様々な助成金を用意または改善してきたと胸を張る安倍政権だが、本来はこのような「休業補償」などは、4月7日の「緊急事態宣言」発令時にセットで発表していたら、世界の各国のリーダー並みに支持率が高騰したかもしれない。
こんな「タラレバ」話をしても意味ないのだが、野党各党はかなり前から要求し、独自の法案を提出してきた。
しかし無策の安倍政権が素直に野党案を国会で審議するはずがなく、と言って内容的には与党内部からも圧力がかかり、遅まきながらも後手後手対策を小出しに出し始めた。
この話は本当に凄まじい。10万円、家賃、学生支援…全て野党が求めたものを与党が後からなぞっているだけだし、その分、スピード感もなく後手後手になっているだけ。何しろ与党独自の対策は「給食マスク」と「ゴミ袋」ぐらいなのだから、与野党どちらに政権担当能力が実際にあるかはもはや明らかだろう https://t.co/2913cnZnZd
— 日本国黄帝 (@nihon_koutei) May 8, 2020
世の中には「自粛はするが委縮はしない」という人たちも多く、それは単なる強がりや意地を張っているわけではなく、やむに已まれずといった背景から、「自粛」をあたかも破ったような行動に出ている人も多い。
さて、今朝の新聞に「自粛警察」という言葉が出ていた。
新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言が延長されるなか、最近ネットでは「自粛警察」という言葉がすでに登場していた。
これまで日本は、海外に比べると自粛も比較的緩やかムードだったが、それがここ数週間で一転してしまったように見える。
SNS上で今営業しているお店を非難したり、外出した人の名前をさらして炎上させたり、実際の店舗に脅迫めいた張り紙などで嫌がらせをしたり、県外ナンバーの車にいたずらをするなど、度を越した「自粛警察」の正義感には問題視する声も高まっている。
「県外ナンバー車利用の和歌山在住者に確認書 トラブル回避のため発行」
【毎日新聞より】
「エスカレートする“自粛警察”。帰省したら町内会長に通報…の怖さ」という記事にはこんな実例があったという。
「近くの住人から町内会長に“通報”があったと言うんです。家の前に東京ナンバーの車が駐まっていると。遊んでいるわけでもなく、農業のための帰省ですよ? 町内会長も『理解はしているがクレームがあったから一応』と苦しげな面持ちでしたが、地元がこんなに冷たいとは思わなかった」
「友人の車は今も横浜ナンバーで、やはり同じように町内会の人間ががやってきたそうです。普段から駐めているのになぜ、と嘆いていましたよ。テレビで他県ナンバーが差別されるなんてやってましたよね、まさか自分がそういう目にあうとは……しかも地元でね」
こんな現象に対して、同志社大学政策学部の太田肇教授が持論を展開していた。
<「自粛警察」が暴走 正義中毒に陥らないためにすべきこと> 2020年05月08日 NEWSポストセブン 新型コロナウイルスの蔓延により長引く自粛生活で、国民のイライラが募ってきた。それをぶつける先が、世間で「悪者」扱いされている人たちだ。 営業自粛に応じないパチンコ店の前で開店待ちをしている客に罵声を浴びせたり、詰め寄って写真を撮ったりする。ライブハウスや飲食店に脅迫めいた貼り紙をし、コロナ感染者が出た会社に嫌がらせの電話をかける。他府県ナンバーの車にあおり運転や投石をする。 それが相手の人権や営業権を侵害し、暴行罪や脅迫罪、名誉棄損などにつながる行為だという自覚はない。公園に子どもを連れて行っただけで警察に通報する人や、マスクをかけずに歩いていると絡んでくる人もいるそうだ。 力づくで自粛させ、要請に従わない者を取り締まろうとする「自粛警察」は、新型コロナウイルスがもたらしたもう一つの恐怖だといえるかもしれない。 ネットの世界にも他人を攻撃する投稿が蔓延している。SNSでは有名人の不適切な言動を匿名の第三者が増幅して伝え、バッシングする。それを見た多くの人たちがリツイートや「いいね」を押して拡散し、ネットを炎上させる。こうした現象は政府や自治体の自粛要請が始まってから明らかに増えている。 