昔からよく言われてきたことなのだが、改めて佐高信による、単独でトランプ詣でをした麻生太郎批判記事を紹介しておく。
★言動が何かと物議を醸す麻生太郎。日本の宰相も務めたこの人物は、自民党や政治家のさまざまな問題で名前が上がることがあっても、最終的には難を逃れ、政府や党の要職の座に就き続けてきた。 ■統一教会仲間のトランプと麻生太郎 安倍晋三、麻生太郎、甘利明は3Aと言われた。それをスリーAではなくスリーアホだと指摘したのは亀井静香である。 安倍が亡くなった後も、残った2Aはとんでもないことばかりしている。経済安保という名の監視統制法の成立に高市早苗と共に躍起になっている甘利だけでなく、麻生はわざわざアメリカに行ってトランプをヨイショしてきた。 この2人は統一教会仲間である。今度出した拙著『統一教会と創価学会』(旬報社)でも指摘したように、トランプと統一教会は切っても切れない関係がある。安倍が銃撃される原因となった統一教会関連のビデオにはトランプも出ていた。だから、安倍とトランプは“統一教会兄弟”とも言える。 大体、森喜朗、麻生、二階俊博の老害トリオ、頭文字を並べればMANとなるが、これがすなわち自民党マンなのである。裏金疑惑の両巨頭である森と二階は追及を逃れているが、麻生にもさまざまに疑わしいことはある。しかし、なぜか検察は宮家に関連のある麻生には捜査の手をのばさないという。 かつて、統一教会と密接な関係の勝共連合推進議員連盟というのがあった。主に自民党の議員が並んでいて、中曾根康弘などの名もあったが、いまも現役なのは麻生である。先年亡くなった細田博之と、つい最近まで“現役”は2人だけだった。 |
煮ても焼いても「食えない」アホ太郎がどの様に生き残ろうと多くの国民には大した影響はないのだが、半農半ジャーナリストの高野孟が、数か月前にこんな警告記事を書いていた。
「有事に日本国民は餓死する。農水省がコッソリ降ろした「食料自給率向上」の看板」
■農水省の大迷走。食料・農業・農村基本法改定で有事に国民餓死決定か 農水省は今国会に「食料・農業・農村基本法」改正案を提出しようとしているが、1999年制定の現行基本法で前面に掲げていた「食料自給率の向上」の看板をこっそりと降ろして――と言ってもさすがに捨て去ることはできないので「食料安全保障の目標の1つ」に格下げして、出来ればこの言葉を国民に忘れてもらいたいかの態度を示してきた。何のためかと言えば、自給率の向上がどうにも難しいので「輸入先の安定化」を目標に取り入れるためである。 それに対しては、当然にも、自民党の農林族から反発の声が上がり、そのため「自給率その他の食料安全保障の確保の目標を設定する」というように文言としては蘇らせて族議員を納得させはしたものの、かつてあれだけ大騒ぎした食料自給率向上に「あんまり触れないようにしよう」という同省の本音は変わらないだろう。 ■否応なく浮き彫りになる農政の失敗の歴史 なぜ触れないようにするのかと言えば、そこを見れば農政の失敗の歴史が否応なく浮き彫りになるからである。 1961年制定の旧農業基本法は、池田内閣の「所得倍増計画」を都市サラリーマンだけでなく農業者にも及ぼすことを企図した。その具体的な方法は、農家の大半を占める貧農層を切り捨てて大規模経営化を推進し生産性向上を図る一方、それで余った労働力を都会の第2次・第3次産業へと総動員して一気に高度経済成長を実現しようという、徹底的な経済合理主義イデオロギーによるものだった。こんなアクロバット的な政策が巧くいく訳がなく、1960年に1,766万人あった農業従事者は75年に1,373万人、90年に849万人、2005年に196万人、そしてついに2020年には60年前のほぼ10分の1の160万人にまで激減した。 それで一定の生産性向上効果があったのは事実だが、肝心の食料自給率は、1960年に79%あったのに対し75年には54%、90年に48%、2005年に40%、2020年には38%と無惨に減り続けた。その途上で、危機感を抱いた農水省は1999年に基本法を現行のものに改定し、その際に「食料自給率向上」を高々と掲げたのだったが、それは何の歯止めにもならなかった。根本原因は、上辺はいろいろ繕ってもベースの大規模化、機械化・化学化による効率化という、日本農業の実態におよそ相応しくない欧米流の農業近代化を模倣しようとする致命的誤謬がそのまま続いたことにある。