の給付削減だって、給付が厳しくなれば減額することは行われてきたじゃないか。確かそういう訴訟があって、提訴した方が負けたんではなかったか?神崎代表は、いつから年金訴訟の専門家になったんだ?どの様な法律と解釈に基づいて、勝訴を導き出したんだ?是非、教えてほしいものだ。


与党の厚生年金と共済年金について先に一元化を進める、という路線に変更がない。元々公明党は、「一元化なんてしなくていい、やるとしても遠い先のことだ」と主張していたじゃないか(実態を考えない幹事長達)。冬柴幹事長は、はっきりとそう言っていただろ?去年の改革で十分なんだ、とボケたことを言っていたじゃないか。今になってコロッと手のひら返しか?


小泉さんは、国会答弁でも党首討論でも、民主党岡田代表への答弁でいつも次のように言っていたじゃないか。もうすっかり忘れたのか?
「年金一元化については、税制を含めた歳入と社会保障の一体的改革を検討する」
「年金一元化と納税者番号については、民主党が(合同協議の)テーブルに着けば検討していきます」

参考記事:国会空洞化現象


いつもこのような回答であったと思いますよ。これは、社会保障改革に着手する時には、「税制を含めた歳入と、歳出である社会保障」の一体的改革を考える、ということであり、その際には納税者番号導入についても同じく合同会議できちんと検討しなければならないはずだ。だが、今の与党のやっていることは何だ?数を取ったら、早速去年の強行採決と同じ手法なんじゃないか。全然検討なんかしていないだろ。初めに結論ありきだ。何が「党派を超えて、きちんと議論しましょう」だ。


総理大臣ともあろう者が、自分の国会での言葉に責任を持つべきだし、約束は守るべきだ。岡田代表はしぶしぶではあったが、先に譲歩してテーブルに着いたじゃないか。党首討論の時には、「年金一元化と納税者番号導入を認めなければ席には着けない」と再三主張していたが、小泉さんが「それも含めてやりますから、席に着かなければ議論できませんよ」と繰り返し言っていたから、それに応じたんだぞ。それにも関わらず、野党を席に着かせたものの、初めっから与党だけで議論を進めているじゃないか。特に選挙後には、野党の主張や意見なんて検討もしなければ、聞こうともしてないじゃないか。これは明らかな「騙まし討ち」だ。席におびき寄せておいて、挙句に「やっぱり、自分達だけで決めるから」って言うようなものだぞ?


税制を含めた歳入についても、一体的に検討します、って、何もやっていないじゃないか。それで、被用者保険だけは先に一元化、ってのはオカシイし、議員年金や国民年金も当然一元化議論に入ってくるに決まっているだろ、年金なんだから。一体的じゃないっての、これじゃ。国民を騙しているのと同じだ。



追記:

13日に行われた諮問会議では、政府系金融改革のヒアリングの予定が出たようです。しかも、公開で行われるということで、かなり透明性を意識したものとなっています。財務省の策動を抑え込む為の伏線と見てもいいかもしれません。


他の識者として、例によって「行政御用達」とも言うべき(失礼、そんなことを言ってはいけませんね。私にはそれぞれ立派な方だと思いますが、色々な評価がありますので・・・私の表現で言えば「経済マフィア」の一派の)方々でしょう。


跡田先生、宮脇先生、扇百合日本総研主席、という今までにも政府の仕事をしてこられた方々です(宮脇先生は以前参院事務局、日本総研におられたそうですね)。
お馴染みの顔ぶれです。是非頑張って改革を進めて頂ければと思っております。


これはとりあえず置いておくとして、それよりも大切なことがありました。それは、諮問会議民間議員の提案は、「経験則」と明言しておられたことです。これは意外な感じが致しましたが、何となく正直でよろしい、と思いました。そして、4つの大切な経験則という形で、その一つに「財政改善にはデフレの克服が急務」と明言されたことです。このことは、重要な意味を持ちます。以前から書いてきたように、「日本21世紀ビジョン」の文言を踏まえて、より踏み込んだ方針を明らかにしたことに大きな意味があります。ついにここまで進んだか、という気が致します。


もう一つは「国民からの信頼」を挙げ、当然とはいえ、これは評価されるものと思います。行政側の姿勢として、前回議論での「国民への説明責任」、「透明性確保」、そして今回の「信頼」、という言ってみれば3原則のような形で言及されていることが印象的でした。これは今後の政府系金融改革や財政改革においても、最も重要視されるべき事項であろうと思います。元々政治に求められるべき事柄ですが、このような進展が得られたことは、素直に良かったと思います。


気になったのは、配布資料での90年代分析で「名目GDPよりも歳出が上回って上昇」したことのグラフ説明でした。80年代では名目GDPが1.7倍程度まで拡大しましたが、90年代では1.1倍程度であった為、財政状況が苦しくなった、ということでしょう。一方、社会保障費は80年代では1.5倍程度、90年代では1.6倍程度となっており、伸び率には大幅な違いはないということです。

社会保障制度については、低成長(高齢化加速)時代に入る前に修正するべき部分であったとは思いますが、80年から90年では高齢者が425万人増(人口比では約3ポイント程度上昇)で、90年から00年では710万人増(同5.3ポイント上昇)という具合に、実数が大幅に伸びたことが大きく影響していると思います。この期間における社会保障費の伸びに最も寄与度の大きかったのは年金であろうと推測しています。この費用分析によって、寄与度の大きい部分に着手すると効果が最も大きく、物価スライドを導入したとて高齢者の実数の伸びには追いつかないだろうと予測しています。ですから、年金改革を、ということをお願い申し上げているのです。これに取り組むということは、当然税制についても改革することになるからです。


短期的には医療費の抑制策として削減をすることもある程度は必要でしょう。その意味も分かります。しかし、中長期的には社会保障制度そのものの抜本的改革を目指さなければならないと考えております。特に年金を含めた社会保障制度改革には時間がかかるのですから。税制についても、勿論そうですね。その為の基礎を、今の時点から長期的な将来展望に立って、方針を明らかにしていくことが必要だと考えます。



楽天はホリエモンの二番煎じ?

