新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

もはや大地震には「自助・共助」のみで公助は期待できない

2024年08月11日 11時27分53秒 | 岸田文雄

あと4日ほどで不評のパリ五輪は閉幕となるのだが、心理学者の富田隆はこんな興味深い記事を書いていた。
 
パリ五輪にご用心。スポーツは観てもやっても「あまり身体には良くない」納得の理由
 

■スポーツ狂
電車の中であくびをしたり爆睡している人が増えています。
パリのオリンピック観戦で睡眠不足なのだとか。
猛暑に睡眠不足では生命を削っているようなものですが、あなた様におかれましては、お元気にお過ごしでしょうか?
本当にスポーツは観てもやっても、あまり身体には良くないもののようです。
このように書くと、私がスポーツ嫌いか何かのように誤解されるかもしれませんが、私はスポーツが大好きですし、機会があれば、野球でもサッカーでも熱く観戦し、我を忘れてしまいます。
ただ、魔性の女ではありませんが、魅力的なものには必ず危険が隠されているので、何かにつけて「ご用心ください」と言いたいのです。
スポーツに危険は付き物ですし、それが故に、私たちの血が騒ぎ、危ない魅力にハマってしまうのです。
もちろん、同じスポーツとは言っても、のんきに楽しみながら無理なく身体を動かすようなものは健康増進に役立っているはずです。
体力に応じてグランドゴルフなどを楽しんでいるお年寄りは少なくありませんし、この種のスポーツに親しんでいる皆さんは、概(おおむ)ね健康です。
それに、平和的で洗練された比較的安全なスポーツというものも、無いわけではありません。
しかし、頭部を強打するボクシングや炎天下のマラソンを考えれば分かることですが、危険なものも少なくないのです。
プロが本気になって闘うようなスポーツはいずれも命懸けであり、生命の危険と引き換えにお金を稼いでいるわけです。
それにもかかわらず、現代では競技に潜む危険性も関連組織の堕落も上手に糊塗されていますから、まるでスポーツが身体に良い健全なものであるかのように思い込んでいる人も少なくないわけです。
麻薬や酒と同様に、危険だからこそ人はスポーツに魅かれます。
これはもう「893」さんが仕切る領域のものですから、当然いかがわしいわけで、不正や八百長も後を絶ちません。
ところが、テレビなどが、朝から晩までスポーツの「明るく健全なイメージ」を繰り返し拡散していますから、社会経験の乏しい小さな子供などは簡単に洗脳されてしまいます。
ですから、小学校6年生に訊いた「将来就きたい職業」(男女総合 2023年度)のナンバーワンは、ダントツ「スポーツ選手」です。
戦後一貫して続けられた、マスメディアによる「印象操作」は見事に成功したと言えるでしょう。
こうした集団洗脳を解くためには、異文化や過去の時代を比較参照する必要があります。
たとえば、スポーツと殺し合いが峻別されていなかった古代を振り返ってみれば、もっと事情は分かり易くなります。
「コロシアムで殺し合う」という駄洒落もありますが、古代ローマで行われていた剣闘士の殺し合いとなると、さすがに現代の常識からしても、野蛮で堕落した娯楽であるとみなされてしまうはずです。
皇帝に「パンと見世物」を要求するだけの堕落したローマ市民は、殺し合う剣闘士の人権や社会的矛盾には無関心で、同様に、環境問題にも無関心でした。
ですから、一時の血生臭い興奮に酔っている自分たちもまた、鉛でできた水道管から溶けだした鉛毒でゆっくり命を縮めていたのですが、そんなことは夢にも思っていなかったでしょう。
現代においても、柔道の選手が絞め業で失神するなどというレベルになると、さすがに醜聞になりますが、そこまで酷くなくとも、やはり選手たちが命懸けであることはまちがいありません。
この手紙を書いている時点でも、大腸菌でいっぱいのセーヌ川を泳がされたトライアスロンの選手たちが、その後、次々に感染症で入院しています。
他方で、審判の誤審や買収といった噂が絶えないのも、金メダルの価値を遥かに超えた利権への思惑が絡んだ「真剣勝負」ならではの話と言えるでしょう。
