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シティグループに銀行業の免許ですか

2007年06月21日 16時12分41秒 | 社会全般
Yahooニュース - ロイター - 金融庁が米シティの日本法人に銀行免許、7月1日営業開始

(記事より一部引用)

金融庁は20日、米シティグループ<C>の日本法人「シティバンク準備会社」に銀行業の免許を交付したと発表した。同社は7月1日に営業を開始する予定で、それまでに「シティバンク銀行」に名称変更する。
 シティによる対日戦略強化のため、在日支店の銀行業務を現地法人化する手続きの一環。同社は7月1日までに在日支店の営業を譲り受ける。
 シティは1月29日、日本での業務拡大のため、外資系金融機関として初めて金融持ち株会社を設立することを表明した。さらに、現在の在日支店を現地銀行にして、持ち株会社の傘下に収める方針としていた。在日支店を現地銀行にすることで、支店設立が認可から届出になることで機動的な運営が可能になる。




へー、そうですか。今後は「シティバンク銀行」となる、ってかなりヘンだよね?英語表記にする時とか、どうするんだろう。
「Citibank Bank」みたいになっちゃうんだろうか?他人事だから、別にどうだっていいわけですが。

少し気になることが、一つ。
銀行法第4条第1項規定により、免許が与えられたということですが、条件が一応あるのですよね。条文を見てみますと、次のようになっています。


第四条  銀行業は、内閣総理大臣の免許を受けた者でなければ、営むことができない。

2  内閣総理大臣は、銀行業の免許の申請があつたときは、次に掲げる基準に適合するかどうかを審査しなければならない。

一  銀行業の免許を申請した者(以下この項において「申請者」という。)が銀行の業務を健全かつ効率的に遂行するに足りる財産的基礎を有し、かつ、申請者の当該業務に係る収支の見込みが良好であること。

二  申請者が、その人的構成等に照らして、銀行の業務を的確、公正かつ効率的に遂行することができる知識及び経験を有し、かつ、十分な社会的信用を有する者であること。

(以下略)


ここで、第2項第2号の要件が免許を与えるのに問題がなかったのか、ということですね(昔の記事に書いたが、それは木村剛氏が関わっていた日本振興銀行の免許の話を取り上げた頃)。「十分な社会的信用を有する者であること」というのがどうなんあろうな、と。

以前、シティグループは支店取消などの厳重処分を受けたことがありますよね。ええ、ええ、PBに関する不正業務みたいなヤツですな。即ち、シティグループは前科者でありまして、ほとぼりが冷めたのか?という懸念は残っているわけであります。

コレ>
シティバンク、エヌ・エイ在…:金融庁

1支店、3営業所の「おとり潰し」となったわけですが、それから約1年少々で免許申請を今年初め頃からやっていまして、これって日興問題とのカラミとか何とかの複雑な事情があったやもしれません。下衆の勘繰りなんですがね。


参考までに、コムスンの本体はGWGで、グループ内で譲渡して介護保険事業者の申請をしようと考えたら、数年だか5年くらいは認めないとか何とか役所は言っていたハズですよね?銀行免許申請者は日本法人の別会社「シティバンク準備会社」なんだろうけど、本体がシティグループだし、根本部分は上記営業停止とか取消を食らったシティグループには違いないわけで。何となく不公平感があるように思えますね。ま、厚労省と金融庁は別だから、判断も異なるのでしょうが、GWGには認可が下りず、シティには下りる、というのも、何だな~ってことで。いや、深い意味はありませんよ。べ、別に。


補足というか、一応、これも書いておこう。
最近の学者は人間力が足りない(笑)に書いた話だが、陰謀論とかではないですよ。あくまで公然の事実、ってことで。

金融庁 参考資料


このように前々から金融庁資料にも載ってるし。
昨年秋にも似たような要望書みたいなのが出されてたはずですね。このGEグループとかシティグループとか、貸金の外資系は相当頑張っていたんだよね、ロビー。

一部報道とか噂では、外部からの圧力は相当あったそうです。で、後藤田政務官が辞表を叩きつけたのは、シーファー大使が直々に、与謝野大臣の元にネジ込みにやってきたからだろう。これは普通に報道されていた。あの辺りでの攻防で流れが変わりかけた。9月初旬頃だった(参考記事)。9月15日には例の産経の社説での援護射撃もあった(笑)。しかし、偶然の挽回チャンスが残されていて、それは「総裁選」があったことだったのかもしれない。組閣は26日。金融庁は山本さんになった。

運命の2週間。
ここで再逆転チャンスを掴んだのかも。

山本大臣が就任直後は「引下げになるかどうかは判らない」みたいに言っていたのが、その後、次第に引下げに傾いていった。で、9月終わり頃にアコムの違反発覚、10月中過ぎには外資系への「絨毯爆撃」(笑)で金融庁が報復攻撃に出て、GE系レイクに続いてシティ系のディックがまんまと「挙げられた」、と(参考記事2)。簡単に言えば、外資系の連中は「だまらっしゃい」と。「金融処分庁」の本領発揮ですよ、と。
この辺は適当な勘繰りに過ぎないですけどね。でも、9月初め~10月中過ぎくらいまでは、一大攻防戦が繰り広げられていたであろう。あそこがヤマ場だった。


で、今回のシティグループの銀行免許。結構早かったよね、みたいな。
十分な社会的信用を有する者って、どうなんだろうなシティさん、と(笑)。



ワタミの介護事業は金持ち相手?

2007年06月21日 14時43分40秒 | 社会保障問題
これまであまり詳しく見てこなかったが、渡辺社長の記事(NBonlineの「あなたのお金は、直接民主主義の一票です」)を読んで、一体どのような介護事業をやっているのか、というのが気になったので。

料金説明みたいなものがワタミのHPには出ていなかったので、よく判らんが、一見すると「オイシイ」相手だけに商売をやってるんじゃないの?と思った。だって、「有料老人ホーム」で、こぎれいな施設みたいだし(笑)。


こちらの記事は結構詳しい。

中日新聞介護迷走<2> 『サービス維持できるか』暮らしCHUNICHI Web

(一部引用)

GWGは、介護事業をグループ以外に売却し、全面撤退する方針を決めた。事業の取得については、大手のニチイ学館や、首都圏と関西で二十七施設を運営する大手居酒屋チェーン・ワタミを中心とした事業者連合などが名乗りを上げている。早ければ来年三月から、新しい事業者に施設運営を引き継いでいく。

民間の介護付き有料老人ホームは、入居一時金が億単位の豪華な施設もあるが、一般的な施設ではゼロから三千万円までと幅広い。このほか生活費や食費など月額で十数万円から二十数万円かかる。事業が譲渡され、事業者が代わっても、介護保険は「公定価格」なので、訪問介護など以前と同じケアプランでサービスを受けるなら、利用者の負担は変わらない。だが、有料老人ホームやグループホームなど施設サービスには、介護保険とは別の費用がかかるだけに、事業者の変更には注意しなければならないという。

国民生活センター(東京)の調査室長だった木間(このま)昭子さんは「食費と入居費、管理費が不当に値上げされないかチェックが必要」と指摘する。特に注意すべきなのが「管理費」だという。「悪質な業者の中には、管理費の中身を明らかにせず、介護保険で賄うべきサービスを組み入れているおそれがある」

利用者と業者間の民民契約だからといって傍観するのではなく、木間さんは「事業者が利用者に不当な出費を求めることのないように、行政がしっかりと指導すべきだ」と行政の監視の必要性を強調した。




介護付きといっても、かなり幅があるだろう。病院などに送り迎えしてくれるとか、その他介護サービスの一部をやってくれることはあるだろう。けれども、基本的には、マンションを買わされるみたいなもので、金持ちしか入居できないことは多々ある。独居老人でそこそこ金がある人は、不動産なんかを処分したりして入居し、死ぬまでそこで暮らす、ってことだな。食事サービスの利用料が月に数万円~10万円程度になっていることもあるし、毎月色々と金を取られるので、上の記事にもあるように20数万も払えない人は入れないんだよ。年金で細々暮らしている老人とは隔絶された世界ってことさ。

ワタミがこういう施設なのか知らないので何とも言えないが、似たようなシステムになっているなら、要するに「金持ってる年寄り」を相手している商売だから、初めから「施設介護は欲しいが、訪問介護はいらない」とか言っていたんだよ、きっと。介護での苦しい現場というのは、こういう資金的に余裕のある人なんかじゃないんだよ。全然違うんだよ。

一人暮らしで金もない、とか、家族がいても時間も金もない、みたいな場合なんだよ。医療費や介護費用の自己負担分を払うのが精一杯というような人たちなんだよ。本当は施設入所を希望していても、空きがなくて順番待ちとか。特定養護老人ホームとかに入れるならいいのだが、空かないと入れないからね。有料老人ホームなんかに比べれば、格段に安く入れるからだ。老人保健施設もあるが、基本的には長期入所ができないので、暫く入っていても退所して在宅介護にせねばならないのだ。介護職員などの効率を考えると、こうした一箇所の施設に集めておく方が有利だ。一対一対応になってしまうと、効率は悪くなるに決まっているのである。移動時間ロスもそうだしね。なので、一対多対応が可能で、職員の効率を上げるのであれば施設介護が望ましいのだが、それを充足させるほどの収容能力がないのである。そこで、民間の有料老人ホームがある意味があり、金がある人たちは困ることなんて余りないだろうと思う。問題は、金がなくて施設にも入れず在宅介護となっている高齢者たちなのである。

この分野を誰が担うのか、ということになるが、ワタミが本当にやってくれるのか?官ではもうダメだ、国には頼らずに、経営の力で、民間の力で、みたいに渡辺社長は言っているのだが、本当にできるのか?(笑)
「やってもいいですよ、勿論。ただし、あなたが金を払えるならね」
とか言うのであれば、これは誰でもできるんだよ。どうぞどうぞ、いくらでもやってあげます、その分金出せ、ということなら、あっという間に解決ができそうだな。現実には、金があまり払えない人たちを相手にして、その中でやっていかなくちゃならない。ま、経営力でやれるのであれば、是非とも頑張って頂いて、いい介護サービスを提供してくれれば日本にとっても有益です。そういう民間事業者のお手本のようなモデルができるかもしれませんし。


よく豪華な病院食を提供します、とか有名シェフ並みのディナーをご用意、みたいなのとかあるらしいけど、あんなのも誰もタダでやってくれるのではないわけで、特別室のバカ高い料金に含まれているとかなんだろうね。結局自分が払っているに決まっている、ということ。金出せばそりゃ、やってくれるわな、いろんなサービスを。結局、そういうこと。

安い金しか払わないのにサービスがいいのは、基本的には公的な(官ってことだな)サービスしか有り得ないってのが、根本原則なんだよね。勘違いしてはいけないのだ。ワタミの介護は慈善事業でも何でもない、「払った者だけが相応のサービスを受けられる」という資本主義的原則に基づいているだけだ、ということ。



