新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

往生際の悪い人間には高潔な導師が必要だが見当たらない

2023年03月19日 11時55分32秒 | 岸田文雄

昨日、「無知蒙昧な歴代の首相は誰?と聞かれChatGPTの答えは?」というつぶやきの冒頭で、「いやはや、「往生際が悪すぎる」とあきれてしまう高市早苗の断末魔が近づいている。」と言っていくつかの記事を列挙した。
 
「往生際」とは仏教用語以外では、「 あきらめて、行動などをやめ、おとなしくすること」と解説されている。
 
この同じ言葉をタイトルに使っていたブログがあった。
 
往生際が悪すぎる高市早苗<本澤二郎日本の風景」(4749)
 

<役人(霞が関)と政治屋(永田町)の嘘比較論=軍配は前者>
一般論として放送法に関する解釈変更についての総務省作成の行政文書は、人間のやることだから100%はともかくとして、政治屋の記憶と比較すると誰もが役所が作成した公文書に軍配を上げる。当時の担当大臣の記憶が正しいと主張する国民はほとんどいない。
 特定民放局番組による政府批判報道を意図的に退治できるような、いわゆる言論弾圧は許されないのだが、安倍ならばやると信じられている。しかも安倍と格別の関係にある閣僚も、声かけがあればやってはいけない法解釈変更もやる。安倍と高市の関係であればやるし、現にやっていた。当時のテレビ芸者を含めて高市批判をしていたデータも出てきた。従って政治屋の言い分である「捏造」発言には嘘がある。撤回して辞任するしか道は残されていない。
<安倍一強体制下=政治屋に服従する官僚>
 小選挙区体制のもとで自民党の自由言論は、ほぼ消滅していた。執行部批判は無くなった。批判する反対給付は公認しない、寄って選挙に落選する。途端に「ただの人」になるのだから。
 安倍の一強体制での事案である。永田町から政治が死んだのだ。民主主義の危機の始まりだった。現に、その後に言論封じの特定秘密保護法が強行された。安倍に反対するはずの公明党創価学会の太田昭宏が国交相として共闘した。安倍と太田の共闘の恐ろしさを見せつけた。2013年12月である。
 当時の記憶として、木更津市の学会栄養士が太田に対して「池田・創価学会の裏切り者」と叫んで注目された。彼女は翌年の4月28日、学会やくざの富津出身の浜名に脅迫される。数時間後に、その衝撃で大動脈りゅう破裂、正確には突発性の大動脈りゅう破裂で非業の死を遂げている。君津中央病院にヘリコプターで搬送されたが、医師の手に負えなかった。彼女は戦争遺児である。「木更津レイプ殺人事件」として繰り返しblogや雑誌に書いた。殺人に時効はない。太田や山口那津男の関与、捜査妨害はなかったか?
 日本の官僚・役人たちは政治に忠実である。人事に横やりを入れられることを極端に警戒する人たちである。ありもしないことを安倍一強時代において、役人が意図的に公文書を「捏造」することなど想定できない。いわんや高市と安倍は、前回の総裁選で反岸田で対決している。高市の捏造論は、まさに高市の捏造に相違ない。
<政権発足直後にNHKを陥落させた経験者=二匹目のドジョウ>
 菅義偉に聞くといいだろう。彼こそが総務省を足場に大暴走し、公共放送のNHKを安倍と共に陥落させた。高市は菅の手口を真似たかもしれない。
 高市は安倍政権の存続のために安倍から、その地位を任されたものである。安倍の意向は即座に実行に移される。彼女の国会答弁も放送法の変更解説発言として記録されている。安倍はNHK攻略に続いて二匹目のドジョウを高市に指示したのだ。その指示に従ったことが、安倍の総裁候補擁立の原動力ともなった。知る人ぞ知る、である。
<安倍はいない!なぜ踏ん張る?愛弟子の知事誕生を夢見ている?>
 政治屋は嘘つきである。役人にもいるが、高市の嘘は安倍譲りだろう。嘘の天才かもしれないが、今回の件は彼女にとって突発的な事案だった。事前の準備がなかった。しかし、テレビ局は知っている。彼女の悪事は先刻知られている。
 それなのになぜ踏ん張り続けるのか。彼女の厚化粧ややつれた表情からも、正体が見える。痛々しいほどだ。原因は総務相時代の愛弟子の奈良県知事選にある。周辺は愛弟子の知事誕生まで踏ん張り続けていると見られている。しかし、いまや安倍はいない。いや毎夜夢枕に立っているというのだろうか?
<嘘もほどほどに=任命権者岸田文雄の引導渡しまじか>
 将棋ならもうつんでいる。相撲なら片足が土俵の外についてしまっている。勝負は最初から判っていた。任命権者の岸田は、総裁選を戦って彼女の性格を百も承知だ。下手に動くと返り血を浴びる。
 高みの見物としゃれこんだ。いうところの蛇の生殺し作戦である。彼女の応援団は極右の日本会議や、統一教会だが、表に出てくる相手ではない。第一、後者は文科省に監視されている。笹川ギャンブル財団も動けない。菅義偉もそうである。
自民党女性群も冷ややかだ。
 結局のところ、任命権者の岸田が引導を渡すことになる。そのタイミングを狙っているのであろう。
<3月16日配信「創」にテレビ芸者までが高市をぼろくそに批判していた>
 新聞の内情は多少理解しているが、民放のテレビ局については素人の筆者である。電通の言論弾圧が日常茶飯事に繰り広げられている世界だということも、以前は知らなかった。無知の無知がいうなれば凡人ジャーナリストの特権だった。
 当時のテレビ局内の様子を雑誌「創」が特集していた。3月16日にヤフーニュースが流したのだろう。著名なテレビ芸者の面々が、高市をぼろくそに批判していた。安倍一強体制の下で高市は、親分に忠誠を尽くす大活躍をしていた。それに対して名だたるテレビ芸者が怒りの告発をしている。
 高市の敗北はもはや確実である。彼女の言論界への圧力は極端だったのだ。興味があれば「創」を開けばいい。それでいて「捏造」だと繰り返しわめき続ける安倍側近に正直驚く。安倍の神通力なのか。


