新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

パラスポーツの素晴らしさはテレビ観戦で十分楽しめる

2021年08月25日 11時12分12秒 | 小池百合子

「まるで別世界の話しのようだが、異常事態の東京のしかもそのトップが五輪でお祭り騒ぎ。
なんだこの異世界は」・・・・。
 
普通の感覚の持ち主ならば当然こんな気持ちになるはずだが、どうやら異なる地平にいる連中には通じない。
国際パラ委員会のパーソンズ会長らの歓迎会、都内のホテルで…菅首相や小池知事出席


そして昨夜パラリンピックの開会式が行われたようだが、まったく見ていない人間が評価するのもおかしいが、次から次へと過去の不祥事が発覚し、むしろ関心が集まった感のある五輪の開会式に比べれば、何事もなく粛々と行われたのだろう。
 
なんとなく宴の後の「小規模な2次会」のような気がしていた。
 
今朝の東京新聞の「筆洗」ではタイムリーに、このもやもや感を明らかにしてくれた。
 
東京パラリンピックが開幕した。オリンピックにあってパラリンピックにはないもの。選手へのブーイングもそのひとつではないか。障害のある選手のドジや失敗を誰もからかったりはしない▼
大変な困難の中でがんばっているのだから。そんな思いが「あたたかい目」になるのか。ブーイングや文句を口にする人はまずいない▼
前回、64年の東京パラリンピック開催を巡って「障害者を見せ物にする気か」という批判が出たそうだ。これもある種の「あたたかい目」だろう。だが、その考え方が間違いだったことは、現在の障害者スポーツの隆盛を見れば分かる▼
ある選手が語っていた。「自分のことは新聞の社会面ではなく、運動面で書いてほしい」。美談の人ではなく競技者として扱って。同情も「あたたかい目」もいらない。そう考える選手がいる▼
なるほど、「あたたかい目」はやさしいが、障害者を特別視する目になっていないか。裏を返せば、障害のないことが大前提となってしまっている社会の弁解じみた、やさしさなのかもしれぬ▼
バリアフリー化が進まない現状がある。気まぐれな「あたたかい目」よりも、意識すべきは同じ人間という一点であろう。誰もが同じように不自由なく暮らせる。そういうあたりまえの社会が求められていることをパラリンピックを機に考えたい。さて、ゲームが始まる。

 
パラリンピックは「共生」をうたっているが、「自分のことは新聞の社会面ではなく、運動面で書いてほしい」という言葉が実情を的確に表しているようだ。 
 
「障害者スポーツ」といえば、身体障害や知的障害などの障害がある人が行うスポーツのことなのだが、既存のスポーツを障害者の要求に応じて修正したものはアダプテッド・スポーツ(adapted sports)と呼ばれていたが、最近では「パラスポーツ」と呼ばれている。
 
この「パラ」という接頭語が、下半身不随の英語であるparaplegicsであると認識している人が多くいるらしいが、調べてみると、実際は、ギリシャ語の「並んで立つ」「対等」という前置詞である「para」から来ているとの説や、英語の「並行」を意味する「parallel」が起源である、とする説もあるようである。
 
すでに終わった五輪では日本固有の柔道やレスリング、そしてボクシングなどには「体重に応じた「階級制」が採用されているが、体格が数段上の欧米人と1対1での闘いではあまりにも理不尽という日本の主張が取り入れられたらしい。
 
しかし欧選手のメダルの稼げる「陸上」「水泳」などはこの階級制が採用されていない。
 
これに比べればパラスポーツは、アスリートが同じ土俵で戦える「クラス分け」が採用されており公平性が高い。
 
さらに調べると、パラスポーツの方が金メダルを多く獲得できるということが分かった。
 
パラリンピックの競技種目は22種とオリンピックに比べて少ないが、獲得できるメダル数が少ないわけではない。
 
今回の大会で獲得できる金メダルの数は539個で、東京オリンピックの339個よりも200個も多いということは、パラリンピックではアスリートが同じ土俵で戦えるように「クラス分け」や「ポイント制度」といった独自の制度があるため、このようにメダル数の違いが出てくるらしい。
 
障害といっても数多くあり、国際パラリンピック委員会(IPC)の基準では以下の10種類のうち少なくとも1つは持っていなければ大会には参加できない。
 
・筋力低下
・他動関節可動域障害
・四肢欠損
・脚長差
・低身長
・筋緊張亢進(こうしん)(手足の筋肉が過剰に緊張し、動作が困難になる疾患)
・運動失調(協調性、バランス、言語に影響を及ぼす神経系の疾患)
・アテトーゼ(無意識に手足を動かすような運動障害)
・視覚障害
・知的障害
 
ただし、「視覚障害者5人制サッカー」や「ゴールボール」のように、視覚障害のある選手のみが参加できる競技もあるが水泳などのスポーツは、10の障害のいずれかがある選手が参加可能だというルールらしい。
 
スポーツのグループ分けにも独特の基準があるという。
 
クラス分けの2つ目の要素は、障害が各アスリートのパフォーマンスにどの程度影響するかを判断することだという。
 
障害の程度は人によって異なるため、この分類システムは、選手が同じような障害の程度がある競技者とグループ分けし、不利な状況を最小限に抑えるために行われる。
 
例えば、視覚障害のある選手は、視界の鮮明さや光の感じ方によって3つのクラス(B1、B2、B3)に分けられる、5人制サッカーは、B1クラスの基準を満たす選手に限定されているが、それはB1クラスは、光を感知できないなど視覚障害のなかで、最も程度が重いクラスだからだという。
 
一方、ゴールボールは3つのクラス全ての視覚障害者に開かれているが、競技中は選手全員にアイシェードの着用が義務付けられている。
 
また、陸上競技のように10種類のいずれかの障害がある選手が参加できるスポーツでは、さらに多くのクラスが設けられ、各カテゴリーごとの選手や程度が異なる選手が参加できる。各クラスには、それぞれのメダル種目がある。           
 
こんな事前の知識があれば、なにも集団で、しかも炎天下で「生」で見なくても自宅でテレビ観戦のほうがより詳細に楽しめるのではないか。
 
それでも、小池百合子は「学校連携観戦プログラム」に参加することに強いこだわりを見せている。
 
観戦に行く途中や帰りに感染しないために、ワクチン接種をするのではなく、参加する子どもたちに、新型コロナウイルス検査を受けてもらう方向で調整しているという。
 
たしかに陽性になった子供が一緒に行くことは避けられるかもしれないが、検査方法や対象者などの詳細は決まっておらず、担当部署は報道陣への説明で「検討中」「調整中」などと繰り返している。
 
「安心していただく体制にする。どういうやり方かは調整中」と言ったり、事前検査方法もPCRか抗原検査も明確に決まっておらず、「行くための条件ということではない。アナウンスの仕方は検討中」という有様。
 
さらに、「全員がPCR検査を受けるということか」と記者が尋ねると、担当者は「検査を受ける機会、環境をどう作るかということ、どういう形か分からないが対象になる」と曖昧な回答。
 
また引率する教員が検査に含まれるかについても「最後の調整中」とし、18日以降に中止を決めた学校があるとみられるが、「日々数字が変わっている」と述べるにとどめ、明らかにしなかった。
 
こんな状態で今日から都内各地での「学校連携観戦プログラム」が見切り発車される。
 
これは、もはや子供たちを使った壮大な人体実験ではないだろうか、とオジサンは思う。   
       
 

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