それでとうとうお手上げになり、「食料自給率向上」の看板を半ば降ろす羽目に陥ったのが今回である。 ■農水省がこねる「食料自給」を諦めるための屁理屈 しかし官僚組織は無謬性神話を死守しなければならないので、「今まで間違っていたので、ごめんなさい」と言うことはありえない。一般には分かりにくいありとあらゆる屁理屈を捏ねて隠微な形で軌道修正を図るのが常で、この場合はそれは昨年9月にまとまった「食料・農業・農村政策審議会」の答申によく表れている。 ここでは「食料自給率」に関わる文言を3カ所抜き出して示すが、前後の文脈から切り離されていて分かりにくいかもしれない。関心の深い読者諸兄は、農水省HPにある全文のP.41以下「第3部 食料・農業・農村基本計画、不測時における食料安全保障」の項を参照して頂きたい。 ● 食料・農業・農村政策審議会 答申 まず、現行基本法で「食料自給率向上」が前面に押し出された理由が次のように説明される。 ▼我が国の国民が必要とする食料を確保していくためには、国内農業生産と輸入・備蓄を適切に組み合わせることが不可欠であるが、食料の輸入依存度を高めていく方向ではなく、自国の農業資源を有効活用していくという観点で、国内の農業生産の増大を図ることを基本としていくべきとされた。 ▼こうした中で、現行基本法において、基本計画の記載事項として食料自給率目標を位置付けた。これは、食料自給率の低下に対して生産者・消費者が不安を抱いていることから、その向上を図る目標としたものである。 ▼供給熱量ベースの食料自給率は、国内で生産される食料が国内消費をどの程度充足しているかを示す指標であり、国内で生産される食料を国民が消費するという過程を通じて決まるので、その維持向上を図るには、国内生産・国内消費の双方にわたる対応、すなわち、農業者、食品産業、消費者、行政といった関係者のそれぞれが問題意識を持って具体的な課題に主体的・積極的に取り組むことが必要となる。こうした生産・消費についての指針として食料自給率の目標が掲げられるならば、それは食料政策の方向や内容を明示するものとして、意義があるものとされた。 《私流のひねくれ解説・1》 食料確保には国内生産と輸入の組み合わせが不可欠だというのは一般論を語っているようだが、実は、現行基本法では国内生産増強の一本槍だったこと、そのために「食料自給率向上」を前面に掲げたのであり、それはそれで啓蒙的な意味もあったのであることを述べていて、全体として、「輸入」の観点を入れ込んだ「食料安全保障」への論点ずらしの布石を打つための文章である。 ■クドクドしい弁解から「自給だけではダメだ」という決めつけへ 次の個所では、もっとはっきり、しかしまだ遠慮がちにではあるが食料自給率目標の「取り下げ」――と言って言い過ぎならば「相対化」が謳われる。 ▼現行基本法に位置付けられた基本計画における目標は食料自給率のみであった。 ▼食料自給率は、食料自給率目標の下に、生産努力目標と望ましい消費の姿を示すこととなっているが、現行基本法の理念に照らせば、農業の持続的発展の延長線上にある国内での生産の拡大により、食料の安定供給と多面的機能の発揮が図られるほか、望ましい消費の実現により、国民が健康で充実した生活を送ることが図られる。 ▼これらを統括する目標として、国内生産が分子、望ましい食生活が分母に反映されるものとして、食料自給率が現行基本法の基本理念の実現をトータルとして体現する目標として、関係者の努力喚起及び政策の指針として適切であると考えられていた。 ▼しかしながら、現行基本法が制定されてからの情勢変化及び今後20年を見据えた課題を踏まえると、輸入リスクが高まる中で、国内生産を効率的に増大する必要性は以前にも増している。一方で、 国民一人一人の食料安全保障の確立 輸入リスクが増大する中での食料の安定的な輸入 肥料・エネルギー資源等食料自給率に反映されない生産資材等の安定供給 国内だけでなく海外も視野に入れた農業・食品産業への転換 持続可能な農業・食品産業への転換 等、基本理念や基本的施策について見直し、検討が必要なものが生じており、これらを踏まえると、必ずしも食料自給率だけでは直接に捉えきれないものがあると考えられる。 《私流のひねくれ解説・2》 この文章の第2、第3パラグラフは、現行基本法が「食料自給率向上」を表看板にしたのは決して間違っていなかったのだというクドクドしい弁解。