身近なところでも、スポーツの練習中に子供が倒れたり、一生懸命ボールを投げ過ぎて野球肘になり、一生投手になることを諦めなければならないといった「リトルリーグの悲劇」は後を絶ちません。
栄光と隣り合わせの危険に目をつぶっているという点では、現代の事情もまあ、「五十歩百歩」といったところなのでしょう。
しかし、こんな話に冷静に耳を傾けてくれる人は、ごく少数です。
世の多くの人たちは、スポーツに潜む野蛮な欲求や、スポーツそのものの持つ危険性についての話を毛嫌いします。
こちらの言うことを「へそ曲がりのひねくれた意見」と冷笑するくらいなら良いのですが、急に怒り出したり野蛮な攻撃性を露わにする人も少なくありません。
彼らにとってスポーツは「神聖」なものであり、その絶対的権威を傷つける者に対しては牙をむくのです。
ですから、「君子危うきに近寄らず」で、こういう話をする時は人を選んだ方が無難です。
くどいようですが、私はスポーツに限らず、危険でいかがわしいものが大好きです。
ただ、魔性の女に惚れて付き合うのなら、一応、その危ない部分についても分かっていた方が良い、というだけの話です。
「陰謀論」界隈では、よくGHQ(連合国軍総司令部)が行った日本人の愚民化政策の一環として、「3S政策」というものがあるという噂が囁かれています。
つまり、3つの「S」とは、映画鑑賞などを象徴する「スクリーン(screen)」のS、野球やボクシングなどのプロスポーツ観戦を象徴する「スポーツ(sports)」のS様、そして、魅力的な男女のタレントやアイドルをメディアに登場させ、性的興奮を誘うようなドラマなどのコンテンツを提供する「性欲(sex)」のSを指しています。
これら3つのSを大衆に提供することにより、人々の関心を政治から遠ざけようという政策が「3S政策」です。
「パンと見世物」の現代版といった感じでしょうか。
動物を慣らすのには、まず「餌付け」からですが、人間の場合は文字通りの餌(食料)だけでなく、見世物という餌を使っても飼い慣らすことができます。
動物は、自分の欲求を満たしてくれる相手に対して好意を抱き、従順になるのです。
戦後、何十年にも渡って、「3S」を提供し続けたのはテレビです。
一部の?お年寄りなどが、テレビの言うことを鵜呑みにしやすく、テレビや新聞のキャンペーンに洗脳されやすいのは、テレビが彼らに「見世物」を提供し続け、既に厚い信頼を獲得した証拠です。
ですから、テレビから「ワクチンを打て」と言われれば率先して人体実験に参加し、「プーチンは悪魔だ」と繰り返し印象操作されると、「ウクライナ戦争はロシアが悪い」と信じ込み、危険なロシアへの「制裁」にも賛同してしまうのです。
そして、このようにテレビ局に忠実な善男善女にとって、スポーツは神聖なものであり、侵すべからずの絶対的権威なのです。
それはあたかも、失われた宗教の代替物であるかのようです。
甲子園の試合を欠かさず見て、熱い声援を送っているお婆さんたちは、高校球児をあたかも神仏の化身であるかのように偶像化してしまいます。
純真無垢でひたすら精進を重ねる修行僧のような存在であるかのように、彼らが見えているのでしょう。
でも、ちょっと待ってください。
自分の高校時代に戻って、あなたと同じ学年の野球部の連中を思い出してください。
そんなご立派な修行僧のような野球部員が何人いたでしょう?
まあ、真面目で努力家の部員もいたにはいたでしょうが、そういう部員に限って野球の腕は今一つでいつもベンチを温めていたのではないでしょうか。
逆に、いわゆる不良で、隠れて煙草や酒もやっていた部員が、なぜか野球の勘だけは良くて、たまにホームランを打ったりするものだから4番をまかされたりしている。
まあ、そんなもんじゃなかったでしょうか。
無理もありません。
スポーツは戦争や殺し合いが文明化され洗練を繰り返して出来上がったものですから、腕っぷしが強くて、ケンカが得意で、闘争本能に長けている、いわゆる「ワル」の方が実力を発揮しやすい分野なのです。
もちろん、青春ドラマにもあるように、放っておけば警察のお世話になるような「ワル」がスポーツに目覚めれば、きついトレーニングを乗り越えて立派なスポーツマンに成長する場合もあるでしょう。
