新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

安倍晋三のための新元号なんか使わない!

2019年04月06日 11時57分24秒 | 安倍晋三

エイプリールフールの余興かと思ってしまった新元号発表とその後の「官製フィーバー」にはいささかウンザリ。
 
発表までは新元号が漏れないようにかなりの秘密体制を敷いていたにもかかわらず、「新元号祭の後片付けと裏に隠されていたもの」で明らかにしたように、安倍晋三に近しい連中(NHK岩田明子記者、御用評論家・田代史郎)らには事前にリークされていたという。
 
4月1日の発表以来、忖度メディアはこぞって新元号の選定の由来の内容を無批判に称えていたが、共産党は珍しく独自の見解を発表していたことは特記すべきことかもしれない。
 
 「慣習的使用に反対しないが、使用の強制に反対する――新元号の発表にさいして
 
 2019年4月1日 日本共産党委員長 志位和夫
 
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一、元号は、もともとは中国に由来するもので、「君主が空間だけでなく時間まで支配する」という思想に基づくものである。それは日本国憲法の国民主権の原則になじまないものだと考えている。
一、わが党は、国民が元号を慣習的に使用することに反対するものではない。
 同時に、西暦か元号か、いかなる紀年法を用いるかは、自由な国民自身の選択にゆだねられるべきであって、国による使用の強制には反対する。
一、政府は、これまでも「一般国民にまで(元号の)使用を強制することにはならない」ことを「政府統一見解」として明らかにしている。
 この立場を厳格に守ることを、あらためて求める。 
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もちろん、ネット上ではネトウヨ中心に炎上していたのだが、おなじみまとめサイトとして、「元号いらない!令和反対!平成最後に元号不要論が紛糾する理由とツイッター世論」では、2000以上の賛否のコメントを集めていた。
 
さらには、「新元号「令和」、どう思う?」というネット上での投票が4月11日まで行われている。
 
これは「賛成・反対」ではなく、「どう思っているか」というユルイ問いかけなので下記のような結果となっていた。 
 
■いいと思う          63.9%(157527票)
■あまりいいと思わない     28.7%(70731票)
■わからない/どちらとも言えない 7.4%(18128票)
ザックリ見て、投票者の3分の1は「どうでもいい」ということであろう。 
 
中国嫌いな安倍晋三が、新元号の出典を漢籍ではなく国書にこだわり「万葉集」から選ばせたのだが、「新元号『令和』に中国から批判の声『平和ゼロに通じる…』」によれば、こんな解釈があるという。
 
「『しょせん、日本人にとって漢字はわが国からの借り物。漢字のなんたるかをわかっていない。その証拠がこの元号だ』。こんな声が多々、見られます。
まず、『令』という字は、中国人からすると『零』と音が同じで、どちらも中国語では『リン』と発音するため、『令和』すなわち『零和』(平和ゼロ、平和な日はない)という極めて縁起のよくない元号ととらえられます。
 これは「諧音(シエイン)」という同音異義語のことで、避けるべき用法です。中国人であれば常識中の常識、安倍はそんなことも頭が回らないのか、というわけです」(中国在住ジャーナリスト)
 
まさに安倍晋三の無知蒙昧さが曝け出されてしまったわけだが、安倍改憲に真っ向から反対している弁護士の澤藤統一郎が痛烈に新元号発表の日に「新元号不使用宣言」をしていた。
 