日本の憲法学者の真意を問う

2007年06月21日 02時06分13秒 | 法関係
コメント(コメント)で情報を頂きましたので、今回は産経新聞の正論に掲載された記事から取り上げたいと思います。


【正論】慶応大学教授・小林節 新貸金業法は憲法違反ではないか|正論|論説|Sankei WEB

タイトルにほぼ全ての要素が詰まっていると思います。中々良い見出し、ということでしょうね(笑)。
中身を読むと、これまでに書いてきた論点が多いのですが、新たな意見が出されていますのでそれを考えてみたいと思います。一応、書かれている内容には、およそ畑違いの「一般論」みたいなものを並べており、単なる個人的感想文を綴ることを否定するわけではありませんけれども、小林教授の意図するところが判りません。ご自身のよく知らない部分については触れない方が、言論の質を落とさずに済むのではないかと思います。それが学者としての評価を下げることを防ぐ方法でありましょう。

憲法学者という肩書きをもって、タイトルにもそのように附しているわけですから、「憲法違反の可能性が高いのではないか」ということを法学的な立場から詳しく述べれば良かったのではなかろうかと思われます。なぜ、その記述を避けたのか、甚だ疑問ではあります。自分の専門領域なのであるから、率直に「昨年成立に至った立法は違憲であると思われる」くらいは踏み込んで論述することこそ、憲法学者というものなのではないかと思います。

違憲である旨の記述は、記事の一部にほんの僅かな記述部分がありました。
『この問題は、他面で既存の多くのまじめな小さな貸金業者から仕事を奪うことで、彼らの営業の自由(憲法22条)、財産権(29条)、極端な場合には生存権(25条)までを脅かす人権問題である。そういう意味では、今回の立法の違憲性が問われてしかるべきであろう。』
と述べておられます。威勢のいい見出しとは趣きを異にしていると思われ、最後の方のこの部分だけがタイトルに合致している、というわけです。期待はずれは否めません。しかも、ふと目をやれば「違憲性が問われてしかるべき」ということであって、何処にも「違憲性が強く疑われる」とか、自分の評価としては「違憲である可能性が高い」とか、そういった憲法学者の意見というものが見当たらないわけです。

素人ゆえの個人的疑問を一応申し述べますと、「問われてしかるべき」というのは誰に問うのでありましょうか。通常であれば、最高裁に問え、ということが結論的に出るのでありましょうが、いやしくも憲法学者との肩書きをお持ちであるのですから、「問われる」立場にあるのはご自身なのではなかろうか、とは思う訳です。法学の世界について”も”全くの無知ですので、憲法学者とは「違憲性」ということへの評価を行ったりはしないものなのである、といった、業界の常識みたいなものがひょっとすると存在しているのかもしれませんが、まずは憲法学者である自分自身に問うてみてはいかがか、と思わずにはいられません。

憲法学者の出された「違憲性が問われてしかるべき」というご意見に対して、私のようなド素人が答えられるはずもありませんが、できるだけ考えてみたいと思います。小林教授は、①営業の自由(22条違反)、②財産権(29条違反)、③生存権(25条)を脅かす人権問題、と挙げておられますので、これを判る範囲で順に見ていきたいと思います。法学的な知識がない故に、用語とか用い方とかが間違っているかもしれませんが、ご容赦下さい。


①営業の自由(22条違反)が侵害されるか

世の中には様々な職種があるわけですが、届出制、許認可制、免許制といった明確な制限が設けられていることは珍しくありません。これらの法的制限というのは、全てが憲法違反ということはないと思われます。もしもそうであるなら、過去の裁判例で判示されていても何ら不思議ではないからです。ところが、こういった行政側の設けた一定の制限というものが広範囲に渡って現在もなお用いられているということになれば、そこには何らかの法学的理由があるものと考えられます。それが何なのか、ということになりましょう。

恐らく、万人の「営業の自由」を守ること以上に、それら営業施設・サービス等を利用するその他大勢の一般利用者たちの利益を考慮しているものと思われ、一部の人々の利益を優先することが必ずしも法的に認められるべきものとは言えない、ということです。一般社会においては、個人に認められる自由とは完全な制限を受けないものとして考えられているものではなく、社会利益(公共の福祉?)が優先されるべき事情があれば、一定の制限を受くるのは止むを得ない、ということではないかと思います。万人に営業の自由を認め、それが何らの制限を受けない場合に、利用する大多数の人々の利益が侵害されるとなれば、いずれを優先するべきか、という問題なのであろうと思います。
例えば、何らの制限を設けることなく万人にフグ料理人としての「営業の自由」を完全に認めてしまえば、これを利用する国民の中にはフグ毒で容易に死亡する事態を生じる虞があり、著しい侵害を生じることが考えられます。これを「営業の自由」の一部を制限して免許制とすることにより、大多数の利用者の権利侵害を防げるのであれば、そのような制限を行政が設けることは認められる、ということです。

新貸金業法(と呼ぶのが正しいのかどうか知りませんが、記事中ではそのように呼ばれていますので、この名称を用いることにします)における制限のうち、上限金利規制や貸出総額(収入の3分の1)規制の要件が該当しているとは考えていないでしょうから、恐らく5千万円の資産(資本金)規制のことを指しているものと思います。これまで合法的営業を行っていた業者で、貸出残高がこれ以下ということになれば、年間売上高は1000万円以下ということになり、現実の収入水準としては厳しいものであると予想されます。合法的営業が可能な売上高水準を想定しますと、5千万円規制が著しく不合理であるとも言えないでありましょう。このような基準を設けることは行政に認められていると考えるべきで、貸金業を営むに当たっての要件として資産を一定以上保有していることは、利用者保護の為に必要と考えられましょう。例えば、最低資本金規制は他の業種でも定められており、証券取引法での証券会社は5千万円、信託業法では1億円となっています。これを違憲立法であるとする法学的理論を聞いたことはありませんが、貸金業だけに特別違憲とするという主張を小林教授は考えておられるかもしれませんので、是非ともそのご意見を拝聴したいと思います。


②財産権(29条違反)が侵害されるか

具体的な詳しい解説が全くない為に、何を想定されていたのか正確には判りかねますが、こちらで勝手に想像して書いていこうと思います。

財産権が持ち出されていることから、上限金利を引き下げられたりしなければ「売上として手にしていたであろう」部分(早い話が、金利収入というお金だね)があって、今回の改正によってそれが手に入らなくなった、違憲立法によって不当に奪い去られた、というようなことではないかと思います。

まず、前提としては、利息制限法という法律は生きているわけです。このような金利規制を行っている法律そのものが「違憲立法である」という主張であるならば、同様な上限規制のあるものについては全て違憲という判断となりましょうか。それは、「そのような上限さえなければ、自由に利息を手に入れられたであろうものが、法律の規制によって手に入れられなくなった」ということでしょうか。取引を間違いなく行っていく上で、一定に決まった利息水準を規定することが憲法違反であるとも思われません(民放や商法に規定が存在していますし)。よって、何らかの利息水準を規定することは、問題ないであろうと思います。では、何が問題となるのでしょうか。

出資法の上限規定とは、「処罰を受ける利息水準」が示されているのであって、例えば20~29.2%の間の利息について支払うことを予め契約によって定め、その契約の履行によって支払われた利息について、貸金業者の財産としての権利を認めているものとは解されないと思います。あくまで任意に支払った場合にのみ、利息制限法の上限超過部分の権利を得るものと思います。

では改正された利息制限法では、任意に支払った上限超過部分の権利主張ができなくなったことが違憲である、という解釈なのでしょうか。例えば売買において、5千円の支払義務のあるものについて、購入者が錯誤によって1万円を支払ってしまうと、「これは任意で支払ったのであるから、売主の財産である」という主張をするのと同じようなものであると思います。本来的には、超過部分については「お釣り」として返却を申し出て、購入者に返還するべきものでありましょう。それでもなお「任意で支払った」場合(釣りはいらないよ、というような場合)には、売主の財産としての権利となるものではないかと思います。これを初めから「返還することはしない」ということを前提として超過部分の財産権を認めることは、円滑な取引を妨げることになりこそすれ、大多数の利用者である一般消費者の保護とはなり得ないでありましょう。

任意で支払う部分については贈与的なものであって、支払側の明確な意思表示がなされていないにも関わらず、受取った側が返還の申し出をすることなくその財産権を主張し、そのような権利を優先的に保護することが有益であるとは到底認められないでありましょう。支払側が明確な贈与の意思表示をする以前から、超過部分についての財産権を受け取り側の権利として憲法が保障しているものとは解されない、ということです。

別な主張の可能性としては、5千万円の資産規定によって廃業することになれば、これまで得られていた利益を手に入れることが不可能になるということなのかもしれません。しかし、経過措置期間はあるのであるから、複数業者が協同で事業を営むなどの対策を取りうることはできます。存続事業者を決めて、他の貸金業者が廃業したとしても、収入や経費は実質的に変わることなく営業が可能でありましょう。単体では届かない基準であるとしても、他の業者と同一の事業を協同で営むことができるならば、5千万円の規定をクリアすることが不可能であるとは考えられません。それを選択するか否かは事業者の自由であり、事前に周知されている基準をクリアできないのであれば、事業を継続することは無理であるということが容易に判断できるのであるから、貸金業者がその対策を講じるべきでありましょう。

経過措置期間が置かれておらず、事業者が対策を講じることが極めて困難であるということでもあれば、事業継続が不可能になってしまうことへの補償ということを考慮すべき場合は有り得ます。しかし、どのような業種においても法改正や行政の判断が変化していくことによる制度改正はあるのであって、事業を継続する為にそれら変更に対応することが求められてきたのは言うまでもないでしょう。従って、仮に廃業することによって、これまで貸金事業から得られていた収入を失うことになったとしても、法改正が著しく不合理であり違憲立法であるとは言えないでありましょう。


③生存権(25条)が侵害されるか

これも主張する点が一体何なのか判り難いのですが、貸金業者が失業してしまうことによって生活が脅かされる、即ち生存権が侵害される、ということかと思いました。

通常の労働者や自営業者などが失業することで、全て生存権侵害となるかと言えばそうではないでありましょう。失業してしまった場合には、失業給付などの制度が設けられておりますが、自営業者は雇用保険に加入できないので失業給付を受けられない、ということなのかもしれません。仮にそうであったとしても、廃業や倒産などに関連する何らかの制度を利用するか、生活保護給付や失業時の貸付制度などはあるので、最低限度の生活を維持することが不可能な状況であるとは言えません。従って、法改正によりたとえ失業ということになったにせよ、違憲ということにはならないであろうと思われます。


以上のことから、
・営業の自由が侵害されるとは言えない
・財産権が侵害されるとは言えない
・生存権が損害されるとは言えない
と考えました。即ち、違憲立法とは考えられない、ということです。

