新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

深慮遠謀だけではなく権謀術数を駆使する菅義偉が真骨頂を発揮

2020年10月02日 12時34分59秒 | 菅義偉

かつてドイツ帝国の「鉄血宰相」ビスマルクによる政策を評価した言葉に「アメとムチ」(Zuckerbrot und Peitsche)がある。
 
いまでは慣用句として多くの場面で使われているが、当時のビスマルクの政策とは、疾病保険法・災害保険法・老齢疾患保険法に基づく世界最初の社会保険制度を創設し社会改良を行うことで階級融和を図ったが、同時に実施された社会主義者鎮圧法により「アメと(ムチ」と批判されるようになったといわれている。
 
ビスマルク時代から100年以上も経った現代でも、「アメとムチ」は人が人を管理するときに使われる手法でいたるところで使われている
 
8年余りの安倍政権時代では一部の富者だけに「アメ」を与え、大多数の国民にはその果実が行き渡らなかった中途半端な「アベノミクス」のお陰で「ムチ」しか与えられず格差を広げ貧困層を増やしてしまったことは、安倍晋三の「無知・無恥」が大きな原因であった。
 
こんな安倍晋三を8年間近く官房長官として観察してきた菅義偉は官僚には「ムチ」を、マスメディアには「アメ」という懐柔策をを露骨に取り始めた。
 

 
菅氏“お忍び”朝食会を設定 早くも始めた『マスコミ懐柔』」

「安倍前首相もメディア関係者と懇親してきましたが、相手は幹部がメインでした。菅首相が現場の記者と会うのは、懐柔の他に情報収集が目的ではないか。共同通信出身の柿崎明二氏を補佐官に登用したのも、同じ狙いがあるように見えます。現場の記者が何を追いかけているのか分かれば、事前に対策を練ることができる。解散時期を含めた今後の政治日程を考える上で、重要な情報でしょう。メディアは距離感に気を付けなければいけません。首相とはオープンな会見の場でやりとりすべきです」
法大名誉教授の須藤春夫氏=メディア論

菅首相が総理番記者60人と朝食付きで「完全オフレコ懇談会」! 記者会見を制限しながら裏で懐柔、丸め込まれる大新聞とテレビ局
 
どうやら単なる「安倍政治の継承者」ではなかった菅義偉の本性が出始めたのだが、すでにこんなことが起きていたと、安倍政権に厳しかった戸坂弘毅がこんな内幕を書いていた。(少々長いのでお暇な方にお勧め)