 
「往生際が悪い」高市早苗には、さらなる追い打ちとなる不祥事も明らかにされている。
 
高市早苗は統一教会問題でも“嘘”をついていた! 政治資金不正隠しの問題では領収書偽造、収支報告書“勝手に修正”が筆跡鑑定で…
 

  


 
仏教用語に戻れば、「往生際が悪い」人間には「引導を渡し浄土へ導く」ことになるのだが、その導師となるべく任命権者の岸田文雄が腰が定まらない。
 
安倍路線を継承のくせに他人事 高市問題でとことん姑息な岸田首相
 

・・・前略・・・
安倍政権でメディアへの圧力を高める不当な政治介入の動きがあったことは、総務省の文書から明らかです。官邸の圧力によって放送が歪められたのであれば大問題で、それは放送法の解釈変更を維持している現政権も直撃する。しかし、岸田首相は、いたずらに国会審議を混乱させる高市氏を罷免するでもなく、かといって助け舟を出すわけでもなく、放置しています。まるで他人事のような涼しい顔で、高市氏が自滅するのを楽しんでいるかのような冷酷さにはゾッとする。高市氏に注目が集まっていれば、自分に批判の矛先が向かって来ないと考えているのかもしれません。高市氏や安倍元首相を悪役にしておけば、自分に火の粉は飛んで来ない。実際、ここへきて内閣支持率が微妙に上向き始めているから、内心ニンマリでしょう」(政治評論家・本澤二郎氏
放送法の解釈変更は安倍政権時代のこと。総務省に圧力をかけたとしても自分は関係ない。岸田首相はそういう態度だが、それでいて、動機も手続きも不当と思われる放送法の解釈変更を見直そうとはしない。「一つの番組でも判断できる」という政府見解は「補充的説明」と強弁して撤回しようとしないのだ。ここに岸田の小狡さがよく表れている。
何を聞かれても、国民や野党の批判に真正面から答えず、のらりくらり答弁でやり過ごす姑息。それを恥じようともしない厚顔。食えない首相である。
■政府の言い分垂れ流しの大メディアも情けない
16日の衆院本会議でも、岸田は放送法の政治的公平性の解釈は「一貫して維持されている」と言い、解釈変更が安倍元首相の負の遺産だという野党の指摘は「当たらない」と否定した。
「だったら、岸田首相ははっきり『政治的公平性は番組全体で判断する』『一つの番組で判断することはない』と明言して、安倍政権時代の放送法の解釈変更をあらためて上書きするべきでしょう。『変えていない』という表現だけでは不誠実だし、逃げている。それで押し通せると思っているのでしょうが、首相が曖昧模糊では政治不信、政治離れが進む一方です」(政治ジャーナリスト・山田厚俊氏)
 一連の文書について、岸田は「総務省が責任を持って説明しなければならない」と他人事のように繰り返しているが、放送法の「政治的公平性」に関する現政権の見解はどうなのか。自分が責任を持って説明しろ! という話だ。
 この期に及んで政府の言い分を垂れ流しているテレビも情けない。「一つの番組でも判断」と脅し、高市は総務相時代に「停波」にまで踏み込んだ。報道の自由を守る気概があるのなら、この解釈変更を撤回しろと、今こそ岸田に迫るべきではないのか。
 総務省の文書によれば、首相補佐官だった礒崎は「俺の顔をつぶすようなことになれば、ただじゃあ済まないぞ。首が飛ぶぞ」「無駄な抵抗はするなよ」などと脅しまがいのセリフまで口にして、放送法の解釈変更を主導していた。

