新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

安倍晋三に捧げる「Gone With the MASK」

2020年04月05日 11時53分46秒 | 安倍晋三

どうやら「倍々ゲーム」のように連日COVID-19の感染者数が増加しているが、最近は著名人や今まで現れなかった職業の人たちも感染者の仲間入りしてしまった。
 
芸能人やスポーツ選手はおとなしく入院していれば済むのだが、院内感染により医師や看護師たちに感染が広まったり、大手マディアの記者や警視庁赤坂署 女性刑事の感染が明らかになったとたん、濃厚接触者たちが自宅待機となってしまう。
 
警視庁は署員ら70人以上を自宅待機させることを検討していて、代わりに100人以上を赤坂署の支援にあたらせるらしい。
病院と違って警察署が「署員不足のため業務停止」などはありえない話である。
 
消防署で待機している救急隊員から感染者がでれば、救急搬送が困難になり死者の数も激増してしまうかもしれない。
 
これでは、「もうすでにオーバーシュート(爆発的患者急増)状態」だと公言する専門家も出ている。
 
こんな日本には自国の国民を置いておけないとばかりに、日本よりも数十倍も感染者や死者で出ている米国の在日大使館が日本に滞在中のアメリカ人に対し直ちに帰国するよう呼びかけという。
 
米大使館、日本の感染『正確な把握困難』 帰国呼びかけ


日本の感染者数を、検査数も示さず他国と比較して、論じて、報じて、有頂天になっているのは日本人だけということだろう。
 
この「クラスター収集しての分析ゴッコ」や検査絞りによって、どれだけ多くの国民の命が危険にさらされ、困窮させられているのか。
 
無能な政府の罪が甚大なのは言うまでもないが、政府の方針に沿ってご意見を述べる御用専門家(コメンテーター)や御用メディアの罪も凄まじいものがあることはいうまでもない。


実は、2月27日に、「医療崩壊から医療放棄、そして五輪開催不能へ」の中で、上記のツイッターで指摘されていた「専門家の坂本史衣」のインタビューを掲載した後で、こう批判した。
有効なワクチンもない新型の感染症なので、厚労省が定めたマニュアル通りに検査を実施し続けて行けば、日本全国に新型コロナウイルス感染者があふれ返る可能性が高いといわれ、すでに数千人規模の感染者が存在すると岡田春恵教授は悲観している。


 
今回の「アベノマスク」珍騒動に関しては、コラムニスト小田嶋隆が、
「日本中の全世帯に2枚ずつマスクを郵送するという驚天動地のスキームが、机上のプランに終わることなく、公式の政府の施策として実現されるに至ったその経緯に強烈な危機感を抱いて」おり、
「日本政治史上かつてないスチャラカなプランがそのまま実現にこぎつけてしまうための可能性は、官邸のガバナンスが著しく風通しの悪い独裁に陥っているのか、でなければ総理を囲む側近が、一から十までバカ揃いであるからなのかのいずれかの場合しか考えられないからだ」と指摘し、
「総理・副総理に誰も口答えができなくなっているのだとしたら、その政権は、というよりも、その国はすでに戦時体制の中にある」と痛烈に批判していた。
 