 
エリート・安倍晋三が『庶民・菅義偉』にハメられ完敗した全内幕

・・・「安倍政権の継承」を掲げる菅だが、この1年余、水面下で自らに政権が転がり込んでくるよう安倍の手足を縛り、権謀術数の限りを尽くして、晴れのこの日を迎えたのだ。
安倍の大叔父である宰相・佐藤栄作は長期政権の幕を閉じるにあたり、首相の座を自分と同じ高級官僚出身の福田赳夫に継がせたいと考えていたが、結局、叩き上げの田中角栄に権力を奪取された。今回はその時と全く同じ構図となった。安倍は、自分と同じ政治家三世の岸田文雄に後を継がせたいと考えながら、結局、叩き上げの菅に政権を簒奪された。古代ローマ以来、まさに「歴史は繰り返す」のだ。
 昨年4月、菅が新元号を発表し、「令和おじさん」として国民的人気を得た頃から、首相政務秘書官の今井尚哉ら安倍周辺は「菅長官はすっかり舞い上がっている。安倍首相の任期切れの前に自らへの禅譲を迫りかねない」と警戒し始めた。新元号の発表自体、安倍が自ら行いたいと考えたのに対し、菅は平成の前例を盾に「自分が発表する」として譲らなかったという経緯があった。
次に安倍側近たちがいきり立ったのは昨年8月だった。環境相に就任する前の小泉進次郎が、安倍よりも先に首相官邸の官房長官室を訪れて菅に結婚報告を行い、それとほぼ同時に発売された月刊文藝春秋には小泉と菅の対談が掲載された。
安倍側近たちは「全ては『菅シナリオ』による出来レースだ。菅は進次郎人気も利用して政権取りに前のめりになっている」と安倍に警戒するよう進言したものの、当時、安倍はそれを取り合わなかった。だが、退陣表明前のこの数か月というもの、安倍自身が菅の言動に不信感を募らせていたという。側近たちの懸念は現実のものとなったのだ。
それでは、なぜ安倍は、わざわざ菅の首相就任に道を開く役回りを演じることになったのか。そこには、安倍をじわじわと追い込んだ菅の見事なまでの計略があった。
■「ライバル潰し」の連続工作
菅は7年余の官房長官在任中、公式、非公式を問わず、「トップの座を目指すつもりはないのか」と問われると「全く考えていない」と繰り返してきた。菅に近いと言われる政治記者がサシで問い質しても答えは同様だった。
ただ、多くの永田町関係者に聞いて回ると、過去には唯一の例外があった。それは1996年、衆院議員に初当選した直後だったという。横浜市議時代から菅をよく知る記者に「総理を目指しますから」と断言していたというのだ。
「いつかは官邸の主に」との思いを25年近く胸に秘め続けていた菅。それを本気で実行しようと考え始めたのは、新元号「令和」の発表で国民的人気を獲得した昨春からだ、というのが関係者の一致した見方だ。
衣の下の鎧がはっきり見えたのが、令和発表の翌月に菅が敢行した訪米だった。危機管理の要である官房長官が外遊すること自体、極めて異例であるうえ、これまで外交・防衛分野には全く関心を示してこなかった菅が訪米して副大統領や国務長官と会談したのだ。しかも、失敗と言われないよう「オール霞が関」に命じ、公式の日米首脳会談並みの約40人の分厚い体制でサポートさせたことが波紋を呼んだ。
その裏で、菅は「ポスト安倍」のライバルである政調会長の岸田文雄と、その岸田を推す構えを示していた副総理兼財務相の麻生太郎の力を削ぐための工作にも余念がなかった。
昨夏の参院選では、岸田の地元である広島選挙区で、自民党2人目の候補として自らの側近である元法相・河井克行の妻・杏里の擁立を主導。地元県連の猛反発を押し切って、創価学会やゼネコン等の票を河井に集中させ、岸田派長老である現職を落選させて岸田に大打撃を与えた。
「岸田潰し」の策略はそれだけではない。岸田派の前会長で今も派閥に影響力を持つ元幹事長・古賀誠の政治資金集めに協力するなどして古賀を取り込んだ。古賀はテレビ番組などで「ポスト安倍は岸田でなくてもいい」「菅が望ましい」などと繰り返し発言し、岸田は求心力を削がれた。
さらに遡れば、前回2018年の自民党総裁選の前には、最後まで立候補するかどうか迷っていた岸田に苛立っていた安倍に対し、「岸田さんには立候補してもらったほうがいいのでは」と進言。安倍と岸田の離反を促してもいた。
■「次は菅ちゃんでも」
「ポスト安倍」を巡る安倍と菅の思惑の違いが決定的になったのが、昨年9月の内閣改造・党役員人事だった。