私は、けっして「令和」を使わない。令和不使用を宣言する。
 
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本日(4月1日)、内閣が天皇の交替に伴う新元号(予定)を「令和」と公表した。私はこの内閣の公表に対抗して「令和不使用宣言」を公表する。主権者の一人として、厳粛にこの元号を徹底して無視し、使用しないことの決意を明確にする。
本日は、天皇制と元号の結び付きを国民に可視化する、大仰でもったいぶったパフォーマンスの一日だった。官邸とメディアによるバカ騒ぎ協奏曲。いや、変奏曲。何という空疎で愚かな儀式。何という浅薄な愚民観に基づいての天皇制宣伝。
「平成」発表の際にも、ばかばかしさは感じたがそれだけのことだった。今回の「令和」には、強い嫌悪感を禁じえない。どうせ、アベ政治のやることだからというだけではない、「いやーな感じ」を拭えないのだ。
「令和」は、『万葉集』巻の五・梅花の歌32首序の次の一節から、採ったものだという。
 初春の令月にして
 気淑く風和らぎ
 梅は鏡前の粉を披き
 蘭は珮後の香を薫らす
安倍は、万葉集を「我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書であります。」と、ナショナリズムを強調して見せたが、この序は漢詩風というほかはない。むしろ、率直に「我が国の豊かな国民文化の源流が中国の文物から発し、長い伝統といえどその影響から抜けきることができないことを象徴する国書であります。」というべきだろう。
また安倍は、「令和には、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味が込められている」などとする談話を発表したが、これも牽強付会。
通常の言語感覚からは、「令」といえば、命令・法令・勅令・訓令の令だろう。説文解字では、ひざまづく人の象形と、人が集まるの意の要素からなる会意文字だという。原義は、「人がひざまづいて神意を聴く様から、言いつけるの意を表す」(大漢語林)とのこと。要するに、拳拳服膺を一文字にするとこうなる。権力者から民衆に、上から下への命令と、これをひざまずいて受け容れる民衆の様を表すイヤーな漢字。
この字の熟語にろくなものはない。威令・禁令・軍令・指令・家令・号令…。
もっとも、「令」には、令名・令嬢のごとき意味もある。今日、字典を引いて、「令月」という言葉を初めて知った。陰暦2月の別名、あるいは縁起のよい月を表すという。
令室・令息・令夫人などは誰でも知っているが、「令月」などはよほどの人でなければ知らない。だから、元号に「令」とはいれば、勅令・軍令・号令・法令の連想がまず来るのだ。これがイヤーな漢字という所以。
さらに「和」だ。この文字がら連想されるイメージは、本来なら、平和・親和・調和・柔和の和として悪かろうはずはない。ところが、天皇やら政権やら自民党やらが、この字のイメージをいたく傷つけている。
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そして一昨日には、その理由を、「私が『令和』を使わないわけ。」で明解に「令和」の胡散臭さを説明してくれていた。
 