ですから、これは良い悪いの話ではありません。
要は「適材適所」ということです。
暴れん坊の孫悟空が心を入れ替えて、三蔵法師の有能なボディーガードになるようなものです。
ただ、スポーツを宗教か何かのように誤解して、きれいごとの祭壇に祭り上げてしまうと、大切なものが見えなくなる、というお話です。
ですから、オリンピック委員会が腐敗するなんてのは、当たり前のことですし、スポーツの試合に八百長がつきものなのも、今に始まった話ではありません。
公明正大できれいなスポーツを望むのなら、常に風通しを良くしてガラス張りにし、短期間で権力が入れ替わるように工夫をする必要があります。
それに、テレビやメディア、つまり利権や政治とは一定の「距離」を置く必要があるでしょう。
あまりメディアとべったりになると、オリンピックの二の舞いを演ずることになります。
日本ではJOC(日本オリンピック委員会)の不正が暴かれましたが、あれは氷山の一角、というよりはスケープゴートで、腐敗の本丸であるIOC(国際オリンピック委員会)の闇はさらに深く、マフィアも顔負けと囁かれています。
ネットでは、パリ五輪の開会式の評判が悪く、バチカンの枢機卿までもが連名で抗議文を送り、オリンピック委員会に正式謝罪を求めています。
キリスト教を揶揄し、血塗られた殺戮の歴史を正当化し、LGBTQを主役に祭り上げる、といった演出が批判されているのです。
しかしながら、見方を変えれば、あの開会式のパフォーマンスはオリンピック委員会の偽善的な本質といかがわしさを正直に表現していたわけですから、ある意味「良心的」だったのかもしれません。
そもそも、ウクライナ戦争を理由に、ロシアの参加を認めなかった時点で、IOCは、古代ギリシャにおける「平和の祭典」というオリンピック本来の精神を踏みにじっています。
それはまた、近代オリンピックを立ち上げたクーベルタン男爵の掲げた理想をも裏切るものです。
古代ギリシャにおいては、たとえ戦争中で、ポリスどうしが矛を交えていても、オリンピックの期間は停戦を守り、互いが武器を置いて、競技に参加していたのです。
聖なる祭典に、世俗の対立を持ち込むことは、罰当(ばちあ)たりな涜神(とくしん)行為だったからです。
現代オリンピックの実情をよく見れば、政治と無縁ではありませんし、金儲けの道具と化していることも否定のしようがありません。
真夏の炎天下で過酷なレースを選手に強制する段階で、オリンピックという見世物はスポーツの精神よりも、放送権収益などの「経済的諸事情」を優先しているのです。
しかし、1964年の東京大会では、10月というベストシーズンに競技が行われました。
10月10日、前日までの嵐が嘘のように、神宮外苑の上空には、澄み切った美しい青空が広がっていました。
あの頃はまだ、金儲けよりも、夢や理想が優先されていたのです。
もっと素朴に、スポーツの愛好家に向けて、金のかからないオリンピックを実施することはできないのでしょうか?
大切なことはそのスポーツを愛しているかどうかです。
そもそも、スポーツは自由の産物、他人から強制されるものではありません。
強制された奴隷が「コロシアムで殺し合う」ような野蛮なことは、古代ローマの見世物までで充分です。
スポーツは「遊び」の延長。
純粋な童心から生まれたものであるが故に、オリュンポスの神々もこれを喜び祝福し給(たも)うたのではないでしょうか。
競技の好きな者どうしが集まって、童心に帰り、無邪気に楽しめば、それで良いのです。
まだまだ猛暑は続きますが、オリンピックは泣いても笑っても、4日を残すばかりになりました。
ただ、ここ日本では、この後、甲子園の熱戦が佳境に入ってまいります。
まだまだ、悪女の深情けのように、スポーツの熱い夏は続くのです。
炎天下で闘う方々は言うまでもありませんが、観戦席で応援を送る側の皆様も、くれぐれも健康状態には留意して、無理を避けましょう。
たとえテレビ観戦であっても、長時間座ったままでいたり、定期的な水分補給を忘れてしまうと、これはもう命取りです。
盛夏を乗り越え、実り豊かな秋を迎えるためにも、睡眠を充分に取り、何かにつけて余裕のある生活を心がけましょう。