岸田を次期首相に押し上げたい安倍は、幹事長を二階俊博から岸田に交代させるつもりだった。これに対して菅は「二階さんを幹事長から外せば党内をまとめることはできない」と強く反対。結局、安倍は、菅―二階連合の圧力に屈して「岸田幹事長」を断念した。この一件を明確なきっかけとして、安倍は菅と二階が一体であることを強く認識し、脅威と感じるようになった。
閣僚人事も菅の意向が色濃く反映されたものになった。菅は最側近である菅原一秀を経産相に、菅を囲む中堅議員らの会を主宰する河井克行を法相に押し込んだ上、「菅派」であることを隠さなくなった小泉進次郎を環境相に就任させた。党内からは「事実上の菅内閣ではないか」との声も上がった。
安倍が「次の総理は菅ちゃんでもいい」と周囲に漏らし始めたのがこの頃だった。「(妻の)昭恵がしきりに『次は菅さんがいい』と言うんだよね。森友学園の問題の時も、助けてくれたのは菅さんだったんだからと言うんだ」との言葉を聞いた関係者は少なくない。これについて安倍側近は、「安倍総理は一貫して『後継は岸田に』と考えてきたが、菅がそれに強く反対し、幹事長の二階と連携して人事に介入してくるようになったため、菅を脅威と感じ始めていた。それゆえ、本人の耳に入るように敢えて『菅後継』を口にして、菅をなだめようとしたのではないか」と語る。つまり安倍は、昨夏の段階では、本気で「菅後継」を考えていたわけではなく、まだ岸田を諦めてはいなかったのだ。
昨年10月以降、安倍周辺の「菅脅威論」はしばらく影を潜める。9月の内閣改造から程なくして、菅が閣僚に押し込んだ菅原と河井に相次いで不祥事が発覚して引責辞任。それをきっかけに菅の求心力が衰えたからだった。
安倍自身が菅を本物の脅威と感じ始めたのは、今年の3月以降だ。安倍が陣頭指揮を執った一連の新型コロナ対策が国民に不評だった上、「官邸の守護神」とも呼ばれた東京高検検事長の黒川弘務を強引な定年延長で検事総長に就けようとして批判を受けたことが重なり、内閣支持率が急落した中でのことだった。
以前から菅を警戒していた政務秘書官の今井は、全国一斉休校や全世帯マスク配布など、一連の新型コロナ対策を首相秘書官室の主導で行った。菅は後から報告を受けるというケースが相次いだのだ。
一方、昨春行われた麻生の地元の福岡県知事選では、麻生と不仲の現職知事を古賀と連携して裏で支援し、麻生が擁立した自民党推薦の新人を大敗させて麻生に打撃を与えた。
このとき菅は「全国一斉休校はやりすぎだ」と珍しく周囲に不満を漏らしただけではない。「一斉休校が決定したことを、首相が発表する当日の午後になってから聞かされた」と国会の場で明らかにした。
過去にも安倍と菅の意見が対立する局面は幾度もあったが、菅がその内情までも明かすことはなかった。不満を強めていた菅は、内情を暴露することであからさまに安倍をけん制したのだ。
そして、大きな転機が4月中旬に訪れた。新型コロナ対策として「一定額以上の減収世帯への30万円給付」を主導した政調会長の岸田に対し、幹事長の二階が公明党を巻き込んで、閣議決定まで終わっていた予算案を撤回させるという前代未聞の荒業を見せつけた。
当初の案は、安倍が振り付けて「岸田主導」を演出したものだった。それが全面撤回を余儀なくされたことで、岸田の面目が丸つぶれになっただけではない。安倍自身が当事者能力を失っていることを白日の下に晒すことになったのだ。
表面的には、公明党代表の山口那津男が安倍に強く迫って予算案を撤回させた形になったが、二階が公明党に同調しなければ実現しなかったことは明らかだ。
菅は、創価学会で選挙対策を一手に担う副会長の佐藤浩と極めて親密な関係を築いている。この「事件」も、当初案に学会員から強い不満が噴出していることを聞きつけた菅が、二階にその情報を吹き込んだことが発端だと考えれば合点がいく。
■疑心暗鬼に陥った
安倍を「菅支持」へと追い込む決定打が、「菅・二階連合が石破擁立」との「フェイク情報」だった。
安倍が「30万円給付」の閣議決定撤回に追い込まれた4月頃から、菅は親しい永田町関係者に、「ポスト安倍の総裁選で、石破を担ぐことも有力な選択肢」との考えを示すようになる。