憲法学者にこんなことを言うのは釈迦に説法ですけれども、最高裁判決では具体的事件を離れて違憲審査をする権限を有してはいないそうですから、実際に改正法が施行されて廃業・失業となった貸金業者が提訴してみない限り、裁判所判断を仰ぐことはできないでありましょう。


日本の憲法学者というのは、何かの検討を行ったりすることなく「憲法22条、25条、29条違反という違憲性が問われてしかるべき」というような、安易な意見を新聞に書いたりするものなのでありましょうか。できれば、憲法学者の見解というものについて、曖昧な表現などではなく、憲法学的な表現でお聞きしたいものです。法学上の解釈の相違というものが存在することは受け入れるとしても、憲法学者がただの一つの解釈すら言明しない違憲性というものは、一体どれ程の信憑性があるものなのでありましょうか。どのような裁判においても「憲法違反である」旨主張することは可能なのであり(時々原告側主張で見かけるように思います)、それが認定されるか否かは別として、ありがちな主張の一つとして並べてみた、という域を出ないものではないかと思います。これが日本の憲法学者の標準的レベルということなのでしょうか。



安い麻薬でお手軽なようだね―「チーズ」

2007年06月20日 20時02分58秒 | 社会全般
危険な薬物である、と判っていても、「解禁せよ」「規制をなくせ」とか言うのかもしれんね(笑)。初めて知った、こんなお手軽な麻薬があるなんて。

時事ドットコム:新麻薬「チーズ」で若者21人死亡=1回分わずか250円-米南部

米南部テキサス州を中心に、「チーズ」と呼ばれる新たな麻薬が中学生らに流行し、社会問題になっている。1回分がわずか2ドル(約250円)と低価格なため、入手が容易な上、危険性が高く、同州ダラス地域で過去2年間に少なくとも21人の未成年者が死亡した。
 ダラス警察や米メディアによると、チーズはメキシコ産ヘロインと市販の頭痛薬「タイレノール」を粉砕して混合する。ヘロイン濃度は2~8%程度ながら、頭痛薬との相乗効果で覚醒(かくせい)作用が膨らむ。しかし、過剰摂取などで呼吸が停止する危険があるという。



次々色々な薬が出回るんだね。こんなに安く手に入るとは意外だ。

参考記事:

「ご利用は慎重に」

報道被害はいつも急増中だよ


本当に解禁して「使用者側が注意すればよい」というのはかなり問題があるだろうね。でも解禁派は経済学徒には大勢いるだろう。


金を借りるにも、自己制御できないというのが問題なのであれば、行動規制の為に免許制にでもしてみたらどうですか?>筒井阪大教授

かなり障壁もコストも高い規制だろうと思うけどね。借り手側に試験をして、合格した人たちだけ借りられるということにできるでしょ?(笑)運転免許と同じく、借り手規制を強化して金融教育を全員に施して、一定水準に満たないという人には借りさせなければいいわけで。ですよね?かなりコストがかかるが、貸金業者を救うには必要ということなんですよね?是非そういう制度を作ってみて下さい。

言うなれば、速度規制では「スピード狂」には効果がないから、最高速度は解禁して、運転者の教育と運転行動に問題のある者には運転免許を与えないということにした方がいい、ということでしょ?実際に効果がある方法を立案して制度として考えてみて欲しいですね。

金利規制では効果のない、行動に問題があると考えられる借り手が、今の貸金市場の3~4割とかいるなら、それらを市場から排除することになるから、これまでと同じ上限金利もしくは上限撤廃したとしても、ざっと1500万人中の3~4割とすれば450~600万人が市場から締め出されるね、ということですか?(笑)その人たちは行動に問題があるのだから、貸さないようにしなけりゃいかんね、と。そうですか。でも、そんだけ排除すれば、確かに多重債務者の大半は締め出せるね(笑)。大雑把に言って、3社以上から借りてる人たちはおおよそ600万人程度いるだろうからね(つまりは1~2社が限界ってこと?)。これまで「破産せずに」返せてきたのに、今後は貸せなくなる、と。経済学信奉者たちの言い分だった「何の問題もなく返している借り手」たちが、大量に締め出される、と。これも中々いい規制ですね。
まあいい、これは今は措いておく。

今後のこともありますから、実際の政策として現実的に取りえる方法を考えてみて欲しいものです。>経済学者の先生方



国税庁の頑張りとは裏腹に…

2007年06月20日 17時26分31秒 | 社会全般
国税庁は税務調査で頑張ってはいるものの、心配の種もあるわけです。

Yahooニュース - 毎日新聞 - <脱税事件>全国で231件、総額303億円 国税庁まとめ

全国の国税局が06年度に査察(強制調査)によって摘発した脱税事件は231件(前年同期比14件増)で、脱税総額は303億9800万円(同約30億円増)だったことが国税庁のまとめで分かった。手口が悪質だとして検察庁に告発されたのは166件で、うち消費税の脱税は前年度の2倍以上の23件で過去最高となった。また主婦や定年退職者による複雑な金融取引などを駆使した事件も目立った。




このように、指摘金額は300億円超なわけですが、ここから追徴された額はどの程度かわかりかねますけれども、重加算税を入れて6割くらいとしても180億円程度ではないかと思います。しかしですね、これをはるかに上回る損失ということもあるわけでして。

asahicom:追徴課税1330億円取り消し 武富士元会長の長男 - 社会

俊樹氏は99年に元会長夫妻から武富士株約1569万株を保有するオランダ法人の株式の90%を贈与された。00年度の税制改正前は海外に住所があれば課税されないのがルール。97年に武富士の香港駐在役員として赴任した俊樹氏は、贈与された当時は香港が生活の拠点だったとして税務申告しなかった。

 鶴岡裁判長は、俊樹氏が制度改正前に財産贈与を受けるよう会計士からアドバイスを受けたことは認めたが、当時は国内よりも香港での滞在が長く、現地法人の代表として勤務していた点などに照らし、日本に住所地があったとはみなせないと判断。海外赴任が税逃れの目的だったとは言い切れないと述べた。

 俊樹氏は05年に提訴。国税局の指摘に応じて延滞税を含めた約1585億円を全額納付したうえで争ってきた。原告側代理人の試算では、現時点で判決が確定した場合、国は還付加算金を含め約1715億円を返還する必要があるという。




もしもこの判決が確定しますと、約130億円多く払わねばならないことになりますからね。査察なんかで回収された額が吹き飛ぶ可能性がある訳です(笑)。となると、査察部のみなさんは一年間タダ働きと言いますか、無駄働きみたいなことになってしまいますね。
今後裁判で争うのかどうかが焦点でしょうが、もしも争い続けて最高裁とかまで行って敗訴が確定しますと、年数が相当行くので年利5%とか6%とかの利息を付けて返すことになる(?)のですよね?そうなれば、300億とか500億とかの莫大な損失を出すことになります。
大丈夫でしょうか?国税庁。ちょっと心配。
というか、かなり不安。一か八かに賭けますか?
裁判で負ければ、「500億円付け足して払ってね~」みたいになって、納めた方はかなりウマイ話ではありますな。


参考までに、国税納付の期日が遅延しますと、大変な暴利を貪られることになっていたはずですよね?(笑)
定かではないが、忘れていて1週間程度入金が遅れたりしようものなら、罰として納付額の5%くらい取られたはずではなかったかと思いますね。「トイチ」並みに厳しい取立てなんですよ(笑)。更に期日が一定期間遅れた時には、これに上乗せして遅延損害金みたいなのを納める制度ではなかったかな?違った?
これって、納付業務を無料で代行させておきながら、過誤があれば金までむしり取るという恐るべき制度になっているんだよね。社会保険庁の年金払い漏れみたいなのが「遅延損害金」の上乗せとか無いにも関わらず、だ。

どう考えても消費者契約法の遅延損害金の年利をはるかに超える罰則となっているんだよ。何で国税庁の為に、タダ働きを強いられにゃいかんのよ。本来は、代行事務手数料をくれてもいいはずだろうと思うのだけどな。その業務をイヤイヤながらも代わりにやってあげているのに、ちょっと入金日を忘れて遅れたら、ぼったくられるという恐るべき制度になっているのだ。ま、お上には逆らえないという悲しい制度で、虐げられてしまうのさ。国税というのは、「取れる所からは、どんな手段でも確実に取ってやる」という組織なのであろう(笑)。



最近の学者は人間力が足りない(笑)

2007年06月20日 11時12分17秒 | 俺のそれ
ネット上で注目を集めていたらしい学者さんの魂の叫びですが、まだまだ甘いと言わざるを得ないですね。
戦いとは孤独なものなのですよ。

厳しいことを言わせて頂きます。
10年頑張ってきたって?その程度なら、
もっと戦ってきた人たちは大勢いるわけで。

例えば熊本水俣病では、つい04年まで訴訟が続いていた。その間の戦いでは、無理解さに腹が立つことも多くあったに違いないでしょう。どうして誰も援けてくれないんだ、と叫びたくなる気持ちは分るように思えます。それこそ、気が遠くなるような、地道な努力の積み重ねであったろうと思いますよ。ですので、何かを変える、誰かを動かす、ということは並大抵のことでは達成できないのですよ。そうであっても、無力さや虚しさに苛まれながらも、前に進むしかない。一歩でも、或いは半歩でも、前を見て何かを信じて突き進むしかない。世の中の大半の人々は、そういう無力さと伴に生きている。タチコマが言った「なんて無力なんだ…」というのは、誰しもある当たり前の感覚なのだ。それが現実。

審議会で話す機会を持っていたって?
ならば、それだけでも十分恵まれているでしょう。普通の人々には、その席にすら辿り着けないのですよ。学者故に、その会議の席上にいることができたのですから、チャンスはあったわけですよ。そこで説得できなかったのは、自らに責任があるのです。誰もついてきてくれないのは、人間力が足りないからだ(笑)。

迂腐なる学者というのは、自らの失敗を感じ取ることができないのだ。だからこそ皆は離れていき、誰かの心を動かすことができず、心に響かないから説得できないのだ。それでは何も変えることができない。


というのは冗談なので本気にしないで頂きたいですが、一部は当てはまることも含まれているでありましょう。基本的には、たった独りであろうと、誰からの支援などなくても、戦い続けなければならない時はあるでしょう。


前にコメントに少し書いたが、貸金業の上限金利問題について振り返ると、自分が書き続けたのも同じようなものだったと思う。

何処にも支援する人々などいなかった。賛同者などいなくても、書き続けるしかないのである。ひたすら自分で考え、できる限りの論点提示を行い、それが届くのかどうかも判らないけれども、訴え続けるしかないのだ。どこかの誰かに届いてくれ、誰かが読んで気付いてくれ、そういうことを祈りながら(ほとんど妄想でしかないのだが)書いていくしか、私にはできなかった。それ以外の手段は持ち得なかった。