2005年10月13日 19時08分06秒 | 社会全般
TBSの筆頭株主に楽天が躍り出て、経営統合も視野に申し入れ、とのこと。以前のニッポン放送の一件以来、メディア再編論が再び浮上してくるのでしょうか?村上さんも頑張っているし、日本もいよいよ「持ってる金をどう使うか」というご時世になってきたのでしょうか。


兎にも角にも、ホリエモンの歩いた後を確実にゲットしている感のあるのが、ミキタニ君だ。近鉄買収でポシャったが、結局新球団誕生のキッカケを作ったのはホリエモンだった。ある意味ヒールではあったが、一石を投じた形になった。その失敗のお陰で、ミキタニ君は「楽天球団」を得ることとなった。まず、ホリエモンに露払いをさせ、その後ろを歩いていって、最後に獲物を手にしたのは楽天だった。

フジテレビとの闘争の時にも、ホリエモンの電撃作戦―Blitzkrieg が強力なカウンターパンチ(というか、不意打ち?ということは真珠湾か)となったのだが、この時のフジテレビ側が受けた被害というか失敗は、恐らくTBSにも直ぐに思い浮かぶことだろう。初めから争わなければ良かった―このようなある種の恐怖感は、楽天側にとって有利に働くだろう。


近鉄買収騒動の時にも、当初オーナー側がナベツネを中心に「ホリエモンなんて論外だ」という排他的態度に出た為に、ファンや世論などの強い反発を買い、結果的にそのことが堤西武崩壊を加速させ、最終的に新球団を認めざるを得ない方向に追い込まれた。この時にも、ホリエモンがあのような騒ぎを起こさなければ、楽天などにはその目はなかったはずだ。ミキタニ君は、ホリエモンと同じ道を後から歩いていくことで、障害物をホリエモンに除去させて、楽々と(楽天だけに、笑)目的を達せられたのだ。まるで、ソニーの後ろから歩いていった松下みたいな感じ(?)だな。新しい商品へのチャレンジをソニーにさせて市場開拓をやってもらい、2番手グループとしてガッチリ実利を得る、というような感じですね(あくまで過去の印象に基づく個人的感想ですので事実は判りませんし、現在がどうなのかは不明です)。ミキタニ君は、「新球団」という実利をゲット出来たのは確かだ。


そして、今回は村上ファンドに世間の注目が集まっていたところに、ホリエモンとまたしても同じ道を歩いたミキタニ君がターゲットだけを変えて登場した、ということだ。仮に株式大量取得という手法が非難されることになっても、村上さんとミキタニ君に世間の目が分れてしまうから、それほど楽天だけがバッシングに遭うということはないだろう。それに、国民全体が「ホリエモン効果」(どんな効果?じゃ、ボケ。とかツッコミ入れないでね)によって、「ああ、またか」というような耐性が獲得されているし、阪神の方も気になる人々が結構いるから、TBSやベイスターズがどうなろうとも、別に関心ないな、という人々も存在するかもしれませんし。


そういう意味では、ミキタニ君は着実に実利を得る為の、やや卑怯とも思えるような戦略をとっていることは、確実に勝つにはいい方法かもしれません。心の中では、「ホリエモンよ、ありがとう」と叫んでいるかもしれませんね(笑)。先頭に立って歩いてきたホリエモンには、エールもあるが、厳しい批判もあるわけで、その露払いがミキタニ君にとっては、何よりも有難いはずだ。あと、ミキタニ君がやっていないことと言えば、立候補だけだろう(笑)。ミキタニ君は、中々実利に「カライ」戦略家というか、人のつけた道を歩いて稼ぐという面においては、ホリエモン以上に藤木君風(=卑怯者、知る人ぞ知る『チビまる子ちゃん』に登場する同級生の1人、「藤木」と言えば「卑怯者」の代名詞なのである、笑)なのだ。これが、ミキタニ君の正体なかもしれないな。


ところで、ホリエモンは秋までにフジテレビと共同での事業計画を発表するとか何とか言っていたのではなかったか?すっかり忘れていたけれど。どんな放送事業・コンテンツ事業を展開するのか発表しないと、約束を反古にすることになるんじゃないか?ホリエモンは株式を買い取らせる代わりに、きちんと発表すると言ったのだから、その義務を果たすべきですね。選挙疲れだったのかもしれないけれど。

このままじゃ単なるグリーンメーラーってことじゃないですか、ホリエモン。



話題シリーズ11

2005年10月12日 17時58分17秒 | 社会全般
1)人権侵害救済条例

改革派知事で有名な片山知事だが、随分と思い切った判断をしたと思う。条例の中身についてはよく判りませんが、例の人権擁護法案と関係しているので、これからこの条例の運用については注目されることは間違いないでしょうね。多分条例案自体は法案提出が断念された人権擁護法案とほぼ類似しているのでしょう。

Sankei Web 社会 都道府県初の人権条例成立 鳥取県、氏名公表で社会的制裁(10/12 12:25)


この記事によれば、「「行政機関による人権侵害を引き起こす可能性が極めて高く、憲法違反の恐れがある」との反対声明を発表。有識者の間では、委員会の独立性や表現の自由に対する侵害などを問題視する声が強い。」とのことで、人権問題にはうるさい弁護士会が反対表明ということになれば、それなりに”危険性”が内包されていると考えられるのではないかな?まあ、法の専門家の判断ですから、素人の私には分からないですけれども。