それに先立つ1月末には、菅が石破派会長代行の元農水相・山本有二とホテルで会食。その席で、山本から次の総裁選で石破を支援するよう要請を受けた菅は「任期が終わるまでは安倍さんを支えます」と支援に含みを残す返事をした。
この会食の内容を報じる記事が朝日新聞に掲載されたのは、ひと月以上が経った3月半ばのことだった。これをきっかけに「菅が石破を担ぐ」との噂が流れ始め、菅自身も親しい記者らにその可能性を自ら語るようになった。これも、安倍の耳に入ることを前提に菅が意図的に漏らしていたのだ。
そもそも、安倍が石破を毛嫌いしていることを熟知していながら、石破側近の山本と秘密裏に会食していたのだ。菅は当初から、山本との会談の事実が安倍に漏れ伝わることを前提にしていたのだろう。
「菅氏をあまり追い詰めると、秋の内閣改造で閣外に出て、二階幹事長と一緒に石破支援に回る恐れがある」。この頃、周囲がこう安倍に進言すると、安倍は「分かっている。最近は菅ちゃんと話をする機会を増やしている」と応じた。菅の思惑通り、菅と石破の接近情報は安倍の耳に入り、安倍は疑心暗鬼に陥っていた。
5月の大型連休明けには、「石破首相―小池百合子官房長官―菅幹事長で話がまとまっている」との怪情報も永田町を駆け巡った。発信源は、国対委員長の森山裕とも、森山が所属する石原派の前会長・山﨑拓とも言われた。
■「石破支持」という「見せ球」
6月に入ると「菅後継」に向けた安倍包囲網はほぼ完成する。
まずは二階だ。6月8日、石破から9月に予定している派閥の資金パーティーの講師を頼まれるとその場で快諾。その上で石破を「さらに高みを目指して欲しい期待の星の一人だ」と持ち上げたのだ。永田町に波紋が広がり、マスコミは「二階幹事長は石破氏を担ぐことも選択肢に入れている」などと書き立てた。
だが、これは二階一流の「見せ球」だった。総裁選で菅が選出された直後、二階側近は「幹事長には石破を担ぐ選択肢など初めからなかった」と記者団に打ち明けている。
一方、ほぼ同時期に菅は、自らの秘書官に「一度すべての役職から降りたほうがいいと思っている」と秋の内閣改造を機に官房長官を退任する考えを漏らした。その傍ら、閣外に出るべきだと勧める親しい永田町関係者には「私には安倍内閣を作った『製造物責任』があるからなあ」と退任を迷っているかのような言葉も吐いている。
これらの言葉は報道されることはなかったが、安倍の耳には届き、「菅は二階と連携して本当に石破を担ぐのか」と疑心暗鬼にさせる効果を十分すぎるほどもたらした。
この一連の情報戦は、二階と菅の見事な連係プレーだった。コロナ禍で多くの国民が苦しんでいる中、菅は権力奪取に向けたゲームに精力を傾けていたのだ。
■麻生、なすすべなし
こうした中、安倍は6月だけで8回も麻生太郎と会談した。政権が窮地に追い込まれた時、安倍は必ず麻生に相談を持ち掛ける。
ともに首相経験者を祖父に持つ政界エリートとして、2人は深い信頼関係にある。かつて森友・加計学園問題で安倍が窮地に立たされた際、「麻生氏は首相再登板を狙い、裏で安倍政権の足を引っ張っている」との情報が側近たちから寄せられたが、安倍は「麻生さんは後ろから鉄砲を撃つようなマネは絶対にしない」と語り、その信頼は全く揺るがなかった。
一連の会談の話題は、支持率低下で求心力が失われた政権の立て直しと「ポスト安倍」だった。
後者に関しては、2人とも岸田の支持率が全く上がらないことに苛立っていた。この頃、各種世論調査の「次の首相にふさわしい政治家」で、環境相・小泉進次郎の人気が下がるのと反比例するかのように石破支持がさらに増加。一方の岸田は、政調会長として新型コロナ対策で脚光を浴びるはずが逆に深い傷を負い、支持は低迷したままで、石破に4倍もの差を付けられていた。
このまま岸田を担いで総裁選に臨んでも、菅・二階連合が石破を担ぐ動きを見せる中、安倍が実質的に掌握する細田派と麻生派の両方から一定の造反者が出れば、石破に敗北するかもしれないとの現実が2人に重くのしかかっていた。しかも派閥が空中分解すれば、2人とも今の役職を離れた途端に「過去の人」となる。実際、細田派でも麻生派でも、岸田を担ぐことへの疑問の声は少なくなかった。
麻生と会談を重ねる安倍は、この時点ですでに「このままでは石破が本当に次期首相になりかねない」「それを阻止するためには、菅という選択肢しかない」と本気で考え始めていた。だが麻生は「菅後継」には同意しなかった。