有力な反対派は多数いるわけだし、周囲を見渡せば”敵”だらけだ(笑、本当は敵とか味方とか無いんだけど)。途中で諦めかけたこともあるし、無力さを痛感することもある。わけのわからん、レモンだかイチゴだかの掲示板だったかにも、どこかの親切な人が名指しで晒してくれたりもしたようだし(これに気付いたのは、数ヶ月後であったが)。まあ、この程度ではネット世界の出来事だから、どうってことないし、大した影響力もないだろうから別にどうでもいいんだが。

それ以上に重大な影響力があったのは、現実世界での国会議員たち、貸金業界のお偉方、広告関連業界、米国関連団体、そういった部類の人々だったろう。こういう巨大な相手と真っ向勝負を挑まねばならないわけだから、普通では敵わない。到底勝てそうにない。自分1人の力ではどうしようもできない。
ただひたすら、誰かに届いてくれること、これを信じて書く以外にはなかった。マスメディアが取り上げてくれなければ、何も動かなかっただろう。マスメディアがチャンスをくれたのだ。彼らが動いたのは、弁護士団体とかの働きかけなんかがあったのかもしれないが、心を動かされたからだと思っている。

米国の年次要望書は05年以前の段階で上限金利撤廃ということを求めていたはずだし、昨年秋頃には米国商工団体?とか、ACCJのような団体が猛烈な巻き返しを図ったりもしていた(報道から推測されただけだが)。もしも関連の族議員たちがこれに同意してしまうと、大勢は決していたであろう。国会議員たちは、金などの支援を受けるのはこれら業界団体とかであって、多重債務者たちをいくら救ってみたところで何のメリットもないであろう。基本的に他人に出せる金などあろうはずもなく、国会議員に献金してくれたりはしないからね(笑)。与党内での主導権を握っているのは、こうした業界を仕切る族議員たちだからね。彼らを踏み止まらせるには、大衆の攻勢に期待する以外になかったのさ。ロビーの効果を阻止できそうな唯一の手段とは、大衆の力を動員することだったのだ。

だから、カスケードの威力に期待するしかなかった。生物の伝達機構に似ているんだよ。
最初の反応は、ごく少数だ。たった一つの酵素を活性化するというような。初めは一個のタンパク活性化でしかないけれども、正のフィードバックが働けば、川下の反応は爆発的に増加し、最終的には生成物が膨大になるのだ。この威力に賭ける以外にはなかった。大衆支持が集まっているのではないか、と相手が感じ取りさえすれば、現実にそれが起こっているかどうかは別として、国会議員たちの決定行動を左右することになる。米国の要望よりも優先すべき事項として、浮上することになる。それと、相手側主張の論点をある程度潰しておくことは、多少なりとも意味があったのではなかろうか、とは思う(妄想に過ぎないが)。


刺激を与える時、学者さんというのは、適切な形で与えられないことが多いのではないかと思う。それは学者故に難しく表現してしまったり、ということがありがちなのではないのかな、と。相手に判りやすく伝わっていない、ということなのではないのかな、と。自分は専門に研究しているのだから、用語とか理論とかもよく知っているし、全て分った上で話したり説明したりするかもな、と。でも、聞き手側(国会議員さんとか、マスメディアの人々とか…)は、みんなが細かいことを知っている訳ではないからね。なので、割と分りやすく提示しないと、伝わり難いのではないかと思う。理解されなければ、賛同も得られないのは当たり前なのですね。最初にやるべきは、何を知ってもらいたいのか絞り込んで、理解してもらうことだと思う。

それから、何かを変えるメリットというか、未来像とかみたいなものを、具体的に「こうしたらこうなるだろう」「こんな未来が開けてくるよ」というようなことを出さないと、誰も「変えてみようかな」とは思わないのではないかな。特に、多くの国民にとって「メリットが大きい」ということを提示しないと、ただ「アイツ等が利権を守って金を溜め込んでいるんだ、アイツ等が間違ったことを言ってるんだ」みたいに言っても、理解が得られにくいのではないのかな、と思う。国会議員さんだって、それなりに忙しいんだろうし、論文とか本1冊を「ハイ、嫁」とか言われても、読みたくないことが多いだろうからね。特に、自分にはあまり興味や関心の無い分野ではそうだろう。なので、できるだけ簡単に、箇条書き程度に示すことができれば、賛同してくれる人が現れる可能性はあるかもしれない。政治の世界では、「ワンフレーズ」が大事だからね。目前に迫ってきている参院選でも、何かいいワンフレーズはないのかな~ってな具合らしいですので(笑)。


後は、何とか頑張ってみるしかないのでは。信念に従って、正しい、と思うことを訴え続けるしかないのでは。孤独な戦いを続けられないのであれば、やっぱり何も変わらないかもしれない。



何と「トラ退治法」適用らしい

2007年06月20日 00時07分00秒 | 法関係
航空機での酔っ払いにキツイお灸ということのようだ(笑)。

Yahooニュース - 読売新聞 - JAL機内の酔っぱらい男を書類送検、迷惑防止法を適用


旅客機内で酒に酔って騒いだとして、警視庁東京空港署は19日、大阪府豊中市内の無職の男(40)を「酒に酔って公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律」違反の疑いで書類送検した。航空機内の迷惑行為に、同法が適用されるのは極めて異例。

 調べによると、男は先月13日午後1時前から同2時過ぎにかけ、鹿児島発羽田行き日本航空1868便の機内で、酒に酔った状態で客室乗務員に向かって「お前の対応はなってない」と大声で騒いだほか、羽田空港に到着した際にも、自分の顔をのぞき込んだ乗客の男性に「何だこの野郎」と大声でどなった疑い。




こういうことのようです。でも、書いた記者氏は勉強不足。「迷惑防止法」などという略称法令名ではありませんよ。きちんとした略称が決まっているのです。
それは…
「トラ退治法」です。若しくは「酔っ払い防止法」だよー(笑)

これまで何度か取り上げて書いたではありませんか。

これって誰が決めるの?

薬物規制の境界線


記者氏は、まだまだだね(笑、冗談です)。
結構古くからある法律なんですから。


上の参考記事に書いたように、トラ退治法の第4条規定の適用であると思いますね。

一応、再掲しておきます。

第四条  酩酊者が、公共の場所又は乗物において、公衆に迷惑をかけるような著しく粗野又は乱暴な言動をしたときは、拘留又は科料に処する。

恐らく、あまりに酷い状況であったのでしょう。
それ故、キツーイお叱り、ということになったのだろうと思いますね。


話はズレますが、昨年書いた参考記事には、「へえ~」が連発されていましたが、これが問題表現として殊更に取り上げられることもあるので、不快に思う方々もおられるかもしれませんが、過去の記事ですから、そのままにしています。

こういうのを書くとふざけてる(おちょくってる?)と誤解されるのかな?
そういう意図ではないんだが。
流行りに敏感なだけで(笑)。

家柄といいますか、野卑な血筋なのが明らかということで。
生まれ持ってるものがアレだな、先祖の影響とか。
高貴でない、というのは間違いないわけだから。
これは後天的にはどうしようもないからね。

ま、そゆこと。



早口言葉?(追加あり)

2007年06月19日 17時17分22秒 | 社会全般
オヤジギャグなんだけど。

(見出しだけチラッと見て冗談を書いたら、本当に酷い爆発事故だったみたいだ。あまりにも不謹慎につき、ここにあった記述を削除させて頂きました。すみませんでした。)



もっと関係ないけど、「スパ」と「スカパー」は全く関係ないのに、並んで表示されていると、一瞬見間違いというか何か関連がある記事なのか、とうっかりしてしまう。

間違えない?

そうですか。失礼。


追加ですけど、もっと無関係なのに、大発見。
でもないか。

マニアックスとアニマックスも似てる。


ところで、コカコーラのCMで「NEX」というのがあるが、あれを見て思い出した。
ウチの妻はこの前本当に

「アレ、なんて言ったかな。ほら、『ネクスト』買ってきて」

と言っていた(爆)。

でも、「NEX」って、欧米か?
じゃなくて、恐竜か?―それは「REX」か。
じゃなくて、判例か?―それは「LEX」か。(→超マイナー)

で、結局コーラは何だっけ?
ああ、ネクストか。
いや、クリネックス、、、ティッシュか!
違う!!ねっくす!!

こういうのを、本当の「笵増」と言います。


えっ?オチがもっと分らない?
うーん、ごめん。

「笵増」といえば「亜父」。
これ、声出して読んでみて……つまらんな。
すまない。


昔(学生時代?)どこかで見た気がするからさー
ちょっと使ってみたかっただけ。



集蛾灯には集蛾灯の意味がある(笑)

2007年06月19日 17時00分46秒 | 俺のそれ
デンパ艦長は、彼なりの「集客効果」判定という経験則を持っている。今回の燃料投下を意図したのは何故かと言えば、勿論「自著発売」である(笑)。これまでにも「どういう釣り餌を撒けば釣れるか」ということを試してきているからね。ターゲットは弐ちゃんとか、ウヨとか、そういうネット上にありがちな特定層を想定し、そこら辺に色々と仕込みをやっておけば後は「自動的に」野次馬たちが増えていき、情報を勝手に拡散してくれて、自分の注目度を高められるという目的を達せられるということである。中々うまい宣伝効果であった。


反応してしまった時点で、勝敗は決してしまっていたと言っても過言ではないな。まあ、私も反応してしまったので、釣られた人々と同じなんですけどね(笑)。要点としては、「何処に狙いを定めるか」「動員(煽動)効果はどれくらいあるか」「いかに上手くラベリングするか」というところだろうか。対象となる集団が影響力をあまり持たない程度に少ないと、動員効果はあまり期待できない。例えば「利触れ歯」とかに焚きつけても大したことない、みたいな。

元が少ないと大したことがないし、あまり関心の無い層の方が圧倒的に多いので、カスケードの威力が発揮されない。なので、もっと「みんなが取っ付き易いネタ」であることと、対象集団の大きさ、の2つが必要になってくる。そういう意味においては、「果て名」を狙ったことは正解であった、と言えるだろう。「果て憮=イナゴ」というお得意のラベリングが絶妙に決まった、ということだね。

彼らがデンパ艦長の煽りに反応してアクセスすればするほど、デンパ艦長のページランクは上がって行き、必然的に彼の著書の宣伝ページも上がっていくことになるだろう。


なので、デンパ艦長は本物の釣り師だし、中々「やるな」ということなんですよ(笑)。
彼にとっては、果て憮コメントの水準とかネット言論の質が云々とか、そういったことは多分どうでもいいことだと考えていると思うよ。別にネット世界を浄化してやりたいとか、言論界を変えていこうとか、そういう目的みたいなものも恐らく持ってないはず。自分にとっての利用価値を見出せただけに過ぎない。釣りを開始してから、自分の利益になるということを実感しただけだろうな、と。で、釣り効果を期待できるデンパを、いつも鋭い感度で拾っているわけですよ。そこにタイムリーな燃料をちょっと投下して、後は軽く「ふいごでふーふー」してやると、いい具合にメラメラと燃えてくるわけだ。どうやったら相手が「メラ」っと来るかを知っているんだよね。そこがまた、ニクイんだな、これが(笑)。ま、これはこれでしょうがないよ。天然っぽい部分もあるし。


まんまとデンパ艦長の策略にハマって釣られた人々は、深入りしない程度で捨て置いた方が得策であると思われます。やればやるほど「お手伝い」になってしまいますな。囲碁で言うところの「車の後押し」みたいなもんです。

自省の意味で書いてみました。



コンニャクゼリーの問題と裁判を考えてみる

2007年06月18日 15時56分59秒 | 法関係
Yahooニュース - 毎日新聞 - <こんにゃくゼリー>事故相次ぐも、各省は法的措置取れず

こんにゃくゼリーによる窒息死事故が相次いでいる問題で、消費者団体などから製品の回収や販売禁止を求める声が高まっている。しかし、食品に衛生上の問題がある場合は厚生労働省が回収などを命じるが、食品衛生法には窒息などの事故に関する規定がなく、同省は回収命令などは不可能との立場。農林水産省や経済産業省も同様の理由で強制力ある措置を取れず、制度上の不備が明らかになっている。
 こんにゃくゼリーによる窒息事故は、商品が普及した90年代半ばから発生。国民生活センターによると、95年以降に約40件発生し、6歳以下の乳幼児5人と60歳以上の高齢者3人、40代の女性1人が死亡した。今年3、4月に7歳の男児2人が相次いで窒息死し、改めて関心が高まった。
 対策強化を求める消費者の声に対し、厚労省監視安全課は「食品衛生法で販売禁止や回収を命令できるのは、食品に腐敗や有害物質含有などの問題がある場合だけ。のどに詰まらせるのは、あめや餅と同じで規制の対象外」と説明する。
 食品表示に関するJAS法を所管する農水省は先月下旬以降、全日本菓子協会など関係3団体に再発防止を求める文書を出したが、「処分できるのは品質表示基準に違反したもの」(表示・規格課)と話す。欧州連合は03年、ゼリーへのこんにゃく使用を禁止したが、同省特産振興課は「コンニャクイモから精粉したグルコマンナンは欧州では食品添加物扱いなので規制できるが、日本ではこんにゃくの原材料として使われているため禁止できない」としている。
 消費生活用製品安全法を担う経産省も「食品は農水省や厚労省の分野」と所管外を強調する。
 こうした状況を主婦連合会(兵頭美代子会長)は「今回の事故はこの間の行政・業界・企業の取り組みが全く効果のない対症療法的な措置だったことを示している」と批判。食品、日用品などの種類を問わず、すべての消費生活用品を対象とする強制的リコール制度の導入▽官庁や業界の枠を超え一元的に事故防止策を講じる「事故防止センター」の設立――などを求める要望書を、安倍晋三首相や柳沢伯夫厚労相らに提出した。
 3月に学童保育のおやつでこんにゃくゼリーを食べ窒息死した三重県伊勢市、村田龍之介君(当時7歳)の母由佳さんは「(こんにゃくゼリーが)10年前になくなっていれば息子の事故はなかった。命を危険にさらす商品はなくなってほしい」と訴えている。【望月麻紀】




一応提訴ということで、司法の場で争われることになったようです。

Yahooニュース - 読売新聞 - 三重でもこんにゃくゼリー男児死亡、両親が市と製造元提訴

三重県伊勢市の民間学童保育所で今年3月、同市内の小学1年生男児(当時7歳)がこんにゃく入りゼリーをのどに詰まらせて死亡する事故があり、男児の両親は15日、死亡したのは、製品そのものに欠陥があり、学童保育事業を委託していた同市も安全対策を怠っていたためとして、製造元の食品製造会社「エースベーカリー」(愛知県小牧市)と伊勢市を相手取り、計約7500万円の賠償を求める訴訟を名古屋地裁に起こした。




この問題も、以前に書いたパロマ製品の一酸化炭素中毒問題(一酸化炭素中毒死を考える続・CO中毒死の事故)と似ています。お子さんが亡くなられたことは残念ですし、無念であるとは思いますが、どこに責任があったのか、ということの検討は別に行われるべきであると思いますので、考えてみたいと思います。

省庁側の説明については、もう少し具体的に踏み込んだ見解を提示した方がいいのではないかと思われました。マスメディアお得意の「切り取り」(一部の語句だけが切り取られて、一人歩きしてしまう)で、誤解を招くような省庁回答とか理由付けが行われてしまいかねない(変な形で利用されてしまう)ので、各省の担当者が話し合うなら話し合って、共通の回答書みたいなものを作成しておいた方が宜しいのではないかな、と。


問題点を次の3つに分けて考えてみます。

1)窒息事故の危険性についての考え方
2)コンニャクゼリーはどの程度危険なのか
3)窒息事故の責任について




1)窒息事故の危険性についての考え方

まず、昔と今では、今の方がはるかに安全になっていると思います。それ故、「もっと安全にするのは当たり前、完璧な安全を!」ということを消費者側が求めるというのは、昨今の特徴的傾向なのかもしれません。

①不慮の事故による低年齢者の死亡数及び死亡率

人口動態調査で見ると、私が生まれた頃の1965年では4歳以下の死亡数は1839人、死亡率では66.8(人口10万対)でした。これが80年には869人、同34.0とほぼ半減、90年には415人、同19.8、05年では168人、同8.5と大きく減少してきました。つまり、昔に比べれば安全性は改善されてきた、ということです。出生数が減っているので、母親が注意して見てられやすいとか、そういう別な要因などもあるのかもしれませんが、私が幼少の頃の10分の1にまで減少しており、死亡率でも約8分の1くらいです。ここ10年で見ても、95年の半分くらいに死亡数が減っています。逆に不慮の事故死が滅多に遭遇しないものであるということで、それ故、「何故ウチの子だけが、絶対に許せない」という思いが強まるということもあるかもしれません。日常からは「死」というもの、その危険性や実感といったものが稀薄になってしまった結果なのかもしれません。

5~9歳で見ても、ほぼ同じ傾向であり、65年に527人、死亡率34.7だったのが、80年には321人、同16.0、90年には154人、同9.7、05年では65人、同5.5となり、死亡数は約8分の1、死亡率は約6分の1まで減少してきたのです。

◎昔に比べると、不慮の事故死は減少し、死亡数と死亡率ともに減少してきた。05年では4歳以下の死亡数は168人、5~9歳では65人であった。


②不慮の事故のうち、窒息に関する死亡数

直近の05年の人口動態調査を見ると、不慮の事故のうち、ア「気道閉塞を生じた食物の誤えん」と、イ「気道閉塞を生じたその他の物体の誤えん」という項目がある。乳児では食物誤嚥が多く、アの死亡数は0歳で24人、1~4歳では7人、5~9歳では3人となっていた。同じくイの死亡数を見ると、順に5、3、2となっていた。0歳における食物による窒息は「結構危険性がある」と知られていることが多いだろう。ところが、5歳以上になると食物の窒息とその他物体による窒息では、明確な差がないのである。他の死亡原因としては、ウ「詳細不明の窒息」というのがあるが、これも順に21、3、2となっており、アの死亡数とほぼ同じくらいの水準であることが分る。5~9歳においては、食物、他の物体、詳細不明の窒息による死亡数(順に3、2、2)には、殆ど違いが認められていない、ということである。

◎乳児においては食物の窒息死は割と見られるが、5~9歳においてはその他物体等食物以外の原因による窒息と大差がない。


2)コンニャクゼリーはどの程度危険なのか

30歳以上のアでの死亡数はかなり多い。同じ統計を見ると、30~44歳で63人、45~64歳で566人、65~79歳で1467人、80歳以上で2329人となっていた(一年間の死亡数である!)。要するに、桁違いに多い、ということである。コンニャクゼリーでの死亡は、上の毎日の記事では、95年以降で60歳以上の高齢者3人ということから、そのリスクは極めて低い部類に入ると考えられる。単年度で約3800名の食物誤嚥による死亡者がいるのですから、これが10年間ともなれば恐らく約3万人(高齢者数が年々増加してきたので10倍まではいかないと思うのでザッとの水準)中の3名と推定され、他の食品の危険性の方がはるかに問題であろうと思われます。

◎高齢者約3万人はコンニャクゼリー以外の食品で窒息死、コンニャクゼリーでは3名死亡。

<乳幼児よりも大人の死亡数が増加していることに疑問がある方もおられるかもしれませんが、多分内科的疾患等で障害を持つようになれば反射の低下などを生じるので窒息するリスクは増加するであろうと思います。特に高齢者では疾患を有する者の確率が増えるのと機能低下によるものとが混在しているので、数千人単位での死亡となっているものと思われます。毎年毎年「モチで窒息死亡」というニュースが出ますので、そちらの方がはるかに危険ということになりましょう。>

比較する他のリスクとしては、家庭内の浴槽における溺死があります。同じく05年人口動態調査の「浴槽内での及び浴槽への転落による溺死及び溺水」という項目を見ると、0歳は7人、1~4歳は26人、5~9歳は6人、10~14歳は12人、15~29歳は31人、30~44歳では63人といった具合になっており、割と死亡数が多いことが判ります(自然の川や池などでの溺死は別項目です)。特に、5~9歳での死亡数6人は、窒息による死亡ア、イ、ウを合わせた死亡数と同じです。

◎5~9歳では、「家庭の浴槽での溺死」と(ア、イ、ウ合計の)「窒息による死亡」は(05年統計においては)同程度の死亡リスク。よって「食物による窒息死」は家庭の風呂で溺死するよりも少ない。コンニャクゼリーで窒息死する数はもっと少ない。


各省庁の担当者たちは、せめてこれくらいの説明とか、理由付けとかくらいは考えて欲しいものです。優秀な官僚諸君が何人も集まっているのですから、これくらいは考えられるはずでしょう?(笑)


3)窒息事故の責任について

提訴ということにもなっていますので、ここが一番問題になってくるであろうと思います。前述した危険性から考えられること、そして窒息事故が防ぎえたのかについて考えてみたいと思います。訴訟では児童が7歳なので、5~9歳の範囲だけで考えてみます。

①コンニャクゼリー特有の事故なのか

・家庭の浴槽で溺死する危険性よりも少ないが、食品による窒息死亡事故は起こりえる。
・原因となる食品はコンニャクゼリー以外でも起こっている。
・コンニャクゼリー登場以前においても、窒息死亡事故はあった。
・コンニャクゼリー特有の危険性とまで言える証拠は見られていないが、検証が十分とも言えない。

