今回は、「伊万里 染錦花文盃洗」の紹介です。
これも、昭和55年に(今から40年前に)買ってきたものですが、コレクションノートを見ますと、昭和55年の暮れに買ってきたようですので、これは、昭和55年の買い納めだったようです。
この盃洗につきましては、既に、今では止めてしまった拙ホームページの「古伊万里への誘い」で紹介していますので、それを次に紹介し、この盃洗の紹介に替えさせていただきます。
なお、盃洗ですが、私がこの盃洗を買った昭和55年頃には結構な数が市場に出回っていて人気があり、このような色絵のものは、結構、高かったんです。また、この盃洗を「古伊万里への誘い」で紹介したのは平成17年の12月1日のことですが、その頃にもまだ人気があり、骨董市などでの定番アイテムでした。でも、その後、だんだんと人気がなくなり、今では、骨董市などではほとんど見かけなくなってしまいました。骨董品にも、流行り廃れがあるようですね。
正面(仮定)
正面から右に45度回転させた面
正面から右に90度回転させた面
見込み面
側面
底面
製作年代: 江戸時代後期
サ イ ズ: 口径;13.8cm 高さ;12.1cm 底径;10.0cm
<古伊万里への誘い>
*古伊万里バカ日誌32 古伊万里との対話(花文の盃洗)・・平成17年11月筆
登場人物
主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
花 子 (古伊万里様式色絵花文盃洗)
正面 | 見込み面 |
・・・・・プロローグ・・・・・
主人は、ここのところ、なつかしの古伊万里との対話をするのが楽しみになったようである。
今回も、主人がかなり前に買ってきて押入に入れっぱなしにしていた器物を引っ張り出してきた。
主人: なつかしいな~。
「押入帳」で調べてみたら、お前を買ってきたのは昭和55年になっていたよ。その後ほとんど見ていないから25年ぶりというところかな。
花子: そうですね。本当にお久しぶりです。でも、またお目にかかれて嬉しいです。
主人: トント御無沙汰してしまった。言い訳がましいが、お前が盃洗ということもあるんだよね。今では、日常ではほとんど盃洗なんていうものは見かけないから、思い出さないんだよ。
昔は、料亭なんかに行くと、よく盃洗が置かれていたもんだが、今ではトント見かけないね。もっとも、最近では、私がそんな所に行かなくなったせいもあるけどね。
ところで、盃洗といっても、私の経験からすると、自分で盃を洗うということはしなかったね。盃洗には水が張ってあるわけだが、そこで芸者さんや仲居さんが盃を洗ってくれたり、あるいは、水を張った盃洗の中には盃がいくつか並べて沈められているんだけれど、その中の一つを芸者さんや仲居さんが出してくれていたように思うね。もっとも、これは、私の住んでいる田舎でのやり方なのかもしれないがね。
ということで、お前の役目というのは、私にはだいたい想像がつくんだが、今の若い人には全く判らないだろうね。「盃洗」ということは物の本には書いてあるから、「盃を洗うものなんだろうな~。」ということは判っても、現実にはどのようにして使用したものなのかまではね、、、、、。
花子: 生活の習慣が変わってきてしまいましたですものね。それにつれて、私のような者が見捨てられていってしまうのが悲しいです。
主人: 生活の習慣が変わってくるのは仕方のないことだよ。もっとも、ここのところの生活習慣の変動は激しいね。急激に変化してきているね。私も、お陰様で「生活習慣病」なんていうありがたくもないものまでもらってしまったよ。(「それとこれとは関係ないんじゃないの。脱線だ~」との陰の声あり。)
花子: 私のようなものは全く見捨てられてしまったのでしょうか。
主人: 今でも結構市場には出回っているんだから、そうでもないんだろう。でも、なんとなくパッとしないね。あんまり人気はないように思うね。いかにも特殊な実用の形をしているので、鑑賞用には向かないからだろうかね? それに結構なお値段なので、気軽に実用に使用するにも不向きだからだろうかね?
それに、今、出回っているものは染付が多いし、花子のように見事な色絵のものは少なくなっていて(「ブタもおだてりゃ木に登る。」と主人が独白)、市場に出てきたとなると相当な値段で登場することになるからなのだろうかね? 「こんなへんてこな形のものに、それだけのお金を出すのなら、もっと気のきいた、オーソドックスな立派な古伊万里のお皿が買えるよ!」と思えるからだろうかね?
だいたい、「盃洗」なんてものは、各家庭に1個もあれば充分だろう。お皿は、各家庭に、大小取り混ぜて沢山あってもね。お皿なんかに比べれば、もともと数が少なかったので、需要と供給の関係から、市場に出てくると高くなってしまうんだろう。
花子: そうしますと、これからも、細々とではありますが、愛好されていくのでしょうか?
主人: そうだろうね。
「蕎麦猪口」や「油壺」なんかは、一時期、爆発的な人気を博したことがあったんだが、「盃洗」にはそんなことがなかったな。そして、これからもないと思うよ。
だいたい、或るコレクションがメジャーとなるには、そのコレクションの対象物が豊富に存在しなければ成り立たないからね。古伊万里のコレクターが多いのも、それだけ、メジャーな古伊万里が沢山存在するということだろう。お前みたいなメジャーな「盃洗」が少なくては、爆発的な人気を博しようがないからね。
花子: それでは、これから、私のようなものを愛好される方はどのようなお方なのでしょうか?
主人: そうだね。古伊万里の代表的な器形のものはひと通りは持ってみたいと思うような方かな。例えば、「髭皿の1枚は持ってみたい。」とか、「角徳利の一つぐらいは是非所持したい。」と思うような熱心な古伊万里コレクターかもしれないね。それと、「どうしても盃洗が好き。」という方だろうね。もっとも、このような方は極めて少ないだろうけどね。
*古伊万里ギャラリー93 古伊万里様式色絵花文盃洗・・平成17年12月1日登載
正面 | 側面 | 見込み面 |
この器形を「盃洗」という。文字どおり、盃を洗うのに使用するものであるが、今の若い方には判らないのではないだろうか。最近では、アルコールの種類も、ビールあり、ウイスキーあり、ワインあり、ブランデーあり、焼酎あり、、、とさまざまである。料亭でも日本酒を飲む人は少なくなってきたので、ますます判らなくなってきたのではないかと思われる。
我が国では、古来より、神聖な酒を一つの盃で飲み合うことによって心と心とが結ばれると信じられてきたようである。夫婦固めの盃なんかは、その典型であろう。
かつての酒宴では、大盃での回し呑みが行われてきたらしいが、次第に盃が小さくなるに従って盃の献酬の仕方も変わってきたらしい。それでも、一つの盃で酒を酌み交わすことによって心を通わすという考えは貫かれてきたようで、「献盃」とか「お流れ頂戴」と称して盃がやりとりされてきた。その際に、取り交わす盃を洗う器が「盃洗」なわけである。
この盃洗は、周囲を宝文や花文で取り囲み、見込みには松竹梅に蝶まで描いてあって華やかで賑やかだ。恐らく、おめでたい酒宴の席で使用されたのだろう。また、盃洗の中ではなかなかの出来なので、料亭などで使用されたものであろう。
以前は、料亭などに行きますと見かけましたが、、、。
日本人でも、若い人には、見たこともない器になりますね。
博物館行きのものですね(^_^;
外人さんのほうが関心を寄せるかもしれませんね。
これからは、どんな用途に活用されるんでしょうかね、、、。
でも、見込みがこれだけ華やかな盃洗も珍しいです。外人なら、工夫していろんな用途に活用しそうです。