この7年余、消費税率引き上げや衆院選の時期などを巡り、菅と対立してきたからだけではない。先述したように、菅は麻生の地元の福岡でも、裏で足を引っ張ってきたのだ。容易に許せる相手ではなかった。
その麻生の望みは、党則を再び改正して安倍を来年以降も続投させることだった。そのため、麻生は安倍に対し、早期に解散・総選挙を行うことで局面打開を図るよう繰り返し進言し、安倍も「やれるときにはやる」と応じていた。
だが、衆院解散による巻き返しは「絵に描いた餅」だった。内閣支持率は不支持が支持を大きく上回ったままで反転材料はなく、新型コロナも収束する見通しは立たない。何より、安倍に解散するだけの気力が失われかけていた。2人が何度会っても結論は出ないままだった。
この時期、安倍は初当選以来の盟友である少子化担当相・衛藤晟一とも、何度か政権の立て直しについて協議した。2人は「現状では、今秋に解散すれば大敗北しかねない」との見方で一致していた。衛藤はまず、維新と国民民主党を連立政権に引き込む「疑似大連立」で局面転換を図るべきだと進言したが、安倍は力なく相槌を打つだけだった。
一方、菅は早期解散を警戒していた。既に風前の灯火となっていた「岸田首相」だったが、安倍が解散して単独過半数を獲得すれば安倍の求心力が回復し、同時に岸田も復活する可能性が出てくるからだ。
それゆえ菅は、7月にTBSのCS番組の収録で今秋の解散の可能性について問われると「新型コロナの問題がこのような状況では難しい」と明確に否定。その後も同様の発言を繰り返した。
解散は首相の専権事項であり、官房長官といえども言及しないことが永田町の暗黙のルールだ。今井ら安倍側近たちは「何様のつもりだ。菅は総理の解散権を縛るのか」と憤った。
■「菅後継」を安倍が決めた瞬間
7月に入り、安倍の体調に異変が生じる。持病の潰瘍性大腸炎の再発だった。すでに菅・二階連合によって追い詰められていた安倍は、体力だけでなく気力をも喪失し、最終的に「菅を後継にせざるを得ない」との考えを固めた。
内閣支持率に回復の兆しは見えず、解散総選挙のチャンスが巡ってくる見通しは立たなかった。八方塞がりとなった安倍に、もはや選択肢は残されていなかった。
そもそも岸田の擁立構想は、かつて第1次政権の際、真っ先に退陣要求を安倍に突きつけ、第2次政権発足後も安倍の政権運営にケチをつけ続けた石破の総裁就任を阻止するためのものだった。それなのに、岸田を担いで石破に負ければ元も子もない。
それに石破政権が誕生すれば、「桜を見る会」をはじめとする政権のスキャンダルが蒸し返される恐れもある。石破政権を何としても阻止するには、自分も菅に乗るしかない――安倍は一人でそう決断した。
7月後半、安倍は官邸で菅とサシで向き合った。「本当にやる気であれば応援します」と安倍が言うと、菅は「お願いします」と即答した。政治エリートの安倍が、叩き上げの菅・二階連合に膝を屈した瞬間だった。
そもそも今回の政局は、いずれも祖父の代から国会議員という政界エリート家庭の出である「安倍・麻生・岸田」と、地方議員からの叩き上げの「菅・二階・森山」の対決だった。叩き上げの議員が減った今の政界で「政局偏差値」が突出して高い3人の「叩き上げ連合」に、名家の出で人がいい3人が敗れるのは、必然だったのかもしれない。
■「岸田は温存すればいい」
菅政権は本人も驚く高支持率でスタートした。だが、不本意ながら「菅支持」へと追い込まれた安倍や麻生に、本気で菅を支えようという気構えなどあろうはずがない。
岸田が石破を3倍以上も上回る議員票を獲得したのは、「菅支持」のはずの細田派や麻生派から20~30票が上積みされたからだ。最も熱心に岸田票の上積みに心を砕いたのは、安倍の本心を汲んで動いた元首相の森喜朗だった。
総裁選の告示前、「総理の本心は岸田さんだと皆分かっています。総理が岸田支援の『天の声』を出してくれれば、岸田でまとめます」と安倍に迫った細田派の幹部に対し、安倍は「どのみち次の政権は短命になる。岸田さんは『次の次』に温存しておく方がいい」と返した。
負け惜しみとも受け取れる言葉だが、安倍が菅を長く首相の座に留めたくはないという意思表示とも受け取れる。

