新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

国会で岸田文雄を攻めきれない野党は石破茂に学べ

2023年02月21日 12時16分40秒 | 岸田文雄外交

もう2年前になるのだがCOVID-19のワクチン接種が国内で始まったのだが、接種券が各家庭に送られ、我が家ではオバサンだけが積極的に集団接種会場に出かけていた。
 
当時はその翌日に同じ接種会場に行く準備をしていた矢先に、その会場でオジサンと同年齢の男性が接種後の待機時間中に倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまった。
 
この「事件」では国がワクチン接種による死亡事故と認めず遺族が国に抗議したとかという記事が週刊誌にも掲載されていた。
 
その瞬間から、すでに高血圧の治療(降圧剤の長年の服用)と数年前には、皮膚や腎臓などの血管を中心にIgA抗体と呼ばれる抗体が沈着し、「アナフィラクトイド紫斑」という炎症が起こるという、異常な免疫反応が引き起こされやすい体質であったため、ワクチン接種は忌避している。
 
それからは一度も感染したことがなく現在に至っている。
 
しかし、その後もワクチン接種後の死亡事故や感染後の長期の後遺症に悩まされているという記事が相次いでいた。
 
ネット上には相変わらず「反ワクチン派」と言われているネット住民からは「毒チン」と呼ばれ、多くの陰謀論も盛んである。
 
最近では簡単には陰謀論と片付けられない記事が週刊誌にも登場してきた。
 
『超過死亡が年間10万人以上で戦後最大』の謎…専門家『今、コロナ以外の急病人や急死者が増えている』
 

■原因不明の死者が増えた
「朝から、足がふらつくんです。右手と右足が、なんだか痺れているような感じで……」
こう訴える60代男性が、千葉県印西市の千葉新都市ラーバンクリニックを訪れたのは今年1月12日である。男性に基礎疾患はなく、いたって健康体。診察しても明らかな麻痺はなかったが、念のため頭部のMRI検査を行った。院長の河内雅章氏が言う。
「すると、脳の中央部の血管に直径8ミリほどの小さな梗塞(血液の詰まり)が見つかったのです。
血液の流れをよくする抗血小板薬を処方しましたが、その後、症状が悪化したため入院しました。梗塞が小さかったので、しばらく治療し、無事に退院しましたが、いったいあれは何だったのか。
昨年秋ごろから、こうしたケースをちらほら目にします。当院が経営するグループホームでも、それまで元気だった高齢の入所者が2人相次いで亡くなりました。死亡診断書には『老衰』と書きましたが、私自身、納得がいっていません」
原因不明の急病人、急死者が多すぎないか―いま少なからぬ医療者が、こんな違和感を抱きながら日々働いている。
その直感は、数字のうえでも裏付けられつつある。昨年1月から10月末までの「超過死亡」が全国で推計9万人を超えた可能性があることが、国の統計から明らかになった。12月分を合わせれば、年間10万人に達することは間違いない状況だ。
そもそも「超過死亡」とは何か。名古屋大学名誉教授で小児科医の小島勢二氏が解説する。
「平時には、全国で年間にどのくらいの人数が亡くなるのかという数値は、ある程度予測することができます。超過死亡とは、その予測値を超えて亡くなった人数を指します」
■戦後最大規模の超過死亡
ちなみに、東日本大震災が発生した'11年には、震災による死者を含む約5万6000人が超過死亡にカウントされたが、それ以外の年では、インフルエンザの流行などで亡くなった推計1万人が計上される程度だ。
「コロナ禍においては、『コロナで亡くなった人』と『診断・報告はされていないが、コロナで亡くなったと思われる人』、さらに『広い意味でコロナの影響で亡くなった人』が、この超過死亡に該当することになります。
そして'21年と'22年の超過死亡数は、コロナによる直接の死者数を差し引いても、東日本大震災の年を上回っている。これは戦後最大の規模です」(前出・小島氏)
では、なぜこれほど超過死亡が増えているのだろうか。国の機関や医療者、専門家の間でも、百家争鳴の状態だ。
政府は、「コロナによる医療逼迫が原因だ」という路線を敷く。厚生労働省が設けた超過死亡の研究班は、'22年5月に次のような報告を出した。
'21年春にコロナの「第4波」が襲った時期には、病床が足りず多くの死者が出た関西圏で、そして「第5波」の時期には人口あたりの病院数が少ない東京や神奈川で、主に超過死亡が増えている。このことから、「コロナ陽性者の急増」と「医療逼迫」が超過死亡の原因だといえる―。
朝日新聞など大手メディアは、この報告をそのまま報じた。
■「医療逼迫のせい」ではない
ところが前出の小島氏は、「その後の'22年の超過死亡の内訳を考えると、『医療逼迫説』は崩れてしまう」と言う。
「確かに『第6波』があった'22年2月と3月には、コロナ感染者・死亡者が全国で激増するのにともなって、超過死亡も増えています。医療逼迫が解消していなかった大阪府では、3717人の超過死亡が出ました。
しかし一方で、同じ2ヵ月間にコロナによる死者が月間ひと桁しか出なかった鳥取県と島根県でも、超過死亡がそれぞれ191人と155人発生しているのです。この両県では医療逼迫があったとは考えづらいのに、超過死亡だけが増えていたということになります」
前述したように、超過死亡とは「平時と比べて余計に亡くなった人の数」を指す。コロナ感染者の増加そのものが原因でないとすると、「コロナ禍前後での世の中の変化」に真の原因が潜んでいることは、まず間違いない。
■「厳しい自粛生活」「運動不足」が原因なのか
この観点から言えば、「自粛」も重要な「変化」のひとつと言えるだろう。内科医で医療ガバナンス研究所理事長の上昌広氏は、そこに着目する。
「一昨年から、特に老衰や肺炎で亡くなる高齢者が増えていることは間違いありません。日本全体の高齢化が進んでいるところに、長期間の自粛を強いられたことによって、人々の体力や免疫力が低下していることが一因ではないかと考えています」