これほど五輪の腐敗ぶりをあからさまにした清々しい記事は珍しい。

ところで昨日は終日NHKでは強制的にテレビ画面に「『南海トラフ地震臨時情報』という史上初の情報発信で国民を不安にさせていた。
 
そんな時、南海トラフとは関係ないが昨日は神奈川県の各地で地震が発生し帰宅中の足を奪っていた。
 
神奈川県の西部で最大震度5弱の地震 気象庁「震源が南海トラフ巨大地震の想定震源域の外
  
この影響でオジサンの娘とその夫は帰宅が22時になったという。
 
今後も地震が発生するたびに国民は最悪のことを考えてしまう。
 
『予知』が無理でもやることは山のようにあるだろう 政府も地震学者も『やっているふり』
 

「列島を震撼させた南海トラフの臨時情報。「予知」は無理で、「注意喚起」がせいぜいらしいが、だとしたら、せめて原発停止と避難所中心にの充実に予算を取って欲しいものだ。能登で思い知らされた地震大国の被災者切り捨てはそのままだ。
◇  ◇  ◇
 9日午後8時前、関東全域で一斉にけたたましく鳴り響いた「緊急地震速報」の不気味なブザー音には肝を冷やした。
 前日には日向灘で起きたマグニチュード(M)7.1の地震を受け、気象庁が「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」を発表したばかり。巨大地震の発生確率が相対的に高まっているとして、今後1週間の「備え」を呼びかけた直後だけに「すわ! いよいよ巨大地震発生か」と身構えた人も多かったはずだ。
 臨時情報の発表は2017年11月の制度導入以来、初めて。「注意」の対象は南は沖縄、北は8日の震源地から1500キロほど離れた茨城県まで1都2府26県707市町村に及ぶ。
 南海トラフは東海から九州地方にかけての太平洋側に延びる浅い海溝で、M8級以上の巨大地震が歴史的に繰り返されてきた。政府は30年以内にM8~9級の巨大地震が70~80%の確率で起きると予測。被害想定は、静岡県から宮崎県にかけて10県で最大震度7を観測し、津波は高知県で高さ34メートルに達する。想定死者・行方不明者数は最悪の場合で約32万3000人、経済損失は220兆3000億円に上るというから、すさまじい。
「巨大地震注意」と評価した検討会会長の平田直・東大名誉教授は会見で「普段よりも数倍、地震の発生の可能性が高くなった」と説明。一方で7日以内の巨大地震発生の危険度は「数百回に1回程度」であり、「特定の地域で、いつ起きるかを申し上げることはできない」と繰り返した。
 警戒すべきか、冷静になるべきか、もう何が何だかだ。地震学者たちの「出さないよりマシ」のやっているふりと「南海トラフ地震臨時情報」なる初めて聞く言葉に、国民は戸惑うばかりである。
■専門家任せは防災を軽んじている証拠
 もちろん、現在の地震学では地震発生の場所や時間を前兆現象などから言い当てる「予知」は無理である。せいぜい「注意喚起」が限界で、国民のできることといえば家具の固定や備蓄、避難ルート、家族の連絡手段の再確認など「いざ」の備えにとどまる。
「だからこそ、気象庁の会見には岸田首相が同席すべきでした」と言うのは「シン・防災論」の著者で、30年以上にわたって自然災害を取材してきたジャーナリストの鈴木哲夫氏だ。こう続ける。
「巨大地震などの自然災害対応に科学の力は必要ですが、その知見に基づき、国民にメッセージを送り、決断を下すのは政治家の役目です。気象庁の役人、ましてや地震学者にその権限は与えられていません。『南海トラフ地震臨時情報』という史上初の情報発信であればなおさらです。今後1週間に政治は何をするのか、国民にはどう備えて欲しいのか、岸田首相は一国のトップとして逐一説明する義務がある。専門家任せの対応は防災を軽んじている証拠です」
 気象庁の会見後、岸田首相は官邸でぶら下がり取材に応じ、「地震への備え」を国民に呼びかけ、「偽情報の拡散などは絶対に行わないように」と強調した。
 毎度おなじみの「やってる感」を振りまいたが、なぜ、その言葉を地震学者と共に発信しなかったのか。きのうになって同日から予定していた中央アジア、モンゴル歴訪の取りやめを表明したが、外遊中止は当然。あまりにも政治決断が遅すぎる。
 今後の巨大地震の備えにも、岸田はこの体たらく。すでに能登半島を襲った最大震度7の巨大地震の復旧が遅々として進まないのも、残念ながら納得である。
■犠牲と引き換えの教訓を生かせないボンクラ
 甚大な被害を受けた石川県輪島市と珠洲市の光景は、あの日から時が止まったまま。元日の発生から7カ月が過ぎても、多くの倒壊家屋が今なお残り、がれきの山の処理はままならない。