かつて菅は自ら「私には国家観というものがない。しょせん地方議員上がりですから、安倍さんとは違いますよ」と周辺に語っていた。安倍や麻生には、そもそもそうした男がこの国の舵取りを担うことへの嫌悪もあるのだろう。
権謀術数の限りを尽くして権力の座を得た菅の周囲には、怨嗟が渦を巻いていることは間違いない。果たして菅は、それを乗り越えて本格政権を打ち立てることができるのか。その答えが出るのは、それほど先の話ではない。
 
そして深慮遠謀だけではなく権謀術数を駆使する輩だったという菅義偉の真骨頂が発揮されたのがこれであった。
 
政権批判の学者排除か、理由明かさぬ政府に不信感 学術会議任命拒否

菅義偉首相はなぜ、拒んだのか―。日本学術会議が推薦した一部の新会員候補の任命を、政府が見送っていた。過去に例のない露骨な人事介入ともとれる事態。法律や歴史学の立場から政権を批判していた学者らの任命拒否を、理由を明かさぬまま「当然だ」とする政府の姿勢には、意に沿わない者を排除しようとの意図も透ける。学者たちは不信感をあらわにし、決定の撤回を求める声が上がる。
◆安保法案違憲と主張したせい?
 「理由の説明がなく、到底承服できない。学問の自由への侵害ではないか」。拒否された1人、東京慈恵会医科大の小沢隆一教授(憲法学)が憤る。
 思い当たる理由―。2015年7月、安全保障関連法案に関する衆院特別委員会で、野党推薦の有識者として「法案は違憲」と主張した。「仮に、政府の方針に都合の悪い発言をしたことが理由なら、自分たちに都合の悪い意見は聞かないよ、という意思表示ではないか」
 小沢教授によると、推薦を受けたことは、事前に学術会議事務局から告げられていた。だが9月29日に、事務局から電話で「任命されない」と伝えられた。翌30日に担当者とあらためて面談した際、「(政府から)理由の説明はなかった」と聞かされた。
◆撤回求め「総力で」
 1日の総会には出席。同じく任命拒否された早大法学学術院の岡田正則教授(行政法)、立命館大法科大学院の松宮孝明教授(刑法)と3人の連名で「任命拒否の撤回に向け総力であたることを求める」との要請書を、この日選出された梶田隆章新会長に提出した。 岡田教授は取材に「学術会議は学者の独立した審議機関なのに、(菅首相は)官僚組織の延長のように捉えているのかもしれない」と話した。
 松宮教授は「法律的には、首相は推薦通り任命するつくりになっている」と指摘し、「憲法に保障されている学問の自由と、学術会議の独立性を脅かす暴挙だ。そもそも彼らに選別できる能力は備わっていない」と強く批判した。
◆「理由なく承服できない」
 日本学術会議の山極寿一前会長の話 任命権者は首相だから、新会員を任命しないことはありうる。だが学術会議としては、業績に基づいて推薦している。任命しないならば相当の理由が必要だ。理由を付けずに任命しないということがまかり通るなら、学術にとって大変、重大だ。私としては承服できない。
◆「首相に抗議申し入れも」
 梶田隆章新会長の話 極めて重要な問題だ。しっかり対処していく。会長になる前は、学術会議の中立性、学問の自由に関わる問題ではないかと思った。首相に抗議を申し入れる可能性はある。具体的にどうするかは白紙の状態だが。