<マスク作戦はなぜ止められなかったのだろう>
 2020年4月3日 日経ビジネス
・・・前略・・・
 そもそも、マスクの生産体制について、経産省は2月26日の段階で、「週に1億枚」を約束する旨の告知をしている。
 にもかかわらず、それから1カ月以上、マスクは、一般家庭には配布されず、店頭にもろくに並ばなかった。
 こんな状況下で、WHOによって対ウイルスの効果が疑問視されている布のマスクを、一世帯あたり2枚配って、それで何かを成し遂げた気持ちになってもらったのでは、先が思いやられる。
 もちろん、何もしないよりはマスク2枚でも、雑巾5枚でも配れば配っただけの意味はあるのだろう。
 しかし、一世帯あたり2枚のマスクを郵送で5000万通配布するための手間と費用と時間を、別の何かに振り向けたら、より実のある施策が展開できるのではなかろうか。費用対効果として、もっと国民のために役立つお金の使い方が、いくらでもあるはずだ。
 なのに、政府はなんとしてもマスクを配るという。
 狙いは何だろう?
 マスクそれ自体がもたらす防疫効果が主目的ではないのだとすると、マスクを媒介とした「お・も・て・な・し」感だろうか。
 「わたくしたちは国民のために働いていますよ」
 というアピールだろうか。
 「そうだとも。お国はこんなにまで手間をかけて、すべての世帯にマスクを配布してくれている。その心意気を見れば、自分たちが見捨てられていないことがわかるじゃないか」
 「だよな。マスクは、言ってみればオレら国民の疑心をカバーするために配布されている。そう考えようじゃないか」
 とまあ、あえて好意的に受け止めればそう考えられないこともない。
 でも、この受け止め方には、落とし穴がある。
 というのも、政府首脳がわれら国民のために手間と時間とお金をかけて配ってくれたブツが、よりにもよって布マスク2枚だったという事実は、ある程度もののわかった国民にとっては、むしろ落胆をもたらす最後通牒だからだ。
 「つまり、現金を配るつもりはないということだよね。これ」
・・・中略・・・
 もうひとつ言えば、私個人は、この話(日本中の全世帯に2枚ずつマスクを郵送するという驚天動地のスキーム)が、机上のプランに終わることなく、公式の政府の施策として実現されるに至ったその経緯に強烈な危機感を抱いている。
 なんとなれば、この日本政治史上かつてないスチャラカなプランがそのまま実現にこぎつけてしまうための可能性は、官邸のガバナンスが著しく風通しの悪い独裁に陥っているのか、でなければ総理を囲む側近が、一から十までバカ揃いであるからなのかのいずれかの場合しか考えられないからだ。
 百歩譲って申し上げるなら、非常時にバカなプランが出てくることそのものは、そんなにめずらしい話ではない。動揺すると人は奇妙なことを思いつくものだし、どんなに賢い人間であってもミスを犯す時には、おどろくほどバカなミスをやらかすものだ。その点はわかっている。じっさい
 「コロナ騒ぎで気落ちしている国民の憂鬱を吹き飛ばす意味で、ひとつ総理が自ら『アイーン』を決めてみせるというのはいかがでしょうか」
 という提案があったのだとしても、私は驚かない。
 ただ、こういうプランは、ほかの賢いメンバーによって即座に却下されるはずだ。
・・・中略・・・
 私が言っているのは、官邸が「ものを言えない場所」になっている可能性についてだ。
 総理・副総理に誰も口答えができなくなっているのだとしたら、その政権は、というよりも、その国はすでに戦時体制の中にあると申し上げなければならない。
 もうひとつ考慮しなければならないのは、総理大臣が、その側近や閣僚にきらわれている可能性だ。
 ふつうに出世したアタマの良い官僚や、マトモに選挙を通って来た機を見るに敏な政治家であれば、今回のマスク事案が世紀の愚策であることは、一瞬で見抜けるはずだ。
 「あらら、よりにもよって布マスクを配布とか、どこの昭和案件だ?」
 「それも郵送で全世帯に配布とか。なんの罰ゲームだよ」
 「これ、ヘタすると、倒閣マターになるぞ」
 「倒閣で済めばむしろ御の字で、引退後も給食マスク宰相てなことで子供に石投げられる末路が待ってるんじゃないかなあ」
 と、そう思うのが正常な感覚というもので、じっさいに彼らがそう思ったのであれば、ここは一番
 「総理、お言葉ですが、私は絶対に賛成できません」
 「おそれながら、このプランは穴だらけです。ウイルスが素通りなだけならまだしも、雑菌の培地にしかならないのではないでしょうか」
 「もし本当にマスクを郵送するおつもりであるのなら、その前にまず私の職を解いてください」
 「総理がお疲れなのは承知しています。この際、新型コロナ偽装でもなんでも使って、ぜひ休養をとってください。あとはわたくしたちがなんとかします。首相。落ち着いてください」
 てなことで、面を冒してでもお上に直言するのが、心ある官僚なり政治家の覚悟であるはずだ。
 彼らが、陰腹を切ってでも総理に諫言することをせずに、結局、あえて見てみぬふりをして、このプランを通してしまったのは、
 「ええいちくしょう。もうどうにでもなりやがれ」
 「あーあ、このヒトもどうやらおしまいだな」
 と考えていたからというふうに考えざるを得ない。
 ということはつまり、彼らは首相を支える気持ちを持っていないのである。
 なんとかわいそうな首相ではないか。
 私たちのこのまほろばの国が、いずれの可能性を経て、現今の事態に立ち至っているのか、私には詳しいところはわからない。
 ひとつだけわかっているのは、政府の切り札が2枚のマスクであったのだとすると、もはや何を言っても無駄だということだ。
 あるいは、マスクの真意は
 「おまえらは黙っていろ」
 ということだったのかもしれない。
 だとすると、この原稿は、載らない可能性もあるわけだ。
 ビル・ポスターズは殺され、オダジマは黙らされる。ありそうな結末だ。
 もっとも、読者がいま当稿を読んでいるようなら、まだ望みはある。
 ぜひ、声をあげよう。
 マスクは、プロテストの声をあげる口元を隠すのに役立つかもしれない。

   
 
そして早くも、「アベノマスク」は終焉を迎えたようである。
さて、無能で自分の頭では何も考えられないわが国の最高責任者の哀れな姿が多くの国民に晒されていた。
 
安倍晋三首相が着用の「アベノマスク」、布製から不織布に変わる」  
  
さっそくネットでは格好の餌食となった。


1939年に製作されたアメリカ映画「Gone with the Wind」(風と共に去りぬ)を思い出してしまう。

安倍晋三に捧げる
Gone With the MASKこうなることを国民は切に願っている、とオジサンは思う。
  
 
     【安倍晋三のチンタラ政策のテーマ】
         

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