いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

官の意識改革は可能か

2005年10月09日 13時55分04秒 | 社会全般
今まで放置されていた話題ですけれども、先日ノーベル経済学賞の予想についての記事を田中秀臣先生からTB頂いていたのですが、門外漢の私には何のことやらさっぱり分らず、当然のことながら何方が受賞されても、「ああそうか」くらいしか分りません(笑)。米国の有力大学の幾つかは、学内に普通にノーベル賞受賞者が何人かスタスタ歩いているという光景は普通のようで、受賞者以外は肩身の狭い思いをしたり、資金集めの力が違うということから教授格差を生じていたり、ということもあるかもしれません。「彼とこの人とあの人は経済学の受賞者で、あっちと向こうは医学・生理学の受賞者だよ」というのも、凄いことだと思います。日本はそういう意味では「まだまだだね」(エチゼン君風)ということなんだろうと思います。


それから、いつも拝読させて頂いているbewaadさんからもTB頂いていましたが、総務省の予算獲得については私の方で何か語るべきものもございませんので、特段の回答というものもないことをご容赦頂ければと思います。わざわざ有難うございました。

最近の論点としては、①国の債務の問題、②日銀の金融政策問題、③これらに関連した財政政策及び政府の責務、といったところが取り上げられているようですが、それらについての記事は既に書いてきましたので、改めて何か言うべきこともございません。今までに記事から色々と勉強させて頂きましたので、目標とするべき政策は共通するものもあると思います。しかし、政治的な、或いはその他基本的考え方においては、乗り越えられない隔たりが存在するのであろうと思います。個々の考え方に違いがあったとしても、それはそれでいいのではないかとも思っております。全くの部外者である馬の骨的な私と、行政府内部におられるbewaadさんは立場上も全く異なる訳ですから、ご自身なりの実現方法をおとりになられればよいと思います。




前置きが長くなりましたが、一部の方々には、私が公務員を目の敵にしている(笑)かのような誤解を与えているかもしれませんが、そういうことはありません。ただ批判の矛先を向けられた、政治家諸氏をはじめ、何度か引き合いに出された漆間警察庁長官、細川財務次官、森本会計検査院長などは苦々しく思っておられることでしょう(読んでないから知らないか。もし読んでいたら「このブタ野郎」と怒っておられるはずです。その他大勢の方々にとってもそうかもしれませんが)。ですが、組織の防衛の為とか以前の不備・失敗等の隠蔽やごまかしでは、何も良くなっていかないことはよくご存知であろうと思います。「変えられない」という組織上層部の姿勢こそが「変えていこう」に変わらなければ、組織がよくなることはないのです。彼らは一様に「こちらは悪くない」「それは出来ない」「失敗ではなかった」「過去の歴史が・・・」というようなことを公言する訳です。本質的問題として「改革が良いとは限らないんだ」という主張もよくなされる訳ですが、何も変えなくてよいならば当の昔に多くの問題が解決できたはずであり、現状がベストな行政であって、現在取り上げられる問題のようなことが発生し得ないわけです。


ところが多くの問題があって、現実にこれではダメですよ、改めて下さいね、と申し上げている訳ですが、学歴もキャリアも人並みはずれて立派であるのに、普通に考えれば誰しも思いつくようなことさえも、何故だか「それは出来ない」「改められない」という主張をされるのですね。根底には「政治家が悪いのだ、公務員は悪くない、政治家が悪い法を決めたからだ」というようなことを思っておられるのかもしれませんが、法の条文には特別悪いことなんか書いてあることなんて多くないと思いますよ。勿論、時には悪法も存在するかもしれませんが(専門外なので評価できませんけれども)、行政実務においては多くが公務員の裁量権とか解釈・適用に問題があるのではありませんか?組織上層部が改めようとしない限り、部下達が勝手に改革を推進できるはずもないでしょう。そういう組織体質を、上に立つ人間こそが率先して変えていく範を示すべきではないか、という意味で常々申し上げてきたのです。


本来、組織内部の人間こそがよく分るだろうし、変えていけるはずなのですよ。「お前らのような部外者に何が判る」と思うのであればなおのこと、自分達で変えない限り前進しては行けないでしょう。それとも天邪鬼的に、「変えろ」と言われれば言われるほど、「変えたくない」と頑張りたくなるものなのでしょうか?意識改革を行うことなど、最もコストも(法改正のような)手間もかからずに出来うる方策だと思いますよ。だって、まず上層部数人が頑張って考え方を変えればいいのですから。そうすれば、優秀な部下達が集められている訳ですから、直ぐに上司の考えや姿勢を汲み取ってくれますよ。それだけ立派な人材を集めてきたではありませんか。


政治家達は大きく様変わりしましたよ。これはトップの考え方が大きく変わったからであり、その成果は今のような政治に現れてきたと思っています。国民にもかなりの部分がオープンになってきて、情報共有が進められました。経済財政諮問会議等を含めて、政策決定過程が国民にも見える形となってきたことは、政治的に大きな成果をもたらしました。今回の選挙によっても、大きく前進したではありませんか。変われない政治家達の多くは退場を余儀なくされ、厳しい国民審判が待っていたのですから。「じゃあ、小泉チルドレンを大量に産んだのが良かったのか」という意見もあるやもしれませんが、色のあまり付いていない議員達が多くなったことで、過去の政治との決別というスタートラインにとりあえず立つことが出来たのです。新しい政治・統治システムを目指しましょう、というものが国民の意思として表現された結果だろうと思うのです。政官業構造の、政や業は僅かかもしれませんが、変わりつつあるのですよ。とり残された部分は、官だろうと思いますよ、やっぱり。強制されてしぶしぶ認めるから、外圧は強まるのです。自ら率先して変えていれば、こんな事態は招くことがなかったんじゃないか、と今でも思っていますよ。昨年の抵抗が強すぎた反動なのかもしれません。


公取や会計検査院は、百点満点とは評価されていないと思いますが、それでも随分と頑張るようになっています。彼らは色々な意味で、「不可侵領域」と思われるような部分にも勇気を持って踏み込んで行きました。これは何となくの感覚でしかありませんが、「このままではイカン。やるべきこと、求められていることをちゃんとやろう、信頼を得られるようにやって行こう」という、決意のようなものがあるように感じ取れますよ。実際には「そんな奇麗事なんかじゃないんだよ、本当は違うんだよ」という内部的意見もひょっとすると存在するかもしれませんけれども、私には以前よりも頑張っているように思えます。


総務省も不本意ではあったと思いますが、幹部更迭という試練を受けましたけれども、それでも政策評価の適正化、情報公開推進、行政手続法改正などでも、結果を出そうとそれなりに努力してきたと思いますよ。これらについては既に記事にも書いてきました。きっと一部には変えなくちゃいけない、と思っておられる官僚達もきっと存在するのだろうと感じます。

それであればなお一層、各省庁の幹部は「共に変わっていくぞ」という決意を示していくことが求められるはずだろう、と思います。一部の人がいくら頑張ろうと思っても、他の部分の人々が足を引っ張れば、やっぱりレッテルとして「役人はダメだ、なっちゃいない。リストラだ、リストラ。民間人はリストラに遭って苦しんだのだから、お前達も同じ苦しみを味わえ」というような強烈な意見が強くなっていくことになります。