 ところが、「総務省は関係者に聞き取り調査した結果、当時の礒崎総理大臣補佐官との面会はあったものの、解釈を変えるよう強要されたことはなかったと確認」と報道するのだ。当時の関係者が「大きな声量や強い表現があったようにも記憶しているが、いわゆる鋭い指摘の範囲内だと思っている」と証言したため、「解釈を変えるよう強要されたことはなかった」というのである。
 カドが立たないよう穏当に言い換える“霞が関文学”の真骨頂とも言えるが、「恫喝」を丁寧に表現したのが「大きな声量の強い表現」だ。これで「強要はなかった」という政府の言い分をアナウンスするのは、テレビの自殺行為だろう。
■善人ヅラした悪人はタチが悪い
「恫喝まがいの圧力で放送法の解釈が変更されたことは由々しき問題だ」とハッキリ言えばいいのに、歯切れの悪い放送局は何を守ろうとしているのか。言論の自由ではなく、自分たちの身分の安泰か? それで、今なお権力に忖度しているのか。
 支持率アップに気を良くしたのか、きのう岸田が急に会見を開いたが、何をアピールしたいのか意味不明だった。「年収の壁」見直しや育休給付の拡充など子育て対策をブチ上げていたが、実施時期も財源もあやふや。何のための会見だったのか。それでも記者が厳しく質問することはない。
「大メディアが真正面から批判しないから、物価高に苦しむ国民生活を顧みずに軍拡と増税を推し進める岸田政権の支持率がなぜか上がる。それに気を良くして、岸田首相はますます独善的になる。メディアが政権監視機能を放棄してしまうと、国民にとって良いことは何ひとつありません。岸田首相はハト派の仮面で国民を油断させ、安倍路線を継承した軍拡や原発推進、さらには増税を強行する。放送法の政治的公平性をめぐる解釈変更が国会で炎上しているタイミングで大手メディア幹部と会食したのも、相当なタマと言うほかない。これも安倍路線の継承で、メディアをうまくコントロールしようとしているのでしょう。善人ヅラした悪人ほどタチの悪いものはない。こういう人物に権力を与えてはいけません。岸田首相の姑息さをメディアはもっと糾弾すべきです」(本澤二郎氏=前出)
安倍政権が残した負の遺産をちゃっかり利用し、自分は関与していないといい人ぶって、批判は安倍元首相や取り巻きに向かわせる。放送法の問題でも高市を風よけにして高みの見物を決め込む。狡猾というか、さもしいというか……。こういう人間のことを世間は卑怯と呼ぶ。
 
