新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

枝野幸男よ、臥薪嘗胆して捲土重来を期すべき

2021年11月04日 11時24分35秒 | 政治

「共闘」という言葉には「共に闘う」という意味から、闘った結果敗れた場合、その責任は「共同責任」として、それぞれが責任を取ることが一般的であろう。
 
今回の総選挙では、「野党共闘」としてた選挙戦を戦った「立憲民主党」と共産党のトップの去就が異なっていた。
 
【政界地獄耳】国民に理解されない野党共闘成果を言い張る共産」 
 

選挙での敗北を受け、既に立憲民主党代表・枝野幸男は辞意を表明し、党は代表選挙の準備に入っているのだが、共闘のパートナーである共産党は立憲の対応や世論の声とは全く違う見解を発信し続ける。党委員長・志位和夫は1日未明の会見で、自民党幹事長・甘利明が小選挙区で敗れたことについて「野党共闘の大事な成果だ」と言い、他党との連携については「共闘の道は進めたい。ぶれずに揺るがず、この道を進む決意に変わりない」とした。またツイッターでも「『野党共闘不発』という報道があるが、事実と違う。野党が一本化した選挙区のうち62選挙区で勝利している。バラバラに闘ったら大半で負けていた。今後の課題は残していますが、野党共闘は成果を上げています」と強気で、しんぶん赤旗にはその62人の一覧表が掲載された。
また議席と得票数を減らした引責辞任を問われ、「責任はないと考える」とし「我が党は、政治責任を取らなければならないのは間違った政治方針を取った場合。今度の選挙では党の対応でも(野党)共闘でも政策でも、方針そのものは正確だったと確信を持っている」と胸を張った。この考え方が世論に受け入れられるか否かに興味がないことに有権者は違和感を持つ。党は比例の得票に600万票を掲げているが前回の440万票から416万票に減らしている。志位の理屈では「間違った政治方針でない」と党内で言い続けても国民に理解されないのは国民が間違っているということか。他党という相手もある。共産党だけの総括ならばそれでいいが、共闘を続けるならば見直すべきではないか。


 
「『「野党共闘』に否定的な立場であり、6年前からその趣旨の発言を繰り返してきた。政策基軸や政治信条は共産や社民に近いが、彼らが進める『野党共闘』には一貫して反対してきた」というこのブログ主は、「『野党共闘』の敗北と限界 – 再検討して総括と出直しを考えるとき」というブログの中で共産党をこう表現していた。
 
「単独では選挙を戦えず、組織が高齢化してジリ貧になり、先細りの中で展望と体力を失った共産党が、自民党と公明党との関係を模倣し、敵であった民主党に抱きついて生き残るコバンザメの道を選んだのが『野党共闘』の戦略と経緯に他ならない。」と痛烈に批判し、返す刀で「単独では小選挙区で自民党に勝てず、永久的に展望を失った民主党(立憲民主党)が、打算的かつ消極的に、つまみ食い的に共産党の提案に応じてWinWinで組んだのが、この5年間の『野党共闘』の本質だ」
「共産党というのは叡智のあるプロテスターであり、北極星と羅針盤であり、どれほど少数派でも正論を曲げず貫徹するところに真価があり、日本ではそのように認知され評価されてきた。5年前からの『野党共闘』は、誰から見ても共産党が牽引した戦略過程であり、そして、強力な安倍自民党に対抗できない二つの弱小野党の苦肉の寄合所帯であった。」
 
だからといって、「社会主義に内在的な左派がぶ厚く用意されなければ、日本で本格的な政権交代はできない」となれば当然ながら国民にとっては今後もいばらの道が続くのかと悲嘆するひとも出てくる。。
 
すでに立憲民主党内では代表選に向けて動き始めているが、手を上げ始めている連中には多くの疑問がわく。
 
立民、世代交代の動き加速 代表選、大串氏も出馬検討」 
 
この輩は学歴や経歴はそこそこに問題はないのだが、足腰が定まっていない。
 
「民主党→); (民進党→); (希望の党(前原G) →); (無所属→); (旧立憲民主党→); 立憲民主党」とこの遍歴をみれば明らかである。
 
さらには、やはり小池百合子になびいていった「希望の党系」の連中も多い。  


もっともこんなことを言っている人もいた。


  
ところで、立憲民主党の枝野幸男と司法試験合格が同じ年で司法研修所で同期だった東京弁護士会所属で日本反核法律家協会理事のヘビーブロガーの宮武嶺が、こんなエールを送っていた。
 