上氏が根拠として挙げるのは、海外と日本の比較データだ。先進各国の中で、日本に次いで高齢化率が高いイタリアやドイツでは、人口あたりのコロナ感染者数や死者数は日本を大きく上回っているが、超過死亡は増えていない。こうした海外の国と日本の差は「厳しい自粛を長期間続けているか、続けていないか」である―というわけだ。
「緊急事態宣言とまん防(まん延防止等重点措置)を合わせた外出自粛期間は、たとえば東京都では過去3年間で347日にも達しています。特に高齢の方が自宅に閉じこもって運動不足になれば、体重増加、高血圧や糖尿病、脂質異常症などのリスクが跳ね上がる。老衰や肺炎、脳卒中によって亡くなる方が増えているのは、長期間の自粛の悪影響が出ているためと言っていいでしょう」
この見方は、コロナ以外の急病人や急死者が増えている、という医療者の訴えとも辻褄があう。コロナ以前から、日本では「運動不足」が喫煙、高血圧に次いで死亡リスクを高める要因であると指摘されてきた。自粛のせいで命を落としている人は、思った以上に多いのかもしれないのだ。
日々、患者と接する医療者たちは、増加する「不審な死」に対してうすうす「おかしい」と感じ始めていることがわかってきた。コロナ禍3年間のデータを精査して、浮かび上がってきた理由とは。
先の記事で戦後最大規模となった超過死亡の原因として、「厳しい自粛生活」「運動不足」が可能性としてあり得るという指摘を見てきた。しかし一方で、もうひとつの「コロナ禍がもたらした大きな変化」が超過死亡の真の原因ではないか、と考える医療者も少なくない。
そう、ワクチンである。
■接種後に増えた死者
60代男性が、ある日手足の痺れを訴えてクリニックを受診したところ、MRI検査の結果脳の中央部の血管に直径8ミリほどの小さな梗塞が見つかった。
しかし着目すべきは、この男性がそれまではいたって健康体だったこと、そして診断の2日前、5回目のワクチン接種を受けていたことだった。診察した千葉新都市ラーバンクリニック院長の河内雅章医師が言う。
「ワクチン副反応に関するデータを見ると、接種直後に血栓症を起こす可能性は少なくないようです。その男性も、ワクチンによる血栓で脳梗塞を起こしたのではないかと私は考えています。
この患者さんは幸い助かりましたが、もっと高齢の方や認知症の方だと、異変を訴えることもできないまま亡くなってしまうでしょう。ワクチン接種が盛んに行われた時期と一致して、超過死亡が大きく増えていることを見ても、ワクチンが何らかの悪影響を及ぼしているのではないか、と考えざるを得ないのです」
…中略・・・
■ワクチン接種率の高い国ほど超過死亡が多い…?
ワクチンの接種開始から現在に至るまで、政府や厚生労働省は「ワクチンと超過死亡の因果関係」を認めていない。ワクチン副反応疑いによる死亡者が取り沙汰されるようになった昨年11月には、加藤勝信厚労大臣が参議院本会議で「両者の因果関係を論じることは困難」と答弁している。
政府の主張の根拠は、「仮にワクチンが原因だとすれば、ワクチン接種が増えたあとから、それを追いかけて超過死亡が増えなければおかしい」というものだ。実際に、'21年5月の1回目接種のときには、接種回数が増えるよりも先に超過死亡が発生している。さらに慈恵医科大学は昨年10月、「ワクチン接種率が高い国ほど死亡率の増加が少なく、日本はトップクラスに超過死亡の増加を抑えている」という研究結果を発表した。
しかし前出の小島氏は、こうした言い分も、'22年に起きたことを分析すると疑わしいと語る。
「これらはいずれも'21年秋、つまり2回目接種までのデータにもとづいた主張です。まず、'21年12月から始まった3回目のワクチン接種のときには、10週間後の'22年2月から超過死亡が増えはじめ、3月にかけてピークを迎えています。
もっともこれだけでは、同じ時期にコロナ感染者が増えたことによって、超過死亡が増えただけの可能性もある。そこで私は、'22年に行われた追加接種の回数と超過死亡の関係を、日本だけでなく韓国などのアジア各国や欧州の国々ともあわせて調べてみました。すると、慈恵医大の発表とは違って、追加接種率が高い日本やベルギー、台湾などの国ほど超過死亡が多くなる傾向があったのです」
つまり「1回目・2回目接種後の超過死亡と、3回目接種以降の超過死亡は別物」という分析結果が得られたのだ。
■ワクチン接種後「急激に衰弱する」「がんが急速に進行する」
ワクチン接種の回数が増えるにつれ、体の異変を訴える人や、急変する人が増えていく―そうした実感を抱いている医師は、前出の河内氏だけではない。北海道のほんべつ循環器内科クリニック理事長、藤沢明徳氏が証言する。
「ここ最近は、コロナが重症化して亡くなる人はほとんどいません。ワクチンを3回、4回と接種したあとに急激に衰弱していく高齢の患者さんや、急速に進行するがんが見つかる患者さんが目につきます。医者になって30年ほどですが、初めて見る光景に驚いています」
「超過死亡」はおそらく、ここまで見たような「医療逼迫」「自粛」そして「ワクチン」という複数の要因が絡みあった結果、これほどまでに増えてしまったのだろう。だが政府も新聞もテレビも、ことワクチンのデメリットとなると口を閉ざす。
超過死亡とワクチンの関係を厚労省に問い合わせると、2日間たらい回しにされた挙げ句、次のような回答があった。
「超過死亡が起きていることは事実ですが、原因はわかりません。3回目接種の時期はオミクロン株蔓延の時期と重なっているので、専門家は感染拡大が要因の一つだと指摘しています。いずれにせよ、ワクチンと超過死亡の関係を論じるのは困難です。ワクチンが死亡リスクを高めるという研究結果やデータは、国内外の研究でも得られていませんので」
超過死亡の激増は、現在進行形の危機だ。しかし、木で鼻を括ったような政府の対応からは、その真相を究明しようという意思は感じられない。
その間にも、原因不明の死者は増え続ける。