(確かに一部には、自分が苦しむ時に他の人々にも同じ苦しみを求める人も存在するかもしれません。自らの不幸が他人の不幸によって多少癒されるという恐ろしい感覚です。本当の原因は自分にあるかもしれないが、それを認めず他人のせいにしてしまい、「俺が貧乏なのはお前が金持ちだからだ」という倒錯した感性を持つのかもしれませんが、心理学には無縁ですので判りません)


今後の官の意識改革実現こそが、公務員達の存在意義を高める唯一の方法だろうと思っています。



個人の資質を疑う前に、メディアの質を疑うべき

2005年10月08日 14時36分38秒 | 社会全般
公募記事を書いたことで先日の報知新聞に続き、朝日新聞の記者の方から連絡を頂いた。残念ながら記事の締め切りがあったようで、折角ご質問を受けたのだが、こちらの返答が遅くて新聞記事には間に合わなかったらしい。まあ、それは大した問題ではないのですけれども。


報知と朝日の記者の方が同じ質問をされましたが、それは杉村議員のことについてでした。今の世間の関心事であることは当然なのでしょうけれども、どうもメディアの姿勢に疑問を感じざるを得ない部分があります。私はどちらの記者さんにも同じような回答をしたのですけれども、だいたい次のようなものでした。

朝日新聞の記者の方にメールで書いたのですけれども、それを載せておきます。

杉村議員がダメという評価は私には出来ません。何故なら、私が彼よりも優れているなどとは自分で評価することが出来ないからです。テレビをはじめとするメディアが格好の餌食として追い回しているだけのように見え、同情的ではあります。議員を評価するのは、国民であり、選挙民であろうと考えていますので、次の選挙までの議員活動をよく見て評価するべきことだろうと思います。高齢の元職議員などが当選したりもしてますが、議員らしい振る舞いは得意かもしれないが、杉村議員以上に国民に不利益をもたらしたり、悪しき政治に組してきたのは、実はそういった過去の政治家達なのではありませんか?見た目とか、ちょっとした言動に目を向けることも多少は必要でしょうけれども、国会議員が国民の為に何をしてくれるか、どういう働き・仕事をするか、それが重要なのであり、面白がって議員個人の報道を続けるメディアのレベルが知れるというものです。公募制度というものが欠陥なのではなく、選挙制度に根本的問題があると考えるべきだろうと思います。


このように回答させて頂きました。
一部には、「何故あんな候補を選んだのか」「国会議員としてなっていない」という批判が出るのは、確かにそういう面は多少あるかもしれません。ですが、必要以上に不備を探せば誰だって幾つかは笑われてしまうような部分があると思いますよ。それに、公募候補というのは、確かに優秀な方々や立派なキャリアを積んできた方々がおられますが、政治的実績がないことは大体みんな同じなのです。メディアが個人の能力や資質について全議員の正確な評価をしているのかというと、決してそんなことはないでしょう。過去の政治歴がある方々は、杉村議員よりも実績があるかもしれませんし、資質が素晴らしいということなのかもしれませんけれども、現実には政治的犯罪に関与したとされるような方も存在するわけで、そういう国会議員が果たして杉村氏よりもはるかに立派で議員の適格性を満たすものと考えておられるのでしょうか?過去の政治に多くの問題があったと批判するならば、最も指弾されるべきは議員に成りたての杉村氏などではなく、従来から議員として良い結果を残せなかった方々なのではありませんか?そういう部分に目を向けさせるでもなく、若きチャレンジャーを好奇の目で取り上げるメディアこそ、最も愚かな振る舞いなのではありませんか?


少なくとも私個人の評価としては、どの国会議員の方々もこれからの”仕事”にかかっていると考えております。特別に個人をショー化して、「劇場型」を演出する必要性はないと思いますが。メディアのオカシイところは、小泉さんの手法を「劇場型」「マスメディア利用型」などと批判を繰り返すのですが、最もそれに加担しているのはメディア自身ではありませんか。もしも、小選挙区で選出されない議員について何か問題があると考えるならば、選挙制度についての厳しい検証をするなり、次の選挙へ向けての選挙制度改革のキャンペーンを張るとか、そういった取り組みこそジャーナリズムに求められているのではありませんか?


昨日片山氏、佐藤氏、赤沢氏が委員会質疑に立ちましたけれども、どのテレビ局も赤沢氏の映像を流してはいなかったように思います。前2者ばかりを強調して報道する。予想はしていましたが、全く見かけませんでしたよ(国会中継では、映っていたでしょうけど見てないので分りません)。ニュースで赤沢議員をどれほど放映しましたか?毎日配信の記事(ベテランとルーキーのリンク先にあります)にしても、赤沢氏の論点や評価さえ割愛されていて、他方佐藤氏の「バッチリメーク」などというバカな言辞を並べ立てる記事にも呆れるばかりです。こんな面白可笑しく書いている、3流演劇の寸評記事みたいなのが、ジャーナリズムに求められているとでも言うのでしょうか?


対案として提出された民主党案について、どこの新聞記事にも、国民に分りやすく報道している記事がない。民主党案と政府案では、どこがどのように違って、将来像はどうなるか、郵政公社はどういう違った道を歩むのか、そういった論評がまるで出されていない。これでは、いかに国会論戦で双方がまともに取り組もうとしたって、国民にはその議論さえ中々理解出来ないでしょう。報道に求められるのは、新人の小泉チルドレンがどういうメークをしたか、などではなくて、質疑の正確な論点であり、改革案の選択肢の明示なのですよ。政府案に取り入れた方が良い部分とか、修正すべき点として参考に出来る点などはなかったのか、そういう検証などをするのが報道ではありませんか。新人議員のデビュー戦がどうだったのか、そういう視点でも報道されていいとは思いますが、ならば、赤沢氏を外すのはオカシイですね。これこそ偏向でしょうよ。それから、否決前の審議過程での委員会質疑と、どういった点で異なることがあったのか、以前質問に立った議員と違う質問事項が何で争点は何処に移っているか、民主党案に欠けている部分は何か、いくらでも報道するべき事があるはずです。そういうことがまるで考慮されない報道に、何が期待できるでしょうか?


メディアにこそ多様性と、モノマネではない言論が必要ですね。どこもかしこも同じように特定の議員を描き出す報道ではない、別な視点を持って欲しいものです。


追加:
前の記事に頂いたコメントのリンク先でも、そのように感じる方がおられたのだと思いました。


また追加ですけれども、今日の朝日新聞を買って読んでみました。すると、民主党案についての説明が一応図になっていて、記事に触れられていました。なので、全ての新聞記事に説明がなかった訳ではないようでした。スミマセン。

私のブログのこともちょこっと出てました。有難うございました。



ベテランとルーキー

2005年10月07日 21時52分14秒 | 社会全般
今日の国会に注目の新人議員が登場したとのことです。例の片山氏、佐藤氏と、刺身のツマにされたような元郵政公社部長の赤沢氏だったそうです。早い段階での登板は、今後の人事の「地ならし」要素としたいんでしょうか?まあ、余計な勘繰りは無用でございましょうが。


新人議員にしては異例の抜擢だそうで、そうりゃま、そうだろうな、と思う。優秀な人達ですから、能力を活かして国会活動に臨んで頂ければ、国民の為にもなるかもしれません。料理の専門家は、「食育」以外は関心がないようで、国会に出席せずに他のイベント活動に参加されていたようで、議員婦人はそれなりに議員の「楽さ」とか「ズル休み術」とかを新人にして心得ているのかもしれませんね。

Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <刺客・藤野議員>「郵政」本会議欠席してトークショーに


これは「新人議員もいろいろ」(by 小泉さん風)ということでいいとして、委員会質疑を見た自民党ベテラン議員のコメントが余りに「情けない」ものだったので、笑えた。この議員さんが誰なのかは知りませんが、普通はこんな甘いもんなんでしょうか?リップサービスにしても、「ヨイショ」が過ぎやしませんか?

Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <女刺客>片山、佐藤議員デビュー 民主に論戦、かみあわず


この記事によれば、ベテラン議員曰く、「「素晴らしかった。専門知識を持って鋭い質問をしていた。新人としては出色だね。今までこういう人材は民主党に行っていたが、自民党も多士済々になった」とベタぼめだった。」とのこと。こんなことを言っているようでは、このベテラン議員自身の能力の程度を示してしまったのではないかと思いますが。


普通、プロスポーツなどでもルーキーが活躍したりしますよね。プロ野球だって、高卒ルーキーでも特別な能力を持つ松坂みたいな選手もいるので、プロとしての競争によってそれまでのベテランと呼ばれる人々も負けてしまうことも確かにある。宮里愛ちゃんだって、経験年数のもっと多いプロゴルファーとの競争の中でも、優勝を何回もして賞金を稼いでいますね。そりゃ、能力のある人材はルーキーであろうが、経験年数にも関係なく活躍します。ですが、その裏側には何があるのか?


競争に負ければ、ひっそりと引退を余儀なくされる選手が出たり、賞金を稼げないプロがゴロゴロいたり、そういう厳しい環境に置かれる訳です。はっきり言えば、若く経験の浅いルーキーに「ひねられる」ことで、それまで捧げてきたプロ人生が覆される訳です。これは厳しい競争なので仕方がない。ルーキーが活躍するということは、その陰で誰かは「退場」となっていく訳です。国会議員さんにしても、確かに経験豊富な守旧派議員達や野党議員達が討ち取られていきましたね。ルーキーにとって代わられた。それはそうだが、国会での質疑とか野党とのせめぎ合いなどというものは、ベテランが上回っていて当たり前なんじゃないのかな?だって、質問に立ったルーキーは未経験者達ばかりなんですよ?

プロゴルファーが、今までゴルフを一度もやったことのない人に敗れるようなもんです。プロのルーキーじゃなくて、全くのド素人ということですよ?だって、国会議員経験なんてないでしょ?ルーキーがそれ程素晴らしいとしたら、従来のレベルが余程低かったのか、コメントしたベテラン議員は「自分は(今日登場した)ルーキー以下だ」という宣言をしているようなものではありませんか?


もしも非常に厳しいプロ同士であるなら、「いい選手だし、実力もある。だが、これからまだまだ経験を積む必要がある」とか、実力を認めつつも、ベテランからの洗礼というのもあるのではないか?ピッチャーだって、オープン戦でガツンと打たれて、「プロの洗礼」を受けるだろう、普通。ベタ褒めも結構ですがね、ベテラン議員が如何に今まで無駄に存在してきたか、よく考えてみた方がいいですね。


それと、「国会議員は主計官やエコノミストとは違う」という意見は、その通りだと思いました。得意分野は色々あるだろうけれども、国会議員の役割ともちょっと違うと思うけどな。まあ、ルーキー議員の片山氏や佐藤氏はそれなりに立派だろうと思いますが、それ以上に頑張るべきはベテラン議員じゃないの?情けないね、本当に。



尼崎脱線事故―その後3

2005年10月07日 19時47分48秒 | 社会全般
実際に事故の体験をされた方の記事がありました。この方は1両目に乗車していたこと、鉄道にお詳しい方であること、などが非常に重要な点であろうと思います。事故発生の記述に関して、正確な表現をされていると思われます。辛い体験をされたことに、お見舞い申し上げる次第です。

2005年4月25日 福知山線5418M、一両目の「真実」


吉田氏の記事から1両目での状況を見ますと、カーブ進入前にはブレーキが感じられなかった(惰性運転ということ?)、横Gが強烈にかかり徐々に(進行方向の)車体右側が浮いていき乗客達はヨットのように一気に車両左前方側(転覆側)に飛ばされた(右側座席に中央向きに座っている人にとっては右手側斜め前方向)、ということのようです。カーブでのブレーキングは脱線3秒前くらいだったようですから、体感と事故調査結果は一致しているでしょう。少なくとも脱線する前に車体右側(カーブ内側)が徐々に浮いていったことは確かであり、専門家の言うように「速度超過だとしても(内側車輪が)浮くはずがない」という鉄道工学的な常識では説明できない部分がまだあるのでしょう。


乗客たちが車体左前方方向に飛ばされたのは、ブレーキがかかったから?ではないかと思われます。通常は単に進行方向に体が引かれますが、この場合には左に傾いた車体の中ですので、車体左前方方向に飛ばされることになるでしょう。

電車座席で前のめりでこらえきれなくなる傾斜は、どの程度でしょう?ちょっと想像がつかないのですが、30度くらいでしょうか?単純に45度くらいまでは転覆しないので、乗客達が左方向に飛ばされることで車体重心は左に大きく移動することになり、転覆要因となったでしょう。それから、ブレーキの影響がどのような評価なのか。車体挙動については、ブレーキの影響を考えるものと思いますが、この辺もよく判っていません。


以前推測で書いた記事です。

脱線原因の推測3


それと、運転士の方の慰霊はされなかった(Yahoo!ニュース - 共同通信 - 脱線事故運転士を慰霊せず JR西が殉職者法要除外)、ということでしたが、これも悲しい出来事ではあります。運転士にとっても、悲劇の事故であったことに変わりはないだろうと思います。ご冥福をお祈り致します。


中小企業基盤整備機構の貸金業

2005年10月06日 18時38分49秒 | おかしいぞ
中小企業基盤整備機構という経済産業省所管の独立行政法人がある。ここも所謂「金貸し」をやっているところだ。元々幾つかの公団を統合したものだが、単に看板を付け替えただけだ。こいつらは、本当に必要な業務を行っているのか?はっきり言えば、ただの金食い虫だ。

中小機構:機構について: 平成16事業年度決算・中小企業基盤整備機構


旧組織は、中小企業総合事業団、地域振興整備公団、産業基盤整備基金などが統合されたようだ。H17年6月に独立行政法人化されて、新体制となったのであろうが、天下りの温床がここにも隠されているだろう。たった690人の組織に、理事長・副理事長と理事8名、監事3名と豪華体制だ。しかも監事3名は、旧組織が3つあったから、それぞれからポストを一つずつ残す、という意味だろうが、バカじゃないか?3名も必要か?普通。他の独立行政法人だって、通常1名だ。なのに、旧組織からの体制を引き継いで、3名もポストを貼り付けている。理事職は全部で10名だ。副理事長というのは名ばかりのポストで、外部招聘ポストだ。言ってみりゃ、飾りみたいなものです。だから、理事よりも給料は安い(とは言え、900万円以上だ。現在は成城大学の経済学教授さまが就任されておる)。役員が多すぎだ。


理事長は通産官僚で元局長だったが、退官後には中小企業金融公庫理事でまず給与と退職金を引っこ抜いて(僅か2年の在職だ)、次は日本自動車工業会の副会長と専務理事を兼職し、回ってきた理事長ポストがここだったのかもしれないな。


この組織は、共済制度と称して金を集める仕組みを作ってある。小規模企業共済と倒産防止共済という「集金システム」だ。これも前から言っている通りの錬金術システムなのだ。まず官業としての安全性を前面に出して、金を集める。集めた金を元に、金を貸したり、運用収益を貪ったり、色々出来る訳だ。


それから、地域振興整備公団ような母体だったから、工業団地を地方に開発して売りに出したり、地方の下らない赤字公社を作らせたり、無駄な官業システムを作り上げてきたんじゃないのかな。地域振興という名目で、開発に伴う用地取得、道路などの整備、造成費用、等々、あらゆる金と利権が絡んでいそうだもんね。昔はこういうのが、族議員達や役人達や業者達などの一致協力の下に行われてきたんだろう、やっぱり。本当に「水戸黄門」に出てくるような、悪代官と配下のお侍さん達(=役人)と廻船問屋の構図がそこにはあったんでしょうね。「そちも悪よのう」というのが、本当にあった話なのかもしれません。


小規模企業共済は、退職金のない小規模の事業所の役員や経営者達に退職金の確保を行う目的で積立させるもので、引退する時にもらえる仕組みである。これには付加共済金がついてくるけれども、その利回りは経済産業大臣が決定することになっている。この独立行政法人の運営がきちんと出来ていて、効率が良ければそれだけ剰余が出たりするし、運用成績によっても剰余が多くなるかもしれないが、どうやら新組織となって金回りが厳しくなってくると付加共済金はゼロだな、ということになる。これによって零細経営者達にしわ寄せが行くことになるのです。この組織運営には、平均給与900万円の職員690名が存在し、理事長以下多数の役員ががっぽり金をせしめてしまい、それによって共済運営にも影響が出るのだとしたら、こりゃいかん、ですね。それに貸付業務の成績も不振ということになれば、もっと無駄な組織ということになりますね。目的は良かったとしても、運営に大きな問題があるのであれば、組織存続は無理ですね。


財務諸表を見ても、繰越欠損金は9千億円以上ある。これは前に書いた雇用・能力開発機構の旧組織時代の繰越欠損金と同じレベルだ。長期借入金は1100億円程度と思ったより小さいが、それでも運営には大きな問題があると言える。役人達が今まで作り上げてきた、「金を集める」「貸出業務を行う」「(集めた)金の運用を行う」という制度は、年金等でも大体が失敗ばかりで、小規模企業共済の運営資金も心配である。新組織になり、一応ポートフォリオを組んで運用しているから、年金積立金の運用成績よりはマシかもしれませんが。運用に関しては、厚生労働省よりは、はるかにまともだ。さすがに裏金の株取引がバレてしまった省庁だけのことはある。悪い意味でなく。経済に強い、ってことで。


運用と言えば、今日の暴落で被害を受けましたよ、私も(泣)。日経平均で300円以上の値下がりですから、被害は仕方がないです。

リスクはつきものですから、まあ止むを得ない面もあります。(利益確定の)現金回収は割りと進めていましたが、新規投資先が結構やられました。高値掴みとなってしまったかも。相場に乗じて、というような安易な姿勢では、やはりダメなようです。

次の上昇チャンスを待ちます。「自己責任による塩漬け」だな(笑)



量的緩和解除への道筋

2005年10月04日 23時21分24秒 | 経済関連
今までの続報です。福井総裁をはじめ、日銀関係者から色々な発言がありましたが、近年で最も日銀の動向に注目が集まっているのかもしれません。

中原審議委員のコメントについては、ロイターの記事に詳しい。なるほど。

Yahoo!ニュース - ロイター - CPI見通しプラスでもデフレに戻るリスク慎重に判断すべき=日銀委員


方向性としては、出口が近いと皆が思っているが、現実にそこに踏み出せるかどうかは現状では難しい、との判断もあり、福井総裁の見通しにやや慎重な姿勢を示したことになるかもしれない。CPI の上昇幅(セーフティマージンも含めて)、需給ギャップ、外需要因、なども見ていく必要があると述べている。またインフレ目標については、「一般論として、金融政策のフレームワークとして採用すべきというのが大前提」「導入によって政策に対するある種の時間軸効果をもたらすかもしれない」という見方も示した。


福井総裁の発言は普通の反応だろうと思うが、財政当局の心配とか他の金融政策委員達の意見などを考えあわせると、まだまだ慎重に、ということに変わりないだろう。現在は原油高というやや特殊な要因もあるので、その「押し上げ要因」が弱含むと再び消費者物価の下落ということにも繋がりかねない、という不安もあるかもしれない。景気動向にとっても、企業業績や物価への影響も、大きなインパクトを持つのは、やはり現在の原油高ということなのでしょうかね。


それと、IMFアジア太平洋州局長も量的緩和解除に関する「日銀の慎重姿勢」については、「当然だ」という見方をしており、ある程度の上昇が見込める状況が安定的に確認されない限り、来春あたりにも、という議論は今のところ難しいということなのかもしれない。郵政民営化法案が今月中旬には可決されているだろうから、その後には「日本株買い」というトレンドが続くかどうかは不明だ。今のところ、株式市場のモメンタムは弱くはないが(最悪期の底なし沼状態は脱したということだろう)、小泉さんが登場する頃の平均株価を上回っていけるかどうか、というのはまだ不透明だ。それでも一応、生保をはじめとする大口の機関投資家達も胸をなでおろしているだろう。含み益が拡大することは、心の余裕に繋がりますし(笑)。勿論私も例外ではありません。


脱線しましたが、これからの日銀の行く手には幾つかの山が待っている、ということになるでしょう。以前には、日銀などには何の興味も無かったのですが、地味に(というか、こっそり?)国民のお金の行く末が決められる重要な判断が行われているのですね。



話題シリーズ10

2005年10月03日 18時21分45秒 | 社会全般
1)日本学術会議が新体制へ

以前に書いた日本学術会議についてですけれども、どうやら新体制となるようです。新たな会員も選出されて、どのような形で行政と関わっていくのか気になるところです。柳田充弘先生も選出されたようですね。是非とも頑張って頂いて、国民サイドから考える科学技術や教育のこととか、体制の中にあって行政に求めるべき研究・教育システムや行政制度などに忌憚のないご意見を出してもらい、提言などに結びつけられることを祈念したしております。