そこを飛ばせば、「現行基本法は食料自給率のみを目標にした」(第1パラ)けれども、「時代の変化があり、もはや食料自給率だけでは直接に捉えきれない」(第4パラ)というのが、ここで言わんとしている本筋である。 ■歴史の検証に耐え得るものではない「その場限りの机上の空論」 さらに3番目の個所ではこう述べられている。 ▼基本計画の見直しにあわせ、自給率目標は、国内生産と望ましい消費の姿に関する目標の一つとし、上述した食料安全保障上の様々な課題を含め、課題の性質に応じ、新しい基本計画で整理される主要な課題に適した数値目標又は課題の内容に応じた目標も活用しながら、定期的に現状を検証する仕組みを設けることとするべきである。 《私流のひねくれ解説・3》 自給率目標は残すけれども、新基本法とそのための基本計画で設定される様々な課題に応じたいくつかの目標の1つとしてであって、それ以上には位置付けることはしないという宣言である。しかし、食料輸入の強化が食料安全保障に資するという話は今まで聞いたことがない。 この点について、資源・食糧問題研究所の柴田明夫代表は2月12日付「日本農業新聞」への寄稿で、基本法見直しでは「平時における国民1人1人の食料安全保障を考えると宣言しておきながら、いつの間にか議論は『不測時における安全保障』〔のための輸入先確保〕にすり替わっている」と指摘、さらに次のような重大な問題点を指摘している。 「世界の食料市場を支配する穀物メジャーあるいはフードメジャーへの言及がない。……2019年の世界の農産物貿易額1兆3,300億ドルの内の少なくとも40%はカーギル、コフコ(中糧集団)、ADMなどのフードメジャーだ。……彼らが有事の際に食料を日本向けに優先して供給してくれる保証はない。政府は、今回の『食料・農業・農村基本法』改革の一丁目一番地であるはずの『国内農業生産の増大』を真剣に取り上げるべきだ」 その通りで、農水省のこの「食料自給率向上」断念、「輸入の安定化」への切り替えという取り組みは、その場限りの机上の空論の類で、とうてい歴史の検証に耐え得るものではない。 |
(続く)
「次は令和の大飢饉か?国民を餓死に追いやる農水官僚の保身と作文「食料自給率向上を諦め国内農業生産増大」のデタラメぶり」
■国民が知らぬ間に「農業の憲法」食料・農業・農村基本法が改正へ 「食料・農業・農村基本法」を25年ぶりに改正する法案が4月19日に衆議院で自公両党と維新の賛成で通過、26日から参議院での審議が始まった。 「農政の憲法」と呼ばれる同法の改正は、我々の暮らしの基盤である農と食をいかに確保していくかを方向づける大事な議論のテーマであるはずだが、その割に国民はほとんど無関心で、マスコミも中身に踏み込んだ報道を全くしていない。 「国民の理解が深まる議論を」と叫んでいるのは農協の機関紙=日本農業新聞(4月20日付解説)くらいのもので、このままでは多くの人々が知らない間に同法の骨抜き化が罷り通っていくことになろう。 ■格下げになった「食料自給率」目標 改正案の最大の問題点は、すでに本誌No.1247で詳細に論じたように、現行法で中心的な目標とされていた「食料自給率の向上」をこっそりと取り下げようとしていることである。 いや、取り下げたいなら取り下げればいいのだが、その目標を掲げて25年間取り組んで、現行法制定当時40%だった自給率が現在38%の微減という無惨な結果に終わったのは何故かの総括をキチンとしないのは、卑怯というものだろう。 その目標を掲げたこと自体が間違いだったのか、そうではなくてそれを達成するための施策が適切でなかったのか、それとも何やら制定当時には想定されなかった事象が生じて阻害されたのか。そこをはっきりさせなければ、この国は二度と「自給率」について語ることができなくなってしまう。 しかし農水に限らず官僚にとっては、誤りを認めてしまえば責任を取らなければならず、それは官僚人生の破滅を意味するから、No.1247で解析したようにありとあらゆる屁理屈を捏ねてうやむやの内に方向転換をしてしまおうと悪戦苦闘する。 それでもさすがに「食料自給率の向上」という言葉そのものを消し去ることは出来ず、結局、改正案では「食料安全保障の確保」を前面に打ち出し、その中に「食料自給率の向上」も含まれるーーつまり食料安全保障の目標がいろいろある中の1つに食料自給率も入っているという形に収めようとしたのである。 