 
ところで、ワクチンによる死者よりも恐ろしいのが、連日報道されている岸田文雄政権によるNATO並みの軍事費の増額と前のめりの「好戦的」な姿勢である。
 
国民がいくら反対し、批判したところで直接岸田文雄に届くわけがないのだが、同じ自民党員で岸田文雄と同い年の議員の国会での質問が評判になっている。
 
その議員は自民党きっての「戦争オタク」とも揶揄されていた石破茂である。
 
半農半ジャーナリストの高野孟が石破茂の質問内容を詳細に検証しその的確さを称賛するとともに、アメリカにいいように手玉に取られ兵器を爆買いする岸田首相を強く批判していた。
 
強烈な皮肉。石破茂が10年ぶりの国会質問で岸田首相に放った言葉
 
■石破茂の「独演会」。10年ぶりの与党質問で語った防衛論のブレない内容
石破茂は、小泉内閣で防衛庁長官、福田康夫内閣で防衛大臣を務めた自民党きっての防衛政策通で、もちろん防衛力増強大賛成の立場ではあるけれども、岸田内閣のように、中身のある議論の積み重ねもなしにいきなり防衛費倍増を決めてしまうような粗暴なやり方には批判的。その立場から2月15日の衆院予算委員会では10年ぶりに質問に立ち、30分の持ち時間のうち最初の24分間を一方的な持論の独演に充てる形でなかなかツボを押さえた問題提起をおこなった。
やや冗長な部分もあるけれども、あえて石破質問の全文を衆院事務局発表の速報(未定稿)を用いて収録するので、今自民党内や国会でどういうレベルの議論が求められているかをご自分で感取して頂きたいと思う。私なりの受け止め方は以下に記す。その便宜上、番号付きの小見出しは私が勝手に挿入した。
*************
==資料・石破茂の質問全文==
おはようございます。自由民主党の石破茂であります。 総理、その後、お具合はいかがですか。私も、もう何年前になりますか、政調会長のときに、やはり内視鏡のちょっとした手術をしたことがありましてね。お医者様のお許しを得て、その日のうちに党本部に出勤したりしていて、後が結構つらかったです。後が結構大変ですので、どうぞお大事になさってください。周りの皆様方もよくお支えいただくようにお願いを申し上げておきます。
【1・戦争体験の継承】
総理と私は、同じ昭和32年生まれで、同じ時代を生きてきました。総理の政治の師は故大平正芳元総理であるというふうに承ったことがあります。私にとっての政治の師は、故田中角栄元総理でありました。
田中角栄先生が、日中戦争に従軍しておられたのですけれども、御存命中に、あの戦争に行ったやつがこの世の中の中心にいる間は日本は大丈夫だ、あの戦争に行ったやつがこの世の中の中心からいなくなったときが怖いんだ、だからよく勉強してもらわなければならぬのだというふうに語っておられました。
私は、ずっと、議員になって以来、安全保障というものをライフワークの一つとして取り組んでまいりました。及ばずながら、勉強もしてまいりました。それは、角栄先生のこの言葉がずっと胸にあるからであります。
敗戦後、既に78年になりました。15歳で少年兵として昭和20年に従軍された方も、よわい90を超えておられる。御存命で、まだお元気な方も随分おられるとは承知をいたしております。しかし、この世の中の中心からはほとんどの方がリタイアされた。我々はその時代に生きているということをよく認識をしなければいけないと思っております。
【2・質疑の様式】
限られた時間でありますので、恐縮でありますが、本会議形式になって恐縮ですけれども、冒頭、私から思いを申し述べさせていただいて、総理に御答弁をまとめてお願いしたいと思っております。
通告はしてございますが、全部お答えいただかなくても結構です。安全保障について答えるというのは物すごく細心の注意を要することでありますし、何を言ってもいいというものではございません。そのことは、私も、何度も答弁に立って、よく承知をしておるつもりであります。そういう意味で、質問申し上げますが、冒頭、思いを申し述べさせていただきたいと思っております。
【3・安保政策の大転換の意味不明】
総理は、記者会見において、戦後安全保障政策の大転換だというふうにお述べになりました。これは一体何を意味するものなのだろうかということであります。そして、それに続けて、専守防衛は堅持する、非核三原則は堅持する、平和国家としての歩みは変わらないと。平和国家としての歩みは変わらないというのはそのとおりでありますが、専守防衛はそのままである、非核三原則はそのままである、では一体何が大転換なのだろうかということであります。
そして、国民の多くの皆様方は、防衛費の増額というものに肯定的な方も大勢いらっしゃいます。そのことは確かだ。しかし、なぜ大幅に増額をするのか、なぜ〔GDP比〕2%なのか、なぜ43兆円なのか。それはきちっとした積み上げがあり、どのように安全保障環境が変わったのかということをきちんと国民の皆様に御説明をし、得心をいただく、それが我々政府・与党の責任であるというふうに私は考えておるところでございます。
確かに安全保障環境は大きく変わった。冷戦が 終わって、いわゆる相互確証破壊というのが揺らぎが生じ、あるいは崩れたと言ってもいいかもしれない。そして、去年の今頃、私も含めて、常任理事国の核保有国であるロシアがウクライナに侵攻するということを予測できた者はほとんどいなかったと思います。しかし、それが現実のものとなった。北朝鮮はミサイルの発射を繰り返し、NPT体制というものに揺らぎが生じていることも事実だと思っております。中国の軍拡はとどまるところを知らない。確かに安全保障環境は大きく変わっているということを認識はいたしております。
しかしながら、今日のウクライナは明日の台湾、台湾有事は日本有事というような、そういうような思考というものを余り簡単にすべきものではないと私は認識しています。
【4・ 専守防衛の難しさ】
専守防衛について伺います。専守防衛の定義は総理も私もよく承知をしている。ここにいかなる軍事合理性があるのだろうかということであります。私は、防衛2法成立以来の国会の議事録も一応全部読んでみた。専守防衛ということが、さて、憲法の理念に立脚したものであるということ、そして、相手から攻撃を受けて初めて自衛力を行使するというものであること、これはよく承知をいたしております。しかし、この専守防衛というのは、軍事用語辞典を引いてみてもどこにも出てこない。これは軍事用語ではございません。ある意味で、政治用語と言ってもよいものであります。
では、これに、専守防衛というものを貫徹することが、我が国の独立と平和、国民の生命、身体、財産を守るために最も適当なものであるという理論的な説明ということがなされたことは一度もないのであります。
【5・文民統制のあり方】