岸田文雄の「姑息さ」と「狡猾さ」はある意味では安倍晋三の性格と路線を引き継いでいるのかもしれない。
 
その安倍晋三が「神格化」されようとしているらしい。
 
近づく衆院補選…そして『安倍晋三』の神格化は生前以上に進む
 

安倍晋三死去に伴う衆院補選が近づいてきたからか、安倍の地元の山口県下関市ではキナ臭い動きが出てきた。大丸下関店の「JOIN083」で開催されている企画展では、昨年9月の安倍の国葬で、菅義偉が弔辞で紹介した「山県有朋」(岡義武著)を展示。ページの右端が折られ、オレンジ色のマーカーペンと黒色のボールペンで印が付けられているという。そんなものを見て何になるのかはさっぱりわからないが、信者にとっては涙が出るほどありがたいのだろう。
 菅の弔辞によれば安倍は「いのちを失ってはならない人」であり、その判断は「いつも正しかった」とのこと。安倍は生前「私は総理大臣ですから、森羅万象すべて担当しております」「全く正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから」などと述べていたが、菅の弔辞はこれに対応しているのだろう。要するにカルト。安倍の神格化は生前から進められていた。
 政府が制作した海外広報用のネット誌「We Are Tomodachi」には安倍の写真が並び、東京新聞(2016年3月3日付朝刊)は「もはやグラビア誌?」との見出しで報じた。
 17年3月、自民党は総裁任期を「連続2期6年」から「連続3期9年」に延ばす党則改正を行ったが、その際「制限の撤廃」を訴える声も出た。
 こんなニュースもある。
〈安倍晋三首相は24日、東京・富ケ谷の私邸周辺を約1時間20分かけて散歩した。近所の代々木公園では、通行人らと気さくに記念撮影に応じ、園内の階段を一段飛ばしで上るなど元気な様子を見せた〉(「時事ドットコムニュース」18年12月25日)。「皇室アルバム」ではあるまいし、異常極まりない。
19年6月、自民党本部は「フェイク情報が蝕むニッポン」なる冊子を作製し、安倍を「稀有な政治家」と礼賛。他党議員を罵倒し、安倍だけがイケメンに描かれていた。
 同月、安倍に対する問責決議案が出されると、三原じゅん子は血相を変えて「愚か者の所業」「恥を知りなさい!」と絶対的帰依を誓った。
 22年8月、自民党議員でつくる「保守団結の会」は安倍を「永久顧問」にすることを決定。今年2月には月刊誌「正論」が安倍の写真展を下関で開催。統一教会(現・世界平和統一家庭連合)との関係など安倍をめぐる事件は何ひとつ解明されていない。日本の危機が去ったわけではない。


 
最後に往生際の悪い女にはこんな引導を渡したいものである。
 
高市早苗氏に22年越しブーメラン…“ムネオ疑惑”の際『積極的に証人喚問を』提言の過去
 

「自民党側から進んで証人喚問の日程決めを申し出て、真実を早急に明らかにされてはいかがでしょうか」──。やはり、記録は残しておくべきだ。発言の主は高市経済安保相。彼女が今もHPに公開している自身のコラム「永田町日記」の一節から引用したものである。
 さかのぼること、2002年3月6日。高市氏は〈積極的な疑惑解明と改革が必要〉と題したコラムを掲載した。当時は小泉政権下で、国会はいわゆる「ムネオ疑惑」一色。外務省の北方四島支援事業に絡んだ一連の疑惑を巡り、野党は鈴木宗男衆院議員(当時)の証人喚問を強く要求していた。
 今と違って当時の野党は徹底対決路線。予算案の衆院通過を“人質”に取って喚問に応じない限り、国会審議を全面拒否する強硬策に出た。その方針を与党側に伝えた同年2月28日。当時、当選3回の高市氏は所属していた清和会総会で〈思い切って発言を求めて手を挙げました〉とコラムには記してある。
 それによると、冒頭の進言を党執行部に申し入れるよう求め、「鈴木代議士が無実だというなら、ご本人にとっても堂々と身の潔白を明らかにされる機会にもなるでしょう」と訴えた。翻って21年後。過去の言葉が今の自分に突き刺さる。
 総務省の行政文書問題で高市氏は連日、15年2月13日付の「高市大臣レク結果(政治的公平について)」の内容を「捏造」と言い張り、国会は紛糾の連続。「言った言わない」の水掛け論に決着をつけたいのであれば昔の自分を思い出すがいい。野党の要求通り文書に名前の出てくる当時の総務省幹部らの喚問に積極的に応じるよう与党に進言すべきだろう。
■「日記」に残るエラソーな提言の数々
 しかも、行政文書に苦しむ立場は当時の宗男氏そっくり。「ムネオハウス」など疑惑の大半が外務省から流出した「内部文書」に端を発していた。高市氏もコラムで〈今回の件は外務省から流出した疑惑です〉と強調。〈理不尽な事を言ってくる与党議員にも役所は対応せざるを得ない空気があったに(ママ)も事実です〉と認めていた。
 その上で高市氏は〈自ら作った法を侵す可能性のある言動は慎むべき〉と議員に説き、行政側には〈議員が間違った事を言った折には、基準を示して毅然と断るべき〉と注文をつけた。ヤクザ補佐官が「けしからん番組は取り締まる」と総務省に迫った今回の問題にも、ピッタリの言葉である。
 あの時の「改革」への思いは消えたのか。高市氏には過去の自分と真摯に向き合って欲しい。


 
政治家も若いときは高い志を持って政治の世界に飛び込み、悪しき現状を何とか変えたいと「改革」の気持ちに燃え上がるものである。
 
それも「悪しき現状」にどっぷりと20年も浸かり、それなりの権力と「高い位置」に安住すれば残念ながら初志はおのずと消えてなくなるものであり、高市早苗はその「初志」と「安倍晋三」と共に消えていくことが残された道ではないだろうか、とオジサンは思う。
 

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