立憲民主党の枝野幸男代表が辞任。今は止められないだろうし止めるべきではない。しかし、枝野幸男は必ずまた立つ。そして、リベラル派は立憲民主党が動揺して右傾化しないように厳しく見守ろう。」 
   

ご存じのように、枝野幸男立憲民主党代表が衆院選2021での敗北の責任を取り、代表の座を降りることを表明。
 11月中にも代表選挙が行われることになりました。
 正直言って、立憲民主党は分裂の危機、野党共闘は崩壊の危機だと思います。
 枝野氏が辞めた方が辞めないよりも立憲と野党共闘崩壊の危険性は高いでしょう。
 しかし、立憲と共産が議席を減らしたということで左右からの攻撃がすさまじいので、枝野氏が代表の座に踏みとどまったらそれはそれで立憲を取り巻く雰囲気はものすごく悪くなったと思うんですよね。
 なので、枝野氏が辞任すること自体はもうやむを得ないのだろうと思います。
 こで、野党共闘支持者に一つ苦言をしておきたいのですが、枝野氏に対して左右から挟撃していた「左」側の人たちに対してです。
 右側の読売新聞・産経新聞や自民党・維新の人たちは悪意満々なのは当然ですから。
 それよりも、れいわや共産党支持の方々や今の立憲執行部よりもリベラルな立憲支持者の人たちの中で、枝野氏を責めていた人たちは、枝野氏が実際に代表をやめてしまったら、かえって立憲が右傾化し、野党共闘も白紙に戻りかねないという危険性は考えていなかったのでしょうか。
 枝野氏は一度もリベラルであったことはなく、穏健保守くらいの感じですが、しかし立憲内部の枝野氏よりもリベラルな人で、次の代表になりうる人はいますか?
 私は女性で切れ味が鋭いということで、辻元清美副代表が共産党の田村智子氏とツートップの代表になったらいいと何度も書きましたが、辻元氏は議席を失ってしまっています。
 ドキュメンタリー映画で取り上げられたこともありよく名前の挙がる小川淳也氏は、今回の選挙で平井卓也前デジタル大臣を破ったのはお手柄でしたが、とにかく軽くて、今回の選挙では維新の会に自分が出る選挙区から立候補者を取り下げろと交渉に行った人です。
 あの維新の会が話せばわかる組織だと思っているお人よしなのかなんだかわかりませんが、そのことを維新側にすぐに暴かれているのには呆れました。
 この難しい局面で代表が務まるような安定感も説得力も皆無だと言わざるを得ないでしょう。
 私は、立憲民主党は小池百合子都知事による希望の党によるリベラル排除に反発してできた経緯を思い出し、立党時の原点に立ち戻ってむしろリベラル勢力を結集できるような政党になってほしいと思っています。
 となると、今名前が出ている小川氏や馬淵氏のようないったん希望の党に行って帰ってきたような人は代表にふさわしくありません。
 でも、そしたら立憲創設時のメンバーということになりますが、適当な人がいないのではないでしょうか。
 枝野氏が菅直人民主党政権の官房長官をやっているときに、東日本大震災と福島原発事故に見舞われて獅子奮迅、不眠不休の奮戦をしたとき、
「原発事故による放射線による影響は直ちにはない」
という説明一点張りの枝野官房長官の対処に猛反発して、菅政権と枝野氏を攻撃しまくりました。
 そう説明しないと大混乱を招くという判断は認めつつも、原爆症弁護団の一因として放射線の影響が何年何十年後にも出る恐ろしさをよく知っていたからです。
 しかし、とにかく、立憲民主党の中で修羅場を凌いだ経験があるのは枝野氏だけです。
 安倍晋三元首相や菅義偉前首相ではなく、枝野氏が総理大臣ならコロナ対策は何十倍もうまく対応したことでしょう。
 いったん辞意を表明した人に何万回、「#枝野辞めるな」、とつぶやいたところでもう枝野氏の続投はあり得ませんが、リベラル側が暗い意図を持った保守と一緒になって枝野氏を追い詰めてしまったことは、立憲民主党と野党共闘双方を分裂させる危険性がある、これは銘記すべきだと思います。
