昨日14日は好天に恵まれた土曜日とあって横浜みなとみらいは相当な人出。5月の日曜ははるかに混みあってましたが・・・。
私ヌルボ、ふつうはさける土日のみなとみらいに行ったのは、昔の学生時代の恩師から知り合いがいらっしゃるというJICA横浜海外移住資料館見学のお誘いを受けたから。
いやー、恥ずかしながら私ヌルボ、2002年10月に開館したというこの資料館は初めて、・・・というか、存在を知りませなんだ。(恥) JICAの建物は1度入って、2Fにあるこの資料館の入口あたりまではその今年5月の日曜に行ったんですけどね・・・。
さて、この海外移住資料館の展示内容なのですが、くわしくは公式サイト(→コチラ)で・・・。
日本人の海外移住の歴史、移住先での生活、日系人の文化活動等々について、めずらしい物や貴重な資料が数多く展示されています。意外なほどの充実した内容でそれも入館料タダ。
順路の最初。移住の歴史の説明が、最初の人類がアフリカから全世界に拡がって・・・というところから始まっていたので、そんなスケールのでかい物語がどういうふうに現代まで展開されるのか?ととまどいましたが、すぐ幕末以降の日本人限定の展示になったのでホッとしました。(笑)
また、ここでの移住先の「海外」とは、ほとんどハワイと南北アメリカです。
まずハワイ(布哇)には、1885年日布移民条約が結ばれ、移民が公式に許可されるようになった、とか。(まだアメリカの支配下に入る以前です。)
そしてブラジル(伯剌西爾)の場合は1888年に奴隷制度廃止を行った関係で農業労働者が不足し、各国から移民を受け入れることとなり、日本との間では1895年日伯修好通商航海条約が結ばれ、1908年最初の移民団が渡航。アメリカで黄禍論が高まった1920年代後半からは最大の日本移民受入国に・・・。
北米関係は、んーと、省略。あー、日本人はどこに行っても短歌とか俳句作るんだなー、と・・・。
・・・等々、ヌルボが疎かった日本人移住史の基本事項がいろいろわかりました。
で、韓国・朝鮮オタクとして残念だったのは朝鮮半島への移住についての展示物が皆無であること。
とはいえ、説明文中の「20世紀初めの海外移住熱の高まり」とある箇所にはアタマの中で電燈が点いた感じ。
生活者レベルでいえば、日本でこのまま生活を続けるよりも、「何らかの希望を求めて」ハワイやアメリカや南米に移住したり、あるいは台湾や朝鮮に渡ることを選んだわけで・・・。
つまり、台湾や韓国の植民地化と、南北アメリカ等への移民と国際政治的位相は違っても、民衆レベルではどうだったか? 植民地への渡航と、諸外国への移住と、両方視野に入れつつ考える必要があるかも・・・という感想を持ちました。
また、現在開催中の特別展示「日系人と混血-Hapaとメスチッソ-」もとても興味深いものでした。
Hapaとは、ハワイ語で「ハーフ」のこと。(特に片方の親がアジア系の人。) またメスチッソ-(メスティーソ)とは、白人とラテンアメリカの先住民(インディオ)の混血である人々のことです。
展示室に日系人の写真20枚が展示されているのですが、日系人といってもその「血統」が実に多様な人ばかり。5つ以上の「人種」の血を引いている人たちがたくさん。
(※以下うろおぼえで内容不正確)近年アメリカでは国籍申請時に人種を1つだけでなく複数併記を認めるようになった、とのこと。
ボーダーレス社会の進行とともに混血が増え、伝統的に血統主義の日本でも<日系人>の定義づけが徐々に緩くなって「日本人の先祖がいる者」といったようになってきている、とのこと。
欧米では、すでに血統如何ではなく「自分が○○人だと思う者」というレベルになってきているとか・・・。
およそ「○○人」という概念は、次のような異なる内容をもっています。(これは展示ではなくヌルボの分類。)
①「人種」として、「○○人」の血をひいている人 =[生物学的な要件]