それと、「有識者の間では~」というのは、この条例についての評価を誰かがしたのかもしれませんが、産経新聞らしい言い回し(笑)ということなのかもしれません。私もかなり以前に書いていたように人権擁護法案反対派ですから、人のことは言えないですが。慎重な判断が求められるということに変わりはないですね。今後初適用となった事例などは、注目を集めるかもしれませんね。


2)日銀金融政策決定会合

最近話題に上っていた量的緩和問題ですけれども、こちらはまだ継続という判断となったようです。反対者は2名(水野氏、福間氏)とのことでした。来年あたりの転換見通しを決める前に、今後の金融政策については政府との政策一致というか共通認識が必要ですね。

Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <日銀>金融政策の現状維持を決定


平ちゃんや谷垣くんも、「介入せず」ということは必要ですけれども、最重要政策目標として「断固としてデフレをなくす」という明確な意思表示とか、経済・財政担当閣僚の「強い要請」とか、「審議会の意見という形で言わせる」という手もあるのですから、政治的な面と政策理論的な面と両方から詰めていくべきだろうと思います。特に谷垣くんは、財務大臣ですから、平ちゃんに負けないようにガンバレ(笑)。諮問会議の意見を伝書鳩みたいに伝えるだけでは、強いリーダーとは言えないぞ。


3)立花隆氏はブレやすいのか?

finalventさんも今日取り上げておられましたが、立花氏の記事は週刊誌を拾い読みしたかのような印象を受けてしまいますね。

バックナンバー - nikkeibp.jp - 立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」


郵政法案否決前から思っていましたが、「解散総選挙になれば自民党は大敗北の可能性大」とか「小泉新党がどうした」だの、色々言ってたのに、過ぎてみればコロッと変わるのですね。来年の総裁任期後についても、あれこれ書いていますが、「小泉さんは延長する」と言ってみたり、後継では安倍氏がどうだの、竹中氏が最有力かな、とか、結局何が言いたいんだかわからんな。


そうかと思えば、「小泉さんはやる気がなくなって抜け殻のようだ」、と言ってみたり、「いや、総裁を辞めるはずがない、帝王化する」と言ってみたり、立花氏の考えが何処にあるのかよく判りません。ですが、大体は週刊誌の記事に大きく影響を受けているような感じがします。議席予想だってそうでしたし。結局週刊誌を読んで、その記事に書いてあることに振り回されて、しょっちゅう意見が変わっているかのようなんですけど。


竹中氏は、小泉さんが退任すれば一緒に辞めるって。きっと。普通にそう思うよ。平ちゃんは小泉さんに請われて「軍師」となったが、小泉さん以外の「後ろ盾」は付かないよ。平ちゃんは所謂「政治」というある種の闘争劇が好きなわけではないし、権力志向も弱いと思うよ、多分。実際のところはよくわからんけど。一度も会ったこともないし。ですがね、平ちゃんが別な政治家の軍師となりたいと思っているとも思えないし、ましてや「自分が」という気は全然なさそうだけどね。政治に関しては、麻生親分とかの方がきっと上手だと思うよ。平ちゃんをあえて立てて、後ろに山タクがつくなんてことも有り得ないと思うけどね。政治家をいきなり辞めるかどうかは分からんけど、少なくとも大臣とかのポストからは引こうと思っているんじゃないかな。


従来のような「小泉裁定」がなければ、自民党内での平ちゃんの立場は厳しいと思うけどね。今までは小泉さんが「後ろ盾」として付いててくれたからやってこれたことは、本人が一番よく知っているよ。そういう権力闘争とかの渦中に放り込まれることは、最も嫌うタイプだと思うけどね。将来のことだからどうなるか分からんけどね、「竹中氏が有力」っていうのは、可能性ゼロではないけど、限りなくゼロではないかな、と。


はっきり言えば、「一体どっから、そういう予想が出てくるんだろ?」っていうのが私の感想ですね。
例によって、竹中氏の古くからのご友人?の言葉ですか?(笑)



医療費の分析~その2

2005年10月11日 17時43分49秒 | 社会保障問題
2)過去の医療費推移について

私には珍しく、過去の統計資料から数字を拾って計算してみました。
内閣府の各年度ごとの名目、実質GDP成長率(名目は81年度から、実質は82年度からしかデータがなかったのでそれを採用)、GDP実額(80、85、90、95、00、03年)、80年度以後の医療給付費実額(厚生労働省統計)、総人口と65歳以上人口(総務省統計局の「日本の統計」データ)などを用いています。


まず、経済財政諮問会議での民間議員達の主張にあったのは、92年ベースでの物価と医療費の相対価格比較ですけれども、あれをもって医療費の方が高くなっている、という分析だけを出すのは公平ではない、と思いますよ。何故ならば、一般企業はバブル期にボーナスを沢山もらったりしていた訳ですが、医療費の上昇率はその時からそれと同等ではなかっただろうし、中・長期的な動向を計画するのであれば、やはり検討条件も中長期的な視点で比較することが必要と思いますね。以前は私も日銀統計のGDP成長率を見ましたが(95年からの分だけだった:医療費の罠)、内閣府が過去のデータ計算が間違っていたとの報道があったように、新しく計算し直してもっと古くからのデータがありましたので、そちらを参照することにしました。



大まかに書くと次のようになっています(高齢人口とは65歳以上を指します)


年度         80     85    90    95     00    03      
GDP(兆円)     246    327   450    500    513    501
医療費(兆円)   10.7   14.3   18.4   24.1   26.0   26.6
対GDP比(%)   4.36   4.36   4.08   4.81   5.06   5.31
総人口(千人)  117060 121049 123611 125570 126926 127619
高齢人口(千人)  10647  12468  14895  18261  22005  24311
高齢人口比    0.091  0.103  0.120  0.145  0.173  0.190


あまり上手く表が作れませんけれども、ご容赦願います。
(今見たら、めちゃくちゃだ。エクセルを貼り付けたんだけれど、全くヘンになるのはなんでだろう?編集画面の表示では、大丈夫なのに・・・どうしてかな・・・
うまく表を入れる方法はないのかな?)



名目・実質GDP成長率、GDP実額、医療費実額等は毎年のデータを見てみました。
81~90年度では平均GDP成長率が、名目6.22%、実質3.75%、バブル以後の91~00年度ではそれぞれ1.35%、1.43%と低成長時代となり、01~03年度では-0.77%、1.07%と更なる低迷となっていました。

80年度と03年度を比較すると、GDP実額で2.04倍、医療費は2.48倍となっています。80-03年度の平均GDP成長率は、名目3.19%、実質2.50%でした。医療費は経済成長率を上回って増加しており、平均成長率は4.06%で、対GDP比でもそれが見てとれます。しかし、これは高齢人口比増加の影響を受けるので、増大要因を少し検討してみました。


経済財政諮問会議でご提案の「高齢化修正GDP成長率」がどの程度なのかを調べました。これは次の計算式によるものです。

高齢化修正GDP成長率=名目成長率+(高齢人口増加数÷2)/前年総人口

何故、「2で割る」のかというと、年金改革で物価スライドを取り入れたので、高齢者層への社会保障給付の半分は年金によって修正されているから(?)、ということらしいです。これはどういう数学的意味があるのか、全く判りませんけれども、一応年金で半分、医療で残り半分、という意味らしいです(本当かよ?)。03年度までは年金改革は行われていませんでしたから、この指標を以前の数字に当てはめる意味がないと思いましたので、単に高齢人口増加数/全人口で計算してみました。中期目標ということだろうと解釈しましたので、5年毎の次の計算式に変えてみました(5年間の平均増加数)。

名目成長率+高齢人口増加数(例えば85年度高齢人口-80年度高齢人口)/5/(例えば85年度総人口)

この指標を5年毎に算出すると、下表の左のようになり、右には医療費成長率をどれだけ上回っているか(指標との差)を示しました。


85年度  7.01   1.72
90年度  8.90   4.04
95年度  2.34  -2.84
00年度  1.60   3.07  
03年度  1.41   0.11  (この年度だけ3年平均で求めています)

医療費成長率との差を見ると、指標を上回った期間は95年度だけです。つまり、それまでの医療費成長率は、高齢化要因を除けば、いつも経済規模よりも不利な成長となっており、これは経済的利益を医療が求める必要がない、ということに起因しているかもしれません。逆の見方をすれば、世間の多くの人々が経済成長による利益を享受していた期間に、医療分野では利益を受けることなく過ぎてきた期間がかなりある、ということですね。諮問会議が出した高齢化修正GDP成長率にあったように、高齢人口増加数を2分の1にしたとしても、べらぼうに違ったりはしません。大体経済成長を上回る医療費の伸びとなったのは、90年代前半だけで、それ以外はほとんど経済成長の方が上回っているでしょう。これは「直ぐには消費支出が削減出来ない」というラチェット効果と似ているかもしれません。景気悪化でも、「予算は直ぐに削減出来ない」。バブル崩壊後だったので、かえって財政出動が求められていたという面もあったかもしれませんね。


次に、高齢人口の増加による医療費増大の影響を考えてみました。ちょっと変な方法ですけれども、65歳以上の層が受ける1人当たり医療費が、65歳未満の層が受ける1人当たり医療費の3倍であると仮定します(フランスなどがこれくらいの水準であるとのことで、諮問会議で出されていました。現在日本では若年層の4~5倍くらいかかっているそうです)。
すると、若年者が5人、高齢者が3人いた場合には、若年者医療費単価をa 円とすれば、トータルでは5a+3*3a=14a となります。別な時期には単価b円で若年者8人、高齢者5人ならば同様に総額は23b となりますが、aとbを比べてみて、a=bであれば医療費総額の増加は単に人口増加と高齢者比率の変化による増加であると判ります。この原理で年度毎に医療費単価を比較してみました。変な方法ですけれども、人口変動による医療費単価の変遷がおおよそ判るかなと思いますので。

ある年度の医療費をA0、総人口をN0、高齢人口比をR0、とすると、
医療費=単価×65歳未満人口+単価×3×高齢人口ですから
単価0=A0/((1+2R0)×N0)
となります。順次単価1、単価2、・・・とあれば、単価1/単価0、単価2/単価0、という比が出せます。このような具合で、基準年度を80年度とし、比をとると次表左側の数値のようになります。

年度
85   1.261   0.949
90   1.544   0.845
95   1.913   0.942
00   1.961   0.941
03   1.946   0.956

80年度を1とした単価比ではこのようになるのですが、これとGDP実額の比(経済成長)を比べると右数値のような結果なのです(85年度/80年度、90年度/80年度という具合にGDP実額の比を上のそれぞれ対応する年度と比較する)。これによれば、GDP成長割合の方が常に大きく、みなし単価(以後、こう呼ぶ)の成長はGDP成長割合よりも常に下回っているということになります。勿論、基準年を90年とかにした場合には、もうちょっと違った結果がでるかもしれないですが、諮問会議の民間議員は敢えてGDP成長率の激減となっていった92年を基準としているのは、明らかに都合の良い数値処理ということになるでしょう。それ以降に医療費が経済規模をはるかに超えて増大したことを決定付ける印象を与えていますね。しかし、この国民一人当たりの「みなし単価」の成長率を見れば、人口構成と高齢者数という変動要因を考慮すると、経済成長よりも常に低成長を強いられてきた分野ということになると思われますが。


また、現在の若年層と高齢層の医療費割合が「みなし単価」で仮定した3倍という水準から大きく乖離しているということは、政策的に誤った方向へ進んできた、ということが推測されます。もしも高齢層が若年層の4倍単価であれば、高齢人口増加が医療費増加要因としてもっと強く出てくるので、「みなし単価」は計算値よりも更に低下して経済規模よりも更に低成長であったことになるでしょう。医療費の増大は主に高齢化によるものであり、人口構成の変化が大きく影響しているのです。効率性が悪くなって費用ばかりかさむ、ということとは別なのです。


高齢層に多くの医療費がかかっているのは、医療行政上で高齢層への予算配分が、不釣合いな水準となっているからでしょうね。むしろ、若年層に今まで以上に多くの予算を配分することで全体の医療費総額が変わらなくとも、今後の人口構成変化においては有利に働くはずだろうと思います。高齢層にばかり点数を貼り付けてしまったが為に、「みなし単価」は経済成長以上に増加していないが、若年層は相対的に少ない給付とされ、その分が高齢層に回されてしまったとも考えられるでしょう。諮問会議が高齢者に5倍近くもかかるのはオカシイ、というのであれば、若年層への給付を増大させる(過去の給付水準がみなし単価によると低成長であったので)ことで、5倍から3倍程度まで縮小できますよ。それが本当の意味では正しいのではないかと思ったりしますけれども。


厚生行政の誤りによって、老人保健法が制定されて、これによって逆に若年層と高齢層への医療給付バランスが悪化した、とも考えられるでしょう。しかもその負担のしわ寄せは、保険料値上げや自己負担率上昇という形で殆どが現役世代に回されてしまったのです。その為に年金給付ばかりではなく、医療保険においても世代間格差がより一層強まったのですよ。それを今になって、給付を減らせば解決出来る、ということを主張される訳ですが、これは社会保障改革でも何でもないのではありませんか?


単に金の出所を絞るということだけです。小学校に通う児童に、「ウチは払えないから給食代は無いからね」なんてことを言うのと同じではありませんか。給食代を捻出できるように、子供も小遣い値下げを100円してくれ、その代わりに父さんがビールを買わずに我慢するから、って言うならまだ判る。だけどね、一方では爺ちゃんに小遣いをばら撒いておいて、だが給食費は払えない、ってのもオカシイでしょ?ってことを言っているんですよ。


医療費の分析~その1(追記あり)

2005年10月10日 18時57分28秒 | 社会保障問題
1)はじめに

医療費のマクロ指標に基づく総額管理が現状での課題となっている。今までにもいくつかの論点を提示してきましたが、経済財政諮問会議の意向としては、まず削減という方向性に変更はないようです。これはミクロ的にはある程度止むを得ない面もあります。抵抗勢力と目されている厚生労働省や族議員、医師会等の抵抗を排除したという実績が形としてもまず求められる、ということは政治的側面で見れば理解出来得ることではあります。しかしながら、見せしめ的な予算カットというのは、短期的に相当額をもって行えばそれなりの弊害も多くなってくるでしょう。


現在考慮されている5%水準のカット幅というのは、例えば小売でいえば百貨店とコンビニの合計年間売上高約15兆円を単年度で2.5%抑制するというものです。売上高経常(or純)利益率がどの程度か分りませんけれども、普通は数%以下でしょう。例えば老舗の三越さんだって売上高純利益率は僅か1.25%しかありません。イオンでは0.11%、収益力の強いとされる伊勢丹でも2.56%でしかありません。つまり、年間市場規模30兆円のうち、売上高5%カットで1.5兆円の給付削減、国庫負担レベルでは3500億円削減程度の効果しか持たなくとも、市場全体で見れば相当厳しいカットと言えます。


物販や製造業などでは、好景気などによって増益となる年も勿論有り得ますし、今の鉄鋼業界のような特需要因も発生する場合があります。しかし、医療というのは、景気が良くなったからといって、もっと病気になってみようかな、という人もいないでしょうし、景気がいいのでもっと薬代を払いますよ、とかっていうこともないのです。ボーナスが増額されるということもありません。基本的に、そういう景気動向とは無関係に運営されているのです。


前から言っていますが、もしも経営的にもっと改善の余地があり、上手く運営すれば単純に売上高を削っても運営できるんだ、というならば、まず見本を見せてくださいよ、と申し上げている訳ですが、これもおやりにならない。現実に公的病院等の全ての補助金を切って運営させてみればよいのです。勿論施設整備費とか補給金などを全部切っても、普通に運営できるはずですよね。どうしてそれをおやりにならないのですか?きちんと運営できるビジネスモデルを見せてくださいよ、と申し上げているのです。剰余利益がないということは、いずれ建物がボロくなったりしても建替費用もない、新しい医療機器も買えない、と、そういうことなのですね。



構造的問題もありますし、一部には労働集約型の産業に人員を多くとるのは労働生産性が落ちるのでよろしくない、というご意見もあるようです。確かにそういう業種に多くの人員を充てるというのは、日本全体で見ればよくない面もあるかもしれませんね。しかしながら、日本人全員が高い労働生産性だけの業種に従事しているかというと全く違いますし、能力が全員同じであればそりゃカッコイイ「カタカナ職業」とか、多額の金を右から左へと動かすような大きな取引などだけの職業に全員が就けばよいのです。やれるもんならやってみろ、と言いたいですけれども。はっきり言えば、半分以上の国民は、そんな大きな仕事はやっていないし、生産性が高い職種などに就けるほど求人需要もないだろうと思いますよ。もっと限定して、就業人口の半分以上はそんな職業になんて従事していない、ということを言っているんですよ。もっと切実な問題で、固定給がもらえるかどうかの瀬戸際の人々は沢山いるかもしれませんけれども。


労働集約型産業に雇用を増やしてそこに多くの人員が就業するのはよくない、と言った人は誰か発表して欲しいですね。どこのドイツが言ったのか、教えて欲しいものです。それならば、「お前が高い労働生産性の基幹産業を作れ。就業の需要を満たせるような環境を作ってみろ」って直接言ってあげますよ。多くの人々は、それはキレイな服を着て、手も汚れず、高い給料を貰えるクリエイティブなカッコイイ仕事に就きたいと願っていることでしょう。普通にそう思いますよ。ですがね、世の中そんなに甘くはないでしょうよ。何処にそんな仕事が余っていて、求人不足の業種がありますか?是非教えて欲しいですよ。今後、そういう仕事がごっそり余り、例えば今までフリーターやニートだった人とか結婚・出産後の女性や定年退職後の人達も生産性の高い仕事に就けるなら、そりゃもう大喜びですよ。労働集約型産業以外に、生産性の高い就業先をキッチリ用意してくれるでしょうから、そういう優秀な人には是非とも厚生労働大臣になってもらい、雇用・労働問題を解決して欲しいですね。絶対応援してあげますから。ですので、是非教えて欲しいということですね。


頭で考えたり、知識として知っていることは大切だし、理論として大事なことも沢山あるでしょうね。ですが、社会の底辺を見たことも聞いたこともなくて、多くの人々がどうやって仕事をし、生活しているかがまるで思い浮かばないか、知らないか、想像力すらない人が、政策を考える時には、こういうことをまず言うんですよ。労働集約型産業について、教科書的一般論を言うのは学生でも出来るんだっての。教科書通りで何でも解決出来るんだったら、誰も苦労はしないだろ。誰も失業しないし、失業で苦しんだりせずに済むんだっての。


医療や介護の需要は今後も大幅に減少したりはしない。人口比で65歳以上が今の20%くらいから30%超になっていく過程では、2400万人から3600万人に増加していく。疾病率が多少は減少したとしても(予防効果などで)、病気の人が半分以下などには直ぐになったりしない。つまり、同じ病気になる実人数が普通に言えば1.5倍となるけれども、うまく予防できて発病を2割削減できたとしても、1.2倍に増加する。例えば脳血管障害患者(所謂脳卒中とか)が現在毎年30万人ずつ発病(全くのいい加減な数字ですから。実情は知りませんから)だとすると、3600万人時代には今と同じに行けば年45万人に増えるが予防がうまく行って9万人減らせたとしても36万人は発病することになるのである。この36万人に対する治療やケアなどが不必要になるわけではなく、現在の医療サービス、例えば看護師1人当たりの受け持ち患者数が限界である時、必ず看護師の増員が必要となるのです。介護にしても、如何に効率化を図るといったって、1人の職員が一定限度以上のサービスを物理的に担当出来ないということです。ケアマネージャーだって、受け持ちを1人で千人とかには出来ない、ということです。結局そこには人員配置が必要になるということを言っているのですよ。


その時に、専門職の1人当たり単価の高い人員(例えば医師、看護師、薬剤師、・・・)を全部に今と同様に配置するよりも、専門性はやや劣るが単価の低い人員を配置する方が有利だ、ということを言っているのです。前にも書きましたが、専門性によって仕事の壁が作られている、これを少し弾力化して人件費抑制に作用させた方が、事故も防げるようになるかもしれないし、サービス自体は向上するかもしれないですよ、ということを言っているんです。予算の関係で総額をキャップ制にして抑制したからといって、医療サービスの総量自体を大幅に減少させられるというものでもないでしょう、と言っているんですよ。


医療・介護への予算を削減すればそこへの雇用も減らせるし、生産性の低い労働集約的産業に人口減少で貴重となるであろう人的資源を配分するべきではない、と主張するのであれば、それなりの適正化策を出せと言いたい。いっそ、全国の均等な計画的配置に変えることにしたまえ。人口当たりで担当ゾーンを設定して、圏外には受診できないようにして全医療関係従事者の仕事量を均等化するんですね。それをやっても、一人当たり仕事量にはバラツキがあるけれど、でも最大の限界仕事量に最も近づけるかもしれんぞ?


前に書いたが、団塊世代引退などで、これから10年で700万人以上退職するから空きは出来る。次の10年で500万人が労働人口(15~65歳)から減る。この時に、どれ位の需要があるか、だな。被用者保険に加入しているのは、現在でも高々4千数百万人くらいだろう。非正規雇用者などが高齢就業者に置き換わっていけば、正規の雇用は条件がよくなるかもしれないが、女性が就業を続ける環境さえ整えば、空きが大幅に増えるということもないのではないか。2025年頃では、ざっと言うと総人口1億2100万人で、うち65歳以上が3470万人くらい、15~65歳が7230万人だ。現在仕事をしているのは、6400万人くらい。15~22歳のうち学校に行く人もかなり多いので、その分ざっと800万人を引くと6230万人となるな。男女比が半分で女性の就業率が7割とする、女性労働者数が2180万人、男性3115万人の合計約5300万人となる。他に22歳以下の就業者が約3割とすると240万人だから、合計5540万人となる。65歳以上の2割が就業すると約690万人となって、合計6230万人ということになりますね。これは90年頃とか05年の第一4半期の就業者数と大体同じくらいだ。つまり過剰雇用感が大体解消されていく、女性は大体働く、という時代に入ることになるでしょうね。


長くなったので、一度載せます。


追記:

また追加で申し訳ありませんが、この数十年間平均寿命は延び続けました。これはどういう意味を持っているのか、経済学者はどのように考えているのでしょうか?