参考記事:日本学術会議のこと


昨日の日経「春秋」にも、日本学術会議のことが書かれていました。

NIKKEI NET:社説・春秋ニュース


内閣府は内閣府経済総合研究所のこともあるけれど、行政の中では「目指せ司令塔」ですから、何度も言うようですが、日本学術会議などの提言をまとめて、政策立案・決定の一助となすべきですね。会議の方では、専門的な立場から思い切り「正論」をぶつけて頂き、専門外の人々に成り代わって行政の誤った方向性の軌道修正などに役立って欲しいものだと思います。昔のような、単なる有力議員の発言力のみで、色々な政策が決められるほど現代の施策は簡単ではありません。利害も様々に存在するし、行政庁も例えば諫早湾のような紛争ネタを抱えていたりします。学術的な判断で、行政庁に誤りがあれば、これを厳しく指摘するような組織としても機能して頂きたいと思います。


2)新聞取材後の記事

報知新聞の取材を受けた件ですけれども、1日の記事にちょこっと掲載されてたようです(笑)。

ニュースページ

出来上がりを見れば、タイゾウ議員の記事が中心だったんですね。
当たり前ですけど。世の中、やっぱり厳しいです(笑)。

ブログごときは、あまり役立たない、と。
そりゃ、私だって判っていましたよ。
そりゃそうですよ。
何処の馬の骨ともつかない私の記事を読んでみたところで、あまり面白味もないですし。

それでも、やはり嬉しいです。
微かに、こんなブログにも意味があった、と自分の中で納得させられます。

謝礼は勿論一切ありませんよ(笑)。
コーヒーを一杯ご馳走になりました。

山崎記者さん、有難うございましたっ!


3)インフレ目標についての国会答弁

田中秀臣先生のプッシュしていた(笑)山本幸三議員がいよいよ登場したようですね。

Yahoo!ニュース - 共同通信 - 納税者番号制導入に前向き 衆院予算委で財務相

この共同通信の記事より、以下に転載。


谷垣禎一財務相は3日午前の衆院予算委員会で、年金一元化に関連し、納税者番号制の導入について「税制全体を合理化していく上で大きく役立つ、意味がある制度だ。きちんと議論していきたい」と述べ、将来の導入に前向きな姿勢を示した。
 一方で「納税者番号制度を導入すれば(所得など)すべてがきれいに捕捉でき、きれいに整理ができるという議論もあるが、それはやや過大な期待ではないかと思う」とも指摘した。
 福井俊彦日銀総裁は、インフレ目標の設定について「経済環境を考えずにインフレ目標がオールマイティーだ、とは考えていない」と述べ、慎重な考えをあらためて示した。
 自民党の山本幸三氏への答弁。





谷垣くんも、福井総裁も、持って回ったような答えですけれども、仕方ないか。

納税者番号制度は結構議論が必要になるだろう。それよりも、本当は社会保障番号によって社会保障を管理する方を先に望んでいるけれど。

福井総裁だって、昨日今日の話で直ぐに「インフレ目標を設定する」なんてことは言えないだろうけどね。その気持ちは判る。だけれども、前向きに検討していく、という意思表示があると、なおいいけどね。

現状では、「インフレ・ターゲット」は当然のことながら万能ではないが、他の手立てを用いることもなく、漫然と待つのは無策と何ら変わりない、ということに思い致すべきですね。


4)平成電電、民事再生法申請の衝撃

今知りました。驚いたので、追加しました。

Yahoo!ニュース - 産経新聞 - 平成電電、民事再生を申請 負債総額1200億円


この会社は、新聞やテレビなどで出資金に10%の配当をつけるとかって広告をしていたから、「本当なの~?怪しいんじゃないかねえ」と思ったものです。だって、そんなウマイ商売だったら、巨額資金を持つ会社がドッカーン、と参入するに決まっている。出資者に10%ということは、利益回収がもっと高い水準で必要(社員の給料とか広告費とか業務に関する費用モロモロだろうね)なわけで、そんな商売あるんかな~って思ってた。

でもね、あまりに配当がデカイので、ちょっと気にはなった。確かに。それにテレビCMも高橋何とか(サラリーマン金太郎の人)を起用し「ちょっか!!」とか言って、バンバン流してたし、ウソってことはないよな・・・とも思っていました。だから、どうなのかなー、って。さすがに世の中そんな甘くはなかったようです。

どう見ても「うまい話には気をつけろ」ってなわけですね。そりゃそうだわな。

今だから言えるけれど、もしも自分が出資していたら、こんなはずじゃなかった、判らなかった、とか言ったかもしれないな。
あー、良かった、引っ掛からなくて。
本当は、ちょっとだけ、資料請求でもしようかな、なんて新聞の下段広告を見て、ふと思ったこともあったんですよ、実は(笑)。


銀行が会社に5%の長期貸付金利で貸したとしても、10%もの利益があれば、会社が自分で資金調達するはずだもんね。銀行に利息を5%払っても、5%は利益が残せるはず。銀行だって、5%なんかで貸すよりも、直接その出資金を出した方が10%貰えるから有利に決まっている。つまり、どう見たって、世の中の商売のやり方とはかけ離れているんですよ。そういう手段の商売というのは、必ず何処かに落とし穴がある。そう思って、やっぱり「止めとこ」と自制しましたよ。


でも被害にあった人々は可哀想だな。えらく高い授業料を払うハメになったかもしれないな。

会社自体が大幅に資金繰りが悪化したり、危機的経営状況になっていたのに、出資金を集めようと広告を相当打っていたので、ある意味詐欺的なやり口だな。もう少しで「倒れるな」というのは、経営中枢にいた人間ならば確実に予測出来ただろう。それでも出資金をひたすら募ろうというのは、被害を拡大するようなものだからな。


今後、経営陣の責任問題というのが出てくるかもしれませんね。
それと、募集の時の会社業績等が正しい情報提供だったか、会計内容は適正だったか、そこら辺も疑問点が出てくるかもしれません。


預金課税について

2005年10月02日 18時29分29秒 | 経済関連
一つ前の記事中で、磯崎氏の記事について触れたのですが、早速ご丁寧なお返事を頂戴しました。私の理解不足の所も結構あったのですが、勉強になりました。有難うございます。磯崎氏の案は、現金には課税せず預金にだけ課税するということのようでした。そーか、ナルホド。企業にも課税されないのだそうです。ちょっと、不安な幾つかの点について書いてみます。


まず、預金にだけ課税されるということで、銀行預金が悪者になりそうです。預貯金でざっと700兆円以上あるから、2%課税(やはりやるならドカっとこれくらいはとるべきではないかと思いますが、根拠はないです)としても14兆円以上のオイシイ税収ということになるようです。普通の投資家の行動で考えてみましょう。銀行預金(郵貯はなくなって銀行になるから、この際銀行とします)だけに課税されるので、銀行預金を引き出して別な投資先に移し変えます。無難な線で個人向け国債ということにしましょう。個人金融資産1400兆円のうち、預貯金の預け先(郵貯や銀行等の金融機関)が300兆円分を国債投資に預金者達のお金を回しています(法人分も含むので、私の推測額は個人資産分としては240兆円でした、参考記事:国債償還と借り換え(2))。今後、この国債保有者が個人の直接投資という形で置き換わることになるのでしょう。


全ての預金者が一般的な最適行動をとると仮定すると、銀行預金は大量に引き出されて他の投資先へ移しかえられます。銀行残高を保つのは、ごく少量の決済用資金だけですね。手元に現金として残す場合も多いでしょう。あとは、課税される時期がいつかにもよりますね。毎月決算日や期間平均残高などに例えば0.15%ずつ課税、みたいにしないと、年1回だけならば特定期間だけ引き出しが相次ぎ、銀行は倒産しますね。定期性預金は国債投資や外貨性商品、株式、投資信託などに振り向けられます。流動資金は、いわゆるタンス預金となるでしょう。今だって、銀行金利は異常に低いくせに、時間外手数料とかのATM利用料などがかかることの方が腹立たしいし、口座維持手数料を取られる場合も有り得ます。利息が年100円以下にしかならないのに、手数料で年3000円払う、というのが今の銀行取引の基本となっています(笑)。なので、現状でも銀行に入れずに、金庫とかタンスにしまっている人は少なくないでしょう。情報感度の低い人々は、よく知らないで消費者ローンやクレジットカード会社にべら棒な手数料を払い、ごく稀に預金があっても(バイト代などが振込まれるのかな?)コンビニで深夜などにATMを利用してしまい、そこでも手数料をぼったくられる、という現象が見られるのだろうと予想されます。そのように考えると毎月0.15%程度の課税なら我慢するよ、という人々が多いのかもしれませんけれども(笑)。


日銀の資金循環統計によれば、個人金融資産1400兆円超のうち、追跡不可能(というか、どのような形になっているのか不明というお金)の資金が100兆円以上あるというのも以前に書きましたが、このお金が何処にあるのか・・・暴力団の金庫の中、自分のお財布の中、寂れた商店のレジの中、自販機の中、色々考えられそうですが結局不明ですね。このように、追跡不明資金は預金課税によって倍加しそうな気がします。大金持ちは手元に多くの現金を持つ必要性もないので、流動性の高い投資先へどんどん投資し、巨額資産家向けのラップ口座などで保護されて、預金課税額も当然金融機関が払ってくれたりするかもしれません(決済程度の500万円上限とかで。残りの巨額資産を自分のところに持ってきてくれる方が嬉しいだろうし)。金持ちと貧乏人の格差は拡大しそうな感じが・・・
私は銀行預金というものに魅力を全く感じないので、常に株式とか別な投資しか選ばなかったですけれども。


少額の資産しか持たない人々は、投資先も大してないのでやはり税金に持っていかれる可能性もありますね。銀行引き落としなどのサービスは非常に嫌なものとなってしまうかもしれません。常に「現金払い」でお願いします、ってなるかな。あと、法人預金には課税されないとのことでしたが、個人事業主のような非法人は事業資金を現金で全て持つ訳にいかないので、やはり不利なような気がします。従業員給与支払いの為に銀行に置くだけで、課税されてしまう。これも、悲しいのでは?


結局、預金の半分近くが退蔵資産となり300兆円くらいはどっかに行ってしまいそうな予感。不明資金は現状で100兆円以上だから、控えめに見ても400兆円くらいが退蔵資産となってしまうかも。残りは、国債投資などに300兆円(現在の国債保有者が銀行から個人に置き換わるだけ)、後は色々・・・ってな具合なんじゃないのかな、と。株式市場に200兆円とか流入するというのは、少ないと思うけれども。個人預金が300兆円引き出されると、半分以上の金融機関が潰れそうな気がします。メガバンクだけがいくつか残る。


金融資産の分布の正確な数値は判りませんが、総務省統計局の家計分析などから見た資産分布を参考に考えてみます。


野村證券などの推計値では、1億円以上の金融資産保有は約80万世帯、5千万円以上では約324万世帯だそうです。全国世帯数は大体4800万世帯程度だと思われますので、これら高額資産家は全体の約8.5%に該当します。この人々がどれ位金を持っているか不明ですが、7500万円平均で324万世帯、3億円平均で80万世帯と仮定すると、それぞれ248兆円と240兆円の資産保有(!)となります。1400兆円のうち、既に488兆円(約35%)は持たれてしまっている、ということになります(power law に従えば、2割の人が富の8割くらいを持つということになるので、どうなるか見てみます)。4000万円超の世帯割合は11.1%くらいですので、4~5千万円を持つ人々は推計で124万世帯となります(単身世帯を含むと比率は変わると思いますが、資料がなかったので・・・)。彼らは約55.8兆円を持ちます。同様に見ていくと、次の通り。

3000~4000万円   288万世帯  100.8兆円
2500~3000万円   230万世帯  62.2兆円
2000~2500万円   302万世帯  66.5兆円
1000~2000万円  1060万世帯 148兆円

概ねこのような結果となります。金融資産2500万円超の上位約22%は1046万世帯、保有資産は約707兆円で半分を占めています(8割ではありませんでしたね)。1千万円以上の世帯は約2410万世帯(ほぼ半分です)、保有資産は921兆円となります。残りの半分の人々が500兆円くらい持つことになりますが、確か2割は金融資産がない層でしたので、これ以外の3割の人が500兆円を持つということになります。1440万世帯の平均で347万円くらいとなって、だいたいよさそうな線ではないでしょうか(というかかなり不正確と思って頂いた方がよいかと思います)。


これらのうち預金は多分資産上位層に集中していると思いますので、1千万円以上の世帯が持つ金融資産の半分が預金であるとすれば約460兆円、それ以外の人々が約300兆円程度の預金を持つことになりますが、それぞれの人達の額が小さいので全額タンス預金でも可であるというのは有り得そうですね。この300兆円を引き出された時に、銀行は果たして耐えられるのか、というのはどうでしょうね。家に10万円以上置くのは心配?というような人には、税金を払ってもらうしかないですけど。


ああそうか、証券会社のMRFに逃げられますね、きっと。となれば、銀行潰して、証券に儲けさせる方法ということになるかな(笑)。証券は郵貯ATMからも出し入れ出来るし、決済性資金には向いている。昔、独身の時に、「まず百万円貯めるぞ」と思って、定期預金なんぞには置かずに、証券口座を開いて短期公社債投信とかに10万円とか20万円とかを追加していったな(定期預金なんぞは目じゃないほどの利回りだった。投資資金を作るにはまず一定のタネ銭が必要)。10万円とか貯まるまでは、普通に家の引き出し(学生時代からのただの勉強机だけど)にお金を封筒に入れておいた。ボロ屋だったが、誰も盗みにはこなかった。いかにも貧乏そうな部屋だったからに違いない(笑)。このように、タンスや机から証券にお金を移す人もいるかも。



経済学は難しい10

2005年10月02日 03時39分42秒 | 経済関連
9月30日付けの読売新聞朝刊には中々面白い記事が出ていた。福井日銀総裁の発言が発端となり、竹中大臣や谷垣大臣は「デフレ懸念は続いており、量的緩和解除については慎重な判断が必要」との認識を示した。その一方で、岩田日銀副総裁はインフレ目標(参照値とか言ってた。消費者物価と日銀政策の分かれ道)導入を述べており、須田審議委員の解除観測論も別な場所で出されていて、日銀内部の所謂「温度差」(メディアの好きな言い回しですね)が浮き彫りになった形だ。


記者諸君からは、先日の福井総裁の「財政政策とのコンフリクトはない」発言(経済学は難しい8)を受けて、日銀の金融政策とのコンフリクトについての”確認”が相次いで質問されたようである。


