4月28日の衆院補選投票日まで1か月を切った時点で、岸田文雄に焦りが出てきたのだろうか。
「岸田首相が画策する二階元幹事長と森元首相“生け贄”作戦の本気度…自身にも「非公認」科し、党内の異論封じ込め狙う?」
派閥の裏金事件を巡り、自民党は総裁である岸田首相と二階元幹事長、安倍派幹部に処分を科す方向で検討中だ。二階氏や安倍派幹部は党則で定める8段階の処分のうち、3番目に重い「党員資格停止」や4番目の「選挙における非公認」となる可能性がある。一方、岸田自身は2番目に軽い「戒告」が検討されているとも報じられている。 裏金議員約80人と併せ、4月上旬に一斉処分に踏み切る見込み。森山総務会長は20日、岸田首相と二階氏の処分について「党紀委員会に上申する前に執行部で議論することが前提になっており、そのことを踏襲していく」と話した。 「総理を軽い処分にすると、党内から『岸田さんは自分に甘い』と批判が噴出するのは間違いない。ただ、総理総裁に『役職停止』や『離党勧告』を科すことはできない。今後、落としどころを巡って大モメ必至だろう。とりあえず、総理としては派閥会長であり裏金額が3500万円超と突出している二階さんを厳しく処分して『自浄能力』をアピールしたいようだ」(官邸事情通) 二階氏といえば、2022年までの3年間の収支報告書を訂正し、書籍代として約3500万円の支出があったと記載。「本当にそんなに買ったのか」と批判を招いている。 幹事長時代に使途公開義務がない政策活動費を約50億円も受け取っていたこともあり、裏金自民を象徴する存在として世間に受け止められている。二階氏の吊し上げは「自浄能力」アピールとしてはうってつけだろう。 岸田首相の標的は二階氏だけではない。安倍派の裏金化が始まった経緯を知り得る森元首相も“生け贄”にする可能性がある。 「安倍派の裏金スキームは、森さんが派閥会長を務めていた時期から始まったのではないか、と指摘されており、国会招致を求める声がある。朝日新聞の最新の世論調査では、森さんの国会招致について65%が『必要だ』と回答。国民の不満を解消するため、総理が森さんに説明を求めるのでは、と囁かれています」(永田町関係者) ■派閥解散、政倫審出席表明と同じ手法 岸田首相はこれまで森元首相への聴取に消極的だったのに、15日の参院予算委員会では「聴取対象の中に森氏も入ると認識している」と踏み込んでいた。 岸田首相は本気で二階氏と森元首相を“生け贄”にするつもりなのか。ジャーナリストの鈴木哲夫氏はこう言う。 「二階元幹事長の処分を巡る報道は、官邸リークの可能性があります。岸田首相は二階さんに『処分を受けますよね』とメッセージを送った格好です。森元首相について『聴取対象に入る』と国会で言及したことも、『調査に協力してくれますよね』と暗に投げかけたのでしょう。最終的なウルトラCとして浮上しているのは、岸田首相自身の処分を『選挙における非公認』とすること。自らの処分を厳しくすることで党内の異論を抑え、2人に対応を強く促す狙いです。突然、派閥解散や政倫審出席を表明したのと同じ手法と言えます」 しかし、先に実態解明し、それぞれの裏金議員の悪質性を明らかにしなければ、処分などできるわけがない。結局は“やってる感”の演出でしかないわけだ。国民はだまされてはいけない。 |
まさに「官邸リーク」による謎のメッセージを送るといった水面下で丁々発止が行われているらしいが、そのような小細工では抜本的な裏金疑惑の解決には程遠いことは国民は見抜いている。
こんなことをやっていれば当然ながらこんな動きも出てきている。
「自民党じゃダメ、だけど野党には入れたくない」
ロッキード事件(1976年)で自民党の信用が地に墜ちていた時、河野洋平氏(後の自民党総裁)らが、自民党から飛び出し保守新党の「新自由クラブ」を結成した。 保守政党支持だが自民党には投票したくない。かと言って野党に入れる気にはならない。という有権者たちの受け皿となった新自由クラブはデビューでいきなり2ケタ議席(17議席)を獲得した。 ベストセラー作家の百田尚樹氏や名古屋市長の河村たかし氏らが立ち上げた日本保守党と参政党が衆院東京15区補選に候補者を擁立する。20日、タワマンが林立する江東区豊洲での街頭宣伝風景を取材した。 日本保守党の候補予定者はイスラム学者の飯山陽氏、応援弁士はジャーナリストの有本香氏。いずれも保守論客である。 街宣会場となった江東区豊洲のスーパー前は黒山の人だかりとなった。動員ではない。 参政党の街宣にも多くの聴衆が詰めかけた。=20日、江東区豊洲 撮影:田中龍作= 「今の政治家、誰1人保守の政治はしていない。自民党政権、あの人たちは偽装です。日本の国土をめちゃくちゃにしている」。飯山候補予定者がぶちあげると会場から拍手が起きた。 演説終了後の握手会には長蛇の列ができた。真冬のような冷たい風が吹き付けたが、会場を後にしたのはわずかだ。 有権者たちは「自民党じゃダメ。一度壊すしかない」と口々に語る。 「じゃあ立憲などの野党もダメですか?」と水を向けると誰もが「そうだ」と頷いた。 田中は新自由クラブのブームを思い出した。百田尚樹氏や有本香氏はもともと「アベ応援団」とされる。新自由クラブのように一段落したら自民党に戻るのだろうか。 日本保守党。いずれにせよ4月の補選や解散総選挙では台風の目となりそうな盛り上がりだ。 |
