7月15日はカレンダーで「海の日」となっている。
実際には、1995年に「海の日」として、7月20日が祝日として制定されたということは昭和生まれの多くの人が知っている祝日であった。
さらに遡れば、明治天皇が明治9年東北巡幸の帰途、灯台視察船「明治丸」で、青森から函館を経て横浜に安着された日に由来し、1941年に7月20日が「海の記念日」として制定されたということは、余り知られてはいないかもしれない。
しかし2003年から、「ハッピマンデー」という訳のわからぬ制度により、国民の祝日に関する法律が一部改正され海の日は7月20日から7月の第3月曜日に変更されてしまった。
この時期に毎年、海開きが行われ盛夏の真っ最中なのだが、今年の海の日は、「晴れぬ7月…記録的低温で湿る消費 プール客95%減、夏セール不振、野菜高騰」という異常な低温状態である。
ちなみにオジサンの昨年同日の日記によれば、「天気:快晴・真夏日」、就寝中に「かなり発汗したため浴槽に暫し浸かり冷たいシャワー浴びて朝刊取って台所で読み始める。」と書かれていた。
気温は低いが残り1週間余りとなった参院選だが、不思議なことに自民党の安倍晋三のスポットCMは度々流されるが、報道番組では申し訳程度の放送しかしていない。
数年前の衆院選挙で政権批判場面を放映し、スタジオにいた安倍晋三が激怒し自民党から恫喝された経験があるTBSでは、キャスターの偏向が著しいと、植草一秀の『知られざる真実』では、「TBSニュースキャスターの偏向報道」と題してこんな風に批判していた。
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参院選に向けての安倍内閣の基本戦略は以下の三つ。
1.投票率の引き下げを誘導すること
2.メディアに政権を宣伝させること
3.メディアに与党優勢の情報を流布させること
この基本戦略の中核を担うのが御用マスメディアである。
政権の宣伝にはあらゆるものを使う。
安倍内閣が政治利用しているのがハンセン病訴訟への対応と対韓国輸出規制だ。
選挙のときだけ国民の側に立つ素振りを示す。
御用メディアは政権の宣伝になることを十分に意識して政府対応を大々的に報道する。
こうしたことがらを政治利用する姿勢に政権の狡猾さがくっきりと表れる。
対韓国輸出規制について、御用メディアに登場する御用コメンテーターが御用コメントを並べ立てる。
「日韓問題については、韓国が日本の約束を踏みにじってきたから、日本側の厳しい姿勢は正当である」
との間違った発言を並べる。
中立公正な立場からの発言ではない。
政治権力とマスメディアの結託、癒着は極めて悪質である。
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放送法は第4条で、放送事業者が国内外で放送する番組の編集について、「(4)意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」となっていることを盾に、安倍政権はテレビ民放各社に警告を出していたにもかかわらず、選挙前ではこんなことすら忘れているような振る舞いをしている。
昨朝のTBS番組「サンデーモーニング」では、オジサンも見ていたがこんな場面があった。
サンモニ。
— いのうえ ゆきひろ (@osakayukihiro) 2019年7月14日
特定枠は、政党要件を満たしている政党と限定して
放送。(自民)
諸派から、3名とは。
公平でない。
政党要件と同じ活動が出来る様に10名の候補。
右中左に関係なく放送すべき。
公約の中身は語らないとは。 pic.twitter.com/uEEhukQhz5
[サンデーモーニング] 7月14日
— エイユー8379 (@AU_8379) 2019年7月14日
聞き間違えか耳悪いんか、耳疑う報道????
この選挙比例区の特定枠使用は自民党だけと報道、れいわ新選組も特定枠に1位船後靖彦氏2位木村英子氏が登録されているのに関口始め他のコメンテーターも誰ひとり異議挟ず、リベラルと称されるこの番組も権力に毒され残念です??
