好きなことにぞっこん

花に癒され、永井龍雲の歌声に癒されています

戦後70年

2015-04-08 22:28:48 | 日記

 私の生まれる10年ちょっと前に戦況は最悪を迎え、降参しました。私の子供が生まれた10年ちょっと前は、それはそれは平和な日本でした。

 私の親世代前後の人たちは、どれほど過酷な体験を強いられてきたことか。

 戦争の時代は、何もかも価値観が狂っていたのでしょう。何が正義か不義か。時の為政者、一部の血気盛んなナショナリズムの者、あるいは一部知識人に、一般の人々は否が応でも、これらの人々の奔流に巻き込まれ、もろともに流されて来て、昭和20年8月15日を迎えました。

 終戦(敗戦)宣言を出されて初めて戦争を問う事が出来るようになった。価値が一変したと言う。

 今日、パラオに天皇陛下が訪問しています。パラオで戦死した日本人の慰霊のため、パラオの人々への贖罪のためでしょうか。パラオの方々は概ね親日のようです。戦争以前の時代からの統治政策の評価からでしょうか。

 

 あまりに、日本人は戦争に懲りてしまい、私が教育を受けた頃は、戦争には極力触れないような扱いだったように思います。それは今もあまり変わらないようです。

 それはダメでしょ。事実を教えなきゃ。全国民が塗炭の苦しみを味わった暗黒の時代があった事を、それを今も引きずらなければならない人もいることも、真実を教えなければ。また、今の日本の平和はその方達の犠牲の上に成立したものであるも教えなけれはならないのに。

 反戦運動をしている友人がいます。私はささやかな協力のみですが、彼女の運動への情熱と言うより執念は、体験したのもが知る苦しみゆえの事なんです。

 

 そこで一つ、どうも合点がいかない事があります。何故、旧ソ連は無条件降伏した日本人をシベリアに抑留し、強制労働させ、虫けら同然の扱いをし、命を奪えたのか。何の権利があってそのようなことができたのか。

 戦争責任を未だに問われる日本ですが、旧ソ連を引き継ぐ現在のロシアも、戦後補償は何もしていないのではのではないですか。

 振り返れば戦争は理不尽なことだらけで、誰も納得できる理由は説明できないでしょうし、また無いでしょう。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする