新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

松本人志に送るレクイエム

2024年01月15日 12時02分18秒 | お好みの時間

つくづく岸田文雄という人物は実体感の希薄な政治屋であることが、最近の言動からも明白になってきている。
 
裏目裏目の岸田首相『やってます感』の政治刷新本部 メンバーに裏金疑惑でも黙認の開き直り
 

危機感が漂うはずの取材の場で、不思議なほど緊張感が感じられなかった。
安倍派の裏金事件など自民党派閥パーティーをめぐる政治資金事件を受け、再発防止策や派閥のあり方を検証するため、自民党本部で11日に開かれた「政治刷新本部」の初会合。トップの本部長を務める岸田文雄首相以下、執行部やベテラン、中堅、若手まで計38人がメンバーに選ばれ、首相や茂木敏充幹事長のあいさつを報道陣に公開後、非公開で約1時間、議論が行われた。
自民党本部の取材時、以前はなんとなく可能だった「壁耳」(会議室のドアや壁に廊下側から耳を付けて、中で飛び交う議論を聞く)取材に今は厳しく、報道陣は会議室から離れた場所で終了を待ったが、少なくとも活発な議論が行われている雰囲気は感じられなかった。関係者によると、出席者から派閥解消などを求める声が相次いだものの、この場では岸田首相や執行部側から具体的な回答はなかったという。
ある出席者は「ガス抜きの場にならないか心配」と話した。実際、関係者からはこの会議について「画期的な結論が出るとは、上の人は考えていないはず。世間の逆風もあり『やってます感』を示さないといけないからやっているだけ」「刷新感より、やってます感」という後ろ向きな評価を聞いた。国民は、物価高の中、お金をやりくりしながらの生活だ。しかし、今回の事件では、高額の報酬を手にしている国会議員がこっそり裏金を工面していた疑惑が表面化し、それがばれても積極的な状況説明は、当事者だけでなく党側からもなされていない。
会議が行われた会議室は、想定したより狭い部屋だった。初会合ということで多くの報道陣が集まり、狭いエリアに殺到。こちら側は殺気立つほどの空気だった。そこまで注目されながらも、岸田首相のあいさつは「自民党の現在の状況に極めて深刻と強い危機感を持ち、一致結束して対応していかなければ」「原点に立ち戻りたい」など、抽象的な内容が多かった。
そもそも派閥の会長、しかも麻生派会長の麻生太郎副総裁と茂木派会長の茂木敏充幹事長という、岸田首相が頼るトロイカグループの一角が鎮座(麻生氏は外遊で11日は欠席)している中、「派閥のあり方」にどこまで画期的な結論が導かれるのだろう。そもそも、いつの時代になっても繰り返される問題の本丸「政治とカネ」の解決策が、短期間の間に生まれるとも思えない。問題の渦中にある安倍派の議員が10人、無派閥の議員が10人(離脱中の岸田首相含む)、安倍派と同じキックバック問題が指摘される二階派の議員もいる。問題解決に向けた人選というよりこの期に及んでバランスを重視したからなのか、要は危機感が漂ってこなかった。
ここにきて、メンバーの安倍派議員10人中9人にも裏金疑惑が浮上したが、一連の問題発覚後、安倍派の閣僚や党幹部を更迭した岸田首相は今回、メンバー交代を否定した。安倍派議員の刷新本部メンバー入りには、自民党関係者も「ブラックジョーク」と首をひねったが、裏金疑惑が出てきてしまっては、ブラックジョークの上塗りだ。
首相自身が1人1人選んだわけではないのだろうが、組織出直しに向けた人選にミソがつけば、結局判断は裏目に出たことになる。昨年、「増税」イメージが消えない中、増収分を国民に還元するとして定額減税を表明しても、国民にまったく響かなかったのと同じように、裏目、裏目の連続。時に、朝令暮改な対応をしても平然としている岸田首相だが、今回のような肝心な時に、安倍派議員は更迭しないと開き直った。結果的に墓穴を掘っても対応を変えないのも、やはりどこかに「やってます感」があるからではないかと感じてしまう。
ピンチの場面をチャンスにつなげる局面づくりに、今のところは失敗感が漂ったまま。今週には、全議員が参加できる意見交換の場が設けられる予定だ。36年前のリクルート事件を受けて行われた党改革に向けた全議員の議論の場は、3日間続いたとも聞く。さまざまな意見があっても最後は集約して一致結束まとまるのが、「数の力」の良さも怖さも知る自民党の伝統と感じるが、今回ばかりは「落としどころ」感が漂う結論が出るとなれば、逆風はさらに強まると感じる。
ただ、そもそも最初から、1月26日予定の国会召集前までに中間とりまとめと行うという期限付きの中、どこまで議論が深まるのだろうか。「やってます感」を見せ続けられるとするのであれば、たまったものではない。【中山知子】(ニッカンスポーツ・コム/社会コラム「取材備忘録」)

 
本来は「排除の論理」などという高尚な言葉が飛び出す場面ではないのだが、やはり岸田文雄のやってる感は、まさに「たとえば、毎朝同じ満員電車に痴漢の常習犯が何人も出て多くの女性が被害に遭ってるので、これを何とかするためにその鉄道会社が『痴漢対策本部』を立ち上げたが、そのメンバーの大半が痴漢をしてた常習犯たちだった、という話だよね?岸田首相が立ち上げた「自民党刷新本部」って(笑)」ということなのだろう。
 
さて関西のお笑い界を支配していた松本人志が長年の後輩芸人らによる「性接待」を受けていたという、お笑い芸人らしからぬ、致命的な恥部を文春砲にあからさまにされて、絶対絶命に追い込まれ、記者会見も開けず自ら活動休止を宣言してしまった。
 
無責任かついい加減な輩である。
 
ところで、マルチタレントとでも呼べばいいのか、多才な伊東乾がデビュー当時の10代の松本人志の芸風を「はだかの王様」という権力者に祭り上げられたと徹底的に裸にしていた。
 
横山やすしの教えを理解できなかった『松本人志』 「笑いのつぼ」を勘違いした「いじめ芸」の終焉
 
弱い者いじめで笑いを取った時代は、時代そのものが不健全だった。
前回稿も多くの読者に読んでいただき、改めてお礼を最初に記したいと思います。
 私はタレントのスキャンダルを書きたてたいわけではなく、このような一種の社会的な「脱臼」を期に、日頃見慣れて感覚がマヒしている、実は異常な状態に、警鐘を鳴らすことを一番大切に思っています。
 1月12日付JBpress記事「叩かなければ笑い取れないのか、芸人の“どつき芸”、もう終わりにしないか」は、放送・構成作家の方が書かれた原稿とのことで、私の視点と一致する面がいくつもあるように思われました。
 お笑いコンビ「錦鯉」というものをそもそもよく知らない私は、剃り上げたアタマをポンと叩く「芸」が幼稚園児にバカ受けして困る・・・という、その「芸」自体を見たことがないのですが、「どつき」に注目して幼稚な笑いに疑義を呈する姿勢は大いに共鳴しました。
さらに放送倫理・番組向上機構(BPO)による〈「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー」に関する見解〉(2022年4月)の引用も、重要な点を衝いていると思います。
 BPOの見解を一部、再引用してみましょう。
「本当に苦しそうな様子をスタジオで笑っていることが不快」「出演者たちが自分たちの身内でパワハラ的なことを楽しんでいるように見える」など、不快感を示す意見が一定数寄せられている。
「今なおテレビが公共性を有し放送されることは、権威を伴って視聴者に受け容れられているといってよい社会状況のなかで、暴力シーンや痛みを伴うことを笑いの対象とする演出について番組制作者に引き続いて検討を要請するために、この見解を示すことにした」
 しかし「暴力はいけないから、そういう表現はやめよう」という、小学校の学級委員、優等生的なリーダーシップで「表現の自由」が何とかなるような世界ではありません。
どつき」ないしは「いじめ」が視聴率を上昇させ続けている限り、数字がすべての商売ですから、懲りずに「どつく」「いじめる」で、見かけ上の業績を取り繕う松本人志のような商法は根絶できません。
 今回は、上方演芸の原点にさかのぼって「正しいドツキ」あるいは表現の自由に照らして「悪くない暴力表現」の意味合いを考えて見たいと思います。
■「横山やすし」が松本人志に教えたこと
1982年、亡くなった横山やすしが司会を務めていた『ザ・テレビ演芸』(テレビ朝日系)に『ライト兄弟』という古い芸名で、松本人志と浜田雅功が出演した回がありました。
 そこで披瀝された演目は「家庭内暴力」を扱うもので、「子供」が「親なんかあまやかしといたらあかんぞ」と、子供の目線で親への暴力を肯定するボケを松本がかますというものでした。
 当時高校生だった私は「ザ・テレビ演芸」が好きで、よく見ていましたが、横山やすしの芸談はなかなかスジが通っていて、感心させられることが多かった。
「ライト兄弟」の場合も典型的で、終了後、横山やすしは「あのな、漫才師なんやから、何喋ってもええねんけどな、笑いの中には『良質な笑い』と『悪質な笑い』がある。で、あんたら2人は悪質な笑いや」と全否定してしまいます。
「それと、出てきてね、テレビで言うような漫才とちゃうねん」
「例えばやな、おとうさん、けなしたりとかな」
「自分らは新しいネタやっとると思うとるねんやろけど、こんなんは正味イモのネタや」
 とケチョンケチョン、実に見ていて溜飲が下がりました。
「笑い」とりわけ「ボケ」には「価値の転倒」がしばしば伴いますが、その「転倒」を松本人志は勘違いしているわけです。
 松本人志は、自分が「オモロい」とか「ムカつく」とか感じたものに脊髄反射的に罵声を浴びせる。
⇒それを取り巻き、特にティーンなど精神年齢がまだ低い幼稚なファンが考えなしに「笑う」。
⇒それで「笑いが取れた」と思い込み、自分には才能があると信じ込む。
 こういう悪循環をデビューから最後まで繰り返すことになりますが、「ダウンタウン」という芸名をつける以前の段階で、横山やすしは正確に病状を指摘しているわけです。
 でも、それから42年間、松本人志本人はキャリアが終わるまで勘違いに気が付かなかった。自分には芸も何もなく、単にタブー近くの話題に触れると客が沸くのを才能と思い違いしていた。
 それだけのことに過ぎません。このタレントに経済効果以外、何か「才能」があると判断する根拠を私は見出すことができません。
「売れてナンボ」の世界です。
 そして、かなりマズいものだが一時期売れた。それを「芸能界の大御所」扱いして利権を守ろうとしたプロダクションや代理店、局との共犯関係が、勘違いを「覚めない夢」として42年も永続させてしまった。
 それと、関西の演芸で歴史的に用いられ、洗練されてきた「ドツキ」「はりたおし」とは全く違うものです。というより、ほぼ性格が正反対のものです。
 今回は「どつき漫才」の常識の源流探訪として、きれいにお目に掛けましょう。
■ラジオ放送開始と「しゃべくり漫才」の誕生
日本でラジオ放送が始まったのは1925年、大正14年のことなので、今年で正味100年が経過したことになります。
 そしてこの「ラジオ放送」とともに誕生したのが大阪の「しゃべくり漫才」という芸でした。
 吉本興業のホームページなどには「しゃべくり漫才」は「エンタツ・アチャコという天才が創始」などと書いてありますが、完全な間違い、大嘘でしかありません。
 横山エンタツ(1896-1971)と花菱アチャコ(1897-1974)が、喜劇一座のやりとりを抜き出して会話型の雑談芸を試みた初期の芸人であったことは間違いありません。
 エンタツもアチャコも喜劇の出身で、伝統的な「萬歳」の伝承者ではありません。
 ラジオというメディアが誕生し、そこで人を飽きさせずにスピーカーの前に釘付けにするコンテンツとして、この時期新たに発明されたのが「しゃべくり漫才」です。
 その実は秋田實(1905-77)など、数名の仕掛け人が開発した、マスメディアのニーズに応える新しいエンタテインメントというのが実態でした。
 ラジオ向けの新芸「しゃべくり漫才」のなかにも、実は「ドツキ」は出てきます。それは、ボケの言う可笑しな話に、突っ込みが「エエかげんに、シナサイ!」と、胸を手の平や甲ではたく程度のものに過ぎません。
 というのも、ラジオは声だけですから、派手に動いても聴取者にビジュアルは伝わりません。寄席芸では身振り手振りもウケますが、ラジオ向けに漫才作家が書く台本は、もっぱら滑稽な笑いだけで人気を得るように構成されている。
 その典型として「夢路いとし・喜味こいし」(1937ー2003)通称「いとこい」師匠のしゃべくりを挙げると、典型的と思います。
 親代々の芸人である夢路いとし(1925-2003)、喜味こいし(1927ー2011)兄弟の漫才は、人をけなすとか、身体の特徴をあげつらって笑いものにするとか、バカにするとかいったことが一切ありません。
 それから、「性加害」どころか、シモネタを扱うことも嫌いました。
 横山やすしが「ライト兄弟」こと、まだ10代の松本や浜田に教えた「良質な笑い」のケジメというのは、「いとこい」の漫才が一線を引いた「こういう笑いは良くない、人を傷つける」という芸人のモラル、いわば話芸の「魂」をいったものだと思います。
 というのは「西川きよし・横山やすし」の漫才、通称「やすきよ」漫才もまた、時代はテレビが主流でしたからアクションは伴ったものの、「人を傷つける」とか「シモネタ」を極力排した。
 のちのち「西川きよし」が参議院議員を務められる程度に、清潔で気持ちのいい舞台だったからです。
 そして、こうした「しゃべくり」の「漫才」ではない、古くから伝承されてきた「萬歳」という別の技芸、このなかに相手を「ハリ倒す」笑いの原形が受け継がれていた。
 そして「いとこい」「やすきよ」以来の大阪漫才の職人気質に照らすなら、この「ハリ倒し」をポルノ化したものが、ダウンタウンの「芸」として、変に財貨を生んでしまったものの実態だったと、指摘する必要があるでしょう。
■萬歳と漫才:張り扇からハリセンへ
「萬歳」とは「太夫」と「才蔵」と呼ばれる2人が1組になって正月などおめでたい席に歌と踊りを披露する伝統芸です。
 多くの場合「太夫」は扇子を、また「才蔵」は必ず「小鼓」を持ち、太夫が扇を手に祝詞を読むのを才蔵がチャカポコチャカポコとツヅミを打ちながらはやかすのが基本の芸風。
 古くは奈良時代の「万歳楽」までつながるという話もありますが、なにせ証拠が残っていないので、起源はよく分かりません。
 ですが現在でも「三河萬歳」や「尾張萬歳」などの伝承は各地に残っており、伝統の片鱗は知ることができます。    
扇子をもって「太夫」が真面目なことをいうと、ツヅミを持った「才蔵」が可笑しなことを言ってはぐらかす・・・。
 今日でいう「ボケ」の原形。
 これに対して「太夫」が、手にした扇で「才蔵」の頭をピシャリと叩いて「エエかげんにシナサイ!」でオチが着く。
 このような元来の牧歌的な萬歳にご興味の方は、砂川捨丸(1890-1971)中村春代(1897-1975)(「捨丸・春代」)の動画などをご覧いただくとよいでしょう。 

 上のリンクでは約10分の高座でまず最初の4割、4分20秒周辺で「胸へのドツキ」が見られます。
 次いで4分50秒周辺、真ん中あたりで、頭を素手で叩くところまでエスカレートし、佳境に入った7分18秒あたりと8分近辺の2回、扇子で派手に捨丸師匠のおでこを春代師がハリ倒して観客が沸く。
「序・破・急」という能狂言の基本に則して、客の笑いを取っているのがはっきりと分かります。こういう「ドツキ」は否定されるようなものではなく、狂言同様、長らく伝えられてしかるべきものでしょう。
 ここで使われている「張り扇」は、伝統的にお能の稽古などで拍子をとるのに見台などを叩くものです。
 こんなもので相手の頭など叩いてはいけないわけですが、そのお行儀の悪いことをやって、笑いを取っている。
 とりわけ捨丸・春代の場合、女性の春代師が男の捨丸師匠をぶっ叩くという、当時の男性優位だった日本社会の日常を転倒するところに爽やかな「笑い」があった。
 文化人類学者の山口昌男さんは「祝祭的転倒」として、迂遠な日常の価値をひっくり返すところに笑いがあふれる芸のダイナミクスを鮮やかに分析しています。まさにその典型になっているわけです。
 大阪「笑いの殿堂」第一回に「叩かれて 鼓とともに70年」として捨丸・春代が顕彰されているのは、理由のないことではないのです。
 日頃強そうにしている奴が、やり込められてあたふたしたりするから「面白い」。
 西川きよし・横山やすしの漫才でも、日頃威勢のいい「やっさん」が眼鏡を取り上げられて「あ、メガネ、メガネ」とやり込められるから「面白い」。
強そうにしている奴がやられるから、見ている側も安心して笑えた。
 その典型といえるのが「張り扇」を工夫した「ハリセン」を活用した「チャンバラトリオ」(1963-2015)の芸でしょう。
 そもそも4人なのに「トリオ」というくらいに破天荒な芸ですが、もともとは東映京都撮影所の殺陣師(たてし:斬られ役)が結成したグループです。
 序盤からプロの剣劇で十二分にカッコイイ姿を見せておいて、いいところでリーダー自らハリセンでぶっ叩かれ、派手に痛がって見せる・・・。
 といっても「いい音がして、かつ痛くない」のが「良いハリセン」とされ、あくまで「序盤で強い奴が、あとになってやられる」というのは、日本大衆技芸の「お約束事」になっています。
 それが、日本の多くのシリーズ時代劇(「水戸黄門」「大岡越前」「遠山の金さん」など枚挙のいとまがない)から優雅で日本的なプロレスリング(古くは「力道山・豊登vsシャープ兄弟」「ジャイアント馬場vsアブドーラ・ザ・ブッチャー」などなど)でもお決まりの「勧善懲悪」で、強弱のバランスが逆転してシーソーが人揺れして「ども・ありがとうございましたー」となる。
 そういう意味では、こうした「ドツキ」の根は深く、おそらく「日本大衆芸能」がある限り、なくなることはないでしょう。
■強者が弱者をいじめる暴力は「笑い」か?
さて、10代の松本人志たちが横山やすし師匠に「あんたら2人は悪質な笑いや」と言ったのは、どんなものだったか?
 文字面だけ見ると「立場が弱い子供」が「お父さんお母さん」などの「親」に逆襲するという「日常価値の転換」のようにも見えるプロットではあります。
 ところが実際に扱っているのは、体力に勝るティーンの子供たちが、40代、50代のお父さんやお母さんに奮う、新聞で扱われていた「家庭内暴力」社会問題そのものの構図です。
 それが日常なのだから、ちっとも価値など転倒しない。
松本人志は、お父さんの藁人形の鼻に釘を打ち付けて苦しめるといった内容を語り、観客席からは、声の高い「幼い笑い」が返ってくる。
 大人は反応しない。単にイヤな顔をして黙っていたはずで、それを「ちっともウケん客やな~」程度にしか松本人志の了見では、受け止められなかったらしい。
 実際、録画でもスタジオの客席は全然沸かない。
 当時17歳だった私がテレビで見ていても「やだな」と思う程度に「家庭内暴力ポルノ」、最悪な画面でした。
 むしろ「親なんかつけあがらせとったらあかんで」などと息巻いているアホなティーンを地でいく松本人志、浜田雅功を、体力では劣るだろうオッサンの「横山やすし」がこき下ろし、『ザ・テレビ演芸』という番組の全体として、まことに爽やかな話芸を等身大で成立させ、エンドマークとなった。
 横山やすしの横綱相撲で、これをもって「番組の司会進行」の鑑というべきでしょう。
 しかし、1980~90年代のテレビは「強いものが弱いものをいじめる」式の「芸」が市民権を得ていた面がありました。
 典型的なのは「熱湯コマーシャル」など、本当に体に熱さや痛みを感じる局面に、いつも「やられ役」が定番化した。
「いじられキャラ」「リアクション芸人」などと呼ばれるタレントが登場、定着していきます。
 具体名を挙げるなら「だちょう倶楽部」の故・上島竜平(1961-2022)、出川哲朗(1964-)といった人々がお茶の間に定着するのと前後して「弱い者がひどい目に遭う」シーンが画面でありふれていったように思います。
 しかし「捨丸・春代」の舞台ですら、いちど刺激に慣れてしまうと、同じものでは満足しなくなるのが人間というもの。
「芸」というものは、時間を追うごとに刺激の強度を強くしないとウケない、エスカレートの宿命を負っています。     
「弱い者」が「強い者」に反撃するのは爽快ですが、「強い者」が「弱い者」をいじめるのも、慣れてくれば刺激が少なくなり、エスカレートしていくのは人間社会必定の理というべきでしょう。
 そしてこの時期、1980年代中半~90年代にかけて、エスカレートしたイジメ芸を工夫し、暴力的なシゲキに慣れてしまった日本社会で「悪質な笑い(横山やすし)」で視聴率を取っていったのが、最上級生の「ダウンタウン」と、彼らに組み敷かれる、例えば「いじられキャラ」だった山崎邦正(1968-) 後輩芸人たちという「いじめ芸ポルノ」の構図が成立していったわけです。
 たまたまこの時期、彼らと同世代でテレビの仕事に携わり、古き良き日本の話芸が好きだった私には、この手の「テレビのポルノ化」は「世も末」としか言いようがないとの思いでした。
 ポルノというのは、つまりこういうことです。 
仮に「男女の情事現場」とか、「局部の近接映像」といったものがテレビでオンエアされたら、人はどう反応するか?
「なになに?」と見にくる人は少なくないかと思います。と同時に、何割かの人は顔をしかめ、いやな気分になって去って行く。
 それでも「視聴率」は取れ、お金は儲かる。
 また、コアなファンは、それに味を占めてついて行くようになる。これが「ポルノ」の特徴です。
 エロビデオやら、かつての週刊誌の袋とじグラビアやらと同様、「儲かることは分かっているけれど、分別があればやらない荒稼ぎ」を「ポルノ」と呼んでいるわけです。
 ところが、「松本人志」は正面からこの「ポルノ」を見せびらかすことで視聴率を稼いだ。
 単に「分別がない」だけの状態を「才能」と勘違いして「失われた30年」の病んだ社会病理に訴えた。
 そして、インターネットの登場で沈没しつつあるテレビメディア、つまり沈没途中の船の中だけで通用する「はだかの王様」という権力者に祭り上げられた。
 ホテルなどで「ハダカの王様」だったかどうかはよく知りませんが、何にしろ、いまは事務所や代理店から見限られ、切られつつある。スポンサーが降り始めてしまいましたから。
 ということで、この機にぜひ、日本のメディアが成し遂げるべきことは「ドツキ芸」がいかん、ではなく、強いものが弱いものをイジメて、それを見せびらかす、江戸時代の公開処刑「磔獄門(はりつけごくもん)」同様の「暴力いじめ芸ポルノ」の電波からの追放の方向に、各社広報担当者の意識が向くと、効果的な「ポルノ」の駆逐になるでしょう。
 ある種の「芸人」は、もう画面に乗る必要性も十分性もありません。過去の営業の惰性で、お金が回っているだけの悪循環に過ぎず、松本人志と同時に断ち切るチャンスかもしれない。
 テレビ欄の「松本人志」をすべて「トミーズ雅」に差し替えるだけでもよほど、気持ちの良いテレビに回復すると思います。少なくとも「松本軍団のいじめショー」は一掃されることになるから。
「強い者」の側に立って一部の「弱い者」がひどい目に遭うのを見て、心密に喜ぶといった状況を「弱い者いじめ」というわけで、これで視聴率が取れてしまった「失われた30年」という時代が、いかに不健康な社会心理で回っていたか、そのことをしっかり見据える必要があると思います。
 世の中全体でも「強い者」が無茶苦茶な専横を押し通し、正直者がバカを見るようなことになってはいないか?
 若者の「将来就きたい職業」の高位に「ユーチューバー」が来てしまう程度に末期的な社会を作り出してしまったのは、私たち現在の大人自身であることをよく考え、いままさに退場しつつある「松本人志」のようなタレントを持ち上げ回してきた、空疎な経済をよく反省する必要があると思うのです。


 
この記事を読んで改めて松本人志に対する形状しがたい不愉快感が明確になった、とオジサンは思う。 
 

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