医療水準の上昇によって、国民の生命と時間を得るコストを医療費という形で支払ってきたとも考えられるのではないでしょうか。これは医療費の価値が昔と同じである時、得られた成果がそのまま資産という形で残っていることと同じと考えることは出来ないでしょうか。つまり、30年前に仮に1万円という費用がかかっていて、今それと同じサービスが2万5千円である時、30年前の経済水準と今の経済水準で比較して、同じように2.5倍になっているとしたら、30年前に60歳の寿命であれば今も60歳であってもよいわけです。これが80歳に延長されている場合には、20歳増加分について医療サービスのコストが上昇していても当然と考えられるのではないかと思いますが。この20歳延長という価値をどのように評価するかということですね。


また、寿命が延長されれば、医療費は当然のことながら増大します。1人当たりの生涯医療費は増大してしまうということです。判りやすいのは、ガンでしょうね。現在の死因で多いのは悪性新生物です。つまりはガンとかの悪性腫瘍で亡くなる方が多い、ということです。加齢によってガンの発生率は高くなることが知られています。長生きする人が増えれば増えるほど、こうしたガンの患者数は増加してしまいます。人口増加には影響されずに、ということです。ですから、仮に昭和10年生まれの人と、昭和25年生まれの人をそれぞれ100万人ずつ調べてみると、1人当たり生涯医療費を比較すれば(物価がどちらも同じで一定であるとして)後者の方が多くなってしまうでしょう。それだけ長く生きる人が多いからです。


この他、救命できる病気が増えれば、これも医療費の増大要因となり得ます。例えば結核等の感染症で死亡する人が減少すれば、昔みたいに早死にしないので、その後にガンとか心臓病で死亡したりすることになると生涯医療費は増大するでしょう。最も影響しそうなのは脳血管障害でしょうか。救命出来るようになればなるほど、大きな機能障害は残りながらもその後に生活していくことが出来る人が増えます。これによって、原疾患の医療費もそうですし、他の病気になったり、リハビリや介護の為の費用もかさむことになります。つまり助かる人が増加することによって、逆に生涯医療費は増えていくことになるのです。一生健康で過ごして、ポックリ死ぬことなど多くはないのです。産業事故などの死亡減少(炭鉱事故とか鉄道事故・・・などかな)とか若年時代の病気(例えば遺伝性疾患や先天性疾患)での死亡が減少したりとか、そういうことでも生涯医療費は増加することになります。


このようにしてみると、医療水準が向上してきたことによって1人当たりの生涯医療費が増加することになってしまいます。それは助けるということに起因しています。電卓やコンピュータの性能などに見られるように、昔よりもはるかに安くなり、品質向上もあったような産業というものは、目に見える形で(=物質的な形で)残されてきたし、大きな利益を生み出してきました。ところが医療というのは、あまり目に見える形としては残っておらず、利益もそれほど生み出してはこなかったかもしれません。それは国民の生命や健康などという判り難い形としてその成果が残されてきたということです。寿命という時間を得る為の対価として医療費コストが消費されてきたことを考えると、この経済学的評価はどのようなものなのか、私には判りません。


「その1」ということにしましたので、次の「その2」では実際の数字を挙げて検討してみたいと思います。



谷垣大臣の試練

2005年10月10日 13時28分27秒 | 社会全般
次期候補の1人と目される谷垣君だが、政府系金融機関改革で真価が問われることになるだろう。内閣改造でも勿論そこにポイントが置かれることになる。即ち、主導権を握る財務官僚という壁を乗り越えられる力が、本当に発揮出来るかどうかということが最も重要となるのだ。今まで財務大臣として「助さん角さん」の役割を担い、小泉総理を支えてきたが、ここで勝負できなければ次の総裁の目はないと見るのが当然だろう。


先日の「所詮、数合わせと言われる非難が目に見えている。(数に囚われるよりも)何が必要か、不要か機能についての議論をまずやらないといけない。そこをやらないと、初めに数を言うと、どうやったって数合わせと言われるんですよ」(大体こんな感じのコメントだった)という発言は、記者諸君にとっても「物議を醸す」内容と受け止められただろう。それ故、一斉に他の閣僚の意見も並べられて、谷垣君の”抵抗姿勢”が報じられた形となった。谷垣君の真意は何処に置かれているのかは不明だ。最終的に一つにまとめることを念頭に入れた上で、敢えて各論的な意見を出させ「官僚の抵抗が強く、非常に難しい状況」ながらも最終的に「自らが指導力を発揮」した結果、うまく一つにまとめられたという結果を演出したいのかな?小泉総理は既に「一つにした方がいい」と口を滑らせてしまっており、このままだと小泉総理が一つと言ったからそうなった、と思われてしまって、谷垣君は何の手柄にもならないと思われそうだし。


竹中大臣も早速「規模半減、(融資業務を)分ける必要性はない(=一つでいい)、普通の銀行だって、農家の人・漁業の人だけって分れていないですから」という牽制球を投げたようですし。中川、岩永大臣も慎重論的発言が相次いだ(反対という訳ではないが)。各省庁も巻き込んだ、縄張り争奪戦の様相を呈するということになるでしょうか。最終的に一つに統合縮小された場合には、勿論財務省管理下に置かれることになる訳で(どう見てもそれが普通だろうという予想)、他の省庁からは反発が必至だろうね。何処も手放したくないですし、皆が嫌いな(笑)財務省に手放さねばならない訳ですから。