#サンモニ
— fullmoon (@tuneleconnaispa) 2019年7月14日
今朝の「風を読む」まさかとは思ったけれど、#テレビとアイドル
絶句。これほど、労働時間増大、賃金減少、貧困化、水道管理権売却、国有林管理権売却、民営化郵政保険販売不正、国政の重要問題山積してるときに、悪いが アイドル?お花畑は、どこかよそでして。。
多くの視聴者は「山本太郎現象」ともいえるこの参院選の風雲児をもっとメディアは取り上げるべきだと怒っているのだが、先述した「参院選に向けての安倍内閣の基本戦略」にあるように政権忖度番組には期待することが無理である。
風頼りではなく純粋に政策を見比べた経済評論家は、こんな評価をしていたことも事実である。
森永卓郎が各党の経済政策を採点したもの(日刊スポーツ紙掲載の記事)。維新の点が高すぎるような気もするが、全体としておもしろい。いまの世相、黒は黒、白は白とはっきり言い切ることが求められているのは間違いない。1%対99%の時代に、中庸とか中立なんてのはまったく価値がない。 pic.twitter.com/AVdy5LVsgh
— tomo san #こんな人たち (@cnvvlty) 2019年7月14日
第二次安倍政権が6年半も続いていながら、実質賃金と年金が毎年減り続けて行けば、この閉塞感を打ち破ってくれそうな候補者を応援したくなるのも当然であろう。
こんなツイートを発している人がいる。
— 太田隆文(映画監督) (@ota_director) 2019年7月15日
2013年、参院選に初当選する前に山本太郎も出演していた「朝日のあたる家」の監督である太田監督が、「このままでは『れいわ新選組』は勝てない!昨夜の『れいわ祭』で痛感=その背景になる厳しい現実とは?どうすればいいのか? [参議院選19]」と題してこんなことをブログで書いていた。
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昨夜の「れいわ祭」ずっとネット中継を見ていた。何度も胸が熱くなり、演説に何度か涙が溢れた。そして多くの支援者。まるでロックコンサートのような盛り上がり。ネットでも熱い応援が次々に流れる。僕のFacebookにも
「市民革命がスタート。これで日本は変わる!」
というようなコメントがいくつか入った。あーそう感じているのか? 強い不安がこみ上げる。あの時の再来だ。忘れもしない。都知事選。小泉元首相が熱く応援した細川元首相が立候補。複数回、街頭演説を聞いた。日に日に盛り上がり、物凄い人が集まる。感動で涙するサラリーマンもいた。前回の参議院選、山本太郎の盟友・三宅洋平が立候補。こちらもナマで見ていた。凄い人数が集まり、まさにコンサート状態。
両者ともにネットでも大人気。都知事選、細川のライバルは舛添。こちらの演説も見に行ったが、群衆と呼べない、60人ほどの人しかいない。演説もおざなり、聴衆も
「この人テレビで見たことあるわ?」
という顔で見つめているだけ。勝負はあった。が、大人気の細川候補も、三宅洋平も落選した。最初はイカサマでは?と思えたほどだ。(今でもその疑惑は拭えないが)
分かったことは、街角やネットで盛り上がっても極々一部のことに過ぎないということ。そこで数千人、数万人が感動しても、その程度の数では足りない。与党に応援された候補者には選挙以前から恩を売り、気遣い、配慮してきた何十万人という支援者がいる。選挙の数週間前に立候補しただけでは通用しない環境が出来上がっている。
そしてテレビの力。両候補ともにテレビが一切無視。取り上げることはなかった。そのことでアピールができない。組織票の前に両者はあえなく落選したのである。さらに、両者の支援者は街角演説とネットの盛り上がりで安心していた。
「これなら勝つ!」「負けるわけがない」
でも、素人考え、ロックコンサートと同じ。盛り上がるのは会場だけなのだ。それらと今回の「れいわ新選組」は同じ構図。昨日の「れいわ祭」で危険度マックス。感動して終わりになる人が物凄くいるだろう。その人が一票入れただけでは足りない。その感動を誰かに伝えよう。山本太郎を支持していない人に伝えよう。年配者に、地方の人に伝えよう。昨日のステージで太郎さんが言っていた。
「そうなんです。公明党の手法です!」
だから公明は強い。日頃から努力している。そんな人たち以上に支持を集めるには一人でも多くに「れいわ」を伝えることだ。安心してはいけない。全国区で太郎さんを当選させるには350万票が必要。前回、彼が得たのは東京区の66万票。いかに今回は大変か?がわかるだろう。心して、皆で応援しよう!