②「○○」という国家の国籍を持っている人 =[法的な要件]
③言語、宗教等の共通の文化をもつ「○○人」のコミュニティに属している等、「○○人」らしい生活を営んでいる人 =[文化的な要件]
④自身が「○○人」 =[個々人のアイデンティティ]
日本人の場合、その多くは①~④を併せ持っていて、そのことが「あまりにも当然」なので①~④の違いに「無自覚」です。それ自体は悪くはないにしても、同じ目で他国や他民族の人を見てしまうと思わぬ落とし穴にはまりそうですね。
・・・ということで、たとえば在日韓国・朝鮮人の人たちをみると、実にさまざま。日本人と結婚していない「純粋の」韓国人でも日本国籍を取得した人も大勢いるし、あるいは韓国人&日本人のハーフでも韓国人としての韓国名を使い続ける等強い民族意識を持っている人もいれば、「血統」を隠して100%「日本人らしく」暮らしている人もいるし・・・。(ex.徐京植先生のような人もいれば鄭大均先生のような人もいる。)
つまりは、「在日」ということで一括りにしたような言説は、書くにしても読むにしても注意してかからなければならないな、・・・と例によって毒にも薬にもならないような感想で終わってしまいますが。
この資料館、今回は時間的制約もあってじっくりというほどは見て回らず、また入らなかった図書資料室にもいろいろ興味深い資料がありそうなので、また近いうちに行ってこようと思います。
なお、ここの建物の3Fのポートテラスカフェというオーシャンビューの店は「国際色豊かなメニュー」を「リーズナブルなお値段」で提供、というウワサは以前から聞いていました。入ってみると、4種類のランチが各650円。
ヌルボはタンザニアのムチュジ・ワ・クク(チキンとトマトの煮込み)というのをいただきましたが、これは正解だったですね。自宅から近いし、たしかに「リーズナブル」だし、ここもまた行こうっと・・・。(→参考。)
私ヌルボ、ふつうはさける土日のみなとみらいに行ったのは、昔の学生時代の恩師から知り合いがいらっしゃるというJICA横浜海外移住資料館見学のお誘いを受けたから。
いやー、恥ずかしながら私ヌルボ、2002年10月に開館したというこの資料館は初めて、・・・というか、存在を知りませなんだ。(恥) JICAの建物は1度入って、2Fにあるこの資料館の入口あたりまではその今年5月の日曜に行ったんですけどね・・・。
さて、この海外移住資料館の展示内容なのですが、くわしくは公式サイト(→コチラ)で・・・。
日本人の海外移住の歴史、移住先での生活、日系人の文化活動等々について、めずらしい物や貴重な資料が数多く展示されています。意外なほどの充実した内容でそれも入館料タダ。
順路の最初。移住の歴史の説明が、最初の人類がアフリカから全世界に拡がって・・・というところから始まっていたので、そんなスケールのでかい物語がどういうふうに現代まで展開されるのか?ととまどいましたが、すぐ幕末以降の日本人限定の展示になったのでホッとしました。(笑)
また、ここでの移住先の「海外」とは、ほとんどハワイと南北アメリカです。
まずハワイ(布哇)には、1885年日布移民条約が結ばれ、移民が公式に許可されるようになった、とか。(まだアメリカの支配下に入る以前です。)
そしてブラジル(伯剌西爾)の場合は1888年に奴隷制度廃止を行った関係で農業労働者が不足し、各国から移民を受け入れることとなり、日本との間では1895年日伯修好通商航海条約が結ばれ、1908年最初の移民団が渡航。アメリカで黄禍論が高まった1920年代後半からは最大の日本移民受入国に・・・。
北米関係は、んーと、省略。あー、日本人はどこに行っても短歌とか俳句作るんだなー、と・・・。
・・・等々、ヌルボが疎かった日本人移住史の基本事項がいろいろわかりました。
