今回は、「染付 山水文 角鉢」の紹介です。
見込み面
側面
底面
生 産 地 : 肥前・有田
製作年代: 江戸時代中期~後期
サ イ ズ : 口径;25.2~25.9cm 高さ;6.2~7.3cm 底径;14.9cm
(歪みがあるため)
この「染付 山水文 角鉢」につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介しているところです。
そこで、次に、その時の紹介文を再度紹介することで、この「染付 山水文 角鉢」の紹介とさせていただきます。
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<古伊万里への誘い>
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*古伊万里ギャラリー154 古伊万里様式染付山水文角鉢 (平成22年12月1日登載)
結構な大きさで、存在感がある。
個人用の食器として使用するには大き過ぎるので、茶道具の菓子鉢として使われたのではないかと思っている。
見込みの真ん中は山水文であるが、その周辺の4辺にはそれぞれ花らしき文様が陽刻され、四隅には七宝文が描かれており、口縁には口紅が施されていて、ちょうど山水画を額装したような感じである。
四隅の七宝文や周辺の花文様のような陽刻が、ちょっぴり華やかさを演出している。
かなり分厚く作られており、重量感もある。このことは、古くから茶人に人気の高かった「古染付」を意識した茶道具として作られたからであろうか。
なお、「古染付」については、かつては、明末・清初に景徳鎮民窯で作られた染付磁器の大部分を指し示していたように考えられていたと思う。
しかし、最近では、むしろ、景徳鎮民窯の異端であって、日本以外には輸出された形跡もなく、現在の中国にも伝世していないような特殊なものや日本の茶人から景徳鎮民窯に発注された厚手の茶道具等の、明末・清初に景徳鎮民窯で作られた染付磁器のうちのほんの一部の特別な物のみを「古染付」と言うようである。
江戸時代中期~後期 口径:25.2~25.9cm 高さ:6.2~7.3cm 高台径:14.9cm
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*古伊万里バカ日誌86 古伊万里との対話(山水文の角鉢)(平成22年12月1日登載)(平成22年11月筆)
登場人物
主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
染太郎 (古伊万里様式染付山水文角鉢)
・・・・・プロローグ・・・・・
主人は、前回、押入れの中で、「染付盆栽文中皿」を新発見(?)したようであるが、その際、その隣にも、存在そのものをすっかり忘れてしまっていた古伊万里があることに気付いていた。
それで、今回は、さっそくそれを引っ張り出してきて対話をはじめた。
主人: 前回対話をした「凡才」もお前のことも、共に平成10年に購入しているんだが、どうも記憶にないんだよね。買ってきてすぐ押入れに入れてしまって、それっきりにしてしまっているからだろうね。
染太郎: どうしてそんなに印象が薄いんでしょうか。
主人: そうね。その頃は、東京とか遠方まで古伊万里を求めて動きまわらなくなったからかね。結局、良い古伊万里に巡り会う機会が少なくなったわけだ。骨董は足で稼げ、と言われているとおり、フットワークが悪くなれば、それだけ、良い古伊万里に巡り会う機会も減るわけだよ。だが、どうも、骨董病患者というものは、ある期間、骨董を買わないでいると禁断症状が出てくるんだ。古伊万里だって骨董だから同じことだ。暫く古伊万里を買わないでいるとムショウニ古伊万里を買いたくなるんだな。それで、禁断症状が出てきた頃、身近な所で、まぁまぁ満足できそうな古伊万里に遭遇すると、ついつい、買ってしまうんだ。しかし、どうしても買いたいというような衝動に駆られて買ったわけでもないので、買ったことで禁断症状も治まり、その古伊万里への興味も失せ、すぐに押入れに入れてしまってそれっきりにしているからなのだろう。
私の場合、気に入った古伊万里を買ってきた場合は、暫く手元に置いて眺め、そろそろ飽きがきた頃になって押入れに入れることが多いんだが、お前達の場合、その「暫く手元に置いて眺め」るという過程がないもんだから印象が薄いんだろうね。
染太郎: そうしますと、私達は、さしずめ、骨董病の禁断症状を鎮める“お薬”みたいなものですね(~_~;)
主人: まぁ、そんなところかな。古伊万里にはそんな効能もあるんだね。
染太郎: ご主人が気に入って買ったわけでもなく、いわば、禁断症状を鎮めるための急場しのぎに買われたわけですから、私達は、たいした物ではないんでしょうね。名品ではないんでしょうね。
主人: それはそうだ。そもそも、私には名品など買える資力がないから、我が家には名品などないな。そうかといって、お前が全く見るに堪えないというような代物でもないと思う。仮にも、「まぁまぁ満足できそうな古伊万里」だったわけだから、それなりの見所なりは備えていると思うよ。
染太郎: どんな所でしょうか?
主人: まずは大きさだ。結構な大きさだものな。我が家には小品が多いんだが、その中にあって、お前は珍しく大きい。それだけでも「まぁまぁ満足できそうな古伊万里」と言えるだろう。それに、手慣れた筆致で山水文が見込み中央いっぱいに描かれていて、いかにも、これぞ“染付古伊万里”といったところだ。典型的な染付の古伊万里だね。
ただ、典型的な染付の古伊万里だけに特徴がないんだよね。それで、「まぁまぁの古伊万里を手に入れた。」という安心感というか、満足感というか、ただそれだけで終わってしまったわけさ。
ところで、お前の名前の話しなんだが、英語では「男の子と女の子」の典型的な名前を「ジャック アンド ベテイ」と言うのに対して、日本では「太郎と花子」と言うよね。日本で典型的でありふれた男の子の名前は「太郎」だよね。それで、お前が典型的でありふれた“染付古伊万里”なものだから「染太郎」にしたんだが、どんなものかね?
染太郎: う~ん、ありがたいような、ありがたくないような変な気持ちですね。もう少し優雅というか風雅というか、典型的な古伊万里にふさわしいような名前にしてほしかったような気がします・・・・・。
主人: 当初は、山水文が描かれているので、山水文に関連して「仙人」とでもしようと思ったんだが、それほど枯れた“枯山水”というほどの感じでもないので、それはやめたんだ・・・・・。むしろ、山水文の静けさの中にも、何か、ちょっと華やいだような、みずみずしいようなものも感じさせるので、今、言ったように、日本人の典型的な男の子の名前の「太郎」に関連付けたわけなんだけどね・・・・・。枯れた中にもちょっぴり華やかさも込めたつもりなんだけどな~。
染太郎: そうですか。名前の件はわかりました。少しは配慮してくれたんですね。
ところで、私は何のために作られたのでしょうか?
主人: 用途か。そうね、私は、ズバリ、お茶道具の菓子鉢として作られたのではないかと思っているんだ。
染太郎: 何か根拠があるんですか。
主人: お前は結構な大きさなんだが、それでも、江戸前期から中期の初めの元禄の頃まで行われていた将軍御成りの際に使われたような大皿・大鉢ほどの大きさではない。また、時代的にも、お前は江戸前期から中期の初めには属さない。
その後、伊万里では、内需向けの大皿・大鉢は作られなくなってしまったが、江戸末期になって突如として登場してくる。それは、経済力をつけてきた大衆庶民層の求めに応じて登場してきたもので、彼等の慶弔の行事の際にステータスシンボルとして使用されたのであろう。その点、お前は、それほどの大きさはなく、また、時代的にはもっと古く、江戸中期~後期には属すると思っている。
要するに、大きさからいっても特に大きいというような特徴もなく、時代的にも江戸末期には属さずまぁまぁの時代のもので、それほど珍しいものではない。かと言って、その時代の磁器はやはり貴重なものだったろうから、富裕層が使用したにちがいないと思っている。しかし、結構な大きさであり、個人用の食器として使用するには大き過ぎるので、富裕層が人を招いて茶室で茶を喫する際の菓子鉢として使われたものではないかと思っているわけだ。
ちょっと脱線するが(もう既に脱線しっぱなしではないかとの陰の声あり!)、その頃のお茶は、桃山や江戸初期の頃とはちがって、純粋に「侘び・寂び」に徹するわけではなく、「きれい寂び」というような概念も十分に消化し、また、かなり形骸化もしてきていると思うんだ。
それで、お前には山水文が描かれているんだが、「山水文の静けさの中にも、何か、ちょっと華やいだような、みずみずしいようなものも感じさせる」んじゃないかと思うんだよね。それで、お前の名前には、「枯れた中にもちょっぴり華やかさも込めたつもり」で、当時のお茶の境地をも込めたつもりでもいるんだけどね~。
染太郎: おやっ、随分と名前の件についてはこだわりますね~。わかりました。私の名前については十分に配慮してくれたことがわかりました。
ところで、今のお茶についての考え方は、ご主人の独断と偏見によるものですか?
主人: そういうことになるかね~。お茶などしていない者にお茶を語る資格などないんだが、それはお前との四方山話の中で出てきたここだけの話として聞き流してくれ。
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最中に手を出すと、どうだの品には、まず手が届きません。ま、こんなのも持っていたらいいか、と自分を納得させてきました。そんな訳で、私のガラクタ山を眺めると、いつも禁断症状だったことに今さらながらため息が出ます(^^;
その点、染太郎さんは「枯れた中にもちょっぴり華やかさも込めた」いい男なので、うらやましいです(^.^)
その中から、いくらかでもめぼしいものが見つかれば良いとするしかありませんよね(^_^)
でも、最近は、だんだんと、禁断症状も出てこなくなりました(~_~;)
禁断症状が出てきても、それに応えるだけのお金が枯渇してきていることを知るようになったのか、発作が起きないでしぼんでしまうからです(笑)。
良い傾向です(^-^*)