先日、笛の仲間が初めて私を車に拾って乗せてもらったときの事です。
それを今言う?打ち上げのときの会話です。
その前日、ガラケーの携帯で時間をかけて、我が家へ来る順路を分かりやすいよう文字にしてメールを送信していました。近隣は一方通行や車1台がやっと通れる位のところもあり、車が横付けにならないからです。
なのにドライバーの友はスマホのナビを頼りに、せせこましい道の奥の我が家のぎりぎりまで来て、私はそのときはすでに、送信した指定の場所に出向いていたのです。
当然、落ち合うことが出来ません。どちらも何度も携帯を鳴らし、やっと乗車出来た時の話です。
またまた、”あなたが動くからだ。家で居て。家まで行くからと言ったのに"、と言う。私が送った順路の文面はまったく読んでいないと言う。住所の番地を頼りにナビで来たからです。
事前の事情を知らない第三者の1人は、”在宅すべきだった”と言う。
”どうして?私が先にこっちに来てとメールしてるのに” ”後から家に居て、と言ったのに”
近隣を知る者がこちらの道のほうが良い、と言ってるのに意に介せずナビを頼ると言うこの不便。
” それならそれでもいいけど、私のはじめにメールを打った時間を返せ”とまでは言いませんでした。
”その事情は知らなかったわ”と第三者。
確かにナビがあれば最終的な保険として頼りになるものです。ナビが有る、携帯がある今の暮らしはそれがなければ、成立しなかったかもしれなかった事も数多いと思います。
これらを信頼するのは悪くはないですが、心構えをなしにぶっつけ本番で現地に向かう事の、小さなハプニングの種になっていることも、案外、あるかもしれませんね。
もう一つ、自分の車で行くのが一番良い、ということがよーく分かりました。
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