勿論、平ちゃんも谷垣くんも「基調判断は(デフレ脱却で)一致しており(日銀金融政策への介入という意味ではなく)、金融政策は日銀が独自に判断すること」というコメントを出している。まあ、順当な回答であり、平ちゃんはいつも「依然(M2+CDが2%以下と)マネーサプライが不十分」と嘆き、谷垣くんは「デフレは収束していない」との見方を示していたので、財政当局としてはCPI の安定的な0以上の推移を見届けることが必要ということなのだろう。福井総裁としては、最近の株式市場の急速な連騰や長期金利上昇とか、都心部不動産価格の下げ止まり(一部の過熱感?)などの局面を迎えて、それこそ「ボラティリティの高いマーケット」にやや神経質になりつつあるのかもしれない。過去のバブル経験に痛い思いをさせられたので、余程の警戒心を抱いているのだろう。心理的には分からないでもないが、現状でのレベルではまだ心配はないと思われるが。それよりもCPI の安定的プラスを確認したいというのが、普通の見方であると思う。


その一方で、「インフレ目標についても幅広く検討していきたい」との見方を示しており、昨今の経済学的議論の一つであるインフレーション・ターゲティング政策の導入についても、政策選択肢として考慮するということである。これは以前から触れている通り、経済財政諮問会議内での専門調査会委員が策定した「21世紀ビジョン」にも記述されている訳ですから、当然金融当局はこれを無視することは出来ないでしょう。この委員には伊藤隆敏・伊藤元重・井堀各東大教授、植田・吉田京大教授ら経済学の学界人、八代日本経済研究センター理事長といった、経済学関係者が多いのですから、十分経済学的評価を行った上でビジョンに盛り込んだことは明らかでしょう。つまりは、日銀と言えどもこれを避けて通る訳にはいかないはずだろう、と。


そういう意味では、ある範囲での金融当局の「インフレ許容」宣言とかがあった方が、株式や不動産などの資産に資金が向かうことによって心理的にも大幅に好転すると思う。インフレ目標というものに抵抗感があるのであれば、例えば「3%程度までは許容したい」というようなアナウンスによって、特別な金融政策を実施しなくともデフレが収束していくのではないかとも思える。結局の所、日銀がどういう決意で金融政策に取り組むか、またデフレ対策に臨むか、ということが市場に評価されるのだろうと思う。


かつて(99年当時)日銀金融研究所長の扇邦雄氏らが、「中央銀行にとって悩ましいのは、構造政策や構造調整の実行が遅れていても、現実に深刻なデフレ・スパイラルの危険に直面すれば、これを防ぐ責任があるということである。実際、経済が大恐慌的なデフレ・スパイラルの入り口に立たされれば、中央銀行は大きな副作用をも認識したうえで、考えられるあらゆる手段を発動してこれを防止するよう努めるであろう。その場合には、通常の手段の限界を超えて、劇的に大量の資金供給を行うことも真剣に検討されるかもしれない。」ということを述べている。財政審が出した建議でも既にデフレ・スパイラルの危険性について言及していたことを思えば、金融政策の発動が遅きに失した感は否めない。日銀の認識が、財政審とは異なったものであったということかもしれないし、日本は「デフレ・スパイラルの入り口」には立たされなかったのだ、という主張なのかもしれない。どの程度であれば、その入り口に立ったと言えるのだろうか?これ程の経済的低迷を続けたというのに。失われた時間は戻ってこないのだから、今更言ってみても仕方がないのであるが。だが、これからの道のりで、過った認識や選択は避けてもらいたいと思っている。


それから、同じ日の読売新聞には、福井総裁の記事と同じページに岩田規久男学習院大教授のインタビューが出ていた。これは「改革を追う」というシリーズで、色々な学者さん達が登場していますが、今までは主に経済学者が連日登場した(因みに1日付けには跡田慶応大教授が出てました、笑)。岩田教授は年金問題等について答えていますが、国民負担増に関連して「年2~3%程度のインフレ目標を定め、名目成長率を引き上げる金融政策が必要だ。インフレ率が低いままでは名目所得が増えず、税収と保険料収入も増えない」と述べており、どうやら経済学者の中にも相当程度、このような金融政策への期待というか要望が出ていると考えるべきであろう。他にも、浜田Yale大教授などもデフレ対策実施を支持している。金融政策決定会合では、こうした学術的理論背景を踏まえて、金融政策を検討するべきだ。


似た話で、isologueの磯崎氏が02年に雑誌に寄せた記事(isologue -by 磯崎哲也事務所 Tetsuya Isozaki & Associates: 財政構造改革と預金課税論(再び))で、「現金・預貯金への課税論」というマイナス金利政策を出していましたが、これはもっと前から深尾光洋慶応大教授が出していた案と同じである。ゲゼルのスタンプ紙幣とか?何とかと似たような理屈らしい。この政策実施については現実的な問題が多いとする経済学者が結構多いように思われるので、「最終兵器」的な手段なのではないかと思われる。磯崎氏は残念であろうが、実施には相当の障壁が存在すると考えた方がいいのではないか、と。もしも実施するとしても、04年の新紙幣発行に間に合うような体制がとられるべきであっただろう。なので、今からは難しいのではないかな。


いずれにしても、今後の金融政策決定には「透明性を高める」というスタンスで臨む、という福井総裁の示唆があったので、将来の予見性を高める方向へと進むだろうと思う。また、金融政策決定会合における議論や政策決定については、経済学者達の論理的評価が重要となってくるであろう。



マクロ経済指標管理は万能か

2005年10月01日 15時48分59秒 | 政治って?
先日の経済財政諮問会議において、民間議員から非常に大胆なご提案が出されました。政策目標の設定に際しては、勿論目的に向かっての(小泉さん風に言えば)「大きな議論」というものも必要でしょうし、大胆さが要求される面もありますが、少なくともその正当性については裏付けあっての話でありましょうし、元になる論拠と他の意見への優位性が客観的に認識される必要があります。そのようなご提案なのであれば、経済学的評価に基づいてマクロ経済指標による総額管理が有効に機能するということを論理的に説明しなければなりません。客観性に欠けるのであれば、多くの反対が出たり賛同を得られないということになり、政策決定に結びつかない訳ですから、そこを超えられる情報なり説明なりが必要で、誰しも判る論拠の提示が求められることは当然です。

本間・吉川両先生のような、ご立派な大学教授の方々ですので、このようなことは指摘されるまでもないはずで、経済財政諮問会議という行政最高の諮問機関における議論は、たった4名にしか過ぎない民間議員の「強い要望」というだけで済まされる問題ではないことは明らかでありましょう。度々申し上げてきましたが、少なくとも経済学者を擁する民間議員達は、十分説得的な客観的論拠を明示しなければなりません。


諮問会議中で議論されたものとしては、国家公務員人件費を10年以内に名目GDP比半減という大胆な構想(例示に過ぎないのかもしれません)がありました。これも、先日の予算委員会での前原民主党代表による質問と通じるものがありますが、「小さな政府」とはどのような定義に基づくのか、ということが取り上げられております。今更、という感が否めませんけれども。度々政府会見や与党公約の中で述べられてきましたし。本間・吉川先生は、非常に大胆な目標を掲げることで「改革のエネルギーを弱めることなく取り組む」ということを重視しておられるのだろうと思いますが、改革のエネルギーと改革案の妥当性は正相関ではないことは当然で、経済学者は理論よりも「やる気」の方が正解率が高いのだ、というようなご意見なのでしょうか。