かつて竹田五郎さんという統幕議長がおられました。当時は統合幕僚会議議長といっていました。空将であります。自衛官の最高位の方だ。この方が、ある雑誌のインタビューに答えて、専守防衛というのは極めて難しい防衛姿勢である、国土が戦場になるリスクもある、そして、同じ効果を得ようと思えば物すごくお金がかかるのだというふうに雑誌のインタビューに答えられました。鈴木善幸内閣の頃であります。防衛庁長官は大村襄治先生であったと記憶をいたしております。事実上解任になりました。
その2年前のこと、陸将でありましたが、栗栖弘臣さんという統幕議長がおられました。この方が、有事法制がなければ自衛隊は超法規的に動かざるを得ない、だから有事法制をきちんと整備をしなければならぬという発言をしました。この方も事実上解任になりました。
私は、こういうのが正しい文民統制の在り方だと思っていないのです。私は、制服組、いわゆる軍人、日本でいえば自衛官、実際に私も安全保障には随分関心を持ち、それなりに勉強もしてきました。しかし、命を懸けて、自衛隊員の服務の宣誓どおりに、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって職務の完遂に務め、もって国民の負託に応える、その言葉のように船に乗ったこともなければ、飛行機に乗ったこともなければ、戦車に乗ったこともない。命を懸けてその職務を全うするのが自衛官たちであります。
私は、軍事専門家たる自衛官が国会においてきちんと証言ないしは答弁することが正しい立法府による文民統制の在り方だと思っています。制服を着た者が国会に来ないことが正しい文民統制だと私は全く思っておりません。
6・必要最小限度とは】
その上で、専守防衛というのは如何なる軍事的合理性を持つものかということは検証できていないのです。
ある方がこのように言っておりました。専守防衛というものの本質は持久戦である、いかにしてアメリカが来援するまでの間持ちこたえるかということが大事なのだと。それはそうでしょう。でも、そのためには、人員、燃料、弾薬、食料、これが十分でなければ持久戦を戦うことはできない。そして、我が国は国土の縦深性を欠いておりますので、国民保護ということを徹底していかなければ、それは専守防衛なぞというものは貫徹できるものではございません。
かつて自衛隊でこんな川柳がはやったことがあるそうです。<たまに撃つ弾がないのが玉にきず。>冗談ではない。だけれども、そのような川柳が歌われるような、そういうような時代がありました。今そうであってはならないとは思っております。
専守防衛というのは極めて難しい。これをどうするかということであります。専守防衛ということを説明するときに、必要最小限度という言葉が使われますね。必要なのは分かる。じゃ、何が最小限度なのだということ、これをきちんと測るような便利な物差しが世界のどこにもあるわけではございません。ここからここまでは必要最小限度よと。装備もそうです、権限もそうです。必要最小限度だからという言葉を使うのは、自衛隊は戦力ではない、なぜ戦力ではないか、必要最小限度だからだ、必要最小限度だから戦力ではない、戦力ではないから陸海空軍ではない、こういうロジックが使われますね。私もそのような答弁をしたことが何度もございます。
この専守防衛という考え方と、自衛隊は戦力ではない、軍隊ではない、このロジックは非常によく似ているのですね。だけれども、北朝鮮に対して必要最小限度のものが中国やロシアに対して必要最小限度かというと、そんなことはあり得ないのだ、防衛力というのはそんなに簡単に増勢できるものではないのだということであります。
【7・脅威=意図×能力】
脅威というのは何なのか。それは、相手国を侵略しようという意図と能力の掛け算ですよね。掛け算だから、片っ方がゼロならば、幾ら掛けても答えはゼロなんですよ。総理が御指摘のように、平和国家としての歩みは変わらない。我が国は決して他国を侵略することはない、その強い意思を持つことが一番肝要なのだというふうに私は思っておるところでございます。
私は、軍事大国になることはあってはならないと思います。防衛力は節度を持って整備をされなければなりません。当然のことであります。
しかしながら、軍の組織維持とかそういうことが自己目的になったことが我が国にはなかっただろうか。私はよく若い人たちに言うのですけれども、今、参議院議員になっておられますが、猪瀬直樹さんの『昭和16年夏の敗戦』という本があります。昭和16年夏、昭和20年夏じゃない。昭和16年に、当時の大日本帝国政府は、今のャピトル東急ホテルの辺りに総力戦研究所というシンク
タンクをつくった。あらゆる情報が彼らには与えられた。20代、30代、主に30代ですね、陸軍、海軍、ありとあらゆる官庁、同盟通信、日本銀行、その最も優秀な人間を集めて、日本とアメリカの国力がどれだけ違うかということを全部開示をして、今でいうシミュレーションをやった。昭和16年夏に答えが出た。いかなる理由があってもこの戦争だけは絶対にしてはならない、必ず負けると。そのとおりになりました。顧みられることはありませんでした。それぞれの軍の組織防衛ということが先行したことを私は否定できなかったと思っています。
そういうような防衛力増強があってはなりません。しかしながら、その上でどのように防衛力を増勢していくかということはよく注意深くやっていかねばならぬことであります。
【8・反撃能力は通用するのか】
アメリカと日本の盾と矛との関係はどうなるのだ、日本が反撃力を持つということは矛を持つことになるのではないのかというお話があります。しかしながら、有名な船田防衛庁長官答弁、鳩山総理のものを代読されたものでありますが、ほかに取るべき手段がないということで、座して死を待つことが憲法の予定するところではない、そのとおりであります。
私が長官のときに、被害が起こってからでは遅過ぎる、おそれがある段階では早過ぎる、どの時点ならば防衛力を行使できるかといえば、それは着手の時期であるというふうに申し上げました。どこかの国が日本に向けて攻撃をしかけるという明確な意図があり、ミサイルが直立をし、燃料の注入が始まれば、もうそれは後戻りできない段階に入ってきたのだ、それをたたくことは許されるという答弁をいたしました。それは今でも生きていると思っています。しかしながら、今や、固体燃料だ、トレーラーで移動する、いつ、どこから撃つのか分からない。その理屈は今でも通用するかといえば、そうでもないのです。
敵基地攻撃のときの、反撃能力を行使するときの法的構成というのはきちんと構築をしておかねばなりません。そして、そのためにどんな能力を持つかということもきちんとつくっておかねばならないことなのであります。