危険性の評価ということになれば、他の食品との比較が必要になってくるであろうと思います。ソーセージ、ピーナッツや豆類などは窒息死亡事故が発生していると思われ、こういった食品との比較を行って、ゼリー特有の危険性があったかどうかを見なければ何とも言えないのではないでしょうか。コンニャクゼリーの摂取10万回(10万個)と、同じくピーナッツ摂取10万回とで、前者が誤嚥窒息をもたらし易い、気道閉塞のリスクが高い、というような結論でも出せない限り、正確な判断は困難であろうかと思います。そうではあっても、今のところ、「コンニャクゼリーは他の食品に比べて窒息死亡するリスクが高い」とは言えないでしょう。多分「モチ」による死亡リスクの方が高いとは思われますが、若年層での調査とかがなければこれも定かではありません。コンニャクゼリーが商品として登場する以前から、食物による窒息死亡事故はあったと思われます(統計的にはまだ確認していませんが、まず間違いないでしょう)。

◎仮に、この世にコンニャクゼリーという食品が存在しなかったとしても、「食物による窒息死亡事故」は起こってきたし、起こりえるものである、と言える。コンニャクゼリー登場以後に、「食物による窒息死亡事故」が増加した、という証拠は恐らくないでしょう。コンニャクゼリーが特別窒息死亡リスクを高める食品であるとは言えないでしょう。

②コンニャクゼリーの製品間で明らかな違いがあるか

これも、正確には判りません。報道では、製品及びメーカー名が2社だけが消費者センターから公表されたようです(実際の製品を見たことはないので、どのようなゼリーなのか判りません)。
ここで争点となるのは、これらメーカーの製品自体に「誤嚥窒息を招きやすい形状」という原因があり得るか否か、です。他のコンニャクゼリー製品では全く起こらずに、このメーカーだけが複数回窒息事故となっている、というような状況証拠が必要になるでありましょう。また、嚥下機能評価の観点から「気道閉塞を来たしやすい形状である」ということが、他製品と明確に区別される必要性があるでしょう。偶然にも生じた1回だけの事故だけでは、そこまで確定的に判断できる材料とはなり得ないと思われます。これはたとえば、中国産のピーナッツで窒息事故が起こり、千葉県産では起こっていないとすれば、「中国産ピーナッツの形状に問題があった、窒息原因は中国産ピーナッツのせいだ」という無理な断定を行うようなものです(これはあくまで例示ですので、事実とは何ら関係ありません)。

ただ形状的に完全閉塞しやすいというものがあるかもしれず、たとえば「ボール状」「円柱状」などの気道形状と似たもので、直径等の大きさも極めて似ている、ということであれば、他の形状の製品との違いが起こりうるかもしれません。完全閉塞を防ぐ為に、製品工程の改良などが必要になってコスト高になるかもしれませんが、たとえば「ハート型」「スペード型」のような気道形態とは異なるものにしておけば、仮に誤嚥したにしても気体の通過スペースを生み出せる可能性はあるので、窒息死は免れる可能性があるかもしれない、ということです。他社製品ではそうした形態となっていたが為に窒息死亡事故がなかったとすれば、特定形状(ボール状とか)のコンニャクゼリーを提供することは慎重さを要求されるかもしれません。

でも、これは研究してみないと何とも言えないでしょう。ゼリーに角があることで、逆に喉頭蓋付近に引っ掛かりやすく窒息リスクを高めてしまうかもしれませんし。なので、当該製品の形状に原因があったかどうかを判定するのは、やや難しいかもしれません。

◎コンニャクゼリーの製品間で明確な違いがなければ、当該製品特有の危険性があったとは判断できない。

③窒息死亡リスクについての予見性と注意義務

・コンニャクゼリーは他の食品に比べ窒息死亡を招き易い食品であると認識できたか
・死亡事故の情報が製造側や提供(児童施設職員等)側に十分伝わっていたか
・本人に起因する原因はなかったか

これらの辺りが争点になってくるかもしれません。
第一の点では、これまで見てきたように、他の食品と比べて危険性の高いものであるとは認識できなかったと思われます(危険性が高い食品であることを示す証拠自体が不明確)。ですので、施設のおやつとして提供する食品にコンニャクゼリーを選択したことに過失はないと考えられます。

第二の点ですが、製品情報として死亡事故情報が製造側に知られていなければ、製造側はそのまま提供し続けるでありましょう。消費者センターに寄せられた情報を元に、センターが製造元に注意を促す情報提供などを行っていたのであれば、事故への対策を何か講じるべきか否かを検討しているでありましょう。もし製品にその原因がない、という結論に達しているのであれば、これまで通りに製造販売が続けられるでありましょう。また、施設職員はコンニャクゼリーを食べることによって児童の死亡事故が発生している、ということを知っていたのであれば、例えば児童が食べる前に「一口で食べずに歯で分割、砕いて食べること」というような注意を与えるべきということも考えられる。しかし、窒息死亡事故はその他の広範な食品でも起こりえること、特別にコンニャクゼリーだけにその危険性があるとは知りえなかったこと、ということであれば、食べる前に敢えて注意喚起を行わなかったとしても止むを得ないのではないか。食べるたびに、毎回毎回この食品には窒息リスクがあります、食べる場合には生命の危険性があるものとして同意した人だけ食べて下さい、というような説明をせよ、ということになってしまいます。

第三の点では、色々と論点があるかもしれません。
分りやすいものとしては、嚥下反射に問題がある人というのは存在しており、普段は明確にはなっていないとしても誤嚥し易い人はいるのです。特に高齢になると嚥下反射や咳嗽反射などが低下している為に誤嚥が起こりやすくなってしまいます。咽頭反射が全般的に落ちてしまうことがあるのです。病気や障害の有無でも違いはありますし、元々咳き込み易い人とか、そういう個体差ということが関係するのです。更に、食べる時に児童が立ち歩いて食べていたり、天井を向いて(仰向けで)ゼリーを口の中に落としたり、といった通常とは異なる行動によって、誤って気道閉塞をきたすかもしれません。これら特殊な行動を取っていたのであれば、食品を児童に渡した結果普通に食べるのではなく、そういう特別な行動を取ることが予見できない限り事前に注意を与えることは困難なのです。こうした摂取する側の要因というものもあるので、一概に製品の責任とばかりは言えないでしょう。



以上のように、いくつかの論点はあると思いますので、直ちに「製品の販売を中止せよ」といったことは難しいのではないかと思われます。ただ、3)の②で述べたように、製品間での違いというものが判明し、若干ではあっても嚥下しやすい或いは誤嚥し難い形状の製品に改善すべきものであれば、そうした改良を施すのは製造側には求められてしかるべきでありましょう。それらに関する知識は広く消費者側に提供されるべきで、もしも安全対策を取らないメーカーということになれば、消費者側から選別されて淘汰されることになるでありましょう。なので、正しい情報がきちんと行き渡れば、仮にメーカーが対策を施さないということがあっても、売れなくなってしまうと思います。しかし、形状にも製品そのものにも問題がないのにも関わらず、「コンニャクゼリーは危険だ」という誤った認識を広く与えてしまうような報道とか情報提供は慎むべきでありましょう。


やや外れますが、医療裁判と同じような判決の出し方を考えてみますと、コンニャクゼリーの提供には過失があった、義務違反があった、という理屈が出される可能性は十分あると思います。マネをして架空の判決を考えてみますと、次のように言えます。

・因果関係を見れば、コンニャクゼリーを食べなければ窒息死亡することはなかった
(コンニャクゼリーが原因だ)
・コンニャクゼリーを食べて死亡した例が過去に複数あるのだから、死亡することは予見できたはず
・危険性について予見可能であったにも関わらず、提供を中止しなかったことは過失
(提供するなら窒息しない製品を提供する義務があったので義務違反)
・小さく切るなどの対策を取りえたのに、それを行わなかったのは注意義務違反
・他の製品においては大多数が死亡しておらず、コンニャクゼリーで死亡しない確率は90%以上
(なのに本件で死亡したということは過失があった)

こうして過失認定となり、コンニャクゼリーは販売中止となってしまうかもしれませんね。裁判結果というのは、それくらい影響力を持つものである、ということです。



多くの賛成意見よりも一つの反対意見の方が役立つかもしれない

2007年06月17日 15時41分55秒 | 俺のそれ
これまで書いてきたシリーズものの記事(自分勝手なシリーズなんですけど、笑)で共通するかもしれないと、どことなく感じていた。割とよく見かける自分の立場とは反対の人たち(以後、単に「反対派」と呼ぶ)が出している意見は、自分の考えや意見をまとめるのに役立つように思える。これら反対意見がなければ、自分自身の考えも深まりにくいかもしれない、ということだ。

過去に取り組んできたものでは、例えば人権擁護法案、郵政民営化問題、上限金利問題、などがあった。自分の立場としては、反対―賛成―賛成(規制に賛成)であったが、何れも反対派の意見の方が自分自身の理解には役立ってきた。現在話題になっている「ネットイナゴ」関連とか、ブックマークコメントとか、そういったテーマでも、恐らく自分が賛成する側の意見を探して補強するよりも、反対意見をよく見て考えた方が近道ではないかと思う。

私の印象として、自分と同じ賛成派の意見は、既に考えた論点・理由か、逆に役立たないか間違いやウソを含むものであったりすることが多いのではないかと思う。勿論、反対派の意見にも多くの間違いやウソは含まれるが、それらは検討すれば見破れるとか否定しやすいので、マイナスにしか作用しないのである。賛成派においても、同様の効果を持ってしまうのではあるが。反対派の意見というのは、主要な論点や意見であることは確かであり、理解してもらう(誤解を解く)ことができれば、収束とか実現に向けて突破していける可能性は出てくるのではないかと思う。

ただ、反対派が主張する論点を否定できたとしても問題解決に繋がるとも限らず、最後には「自分ならこうする」という意見を言うのが望ましい。無力化してしまった野党にしても、必ず「反対、反対」というのだが「ではどうするか」というのをまともに出していたことなどなかった。最終的な目標地点は、反対運動をやって相手側陣営を撃破することではなく、「ある問題」にどう対処するかということを目指しているのだから。それが政治、特に政策決定過程に現れてこなかったのは、その程度の知識人しか存在しなかったから、ということであろう。要するに、「神学論争」に明け暮れていただけ、ということ。