無党派層といわれている多くの有権者たちにより、「既存政党ではダメダ」と「日本保守党」も多少の議席を得るかもしれないが、残念ながら大勢には影響がなさそうである。
したたかな自民党ではこんな動きも活発になってきている。
「自民党のイメチェン大作戦「上川、高市、進次郎」選挙の顔すげ替えへ?当たりクジなし政治賭博 裏で糸引く黒幕魂胆」
■自民党がすげ替えを急ぐ“選挙の顔” 政倫審における自民党の安倍派や二階派の議員たちの知らぬ存ぜぬ発言に、ますます国民は不信感を募らせている。知らないはずがないからだ。 「“裏金議員”を早く処分してほしい」。有権者の罵声を浴びる地方議員たちの訴えは切実だ。 4月28日には衆議院の補欠選挙が3つ控えている。東京15区、島根1区、長崎3区。このままでは全敗の可能性だってある。 ■生まれ変われぬ自民。茂木幹事長がサボタージュか |
そんな頼りない野党に対しては、この御仁がずばり苦言を呈しながらも新たな模索を提案していた。
「内輪もめしてる場合じゃないでしょ!(鈴木耕)」
いわゆるリベラル派を批判する意見が、このところかなり多いように思われる。むろん、ネット右翼諸士からのリベラル罵倒は今に始まったことではないけれど、どうも同じリベラル派と目される人たちの間でも、けっこう罵倒じみた言い争いが起きているような感じがする。なんだか切ない。 最近、ぼくのわりと親しい友人知人からも「いまの護憲派はダメだ」的な言い方をよく聞くのだ。 民主党時代の悪夢…? この「マガジン9」は当然のごとく護憲派である。憲法を一言一句すべて守れとは言わないけれど「憲法9条の精神を大切にする」ということだけは譲れないと思っている。「マガジン9」の9とは、憲法9条の9なのだから。 ただ最近は「いまの護憲派の運動論は間違っている」「旧態依然のやり方では若い人たちはついてこない」「デモは恐そうで近づけない」「古臭い考え方は止めろ」「カッコ悪い」「何でも反対では説得力がない」「科学的データに基づかないから盛り上がらない」などと、運動の在り方そのものへの非難も多くなっている。 確かに「何でも反対」ではついてこられない人も多いかもしれない。だからと言って、リベラル派が同じ(?)リベラル派を非難している図を見るのは悲しい。 ぼくもかつては、そんな感じの発言をしていたこともあったと思う。「だから今のリベラルはダメなんだ」論である。忸怩たる思いがある。 マスメディアはもちろん、SNS上でも「自民党はもちろんダメだが野党もダメ」という記事ばかりだ。一見リベラル風の記事でも自民党批判はするけれど、その後半には決まって「だが野党がだらしないから……」が付け加わるのだ。 しかし、考えてみるといい。2009年には自民党が大敗、民主党が政権を奪取したではないか。ところが2011年に起きた東日本大震災と原発事故によって、民主党は政権の座から滑り落ちてしまった。もしあの大震災が自民党政権下であったら、自民党の政権復帰はあと10年以上は遅れたのではないかと、ぼくは思っている。 安倍晋三氏が繰り返した「民主党政権の悪夢」は、そのまま「自民党の長い悪夢」になっただろう。原発事故の後始末を、自民党ができたとはとても思えないのだ。 保坂展人さんの場合 かつてぼくは、東京の世田谷区長に当選したばかりの保坂展人さんの新書(集英社新書)を編集したことがある。そのとき、ぼくはタイトルを『闘う区長』にしようと主張した。保坂さんは渋ったが、当選したばかりの時期には強いイメージが必要だとぼくは考えたし、そう保坂さんを説得した。保坂さんは渋ったが、結局、ぼくの意見が通った。思い返せば、編集担当者として、ぼくはいささか強引だったと赤面する。 だがその新書の中で、保坂さんは自分の考え方を説明している。 世田谷区は、それまで長期間に及ぶ保守区政だった。保坂さんの登場に、当然ながら区の職員たちは不安を感じていた。保坂さんは土井たか子委員長時代の社民党の衆院議員だった人だ。「国会の質問王」とも呼ばれるほど、自民党政権を恐れさせた「リベラルの星」だった。これから何が始まるのかと、区職員たちは身構えた。