【9・トマホークは役に立つのか】
そして、トマホークを一括購入するという報道がございます。トマホークは、御存じのとおり、原理は飛行機ですから、時速850キロしか出ない。多くの燃料を積まねばならない。速度も遅い。では、それが本当に反撃力として有効なものなのだろうか。我が国が持ってはいけないとされるのは長距離爆撃機であり、ICBMであり、攻撃型というものが仮にあるとすれば航空母艦だ。じゃ、弾道ミサイルはどうなのだ。それを持つということも、私は選択肢の一つとして考えるべきだというふうに考えております。次に移ります。
【10・核共有は非核3原則に抵触せず】
拡大抑止力を強化するというのはどういうことだ。防衛三文書を私も子細に読みました。核共有という言葉が出てこない。広島サミットがあります。核なき世界、それは理想です。しかしながら、オバマ大統領のプラハの演説は、核なき世界というようなことは言っているが、私が生きている間は実現できないだろうとも言っている。戦略核を削減するという話は出てくるが、戦術核についての言及はどこにもない。
故安倍総理が何を考えておられたか知る由もございませんが、核共有というのは核兵器を共有することでもない。管理権を共有することでもない。そして、使用の決定を共有するものでもない。共有するものは何か。核抑止によるリスク、効果、それを共有するのであり、意思決定に至るプロセスを共有する。それがニュークリアシェアリングの本質だと私は思っているし、非核三原則に抵触しない形でもそれは可能なものだと思っています。お考えはいかがなものでありましょうか。
【11・ミサイル防衛】
そして、抑止力を維持するためには、ミサイルディフェンス、この精度を上げていかねばなりません。
いろんな理由があって、イージス・アショアの計画はキャンセルになりました。いろんな考え方があったけれども、報道によれば、スーパーイージスというものを建造すると。それが予算にものっている。私はこの考え方を強く支持するものではあります。これは実現させたいと思っている。だけれども、去年の夏だったと記憶をしますが、こういう構想があるというのが報道されました。大きな船、これを建造するのだ。私はこれは一体何だろうかと思いましたね。速度も遅い。その船を守るために、潜水艦も要れば、イージス艦も要る。それは一体、どうしてこんな構想が出てくるのだというふうに思いました。
今回、防衛装備庁、陸海空、統幕、そして内局、一体となって、じゃ、どうするんだという議論が行われた。スーパーイージスというものを、2年遅れになるけれども建造するということになった。これは急がねばならない。そうでないと、ミサイルディフェンスに穴が空く、私はそう思います 。
【12・統合司令官の創設】
そうやっていかねばならないのだが、福田内閣のときに、防衛省の在り方というものをきちんと検討し直しました。そのときに、運用が統合ならば、防衛力整備も統合だということを決めました。そのような組織も構築するということも決めました。防衛装備庁をつくって、いい働きをしていただいています。しかしながら、まだ十分ではない。陸海空の要望をホッチキスで留めたようなもの。個別最適の総和は、決して全体最適にはならないのです。節度ある防衛力整備を考えていかねばならない。そして、納税者に誠実な防衛力整備をしていかねばなりません。
今、C2という国産輸送機があります。あれは 一〇式戦車が運べません。載るけれども、重過ぎて飛べないのです。私は、輸送機というのは大きければ大きいほどいい、遠くまで飛べれば飛べる方がいい、そのように思っています。なぜ、一〇式戦車が載らない、そういうような輸送機を造ることが正しいのか。なぜ、C17という米軍の輸送機を中古でもいいから使わないのか。
私は、作戦というものを念頭に置いて、朝鮮半島と台湾と、起こる有事は全く違いますからね。どなたか予算委員会で指摘されておられたように、台湾有事だけれども5条事態にならないということはあり得るのです。朝鮮半島有事のときは朝鮮国連軍の地位協定が動くのです。事前協議の在り方が全く違うはずであります。作戦を念頭に置いた防衛力整備の体制というものが必要だというふうに考えています。
統合司令官の創設、当然のことであります。アジア太平洋軍の司令官のカウンターパートがいない、そのこと自体がおかしなことだったと思います。これは急ぐべきです。そして、将来的には、日米の合同の司令部みたいなものも念頭に置くことは、つらいことだけれども、考えねばなりません。これを急ぐ必要があると思うが、いつまでに立法化されるか。そして、それをどこに置くんだ、市ケ谷なのか、朝霞なのか、横須賀なのか、そんなことを言っている場合ではない。この創設は一刻も早くお願いをしたいと思っております。
【13・核シェルターの整備】
もう一つ、国民保護です。
我が国のシェルターの整備率は0.02%だ。北欧の国々はほとんど100%。イスラエルもスイスも100%。アメリカでも50%を超えている。いざというときに国民を守るシェルター、この整備がどうしても必要だ。地下鉄の駅に逃げても、そこには、断水しているかもしれない、トイレはどうする、食料はどうする、医薬品はどうする、換気装置はどうする。これは急ぐのです。憲法改正も何も関係ない。
かつて、防空法という法律があって、大勢の人が死んでいった。空襲があったらば市民は逃げてはならない。火を消せ。焼夷弾がバケツリレーで消えるはずはない。私は、そのときの発想と同じことをやってはならぬと思っているんです。いかにして国民を守るか、そのことについて、強い決意、そして実行が必要だというふうに考える次第であります。それをやらないで、私はそれで国民保護が果たせるとは思っておりません。
【14・気球の撃墜】
最後に一つ、気球について申し上げておきます。自衛隊法 84条、これは極めて難しい法律であります。警察権なのか、自衛権なのか。治安、秩序は、海上警備行動とは法律の立て方が違うのです。気球は航空機なのか。撃墜することはなぜ可能なのか。いかなるROE〔Rulesof Engagement=交戦規則のことだが、憲法9条で交戦権が認められていないので自衛隊では「部隊行動基準」と呼ぶ〕を作るべきか。そういうことをきちんと検証していかなければ、これは実効性を持ち得ないものであります。能力もそう、法律もそう、常にそれに備えておくことが、私は安全保障において最も肝要なことだというふうに考える次第であります。
以上、申し述べました。総理の御見解を承りたいと存じます。
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私なりの受け止め方は以下に記す。その便宜上、番号付きの小見出しは私が勝手に挿入した。

それに対する岸田の答弁は資料としては記載しない。ほとんど意味のあることを言っていないからである。以下の私のコメントの中で引用されるこ
■石破氏が首相に放った「強烈な皮肉」
石破が防衛族でありながらゴリゴリのタカ派でないのは、彼が元々田中派の出身だからである。その田中がハト派とまでは言えないかもしれないが、非タカ派の相対的リベラル派であり、従ってまた一定程度の対米自立派である精神的な基礎は、【1】で石破が言うように、「あの戦争に行ったやつがこの世の中の中心にいる間は日本は大丈夫だ、あの戦争に行ったやつがこの世の中の中心からいなくなったときが怖いんだ」という、身体に染みついた世代感覚である。それは、竹下登はどうだったか分からないが、その後の小沢一郎、橋本龍太郎、小渕恵三、羽田孜、梶山静六らの「七奉行」や細川護煕などに割ときちんと引き継がれ、たぶん石破が最後の方で、茂木敏充となると全然違う。
大平正芳、宮沢喜一、河野洋平、加藤紘一、古賀誠などの宏池会の主流も同じ世代感覚を共有し、それゆえに田中と大平は盟友関係を結び、共に日中復交を成し遂げた。異質だったのは麻生太郎で、2006年に宏池会を出て為公会を立ち上げて以来、安倍晋三に寄り添った。古賀から宏池会の看板を引き継いだ岸田文雄は、当然にもリベラル側とみなされてきたが、意外にも麻生的で、安倍路線の後継者だった。だからここで石破が、私の師は田中角栄だが、貴方の師は大平正芳ではなかったのかというような言い方をしているのは、実は強烈な皮肉だったのかもしれない。
■デマゴギーにも程がある「今日のウクライナは明日の台湾」
石破は【3】で、岸田の「戦後安保政策の大転換」とはどういう意味なのか、防衛費の増額はいいとして「なぜGDP比2%なのか、なぜ43兆円なのか」は明らかでない。ただ単に「安保環境が激変した」と言ってすませるのでなく、国民に対してきちんと説明して得心を頂くべきだと言っている。これは大正論で、まさに岸田の話にはそこが致命的に欠けている。
この項の末尾で石破が「しかしながら、今日のウクライナは明日の台湾、台湾有事は日本有事というような、そういうような思考というものを余り簡単にすべきものではないと私は認識しています」とさりげなく言っているのは、ズバリ核心を突いている。
第1に、「今日のウクライナは明日の台湾」は、今はほとんど言われなくなったが、多くの専門家と言われる人たちまで含めて散々振り撒かれてきたデマゴギーで、ロシアは凶悪な元共産党独裁の国家である
中国はロシアと親密な現産党独裁の国家である
だから習近平は、プーチンがああいうことをしたのなら自分も台湾に同じようなことをしてもいいんだと勇気づけられたはずだーー
という連想ゲームによって成り立った理屈である。
しかし話は逆さまで、もし習近平がプーチンから学ぶことがあるとすれば、電撃作戦で短期決着可能だと誤認して徒に武力を用いるととんでもない泥沼に嵌って国家存続の危機に陥る危険がどれほど大きいかということである。「プーチンがやったんだから僕もやってもいいのかなあ」といった幼稚さで習が国家の存続と国民の幸福をギャンブルに投じることなどあるはずがない。
しかも、話はもう一めくり逆さまで、仮に台湾が一方的に独立を宣言し、それは中国にとっては領土の失陥なので絶対的に許容することができないので、その場合に限り、武力を用いてでも阻止する。とはいえ、「1つの中国」を標榜する中国(および台湾の国民党)にとってはそれはあくまで「内戦」である。仮に米軍とその従者である自衛隊がそれに実力を以て介入すると、それは外国勢力による国境を超えた侵略に当たる。
■台湾有事介入ならプーチンと同じ間違いを犯すことになる日米