 
菅首相が学術会議の任命を拒否した6人はこんな人 安保法制、特定秘密保護法、辺野古などで政府に異論

■東京大社会科学研究所教授の宇野重規しげき教授(政治思想史)
 2013年12月に成立した特定秘密保護法に対し、「民主主義の基盤そのものを危うくしかねない」と批判。「安全保障関連法に反対する学者の会」の呼び掛け人にも名を連ねていた。07年に「トクヴィル 平等と不平等の理論家」でサントリー学芸賞受賞。
 ■早稲田大大学院法務研究科の岡田正則教授(行政法)
 「安全保障関連法案の廃止を求める早稲田大学有志の会」の呼び掛け人の1人。沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設問題を巡っては18年、他の学者らとともに政府の対応に抗議する声明を発表。
 ■東京慈恵会医科大の小沢隆一教授(憲法学)
 15年7月、衆院特別委員会の中央公聴会で、野党推薦の公述人として出席。安保関連法案について「歯止めのない集団的自衛権の行使につながりかねない」と違憲性を指摘し、廃案を求めた。
 ■東京大大学院人文社会系研究科の加藤陽子教授(日本近現代史)
 憲法学者らでつくる「立憲デモクラシーの会」の呼び掛け人の1人。改憲や特定秘密保護法などに反対してきた。10年に「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」で小林秀雄賞を受賞。政府の公文書管理委員会の委員も務めた。
 ■立命館大大学院法務研究科の松宮孝明教授(刑事法)
 17年6月、「共謀罪」の趣旨を含む改正組織犯罪処罰法案について、参院法務委員会の参考人質疑で、「戦後最悪の治安立法となる」と批判。
 ■京都大の芦名定道教授(キリスト教学)
 「安全保障関連法に反対する学者の会」や、安保法制に反対する「自由と平和のための京大有志の会」の賛同者。


 

 日本学術会議前会長 山極寿一氏の会見
 

 日本学術会議新会長 梶田隆章氏の会見
 

 岡田正則早大教授の会見
 

 小澤隆一東京慈恵医大教授の会見   
 
「市議会議員のような首相」だとあるジャーナリストは表現していたが、これは言い換えると「国家観」がないということかもしれないが、そんなレベルの男でも念願の国のトップになり権力を手中に収めたと思い込むと安倍晋三でもやらなかったことを平然とするという恐ろしい事実を国民に見せつけたのだが、本来ならいまこそメディアが「権力の監視」という機能を果たすべき時なのだろうが、「完全オフレコ朝食懇談会」にぞろぞろ参加するようでは推して知るべしである、とオジサンは思う。
 

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