 ちなみに、共産も議席を減らして10議席、れいわは3議席、社民は1議席ですからとてもリベラル全体を包括する器にはなりえません。
 今回の衆院選で自民党が踏みとどまり、維新が大躍進したのは、双方ともに足腰がしっかりしていた、とにかく選挙になったら地元で票を積み上げるマシーンが両党には出来上がっていた、これが立憲民主党には結党から4年しかなくてまだ不十分だったということに尽きると思います。
 大阪では無敵と言える選挙組織を作り上げた維新の会ももう11年目です。
 旧民主党が政権交代を成功させるのにも、10年以上の歳月が必要でした。
 その間に紆余曲折を経て、旧自民党出身の鳩山氏や小沢氏と自民党に属したことのない菅直人・枝野・野田氏らが合流して、やっと自民党に勝てたわけです。
 今の立憲民主党は、社民党の大半を吸収し、国民民主党の過半数をも合併した寄り合い所帯です。
 政権交代を目指せる政党になるためには、立憲にはまだ時間と基礎体力が足らなかったということだと思います。
 私は、旧民主党や元の民進党は自民党や維新と変わりないタカ派の議員が多くいたので、希望の党騒動で右側の人がほとんど出て行ったのは非常に良かったと思ったんですよ。
 立憲民主党は結党時の精神に立ち戻るべきだと再三書いてきたのは、旧民主党よりリベラルに寄せた政党になってほしかったからでした。
 そういう意味では社民党と合流したのはともかく、いったん希望の党に行ったような国民民主党の人々から人をたくさん入れてしまったのは、勢力を大きくするための常套策とはいえ、結局、旧民主党が大きくなったのと同じやり方ですから、賛成できませんでした。
 今回、枝野代表が代表をやめるのは立憲が選挙で負けたせい。
 それは共産党などとの野党共闘があまり機能しなかったため。
 そう総括しての代表選となると、それこそ次の代表が旧国民民主党側から選ばれたりする危険性が高く、立憲民主党は右にブレる可能性が高いといえるでしょう。
 立憲民主党が私のようなリベラルな人たちの期待を裏切らないように、これまで以上に注目していかなければいけないと考えています。
 立憲民主党代表選の立候補も、自民党と同じく20人以上の国会議員から推薦されないといけないらしいのですが、10回くらい当選している自民党の野田聖子氏でさえ20人集めるのに何度も失敗していたのですから、今回立憲では誰も20人集められず、代表選が成立しない、なんてことにならないのか他人事ながら心配です。
それにしても。
枝野氏が今回進むも地獄、退くも地獄の状況の中で、退くのを選んだのは、ここで代表の座に固執して立ち枯れてしまうのではなく、傷を最小限に抑えて、「枝野幸男」というカードを温存する意図はあるのだろうと思います。
彼とはたまたま司法試験合格が同じ年で司法研修所で同期なのですが、司法修習生時代は一度も名前を聞いたことがない、会ったこともない、全く目立たない人でした。
しかし、細川護熙氏らの日本新党結成時にはいち早く立候補を決め、見事に波に乗りました。駆け出し弁護士に過ぎなかった私は初めて彼の名を知ってその機を見るに敏な行動に舌を巻いたものです。
彼はそれから30年近く政界で生き抜いてきたのですから、とてつもなくタフでしたたかな面を持っているのだと思います。
立憲民主党の危機が深まれば、「創業者」の再登板もあり得ると睨んだうえで、あえて「#枝野辞めるな」コールの中での辞任なのだと私は考えています。


 
コロナ禍にもかかわらず菅義偉のように政権にしがみつけば最後は見捨てられる政治の世界なので、枝野幸男は傷が浅いうちに身を引き臥薪嘗胆して「捲土重来」を期するべきであろう、とオジサンは思う。
 
   

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