ところで、ウクライナ戦争の本質は、ウクライナ国内のドンバス地方で相対的に多数をなすロシア系住民にどれだけの自治権を付与すべきかをめぐる「内戦」に他ならない。2013年にウクライナの「マイダン広場」の市民デモを米国の国務省・CIAや民間基金が支援して翌14年早々に親露派大統領が国外に亡命した後、その突端に露黒海艦隊の枢要基地がありロシア系住民が8割を占めるクリミア半島がNATOの手に堕ちたら国家の存亡に関わると判断したプーチンは、電光石火の作戦でそこを抑える。その時、ドンバス地方の2州のロシア系住民代表は、クリミアと同様に住民投票を実施してロシアへの領土編入を求める意思を表明、そのように願い出るが、プーチンはそれを退け、「諸君はあくまでウクライナの中でいきよ」とたしなめる。そしてそれを可能とするために、ロシア系住民の「ロシア語を話す権利」をはじめとする生存権確保のための交渉を露独仏の後見下でキエフ政府と2州代表が行う枠組みとして「ミンスク議定書」合意を立ち上げた。
これを破ってテロ合戦に持ち込んだのはどちらか分からず、まあどちらもどちらというところだろうが、とりわけキエフ側の「アゾレフ連隊」など外人部隊を含めた私的戦闘集団の所業は苛烈を極めたようで、それに我慢ができなくなったプーチンが軍事介入を決断した。これが旧ソ連時代であれば「治安出動」であったはずが、今では一応、独立国同士の関係なので、ウクライナの内戦に対する外国であるロシアの介入すなわち「侵略」ということになってしまった。
ということは、台湾有事という「内戦」に外部から米日などが介入すると「侵略」になり、プーチンと同じ間違いを犯すことになるのである。
つまり「今日のウクライナは明日の台湾」にしてはならないのは米国や日本なのである。
■日本が介入しなければ「日本有事」などにはならない台湾有事
第2に、その次に、「台湾有事は日本有事」と、台湾で事が起きれば自動的に日本有事になるかに言うのは間違いである。石破も【12】でさりげなく「台湾有事だけれども5条事態にならないということはあり得る」と言っていて、これが正しい。5条事態とは、日米安保条約第5条「共同防衛」すなわち「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、共通の危険に対処するように行動する」事態のこと。台湾有事に米軍が介入しただけではまだ日本有事ではなく、それに対して中国側が米軍の出撃拠点となっている在日基地をミサイルなどで叩くという戦術を採れば初めて日本有事となるし、あるいは15年安保法制の趣旨に従って自衛隊が最初から米軍に随伴して参戦していれば、当然日本全土が報復攻撃の対象となりうる。逆に、台湾有事でも米日が共に介入しなければそれは中国の「内戦」であり、日本有事とはならない。
岸田の大軍拡の主要目的は「敵基地先制攻撃能力」の獲得で、それによりこれまで「専守防衛」を建前としてきた日本の安保政策が大転換すると盛んに言われているのだが、石破はその「専守防衛」という言葉そのものが極めていい加減なものだと【4】と【6】で述べている。
専守防衛は軍事用語ではなく政治用語だというのは言い得て妙で、その通りである。言うまでもないことだが、憲法第9条は「陸海空その他の戦力」の不保持、「交戦権」の否認を謳っているものの、主権国家としての言わば自然権としての自衛権まで否定されているのでなく、自衛のための必要最小限度の実力部隊を持つことは憲法に背馳しないという理屈で野党と国民を言いくるめてきたのが歴代自民党政権である。が、しからば「必要最小限度」とはどの程度なのかと問われれば、誰もそれに答えられない。石破の言うように「何が最小限度なのだということ、これをきちんと測るような便利な物差しが世界のどこにもあるわけではない」。なのになぜこの言葉が持ち出されるのかと言えば「必要最小限度だから戦力ではない、戦力ではないから陸海空軍ではない」という言葉遊びのような「ロジック」を用いる必要があったからである。
それを今回は一段と大拡張して、敵基地先制攻撃能力を持つのも専守防衛の範囲内だと言い出したのが岸田で、それに対して石破は慎重論を唱えているのである。
■発射の兆候掴み辛い「固形燃料ロケット」に対応できるのか
この話が最初に出たのは、石破が【8】で言うように「鳩山総理のものを代読した有名な船田防衛庁長官答弁」である。補足すると、鳩山一郎が総理だった1956年の国会で船田中防衛庁長官が行った答弁のことで、それについてどう長官の孫の船田元=元経済企画庁長官は自分のHPに最近、次のようなコメントを載せているので紹介する。
 