具体的には、現行法では「食料・農業・農村基本計画」で定めるべき事項の1つとして「食料自給率の目標」と明記していたのに対し、改正案の第17条では「食料自給率その他の食料安全保障に関する事項の目標」と書き換えて、食料自給率を食料安全保障という言葉の中に吸収してボヤかしてしまおうとしている。 繰り返すが、食料自給率最優先を止めたいなら止めればいい。ただコソコソやらずに、正々堂々と国民=主権者に説明し納得させた上で止めるべきなのである。 ■「食料安全保障」という概念の危うさ ではその「食料安全保障」とは如何なる概念か。 改正案は、第1条〔目的〕で「この法律は、食料、農業及び農村に関する施策について、食料安全保障の確保等の基本理念及びその実現を図るのに基本となる事項を定め……」と、今度はそれが基本理念であると明記している。 実際、岸田文雄首相は衆院での答弁の中で「ウクライナ情勢によるサプライチェーン(供給網混乱)などの情勢変化に対応するため、食料安全保障の確保を基本理念に新たに位置付け、農政の再構築を行う」と語っている。 この法律自体がこの先何十年かの農政の基本を定める理念法であって、目先のウクライナ情勢によって「基本理念」が左右されることなどあるはずがない。 この語り方を聞くだけで、岸田が一知半解で出まかせを口にしていることが判るが、本人にしてみれば、「有事」における食料確保を含む「安全保障」という言葉を掲げることで少しく緊張感を漂わせたつもりだったのかもしれない。 ところで、改正案の第2条〔食料安全保障の確保〕は第1項で、その食料安保について「良質な食料が合理的な価格で安定的に供給され、かつ、国民一人一人がこれを入手できる状態をいう」と定義している。 そして第2項で、その「安定的な供給」について「世界の食料の需給及び貿易が不安定な要素を有していることに鑑み、国内の農業生産の増大を図ることを基本とし、これと併せて安定的な輸入及び備蓄の確保を図る」と、現行法とほとんど同じ表現を引き継いでいる。 が、食料自給率向上の目標を曖昧化してしまった後で「国内の農業生産の増大が基本」と言っても言葉が宙に浮いて嘘っぽく、むしろ輸入増大を含めた「安定的な供給」を考えていると邪推されても仕方あるまい。 ところが、「平時」はともかく「有事」には食料輸入に一部または全部が途絶する最悪事態を想定して危機シナリオを描いておかなければならないはずであって、その点、自給率向上を諦めながら国内生産の増大を言い、それでいながら輸入を増やすことを含めて安定的な食料確保をしようとする改正案は、二重に辻褄が合わない論理的混乱に陥っている。 ■輸入総額の11%が農林水産物 ところで、日本の2021年の農水産物輸入は8兆6516円で、輸入総額の11%を占める。額の大きい順に15位までの品目別の輸入総額と主な輸入国別シェアを並べると、次のようになる。実はこれが食料安全保障を考える場合のベースで、単純な話、日本はまず米国や中国とは絶対に戦争を構えてはいけないということである。 参議院の審議はこれからなので、食料の自給と輸入、安全保障、それらを実現する農と食の戦略方向についてまともな原理的な議論が行われるよう期待したい。 |
今、世界各地で農民の激しい抵抗運動が展開されているという。
それは世界で農民の生存が脅かされているからということらしい。
しかしどの国にも大なり小なり農民保護政策が存在しており、日本政府よりはまだましである。
それに対して今の日本は危険なレベルの食糧自給率も放置する異常な国になってしまっている原因として、省庁が本来担うべき教務がすでにかなりの範囲で民営化されているからであると指摘されている。
その一例として日本政府は種苗法を改正し、種苗の知財権である育成者権を強化する方向を決めたが、その実働部隊は農林水産省の中には見当たらず、外郭団体である公益社団法人農林水産・食料産業技術振興協会が農水省からの委託事業としてその実務を担っているという。
同協会はその構成メンバーーに住友化学や三井化学やサカタ、タキイなどの種苗企業、味の素などの民間企業が多く占めている。
「公益社団法人農林水産・食品産業技術振興協会 社員名簿」
まさに民間企業の、民間企業による、民間企業のための事業と成り下がっている。
その活動は国会でも十分把握されておらず、議論されることもない。
民間の団体が農水省が本来やるべき業務まで請け負うことで、国連条約・宣言で規定された農民の権利を一切無視した世界でも例のない種苗行政が成立してしまったということなのだろう、とオジサンは思う。