いつもの変な例で申し訳ないが、考えてみる。
いま、ある会員制サークルがあるとする。このサークルでは会費を集めて運営しているが、ある時お金が500円余ったのでその使い道をどうするか議論となった。主な意見では「ゴミ袋を購入しよう」という希望が多かったとする。やや少数派の意見としては「ゴミ袋よりペンセットを買おう」というものがあれば、双方とも、いかにゴミ袋、或いはペンセット購入の方が有利か説明したり、相手側主張を否定する為の意見を出したり、ということが行われるわけだ。この場合に、もしも「ゴミ袋を購入するか否か」を話し合って「ゴミ袋購入」を否定したとしても、それに代わる「500円の有効な使い道の具体的意見」を出さない限り、「ゴミ袋を買うか否か」の出発前の地点に戻るだけなのである。なので、「ゴミ袋を買うのは反対、ペンセットを買う方がいい」という意見表明をするのが望ましい、ということだ。

<やや外れるが、参考までに言っておく。
このサークルの会計係がいて、本当は500円余っているはずだったのに、「いや、残ってないよ」と言いながら、実は裏でコッソリ「コップ酒」を購入して飲んでしまっていた、ということがあるとする。多数派の意見として「ゴミ袋を購入して欲しい」という要望があるにも関わらず、それを購入しないばかりか、自らの為に優先して500円という予算を配分して使ってしまうということだ。このような時に、「会計係の為だけに500円を回すのはおかしい」、「みんなのお金が横取りされた」といった意見が出ても不思議ではないだろう。これを「会計係の特権なのだから当然」という感覚は、大きくズレてますね、というだけの話だ。政治的志向などには全く無関係に批判できるし、意思決定できるだろう。自ら思考せずに他人の意見を拝借するしか能がないにも関わらず、自分だけが悟ったかのようなことを言う人間がいるが、まことに滑稽である。
「ヤレヤレ、作品○○の本当の良さってのは~が××に述べてるように~~だから、そういうのは無知で鈍い大衆には分かりっこないんだよねー。」
で、自分の意見ではどうなの?あなたの評価は?それを言ってごらんなさい、と思うね。自身の意見はカラッポじゃん、ってこと。
訳知り顔の評論家然ってのは、賛同する気にはなれないな。結局自分自身は「何を、どう感じ、考えるか」であって、「よく判んないけど、面白かったー」という意見の方がまだ好ましく思えるが、誰かの意見を着飾らないと表明できない人もいるのだろう。>

まあ、何れにせよ、「ペンセットを買うのは絶対反対」とか「ゴミ袋だけは絶対イヤだ」とかの意見を出されることは仕方がないので、相手側主張を否定する理由を説明するか、自説を説明していくかしかない。提示した論点とか説明がある程度説得的であるならば、決定に際しては意味のあるものとなろう。説得的な論点・説明をあまり示せなければ、それが実現できなくなる、というだけの話である。


もしも大衆の判断に依存するのみでしか決定してこなかったのだとすれば、日本の政策決定過程に関わる人々―議員や官僚・役人や学者・有識者等―は誰がなっても大体同じであり、いてもいなくても結果はあまり違いはない、ということであろう。それとも、それら決定過程の人々の大半が迎合主義的で、特別にそういう人を集めてきたということなのであろうか。

大衆に働きかけて考え方を知ってもらう、大衆迎合を回避するべく決定過程を作りあげていく、決定過程に関わる人々について別な人選を行う、などといった取りうる方策はあるだろう。それなのに、ポピュリズムでしか批判できないというのは、ただ単に問題解決を考えていないだけなのではないかと思う。意見や主張が採用されなかった原因・理由というものを、自らに求めるのではなく、常に他の誰か―ありがちなのは「一般大衆」ということか―の愚かさに求めるしかできないのである。



イナゴ対策ってどうなんだろ?

2007年06月16日 11時22分16秒 | 俺のそれ
池田氏のネットイナゴ問題提起を受けて、はてなで色々と考えているらしい。
梅田氏とかも反応していた。


実際「はてな」という市場がそうなっているのか判らないけれども、他の代替マーケット(ブログサービス)は存在しているし、粗悪品が増えれば優良な人々は他に移っていくだろう。更に、評判が落ちていくので、優良な人は見なくなるとか、多くの人に信用されなくなるので情報源としての価値がなくなる。実際、大変有名な掲示板にしても、「所詮○○に書いてあることだから」という受け止め方がなされていることは多いかもしれない。なので、粗悪品の割合が一定水準を超えていけば、「はてな」市場は消滅するとか縮小していくだろう。新規参入も減ることになるだろう。今のところ、そういった兆候が現れているのかどうかは判らないのであるが。

そういう意味では、別に今のまま放置しておいたとて粗悪品を増やそうとする割合が多ければいずれそれなりの結果を生じるし、何かした方がいいかどうかは判らないが、一応少し考えてみる。

キーワードのようにピックアップして「禁句」登録しておいて、その語句を含むコメント表示はシステム的に弾く、ということも考えられなくはない。だが、それはかなり難しいと思われる。例えば「基地外」だの「氏ね」だのいくらでも生み出せるし、隠語化してしうまうと「ドキュンはズキュンに」とか「ウヨはイナゴに」とかいくらでも回避可能だろうと思う。さらに記号化されれば、具体的語句ではなくとも誹謗することは可能。なので、システム的に弾くというのは、技術的には可能であるとしても、実効性は乏しくなると思う。

では、どうするか。
それは「曖昧ルール」の方が運用しやすく、機能させやすいのではないか、ということ。主な防御機構として考えるのは、所謂スティグマ(stigma)だ。酷いことを書いた場合に、その人の評判を低下させるというもの。

①まず、ルールを明示しておく
②「はてな」の判定委員会(略して「は判委」?)が発見又は通報があったら審査
③ルールに抵触していると判断されれば、削除するとともにidを公開
④予め「掟破りの一覧」のようなものを設置しておく
⑤誹謗中傷を書き込んだidは、その「掟破りの一覧」に一定期間公開される
⑥すると、書いた人は恥じ入り、周囲の評判は低下する
⑦それを見ていた人たちは、止めようね、と自戒する

みたいな感じかな。どうなんでしょう?
ルールはできるだけ簡単なものがいいと思うし、曖昧さがあっても「は判委」がアウトと言えばアウトにできるシステムの方がいいと思うな。完全性を追及すると、かえって難しくなると思う。

野球で「インフィールド・フライ」を審判が宣言して、適用するのに似ています。故意にフライを落球させて、打者走者と塁上走者を同時にアウトにするのを防げるのですよね。ここでは「どのような打球がインフィールド・フライなのか」というのを厳密に定義していません。審判がそうだと認めたら、そうなるのですね。厳密な定義を要求する人たちはいますが、打球の上がる高さは何メートル以上とか、落下地点の範囲はホームベースから半径何メートル何センチとか、そういうのを完璧に判定しようとすると、適用が困難になってしまって、ルールとしては機能しなくなってしまいます。なので、原則としては「審判がそうだと言えばそうなる、審判が判断する基準で決まる」という曖昧な方が望ましいのです。

そういうわけで、削除に該当するようなものであるかどうかは「は判委」が審判の立場となり、この裁定は覆せないものとしておくのです。文句が出る可能性はありますが、もしもあまりに酷い誤審であると、その判定には批難が集まりますので、次からは「は判委」が誤審に注意するようになるでしょう。
「死ねばいいのに」などの表現はやめて、他の「理不尽」とか「逸脱?」とか何か別な表現に変えれば済むことではないかと思います。どうしても記事の内容に「納得いかない」(笑)ことは起こりえるので、どうしても「こりゃ、本当に常識外れなんじゃないか、酷すぎるんじゃないか、書き手は常軌を逸しているんじゃないか」というようなことを批判したいのであれば、別な表現をもって対抗するべきなんではないのかな、と。

まあ、私の場合、猛烈罵倒表現を繰り出すこともあったので、人のことは言えんけどね(笑)。

上に書いたような「stigmaシステム」(って、いつそんな名前が付けられたの?笑)であっても、弱点はあります。
一覧に晒され(表示され)たとしても、「オレにとっては痛くも痒くもねーんだよ」とかのツワモノはいるかもしれません。あと、ワザと「1ゲット」みたいに表示順の1位とか切り番を取ろうとする(?)便乗愉快犯のような者も現れるかもしれません。記念すべき「懲罰板の最初の人、イエーイ」みたいな。もっと困るのは、この掟破りの一覧があまりに膨大な人数になってしまって、実質的に「懲罰」となっていないような場合でありましょうか。「どーせ大勢載ってるんだし、全然平気さ」みたいになってしまうと、効力を失いますよね。もっと強力な罰を与えないとダメ、ということになってしまいます。
基本的には、はてな利用者の常識的行動に依存するシステムなので、対策を講じても効果がないとなれば、どんどん厳しい規則が作られていくので自分で自分の首を絞める結果をもたらすことになるでしょう。校則破りが酷くなっていけば、いずれ厳罰化が進められていくのと同じようなものです。そうなる前に、自分たちで何とかしておけばいいものを、やめないからそうなってしまうのですけどね。



介護問題を考える~「時は金なり」

2007年06月15日 21時42分37秒 | 経済関連
俺キンで取り上げられてたので、ちょっと参入。

切込隊長BLOG(ブログ) 毎日新聞がコムスン問題について正しいことを書いている件

<全く関係ないけど、以前「検事の視点」というパロディのれんを出してた時があったのを思い出しましたよ(笑)。近頃のブログ界隈では、ごく普通に「検事の視点」みたいな状況とか言説といったものが散見されるみたいで…ちょっと懐かしい思い出です>


根本的な誤りは、成長分野への資金配分をわざと減らしていることであると思う。以前から何度も書いているが、国内需要は非製造業であるサービスの比重が高いので、その分野での成長というのが必要なのである。サービスのうち、人的サービスに依存する分野というのは、主として健康・医療と教育があるのであり、「成長分野の2本柱」と書いたのである。こういう分野での付加価値とは、主に「買い手の時間」のようなコストから相対的に決まってくるものなのではないかと思っている。こうした成長分野への資金配分を歪めることによって、日本全体の成長を押し下げているのである。

介護のような人的サービスの依存度の大きい分野は、低成長であり付加価値も高められない、というのは実際どうなのであろうか。労働集約的産業は「もっと効率化せよ」「生産性を上げろ」と鞭打たれるのであるが、その意味を考えている学者たちは本当にいるのだろうか?確かに、教科書的にはその通りなのだが…。


参考記事:

医療費の分析~その1(追記あり)

女性がみんな働く社会環境をいち早く整備すべき

賃金に関する議論~補足編

崩壊は止まらない

続・「GRIPS」の生産性はどうなっているのか?