この他にも、以前に取り上げた財形融資、小規模共済運営に関わる融資、この他年金財源の融資など、制度的にあれこれ金融業務があちこちに存在しているのも、整理をつけた方がいいですよ。こんなのは、制度融資みたいなシステムさえあれば、わざわざ官業としてやらなくても可能なものも多いですし。官業内部でも同じような仕組みがいくつもあるなんて、本来的にはオカシイですね。国民から徴収したお金をどういう形で管理・運営するか根本的な整理をつけていかないと、あちこちの省庁でバラバラに融資業務や運用を行うというのが余りに非効率なんですから。


諮問会議では、ワーキンググループを作って、当面の機能論を詰めていくということのようですから、谷垣&竹中の綱引きとなるかもしれないですね。谷垣大臣としては、財務省内部をガッチリ抑えて、政治手腕を見せなければ今後の指導力に疑問符がつくことになりますよ。もしもワーキンググループ内で平ちゃんに突っ込まれるような事態になれば、諮問会議に上げた時には「尾辻さん状態」(笑)になるかもしれないな。まあ、谷垣君はいろいろ考えているはずだろう。でも、これだけは言っておきたい。財務省官僚は細川次官をはじめとして、決して一筋縄ではいかないだろうし抵抗もかなり強いはずだが、争点を常にオープンにするようにして、谷垣発言が外に向かえば負けはないと思う。全部失くせ、という議論をしたいとは思わないが、ポスト温存とか組織防衛の為の議論に終始するようなことは、許すべきではない。役所は必ず「~~確保の為に必要」とかってもっともらしいことを主張するはずだ。何故なら、不必要ならば今までの存在意義・業務は全て根底から崩れ去ってしまうからだ。


けれども、現実には他の代替機能とか制度整備によって不要に出来得るはずで、残すとしても大枠の意味で政府系金融が一つあれば十分、ってところは双方の落し所となるだろう。それでも全廃よりはマシだろう。それと、ありがちなのが、看板は一つになったけれど、中身は昔のまんま、というのも多いですから、8つが1つになる以上は組織規模の上でも相当の絞込みを課さなければダメですね。監事が8人とかっていうのもやめてもらいたいですね。総裁・副総裁や理事(そういうポストかどうか分りませんけれども、他の公庫公団等ではそうですね)等々も人数そのまま温存とかっていうのもナシですから。役人は、組織統合で3つを1つにすると、ポストを3つとも残そうとしますから、こういうのを削減することが必要ですね。


そういえば住宅金融公庫廃止に関係するか分らないが、最近妙に思うことがある。各民間銀行はやけに貸出金利の低い住宅ローンを投入してきているが、これはどういった経緯なのか不明だ。個人融資拡大狙いなのかもしれないけれど、ローン債権化業務をとりあえず拡大して将来の組織存続の正当化?とか、不良債権比率を下げようとしているのか、何だか分らないけど、住宅ローン販売競争が繰り広げられているかのようです。ネットの広告にもよく登場していますし。現在は住宅投資がそれほど多いのかどうか知りませんけれども、借り換えにしても随分と低金利で、果たして利ざやが取れるのか不思議ではある。融資先がなくて、銀行の金が余って困っているのかもしれませんけれども。住宅金融公庫からの「掛け声」で、どんどん売って下さいよ~こっちで買い取りますから・・・ってな具合で、やっているわけではないんですよね?


今後の政府系金融機関に絡んで、統廃合問題は今年後半の重要課題であることは間違いないでしょう。


それから本題とは関係ないですが、細田官房長官は三位一体改革では色々と骨折りをされたのだろうと思いますが、「交付金化」して遣い勝手が良くなった面があったんじゃないかと考えていたのに、全国市長会長からは「全然良くなってない、補助金・交付金を廃止してもらわないと」と全否定されてしまい、ガッカリしたようで可哀想でした(笑)。細田さんは「うまくいってるところも少しはあるんじゃないかと、ちょっとは褒めてもらえると思って聞いてみたのに・・・」(ションボリ)という具合だったようです。落ち込まずに頑張って下さい(笑)


追加:

先日書いた中小企業基盤整備機構についてですけれども、この貸出業務を強化するという発表が記事に出ていました。随分と早い反応(?)ですな。まさか連休中にどうするか考えてたとか?私が記事に書いたのが6日ですが、下の発表は官庁発表なのに敢えて平日ではなくて、祭日の今日10日に記事発表なんて少し変ですね。本当に単なる偶然かもしれませんけれども(笑)。存在意義を無理やり見つけ出そうとしているかのようですよ、何となく。こういう融資業務もきちんと整理をつけるべきですね。

NIKKEI NET:経済ニュース

この記事より一部抜粋します。

中小企業の経営者が退職金を積み立てる「小規模企業共済」に加入して1年を超えた事業者を対象にする。融資額は最大で1000万円。中小企業基盤整備機構に午前中に申し込めば、午後には商工中金の本支店が資金を貸し出す。中小企業に当面のつなぎ資金を供給し、災害による不慮の倒産が起きないようにする。


急な構想なんじゃないか、と思いますね。もしも、私が記事に書いたのとこの発表が単なる偶然で同時期だとしたら、私は相当いい勘をしていることになりますね(笑)。でも、特に経済産業省が嫌いな訳ではありませんよ。e-japanも頑張って欲しいし、電子カルテ化構想は、一体的に進めていって欲しいと思っております。厚生労働省だけでは出来ないことだろうと思うし。省庁間で協力してやって下さればよろしいかと。