 まだ国道の至る所は寸断された状態で、水道が復旧していない地域もある。半年以上もわが家で入浴も洗濯もトイレもかなわない生活がどれだけ悲惨なことか。
 被災家屋の公費解体も進まず、石川県の馳浩知事は「応急仮設住宅への希望者全員の8月中の入居」という約束を反故。珠洲市の一部などでは仮設住宅の完成予定が11月中にズレ込むという。つまり、1年近くも不自由な避難所暮らしを余儀なくされる人がいるのだ。
 被災地の惨状を知ってか知らずか、岸田は能登復興でもやっているふり。先月1日に現地を訪れ、「能登創造的復興タスクフォース」を新設。関係各省庁から派遣された職員約150人を現地に常駐させ、岸田は「課題を霞が関一体となって解決する」と息巻いていた。
 前出の鈴木哲夫氏は「危機管理を根本から履き違えています」とあきれ、こう指摘する。
「倒壊家屋の解体が進まない理由は法の手続きに手間と時間がかかるためです。現地に常駐させても官僚にはこの法の壁は壊せない。いま被災地が何に困って何を欲しいのかを把握しても、官僚の習性では公平性の呪縛から逃れられない。法律や制度が被災地のニーズを拒むのならば、法改正や時限立法を制定すればいい。時には超法規的措置も必要で、官僚の上に立つ政治家しか決断できません。その自覚が岸田首相には著しく欠けており、震災という『有事』に対し『平時』の対策で臨んでいる。被災者切り捨てにほかなりません」
■備えを求めるなら原発をまず止めてくれ
 震災の「予知」は無理でも、政府が今やるべきことは山のようにある。南海トラフ巨大地震の被災想定地域は「原発銀座」だ。
 今回の注意情報の対象エリアには中部電力・浜岡原発、四国電力・伊方原発、九州電力・川内原発が林立する。うち浜岡1、2号機と伊方1、2号機は廃炉作業中。浜岡3~5号機、伊方3号機、川内1号機は定期検査のため停止中で、川内2号機は今も運転中である。法大名誉教授の五十嵐仁氏(政治学)は、こう言った。
「国民に巨大地震への備えを求める以上、政府も大きなリスクである原発を停止するのが自然な流れのはず。能登半島地震で石川の志賀原発は難を逃れたとはいえ、半島部の住民避難リスクが露呈しました。伊方原発も愛媛県の半島部の山あいにあり、巨大地震のリスク対策は不十分。いざ事故発生後に巨大地震で道路が寸断すれば住民は逃げ場を失い、津波が襲えば船での避難の道も絶たれてしまいます。福島の未曽有の事故を経験した地震大国にとって、原発再稼働は棄民政策としか言いようがないのです」
 東日本大震災と原発事故から13年以上が経過したが、今も約2万6000人の福島県民が県内外での避難生活を余儀なくされている。放射能汚染で故郷を奪われた人々の悲しみを決して忘れてはいけない。
日本の国土はいつ、どこで巨大地震が発生してもおかしくない。防衛よりも防災が大事で、戦艦よりも病院船、戦車よりもトイレトレーラーが必要なのに、岸田政権は“台湾有事”を前提とした空想的軍国主義に傾斜。現実的な危機対応能力が欠落しています。せめてイタリアのように災害発生から72時間以内に設置し、快適に過ごせる避難所の充実に予算を割いて欲しいものですが、軍拡路線はその余力を失わせるだけ。避難所暮らしの肉体的、精神的ストレスから多数の震災関連死を招く地震大国の被災者切り捨ては、永久に放置されたままです」(五十嵐仁氏=前出)
 阪神・淡路、中越、東日本、熊本、そして能登--。この国は過去30年で巨大地震をいくつも経験してきた。国民の犠牲と引き換えに得た教訓を生かそうとしない「やっているふり」のボンクラは、それだけで首相を続ける価値ナシだ。


 



 
なぜ「甚大な被害を受けた石川県輪島市と珠洲市の光景は、あの日から時が止まったままで元日の発生から7カ月が過ぎても、多くの倒壊家屋が今なお残り、がれきの山の処理はままならない」のか?
 
答えはこんなところにあった。 

能登の復旧・復興「コスト念頭」 財務省、被災地は人口減

財務省は9日、財政制度等審議会(財務相の諮問機関)の分科会を開き、能登半島地震の被災地の復旧・復興は「将来の需要減少や維持管理コストも念頭に置き、住民の意向を踏まえ、十分な検討が必要だ」と訴えた。「被災地の多くが人口減少局面にある」ことを理由に挙げ「過去の災害の事例も教訓に集約的なまちづくり」を提言した。
 復興が本格化する中、無駄な財政支出は避けたいとの立場を明確にした。分科会終了後に増田寛也会長代理(日本郵政社長)が記者会見し「家の片付けが進んでない地域に、将来の議論をしようと言っても難しい」と指摘。被災状況の地域差や住民の考えを理解した上での復興が重要だとした。

  


 
少なくとも今後首都直下大地震などが発生したら、真っ先に逃げるのは官邸の連中で、ゼロートメートル地帯の住民は切り捨てられるかもしれない、とオジサンは思う。 

 

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