特に論拠として別に示してあったのは、以下のような松下幸之助氏とジャック・ウェルチ氏(GE会長)の例でした。
松下氏:「5%のコストダウンを図るより、30%下げる方が容易な場合がある。5%のときは、今までの延長線上で考えがちだが、30%ともなれば、もはや発想を転換せざるを得ず、そこから全く新しい発想が生まれてくることがあるからである。」
ウェルチ氏:無駄な仕事を追い出すため「ワークアウト」という手法によって業務を徹底的に見直し、企業風土を変革した。


何だか、街の書店でよく見かけるビジネス書みたいな感じですけれども、こうした過去の「偉人伝」風な論拠を取り上げても、これが一般化・普遍化できるものであるかどうかは、不明なのではないかと思います。何故なら、もしもこれらが常に真実であり、誤謬のない法則・原則として政治・行政にも適用できるのである、ということであれば、あらゆる民間企業は全てこの方法と同様の手法によって既に「オール勝ち組」しか存在しないでしょうね。全企業が同様の成功を収められるはずです。それが出来ないということは、こうした一部の成功例と同じ手法をとったとしても全ての組織改革が同じように可能な訳ではない、ということだろうと思います。あくまで一つの例示に過ぎない、ということを民間議員達は留意するべきでしょう。ある意味、経験則の一つのようなものでしょう。これが、経済財政諮問会議の目指すEBPMなのでしょうか?吉川先生、いかがですか?


「各論の積み上げでは、改革が達成できない」という理屈も、ある意味変ですね。総論だけで全ての正解が導き出されるというのは、全くの錯覚に過ぎません。大枠での政治的改革デザインと、各論での精緻な検討によるevidenceに基づく改革プランは、最終的に整合性を持つことが必要です。それぞれ重要性がある訳で、その結論が大きく異なる場合には正しい政治的判断が求められることになるでしょう。しかし、各論の精査も不十分でありながら、過去の偉人語録を引いただけで総論の結論を導き出すのは、正当性が担保されてはいないし、その結論が各論以上に正しいとは誰も言えないのではありませんか?


仮に政府系金融機関を民営化するべき、という総論があるとしましょう。これは政治的デザインとして目指すべき方向性であり、それを実行しようとする時にはリーダーシップや大胆な政治的決断を求められる、というものです。各論的には、例えば全部民営化ではなくて、一つだけは業務の性質上存続させる方が望ましい(これは全くの仮定の話ですので、今後のことを言っている訳ではありません)という各論が得られたとしましょう。この時に、総論が「民営化だ」となっていたとしても、一つだけ民営化しないという判断は必ずしも間違っているとは証明できないのなら、最終的には各論による結論に基づいて、大方は民営化したけれども一つだけは存続させる、ということは悪い改革でも何でもないでしょう。むしろ総論だけに基づいて、全て民営化しなければそれ以外の選択肢は間違いだ、という判断の方が普通はオカシイと考えるはずです。今の諮問会議の民間議員の方々が述べていることというのは、かつて松下やGEがうまくいった方法をとれば全てがうまくいくはずで、それ以外は認められない、ということを言っているようなものです。それで解決がつくなら、政治家は1人もいらないでしょう。会社経営者達と一部学者達が国の運営全てをうまく出来るはずですね。


また例えで申し訳ありませんが、民間議員達は総論的に「ガンは取り除かなければならない」という主張をしていて、特に「少しだけ切り取っても良くならない。もっと大胆な外科手術が必要だ」ということを言う訳です。ところが、ガンといっても色々ある訳で、各論的にはガン細胞の性質によって外科的手術ではなくとも治る場合もありますね。そのようなガンであれば、他の保存的治療法(薬物療法、放射線治療、漢方等の東洋医学的アプローチ)も選択可能な場合もあるのです。政治的改革デザインとは、何処の部分を優先的に治療するか、手術を選択するか、という方向性を示すということです。肝臓の手術をまずやりましょう、次に肺の治療をしましょう、という見通しや治療目標を明確にしていくことです。そこではじめて、精査した結果「肝臓のガンは手術しなければ治らない」という各論的結論があり、他の治療法よりも外科手術という選択が論理的に(evidenceに基づいて)優位であることが明らかになっている訳ですね。これは一般に客観性があるものです。では、肺の方はどうかというと、手術という選択も有り得るけれども、薬物と放射線の組み合わせでやった方がメリットが大きい、という時に、「ガンは切り取れ」という総論的結論に基づいて手術以外の選択肢は認めない、以前に肺のガンを手術して治った人がいたからだ、という意見を強硬に主張されても困る訳です。民間議員の方々の主張とは、おおよそこのようなものなのですよ。よくよく調べてみると、肺の手術を選択してしまったが為に、呼吸器合併症で死亡してしまうことだって有り得るのに、一方的に「ガンは切り取れ」という主張を繰り返されても、客観性もなければ正当性も証明されないのです。ここではやはり各論的議論が求められ、反対意見に対しては外科手術が保存的治療法を上回るメリットを論理的に示されなければならないはずです。ところが、それをおやりにならないし、手術を選択しないとガンと闘う気力が失せる、というような、治療法選択の適否とは離れた論点を提示されているわけです。これは政策決定プロセス(=ガン治療方法の決定プロセス)としては、いかがなものか、と誰しも思うわけです。というか、経済学という点で見ても、はっきりと「落第」という評価にしかなり得ないと思いますが。


ある大学の学生にレポート課題を与えたとします。「国家公務員人件費が財政再建にどのような影響を与えるか、経済学的視点で記述せよ」とでもしましょう。すると、売上高に連動した人件費率を導入して社員を大量リストラし、給与総額も全くの連動制にした会社の再建策を引き合いに出して、同じように公務員人件費も抑制すれば国の財政再建が出来ると結論付けた学生がいたとしたら、「そりゃ本当か?」と思うのではありませんか?しかも、リストラはちまちま5%くらいやるより、30%くらい思い切って一気に削減した方が良い策が出てくるもんだ、ということで、組織改革には指標管理が最も優れた効果を持つ、という結論を出していたら、それは学問的に正しいと言えるのですか?このような学生のレポートが、「優」の評価を得るとでも?(笑、今はABCなのかな?タイゾウ議員がそう答えていたような気がします。私の時代は優良可、不可だった)

ベンチマークはあくまでベンチマークに過ぎません。評価としては一応役立ちますが、それが正当性の裏付けとはなり得ません。


麻生大臣、谷垣大臣、福井日銀総裁、佐藤人事院総裁などが疑問を呈しておられるのは、至極まっとうな意見だと思いますよ。民間議員提案があまりに突飛なものであり、しかもそれに対する反論・各論的検討も認めたがらず、専ら「国家公務員人件費の名目GDP比半減」という数値目標にだけ拘るのは問題だと思いますね。それに固執するならば、その論の客観的優位性を示すことが先決でしょう。