①単独では「撃墜王」になれない

すごくヘンな例であるが、考えてみよう。空軍チームがあるとする。チームは飛行機を整備し、出撃して何らかの戦果を挙げなければならない。チームにはそれぞれ「挙げた戦果」に応じた資金が配られるものとする。「挙げた戦果」とは、戦艦撃沈とか、相手航空機の撃墜とか、そういったことだ。チームには撃墜王のようなエース級のパイロットが存在しているものとする。このエース級パイロットは戦果が大きいのであるが、能力を最大限に発揮するには「十分な休養」「睡眠時間」といったことが必要で、それが達成できないと集中力に影響してしまい戦果は小さくなるものとする。

エース級は挙げた戦果でもらえる資金が100、他の平均的なパイロットは5であるとしよう。で、元々は全員が一律に自分の機体を点検整備し、銃弾補給や兵装整備を行い、出撃して戦果を挙げて帰ってくる、ということをやっている。エース級パイロットたちにこれを強いていけば、段々と戦果は落ちてくることになる。エース級に雑事をやらせるよりも、自分の戦果だけに専念してもらった方が良いのである。なので、他のパイロットなんかと同じく機体整備だのなんだのはやらせないで、戦果の低い人が代わりにそれら整備などを行う方が効率的なのである。エース級はそれら整備を他の人に委託するとしてその見返りを払うことになるが、その見返りが余りに低くて、他の誰かが「整備してもいいよ」と思える資金に達しなければ、誰もやってくれないだろう。自分で出撃して戦果を挙げる方を選ぶか、見返りの多い他の誰かの整備をやることになるだろう。整備の委託の見返りは、このチームのメンバーが得ている資金の大きさに影響を受けることになるのである。

この空軍チーム全体で得られる資金を大きくしようと思ったら、エース級に「自分の仕事に専念してもらう」ということが必要なのである。
周囲のメンバーのサポートがなければ、エース級といえども最大戦果は挙げられない。他のメンバーが可能な作業をわざわざやらねばならない。平均的パイロットはエース級の戦果を決して挙げることができないが、機体整備などに係る時間をエース級パイロットに提供することはできるのである。それぞれの人間に与えられた時間は、全員が等しく有限であり、挙げられる戦果の大きさには無関係な資源配分なのである。最大戦果を目指すにはエース級の時間を増やしてやらねばならないが、物理的には不可能なので他のメンバーが持っている時間を割り当てる、ということになるのだ。そうすることがチーム全体で見れば効率が良いからである。

サポート人員を付けて、エースにはエースのやるべき仕事、エースにしかできないことをやってもらった方が効率的である。


②時間を買う

戦果という尺度で評価すればこうなるが、現実世界では稼げる人がエース級パイロットということになるだろうか。稼げない人たちは、時間は持っているが、何かの能力とか資本とかを持っていないのでエース級と同じくは稼げないのである。単位時間当たり100万円稼げる鈴木さんと、5万円稼げる佐藤さんがいれば、鈴木さんの1時間というのは大変「高価な1時間」ということになり、佐藤さんであるとそうでもないということになる(これはあくまで便宜的に付けた名前であるので、実際には無関係です)。

仮に、移動時間が歩いて2時間、自動車だと10分かかる場合、稼げる鈴木さんならば時間を惜しんでタクシーで移動した方がよいのであるが、佐藤さんなら歩いた方がいい、ということがあるかもしれません。あと、部屋掃除とか洗濯などにかかる時間が同じであっても、鈴木さんがやらないで誰かに委託して自分の仕事に専念して稼いだ方がよく、佐藤さんならば委託するほど稼げないとなれば自分の時間を投入する方がいい、ということです。鈴木さんの行動(タクシーに乗る、家事を委託)は常に「時間を買う」ということと同じなのです。外部委託して、自分の時間を確保するということを意味するのです。鈴木さんの持っている時間は非常に高価なので、佐藤さんの時間の価値とは異なるのです。佐藤さんは家事を外部委託したりせずに自分の時間を投入することで、自らの稼ぎの少なさを挽回しているとも考えられます。


③時は金なり

稼げる人の時間は高価なので、もっと時間単価の少ない人にその時間を投入してもらう方が有利になります。エースの稼ぎが大きくなればなるほど、時間単価が上がるので、そこに投入される他の人の時間は相対的に高くなるでありましょう。鈴木さんが家事をやるとか歩いて移動すると、失われる経済学的価値があるからです。これを「代替」するわけですから、代替者の生み出す価値は他の人の時間を増やしてあげた分だけ高くなります。鈴木さんが自らゴミ処理を行ったり、介護をやっていなければならないとすれば、その分、鈴木さんの稼ぎが減ってしまい、全体としても減ることになるのです。エース級パイロットには戦果を挙げてもらうことに専念させ、他のサポート人員が代わりに余計な仕事をしてあげるのと同じです。

ですので、介護を代替することによって、稼げる人たちが効率的に稼げるようにしてあげること、稼げる人たちが多くの価値を生み出すならば、稼げる人の時間を生み出した分だけ介護従事者等の価値は高まるのです。時間の値段は同じなわけではないのです。社会全体の経済活動によって時間当たりに生み出される価値が大きくなればなるほど、時間そのものの価値も大きくなっていくのです。そういう意味では、高速輸送システムも携帯電話も時間を購入しているのと同じです。

製造業の多くで生産性を高めてきたのは、時間短縮が行われてきた結果であり、それはまさしく時間を買ってきたのと同じでしょう。別な言い方をすれば、時間を買って余った部分を生み出してきたのと同じなのではなかろうか、ということです(余った部分で更に別な価値が生み出されることを可能にする)。時間当たり1億円を生み出す生産ラインの1分と、時間当たり10万円の生産ラインの1分は同じ価値なのではないでしょう。同じ時間経過でありながら、価値は全く違うと思います。どちらのラインも1分短縮に成功すると、生み出される価値は前者の方が大きいからです。同じ時間だけ故障でラインが停止しても、損失額は前者の方が大きいに決まっているのです。時間の価値が不変ということはないのです。


「時は金なり」というのは、まさに金言でありましょう。



日銀史から消された福井総裁の汚点

2007年06月14日 19時07分36秒 | 経済関連
忘れもしない村上ファンドに関連した福井総裁の個人的利殖行為ですが、寄附するつもりだったとかワケの解らんことを言って、ほとぼりが冷めるのを待っていただけなのである。
これに関連して、日経の太田康夫論説委員がいい記事を書いている。

NET EYE プロの視点

(以下に一部引用)


2006年度版は267ページにも及ぶ大作。南極地域観測記念貨幣を日銀から取り扱いを希望する金融機関に配ったことや、日銀の施設を活用した歳事「明日につなぐ『日本の伝統・日本のこころ』」を地元団体と連携して実施したことまで記されている。ところが、福井総裁による村上ファンド出資・解約事件の記載が一切ない。

(中略)

事件について日銀は06年6月20日に「福井総裁の村上ファンドへの拠出金の状況」という発表をしている。村上ファンドだけでなく、就任後も商船三井、キッコーマン、富士通、三井不動産、新日本製鉄の株式を保有していることを明らかにした。しかし、概況書にはその事実関係や発表行為についても記述がない。

総裁が国会で厳しく批判されたのをうけて、日銀の政策委員会は06年7月に「役員の金融取引等に関する特則」を決定。役員による村上ファンドのような私募ファンドを保有することを禁止した。さらに同年9月には全職員を対象に株式などの短期売買を自粛することを求める「職員の金融取引等に関する特則」も設けた。

法令順守面では1998年の「服務に関する準則」、「日本銀行員の心得」の制定以来の改革である。しかし、概況書はなぜ特則を設けるに至ったのかについて書いていない。突如、特則ができたような印象をうける。

 かつて日銀を揺るがした接待汚職について、いまの日銀法に基づく初めての業務概況書となる98年度版は「接待問題に関する関係役職員の処分等」という項目を設けている。内部調査をしたことや、総裁・副総裁・理事が役員報酬の月額の20%を1カ月間返上することなどが記載されている。

 これに対して村上ファンド事件に関連して、総裁は記者会見で給与の一部を自主返納するとしていた。概況書では総裁の報酬等の総額は千円単位まで記されているが、村上ファンドに絡んで自主返納の意思表示をしたことや、それが実際に実施されたかどうかも含めて記載がない。



これを見れば「歴史は改竄される」というか、事実隠蔽によって無かったことにできてしまう、ということなのかな、と思う。どうやら輝かしい日銀の歴史の上では、福井総裁は名総裁であったということにしておきたいということなのであろう。日銀は自分勝手な組織運営で、自律性のカケラも持ち合わせていないということなのであろうか。あるのは「自律」ではなく、自由気ままな「独立性」ということだけなのである。政治的干渉を排除したい、という大義名分の陰には、統制のきかない「日銀という組織」の為に存在している組織があるだけなのだ。

参考記事:

福井日銀総裁の法的責任はどうなのか

『無法投機』と福井総裁

福井日銀総裁の法的責任はどうなのか・2


未だにこのような往生際の悪い無責任総裁を戴いている日銀は、ボーナスも出終わった選挙あたりのドサクサ状況に便乗して、「利上げじゃ、利上げ!世界中で金利が上がっとるだろが、ヴォケ!!円安過ぎなんじゃ、ドアホウ!景気も雇用も過熱しておろうが。バブルに浮かれとるヤツラにはお仕置きの鉄槌じゃ!」と言って利上げを断行するそうです。

世の中のどこに過熱があるのでしょう。過熱しているなら、資金の出し手(主に銀行?)が首都圏だけ貸出水準を改訂して、たっぷりと金利をかっぱいで頂いて結構ですけど。そうした調節機構は働いているのではないかと思いますけれども、銀行も相手をよく見て「取れるところからはガッチリ取る」というのが商売ですのでうまくやって下さい。

でも、利上げは今行うべき状況にはありませんので、定率減税廃止+住民税問題の影響などを見極める必要がありますよ。マイナスリスクだし、デフレは依然として続いていますので。物価上昇率はまだまだ「ゼロ近傍」ですから。
雇用状況はようやく明るい兆しとなってきていますから、ここで「水を差す」ことのないように願います。



どんだけ調べるの?~監察査察監

2007年06月14日 12時09分27秒 | 社会全般
ボツネタ経由。


都道府県の役職に「監察査察監」というのがあるんだそうだ。
「しんぶんし」みたいなもんだね(笑)。


これって、役職名を考える時、色々とあったのかもしれんな。

「今度作る役職名だがどうしたらいいかな?」
「監察監ってのは既にある名称だしね…」
「いかにも取り締まってる、って感じの出てる名前がいいな」
「そうだな…やっぱり監察は外せないな」
「それとか、査察ってコトバもあるよね」
「どうだろう、査察官だと物足りなくない?」
「うーん、査察より監察かね、やっぱり」
「でも既にあるし」
「ああ、監察する査察監ってのは?」
「そうだね、いいかもね」
「どれどれ、監察査察監って書いてみると…おや?」
「あー、本当だ、こりゃいいや」
「そうだね、しんぶんしになってるね」
「これに決まり!」
  ワハッハッハッ……。
(何故みんな笑うの?ま、いっか。)


架空の話ですから。
全然違いますから。
もっと一生懸命みんな考えていたはずですから。
真面目に考えた結果、「監察査察監」ですから。