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たしかに冷静に見ても全国区で350万票はかなり難しく、おそらく山本太郎は落選し、次の衆院選に捲土重来すべきだと言っていた政治ブロガーはこう書いていた。
「参院選、共同通信調査で「比例は自民」が31%に上昇 &「崩壊の時代」・山本太郎などなど」(kojitakenの日記)より一部を紹介する。
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現在の安倍政権を「野党が倒す」というか、野党への支持が増えて選挙で与党が負けることによって政権が倒れる可能性はほとんどなくなった、そう私は考えている。観念したのは昨年春、『夕刊フジ』までもが政権はもう保たないと判断していったんは政権批判に走ろうとした、財務省が公文書の改竄や隠蔽を行った件を受けても内閣批判は指して強まらず、『夕刊フジ』も1週間ほどのちにはもとの野党叩き、中韓叩きの路線に戻った頃だった。この件を境に、「リベラル」系メディアも野党も、安倍政権に大きな打撃を与える「弾丸」が撃てなくなり、年金問題にせよ消費税増税にせよ、政権支持率低下にはいっこうにつながらなくなった。このことは「批判する言説が絶え果てた『崩壊の時代』」がいよいよその完成形に近づいたとも表現できる。2012年から翌年にかけての坂野潤治の予言が成就したと言おうか。
だが「崩壊の時代」全体としてはどうだかわからないが、少なくとも安倍政権はそう遠くない未来に終わる。といっても、政権が野党や有権者に倒されるのではなく、外交で行き詰まるか、さもなくば健康問題で退陣を余儀なくされる場合しか今のところ思い浮かばないが。
そして、安倍政権が終わったあと、次の政権はそのどうしようもない後始末を強いられる。現在の政権の施政には、安倍晋三の個人的な嗜好が多分に反映されているから、どんなに安倍に近い人物が後継に座ろうが修正を余儀なくされるし、その過程で「安倍政権とはいったい何をやっていた政権なのか」と人々が呆れずにはいられない事態が続発することは絶対に間違いない。
だがそれはかなり先の話だ。現在の最大の課題は2つあって、1つは改憲や労働環境の今以上の劣悪化に代表される、さらなる「崩壊」を安倍晋三にやらせるのを阻止することであり、もう1つは安倍政権が終わる前後の時期に日本社会が受ける衝撃をいかにして緩和するか、言い換えれば、もはや不可避になってしまったハードランディングをいかにソフトランディングに近づけるかだ。
私がいかに「野党共闘」に対する批判を持っていても、いざ選挙になったら1議席でも自民や維新の議席を削るための「戦略的投票」を考えるなどの「蟷螂の斧」をふるうのに血道を上げる動機はそこにあるだけであって、選挙で野党が勝ったり、そこまでは行かなくとも「躍進」したりするのではないか、などという期待はここ数年持ったことがない。そんな具合だから、私は選挙だの解散だのの話になると、正直に言えば「選挙なんてもういいよ、やらないでくれ」と思う。
だから、よく聞かれる「安倍首相に野党が解散を迫らないのは『本気度』が足りないからだ」という物言いには全く賛成しない。そ何度選挙をやったって安倍自民党が勝つだけだという理由以上に、そもそも総理大臣の解散権濫用こそが問題なのであって、それを辛抱強く説くことこそ「崩壊の時代」において政権に対抗する政治家に求められることだ。それをやらない人間はマックス・ウェーバーの言う政治家の要件を満たしていない。私はこのように堅く信じている。
下記にウェーバーの『職業としての政治家』の有名な言葉を挙げておく。
政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら堅い板に力を込めてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である。
(岩波文庫版『職業としての政治家』105頁)
これができない「こらえ性のない」政治家、作ったり壊したりばかりしている政治家は、ウェーバーの言う「政治家の要件」をそもそも満たしていない。これを書きながら私が念頭に置いているのはいうまでもなく小沢一郎だが、現在の「野党共闘」にもそれがスタートした時期に小沢が深く関わったことは疑う余地がない。小沢は一方で「野党共闘」を進めながら、他方で自らもかつて在籍した野党第一党を分裂させる「希望の党」設立にも深く関与したのだから、その罪の深さは想像を絶している。万死に値するとはこのことだ。
「崩壊の時代」はまた、その小沢が関与した野党時代のもろもろに対する総括も求められる時代だと思うのだが、「野党共闘」、「立憲民主党」、「山本党(元号政治団体)」のいずれもその「ファイナルアンサー」ではあり得ず、過渡的な混乱が今後も続くことは避けられないと考えている。
そうは言っても投票しないわけにはいかない。それは気の重い作業であり、国政選挙に浮かれる気分などもうとっくの昔に消え失せているというのが正直な心境なのだ。
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参院選で野党が過半数を占めることは候補者の人数からしてありえない。
したがって国会での「ねじれ現象」は生まれず、12年前のような安倍晋三の退陣はありえない。
しかし参議院の議席数が3分の2を大きく下回れば今後3年間は憲法改正の発議はできなくなり、「改憲派」議員が多くいる国民民主党は次の衆院選挙で壊滅状態になる可能性が高く、そうなれば安倍晋三の夢は打ち砕かれ、本人はレームダック状態に陥るかもしれない。
山本太郎軍団に過大な期待をせずに、32の1人区で過半数を占めることを野党共闘は目指すべきであろう、とオジサンは思う。