東日本大震災や熊本大地震、西日本豪雨の後でも、結婚パーティーを開く人、笑顔でスイーツを食べる写真をインスタグラムにアップする芸能人、新しいファッションをPRした企業などが「不謹慎狩り」のターゲットになった。 正義の名のもとに相手の落ち度や非協力な態度をとらえて一方的に叩くのは、学校や職場で起きるイジメの典型的なパターンである。 学校では校則を破る子や共同作業をサボる子が、職場では残業せずにサッサと帰る社員や、空気を読まない社員が周りから仲間外れにされたり、嫌がらせを受けたりする。それと同じことが、いっそう危険な形でいま各地に広がっているのである。 ◆日本文化、日本人の美徳に潜むリスク 人は自分の価値観や行動規準に合わないものを排除することによって心の安定を保とうとする。また共通の敵を見つけ、一緒に攻撃することで仲間どうしの結束を強めようとする。そこに「正義」という後ろ盾があり、「正しいことをしている」という思い込みがあれば良心の呵責はなく、他人の攻撃にブレーキがかからない。「正義中毒」と呼ばれるように、正義感の暴走は一種の病理現象である。 考えてみれば、それは日本文化、日本人の美徳とされているものと隣り合わせだということがわかる。文化や美徳のなかに、「正義中毒」に陥りやすい危険性が潜んでいるのである。 たとえば災害時でも秩序を守って行動し、礼儀正しく振る舞う日本人はしばしば海外からも賞賛されるが、それは一人ひとりの道徳心や矜恃によるものばかりでなく、多くの場合、背後で厳しい同調圧力が働いていることを見逃してはいけない。 「私」より「公」を優先する道徳規範もそうである。一般に世間では「私憤」はいけないが「公憤」はよいとされる。しかし冒頭にあげたような人権侵害や営業妨害ともいえるような行為は、たいていが単純な「公憤」から出たものだ。少なくとも「公」の衣をまとっている。しかも、そこで掲げられる「公」や「正義」は反論を寄せつけないため、しばしば偏狭で、独善的なものになりやすい。 そもそも「公憤」に欠落しているのは当事者性である。実際に自粛違反を糾弾し「不謹慎狩り」をする人たちは、たいていが当事者とは無関係な第三者である。そのため擁護しているつもりの当事者にとって、むしろありがた迷惑ということがよくある。 たとえば震災後に興味半分で被災地を訪ずれる観光客がネット上で批判にさらされたが、経済的に疲弊した地元からは「興味半分であっても来てほしい」という声があがった。また「不謹慎」扱いされることを恐れて人々がタブー視するようになり、かえって差別や偏見が潜行していったケースもある。 考えようによれば、他人に無用な干渉をしない「私憤」のほうがむしろ質(たち)がよく、それを表に出しやすい社会のほうが健全だともいえる。 ◆「正義」の仮面に気づかせる 心配なのは、これからさらに自粛が長引くとますます独善的な「正義」が暴走し、さまざまなトラブルが発生しないかということだ。また相互監視や密告によって、人びとが相互不信に陥る戦時中のような社会にならないかと危惧される。しかもそれは緊急時における一過性の現象にとどまらず、コロナ禍が過ぎ去ったあとの職場や社会にも後遺症として残るだろう。 では、私たちが「正義中毒」にかからないようにするにはどうすればよいのか。 まず自分の確信している「正義」が、実は絶対的なものではないと自覚することである。たとえばパチンコ店に通う客を非難する一方で、自分も感染リスクのある満員電車で通勤しているかもしれない。また他人の問題発言をネット上で罵倒する行為が、個人の人権侵害という、問題発言よりはるかに重大な「不正義」に当たる場合もある。 自分の行為が本当の正義ではないと気づけば、行動は自ずと変わるはずだ。 思い出してもらいたいことがある。かつて学校や幼稚園で教職員に無理な要求を突きつける保護者の存在が社会問題となり、「モンスターペアレンツ」と呼ばれるようになった。すると不思議なもので、無理な要求をする保護者が一気に減ったそうである。それまで自分の主張が正しいと信じ込んでいた人が、「モンスター」と呼ばれることで世間から冷たい目で見られていると気づき、行動変容につながったのである。 「世間」に影響された行為は、「世間」によって正すことができるのだ。 ◆暴走にブレーキをかけるのは誰か 問題は、誰がその役割を果たすべきかである。 