《反撃能力の保有について》
「反撃能力」の保有とは昨年末の防衛3文書の改訂の際に盛り込まれた、防衛力強化のための重要なアイテムである。かつては「敵基地攻撃能力」と称され、戦後間もない保安隊時代から、旧軍関係者を中心に断続的に研究が続けられてきた。防衛庁時代も1990年前後に検討されていたが、沙汰止みだった。ようやく今回の改訂において日の目を見ることとなった。ただ「敵基地攻撃」との表現は直接的過ぎるため、「反撃」という表現に置き換えた。しかしそうなると印象ばかりでなく、意味合いも少し違ってしまったように思える。誤魔化しではないが、誤解を与える可能性があるため、いずれは元の表現に戻すべきだろう。
敵基地攻撃の必要性は、以前から指摘されてきた。敵が今まさに、日本に向けてミサイルを発射しようとしている事態、即ち日本の攻撃に着手したことが明らかになった際、我が国は防衛のために何らかの行動を取る必要がある。この件をはじめて触れた政府答弁は、少し長くなるが次のとおりである。
 
「我が国に対して急迫不正の侵害が行われ、その侵害の手段としてわが国土に対し、誘導弾等による攻撃が行われた場合、座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とするところだというふうには、どうしても考えられないと思うのです。そういう場合には、そのような攻撃を防ぐのに万やむを得ない必要最小限度の措置をとること、たとえば誘導弾等による攻撃を防御するのに、他に手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能であるというべきものと思います」
 
これは1956年(昭和31年)の予算委員会において船田中・防衛庁長官(当時)が、鳩山一郎総理大臣の答弁を代読したものである。敵基地攻撃が自衛の範疇に入ることを、極めて冷静に、法理論的に説明していると思われる。敵からミサイルが発射された後に反撃に転じても、仮に迎撃が100%でなければ、我が国は甚大な被害を被ることになる。被害を回避するためには、発射される前に敵基地を叩くことが防衛の一手段であり、自衛の範疇に入ることは明確だ。確かに理論的にはそうであっても、しかし実際には敵がミサイルを撃つ前に攻撃することとなり、憲法第9条が要請する「専守防衛」という大原則から逸脱した「先制攻撃」と受け止められても仕方がない。しかも最近ミサイルを連発している北朝鮮は、攻撃の兆候が分かる液体燃料注入の必要がない、固形燃料ロケットを増やしており、攻撃着手のタイミングが測りにくくなった。
「敵基地攻撃能力の保有と使用」には、常にこのような矛盾を抱えており、今後とも議論を整理しておく必要がある。当面の正解は、我が国を攻めて来たら手酷い反撃を受けてしまうので、攻撃を回避しようと敵に思わせるほどの抑止力を持つことに尽きる。[ 2023.01.23 ]
 ■アメリカに言いくるめられ兵器を爆買いさせられる哀れな国ニッポン
ここで船田が言い、石破も述べているように、この議論の前提として、当時はミサイルを発射台にセットし数日かけて液体燃料を注入する方式であったため、米国の偵察衛星などで攻撃準備状況を察知することができたということがあった。それでも、それが本当に日本に向けて発射されるものであるかどうかは推測に頼るしかないという、誠に危なっかしい話ではあった。ところが今では固形燃料が当たり前になって、北朝鮮の場合を見ても、山岳地帯の地下基地からトレーラーで、あるいは鉄道のトンネルから貨車で、突然出てきて発射してすぐに引っ込んでしまうという場合が多く、また潜水艦に載せて海中から発射する場合も増えていて、事前察知そのものが不可能となりつつある。
石破はやんわりと「その理屈は今でも通用するかといえば、そうでもない」という言い方をしているが、まあはっきり言って完全に時代遅れの話に踊って米国の軍需企業に大儲けをさせようとしているのが岸田である。
他にも面白い論点がいくつかあるが、長くなるので今回はここまでとしよう。


  
かなり長い文を最後まで読んでもらい感謝します。  
  
 石破茂の核心を突いた14の質問を投げかける力量のある野党議員が残念ながら見当たらないことが、危険水域に達している低い内閣支持率にもかかわらず岸田文雄内閣の延命を後押ししているのではないだろうか、とオジサン思う。
   
    
 

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