しかし保坂新区長の採った手法は、職員たちも驚くほどやわらかなものだった。 「これまでの施策の95%はそのまま執行する。あとの5%の中で何ができるか、新しいことを考えていきましょう。何でもNO!ではなく、YES!世田谷 です」 これで職員たちは安心したらしい。 「いままでの自分たちのやり方のアンチではなく、ほとんどをイエスと肯定してくれるのだから」というわけだ。 保坂さんによれば、区民の暮らしにつながる行政は、保守も革新もない。ダメな部分を強調するのではなくいい部分を持ち上げて、少しの改革をそれに付け加えていく。それが現場の行政だ、ということになる。 いま、リベラル派で起きていることは「アンチ」や「NO」が多すぎるのではないか。闘うのはいい。だけど、闘い方を巡ってケンカをしてどうするのか。ぼくもそう思うようになった。それぞれのやり方でいいんじゃないの、である。 旧いやり方が不満なら、新しい方法を自分たちで見つければいい。ダメ論ばかりではなく、こっちがいいよ論を作ればいい。ダメ論を強調する人こそ「旧いやり方」の人なのだ、ということに気づいた。 鈴木邦男さんの覚悟 最近、「マガジン9」スタッフが編集した本が集英社新書から発売された。『鈴木邦男の愛国問答』である。 読み返してみる。邦男さんの「柔軟な考え方」に、いまさらながら驚く。邦男さんは右から左まで、付き合う人の範囲を決めない。波長が合いさえすれば(いや、合わなくたって)誰とでも、どんな人とでも話し合おうとする。 時にはそれで、怒鳴られたり殴られたりすることもあった。自宅アパートに火をつけられたこともあったのだ。それでも邦男さんはひるまなかった。 それが、ものを言う(書く)人間の覚悟でなければならないはずだ、「言論の覚悟」なのだと邦男さんは言った。この本の隅々にまで、その覚悟が満ちている。つまり、他人を否定しないこと。しかし、これは、おいそれとできることではない。 若い頃は「武闘派右翼」として名をとどろかせていた邦男さんが、どういうきっかけでそんな域に達したのか、それは分からない。ぼくが付き合い始めた頃には、すでにそういう思考を身につけていた。 ぼくにはとても真似ができない。誰にでも胸襟を開き、誰とでも語り合う。ぼくにはとても難しい。イヤな人はイヤだもんね。 それでも時折、邦男さんが漏らすことがあった。 「いくら話しても分かり合えない人もいるんだよねえ」 へえ、邦男さんでもそうなんだ、とぼくは少しほっとしたものだった。 ぼくは、リベラル派同士が罵倒し合うのを見たくない。 保坂さんなら「まずYES、そして5%の改革を」と言うだろう。ほんの少しの差異を言い立てて相手を非難するのが、リベラル派の悪い癖だと思う。ある時、邦男さんがこんなことを言っていた。 「左翼は頭がいいから、少しの違いでも気になって仕方がない。だから相手を言い負かそうと理論を組み立てる。すると相手も負けじと頑張る。そこで言い争いが始まって結局分裂していく。でも右翼はそんな理論を持っていないから、同じ陣営の中ではケンカしない。一緒に左翼撲滅で意気投合するからね」 でもほんとうはね、「左翼は頭がいいから論争するけど、右翼はそんなに頭がよくないから論争にならないんだ(笑)」と言ったのだ。 批判と罵倒は違うのです かつてぼくの友人だったジャーナリストが、ある時から口を極めて「だから護憲派はダメなんだ論」を叫び始めた。「そんな仲間内の悪口を言ってどうするんだ」とぼくがたしなめても「そのあいまいな態度が自民党一党独裁を生み出している。批判を恐れるからおかしくなっちゃうんだ」と、ますます護憲派批判(罵倒)が激しくなった。 でもねえ、批判と罵倒は違うんだけど……と思った。とうとうぼくは、彼と付き合うのを止めてしまった。一緒に本を作ったこともある友人だったのだが。 自民党の腐敗が国民の大きな批判を浴びている。いまこそ、自民党を政権の座から引きずり下ろす絶好の機会だと思うのだが、野党はいつまでたっても分裂状態。自民党にすり寄るあの党やこの党には、ぼくはほとんど賛成できない。そこまで「共闘」する必要はないと思っている。 一方で、ひたすら純化を図って他党批判を繰り返す党もある。これもやはり、ぼくは一歩引いてしまう。 邦男さんのように「まず話し合うこと」「誰にでも胸襟を開くこと」から始めなければ、政権交代は無理だろう。保坂さんのように「95%のYESと5%の改革」を目指すことから始めるのもいいと思う。 |
上記の記事中の「左翼」を現在の野党に、「右翼」を自民党に置き換えれば、自民党は理論理屈で論争するような理論を持っていない烏合の衆で、政権の座にいることが最大の目的なので組織内での論争にならず今日まで存在しているのかもしれない、とオジサンは思う。