で、韓国・朝鮮オタクとして残念だったのは朝鮮半島への移住についての展示物が皆無であること。
とはいえ、説明文中の「20世紀初めの海外移住熱の高まり」とある箇所にはアタマの中で電燈が点いた感じ。
生活者レベルでいえば、日本でこのまま生活を続けるよりも、「何らかの希望を求めて」ハワイやアメリカや南米に移住したり、あるいは台湾や朝鮮に渡ることを選んだわけで・・・。
つまり、台湾や韓国の植民地化と、南北アメリカ等への移民と国際政治的位相は違っても、民衆レベルではどうだったか? 植民地への渡航と、諸外国への移住と、両方視野に入れつつ考える必要があるかも・・・という感想を持ちました。
また、現在開催中の特別展示「日系人と混血-Hapaとメスチッソ-」もとても興味深いものでした。
Hapaとは、ハワイ語で「ハーフ」のこと。(特に片方の親がアジア系の人。) またメスチッソ-(メスティーソ)とは、白人とラテンアメリカの先住民(インディオ)の混血である人々のことです。
展示室に日系人の写真20枚が展示されているのですが、日系人といってもその「血統」が実に多様な人ばかり。5つ以上の「人種」の血を引いている人たちがたくさん。
(※以下うろおぼえで内容不正確)近年アメリカでは国籍申請時に人種を1つだけでなく複数併記を認めるようになった、とのこと。
ボーダーレス社会の進行とともに混血が増え、伝統的に血統主義の日本でも<日系人>の定義づけが徐々に緩くなって「日本人の先祖がいる者」といったようになってきている、とのこと。
欧米では、すでに血統如何ではなく「自分が○○人だと思う者」というレベルになってきているとか・・・。
およそ「○○人」という概念は、次のような異なる内容をもっています。(これは展示ではなくヌルボの分類。)
①「人種」として、「○○人」の血をひいている人 =[生物学的な要件]
②「○○」という国家の国籍を持っている人 =[法的な要件]
③言語、宗教等の共通の文化をもつ「○○人」のコミュニティに属している等、「○○人」らしい生活を営んでいる人 =[文化的な要件]
④自身が「○○人」 =[個々人のアイデンティティ]
日本人の場合、その多くは①~④を併せ持っていて、そのことが「あまりにも当然」なので①~④の違いに「無自覚」です。それ自体は悪くはないにしても、同じ目で他国や他民族の人を見てしまうと思わぬ落とし穴にはまりそうですね。
・・・ということで、たとえば在日韓国・朝鮮人の人たちをみると、実にさまざま。日本人と結婚していない「純粋の」韓国人でも日本国籍を取得した人も大勢いるし、あるいは韓国人&日本人のハーフでも韓国人としての韓国名を使い続ける等強い民族意識を持っている人もいれば、「血統」を隠して100%「日本人らしく」暮らしている人もいるし・・・。(ex.徐京植先生のような人もいれば鄭大均先生のような人もいる。)
つまりは、「在日」ということで一括りにしたような言説は、書くにしても読むにしても注意してかからなければならないな、・・・と例によって毒にも薬にもならないような感想で終わってしまいますが。
この資料館、今回は時間的制約もあってじっくりというほどは見て回らず、また入らなかった図書資料室にもいろいろ興味深い資料がありそうなので、また近いうちに行ってこようと思います。
なお、ここの建物の3Fのポートテラスカフェというオーシャンビューの店は「国際色豊かなメニュー」を「リーズナブルなお値段」で提供、というウワサは以前から聞いていました。入ってみると、4種類のランチが各650円。
ヌルボはタンザニアのムチュジ・ワ・クク(チキンとトマトの煮込み)というのをいただきましたが、これは正解だったですね。自宅から近いし、たしかに「リーズナブル」だし、ここもまた行こうっと・・・。(→参考。)
とくに米については、1993年米騒動の時のタイ米の経験がトラウマのように残っている・・・ということもあるのかどうか?