行政が強制的な命令や罰則ではなく、「お願い」や「自粛」という方法をとる以上、「自粛警察」や「正義中毒」のような存在が現れることは当然予想できたはずだ。さらに自粛に従わず営業を続けるパチンコ店の名前を公表したり、高速のパーキングエリアで職員が他府県から来た人の検温を実施したりするなど、行政がある意味で行き過ぎた行為を誘発するようなことを行ってきた。 またマスコミも、自粛要請にしたがわない人たちを執拗に追いかけて詰問するなど、彼らを「悪者」扱いしているケースが多々見られる。したがって「正義」の暴走にブレーキをかけるのも彼らの責任ではないだろうか。 いずれにしろ日本社会はその性質上、このようなリスクを常にはらんでいること、そして今回の場合、憎むべき敵はコロナだということを改めて確認しておく必要がある。 |
一読すると文句のつけようがない正論である。
しかし、「『自粛警察』や『正義中毒』のような存在が現れることは当然予想できたはず行政政がある意味で行き過ぎた行為を誘発するようなことを行ってきたにもかかわらず、「暴走にブレーキをかけるのは誰か」と問いながら、マスコミの行為を免罪にして、「憎むべき敵はコロナだということを改めて確認しておく必要がある」という結論のやり方には、自称国際政治学者らしい三浦瑠璃を彷彿させてくれる。
例えば、朝日新聞の言論サイトである「論座」の4月10日付の記事中では小池百合子都知事の脅迫的な「ロックダウン」発言を批判した後で、こう安倍晋三を擁護していた。
「4月7日発令された緊急事態宣言は、比較的穏やかな雰囲気の中で行われました。唐突な一斉休校措置による失敗から学び、経済対策が出揃うのを待ってから宣言するなど、政府にも試行錯誤の跡が窺(うかが)われます。日本が今回おこなっている措置は、移動制限でもロックダウンでもなく、自粛強化を「補償」とは呼ばない「支援金」で乗り越えようとするものです。
とすれば、なるべく時間的猶予を与えて予測させ、そのうえで発令するという段取りが最もパニックを呼ばないものです。」
その後の政権内の混乱ぶりを見れば明らかなヨイショであり「ドッチモドッチのルーりー」と揶揄される所以であろう。
昨日、「安倍は天衣無縫の無能?山中教授とのニコニコ対談で目撃?」という動画を発表していた、「哲学系youtuber」を自称しているこの若者の言ってることのほうがはるかに核心をついていた。
自粛警察とはなんなのか?~突如現れたわけではない根深い現象~
明確に政府(安倍晋三)と小池百合子都知事、そして吉村洋文を正面から正しく批判していた。
この動画には多くのコメントが書き込まれていた。
「自粛警察はとどのつまり無知から生まれる差別そのものでしょう。彼らの攻撃対象となったbarや駄菓子屋、飲食店は自粛要請を守って営業していたし、他府県ナンバーの車も攻撃対象としてるが、自分達が生活必需品を今でも手に入れることが出来るのが他府県ナンバーのトラックが物資を輸送してくれているからだと少し考えればわかること。そもそも彼らが正義感でそのようなことするんなら、筆跡隠しで定規で文字を書いたり、ワープロ打ちの張り紙するのでなく、自分の身分を明かしてやるべきでしょう。やらないでしょうね。所詮彼らのやってることはネットの身勝手な書き込みレベルですから。」
「国民の分断が起きていることは間違いないです。これは安倍官邸の策略、このままでは安倍の思うがままです。国民の分断を利用して政権の責任逃れでしょう。政府が負う最大かつ最優先の責務は『国民の生命と財産を守ること』ですよね? この理念は完全に崩壊し、国家は衰退の危機に瀕しています。行政府官僚、与党の政治家たち、とくに官邸内部のクズどもは国民はどうなってもよいと…そして自身の出世と利得以外は一切考えていません。」
「おつかれさまです。自粛警察って論点をずらして敵を作りだし、吊るし上げることが政治思想的に良く分かりました。
やはり全体主義的発想が浸透しているのかなと思います。感情的な政治ポピュリズムって感じでしょうか。
怖いのは知事らが人気を爆上げしているということ・・。コロナ禍で大変だけど冷静になることが大事でしょう。」
残念ながら「正義中毒」ならぬ「不正義中毒」の権化の安倍晋三が「自粛警察」をあたかも暗に煽っているのではないだろうか、とオジサンも思う。