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4月1日、私は当ブログで下記のとおり、「令和不使用宣言」をした。
「私は、けっして『令和』を使わない。令和不使用を宣言する。」
  http://article9.jp/wordpress/?p=12341
この宣言は、政府が本年5月1日以後の紀年法として「令和」という元号を使用すると宣言したことへの対抗措置である。政府と私とは対等だ。しかも、緊張関係にある。政府が新元号を使うといえば、私は使わないと決意を固める。に政府が麗々しく、令和を宣伝すれば、私は当ブログで精一杯の逆宣伝をする。こんなもの、使うべきではないのだ。
多数の人々がこれに続いて、それぞれの「令和縁切り宣言」「令和廃絶宣言」「令和義絶宣言」「令和敬遠宣言」を公表されることを期待する。
時間や時代の区切りは、自分で選択する。権力や権威による強要はまっぴらご免だ。古来より、「我が心 石にあらざれば 転ずべからず」「我が心 蓆にあらざれば 巻くべからず」と言うではないか。「一寸の虫にも五分の魂」とも。政府なんぞに、とりわけ安倍政権ごときに、五分の魂の一分一厘たりとも削らせはしない。
「明治・大正・昭和」という各元号は、明示的に神とされた天皇の権威が時をも支配するというイデオロギーに基づいて制定されたものである。しかも、「一世一元」という、明治新政府の新発明による臣民意識涵養装置の産物でもあった。
「明治・大正・昭和」と元号が制定された時代背景には、天皇の宗教的権威が、天皇の軍事的実力にも転化し、統治権総覧の正当性をも支えたという、いびつな為政者の思惑があった。元号は、天皇の宗教的権威を演出する極めて重要で、しかも効果的なデバイスであった。真っ当な感覚からは、元号の存在自体を異様で異常なものとして排除せざるを得ない。
「平成・令和」の制定は、日本国憲法下においてのものである。神権天皇制が否定された以上は、本来元号などあってはならない。野蛮な過去の遺物としてなくしてしかるべきものである。よく似た事情にあった、中国も、朝鮮・韓国もそのような合理的選択をした。
我が国でも、戦後民主化の趨勢の中で、元号は一時は廃絶が見通される事態であった。しかし、象徴としての天皇を残存した中途半端な憲法の規定が、元号の存続を許した。神権天皇制の残滓が、新たな元号を復活させたのだ。
こうして、象徴天皇制下に、天皇の宗教的権威に淵源を持ち、政治的にはその使用が天皇の支配への服属を意味する新元号「平成」が制定され、そしてこのたびの「令和」となった。
私は、象徴天皇の宗教的権威を絶対に認めない。また、主権者の一人のプライドにかけて、天皇の支配に服属することなど認められない。もちろん、天皇の権威を利用しての保守政治も認めない。だから、平成も令和も、使用することはない。
さらに、私の言語感覚からは、「令和」に、イヤーな漢字という印象を受けている。絶対にこんなもの使用するものか、という意欲を掻きたてられている。
付言する。「天皇が元号を道具に時を支配する」とは、一世一元の制度のもとでは、元号の変更によって、天皇の代替わりを国民に意識付け、各年を天皇在位開始から何年目と数えさせることである。天皇の交替によって、あたかも時代が転換するかのごとき錯覚を国民に植えつけることである。このたび、実は、この目的はメディアの狂騒によって、その目的を達しているのではないか。
なお、政府は海外メディアに対して、令和を「美しい調和(beautiful harmony)を意味している」との説明を始めているという。これは牽強付会も甚だしい。
まず、アベのいう「和」は、常識的な和ではない。特殊なイデオロギー性をもった「和」である。自民党改憲草案や産経改憲草案が、日本の伝統を「和を以て貴しとなす」とする「和」。アベやその取り巻きのいう「美しい日本」の本質的内容をなす「和」である。つまりは、下々の権力や権威に対する忖度が行き届いた秩序のことなのだ。これは、けっして「調和(harmony)を意味」するものではない。「秩序(order)」と訳すべきことが適切なのだ。
さらに、「令」は、「美しい(beautiful)を意味する」ものではない。何よりも、「令」の第一義は、権力者が上から下への命令をする行為であり、その命令の内容をいうものである。命令・指令・勅令・布令の「令」である。英訳すれば、「order」がふさわしい。だから、令和はダブルのorderであって、「order and order」と言わねばならない。
しかも、「令」を「美しい」意味で使うことはないだろう。令嬢も、令室も、令夫人も、もちろん令息も令名も令色も、「美しい」という意味合いはもたない。また、尊敬語としての「令」は、人に付くのが通例で、「令月」は月を擬人化した特殊な用例として一般的なものではなかろう。
「和」という抽象名詞に、無理矢理「令」を付けるのも、これを「美しい(beautiful)」と訳すのも、苦肉の策としても無茶苦茶に過ぎる。もう、欺しの範疇にわたると言ってもよい。
以上のとおり、私はけっして令和を使わない。ぜひ、あなたも。
(2019年4月4日)
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昭和の中期に生まれたオジサンは、現役時代は仕事上の書類の日付の「年」は、「Sxx」と表記していた。
 
最後の資料の表記は「S64」であった。
 
そしてその後はなぜか「Hxx」という表記は一切使っていない。
 
また平成になってから発生した国内の大きな出来事を表記するのに、「平成23年の東日本大震災」と書くよりは、「2011年・・・」という表記が、「あれから〇〇年」と容易に振り返ることが可能だからである。
     
改憲反対の共産党支持者の中でも、憲法第1章の「天皇」を削除する「改憲派」は少ならず存在することは、安倍晋三による「天皇の権威を利用しての保守政治も認めない」という澤藤弁護士の主張にも通ずるところがある、とオジサンは思う。     
 


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4 コメント

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Unknown (アベシネ)
2019-09-06 10:46:42
ファッキン下痢漏らし嘘吐き安倍氏ね
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Unknown (アベノセイダーズ)
2019-08-20 09:20:24
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い?
返信する
Unknown (ああ)
2019-05-24 11:53:15
元号とかこんな天コロマンセーな時代遅れなもん要らんわなぁ
返信する
Unknown (Unknown)
2019-04-06 22:28:06
そうだ!
誰が安倍晋三のために新元号(令和)なんか使うか。
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