今回は、「伊万里 染付 松原文中皿」の紹介です。
この中皿も昭和55年に(今から40年前に)手に入れています。
伊万里 染付 松原文中皿
表面
側面
かなりの歪みが見られます。歪みは古い伊万里の勲章でしょうか(笑)
私は、歪みがあると、「あぁ、これは古いんだな~」と納得し、安心します(笑)
今では、このようなものは、失敗品として廃棄されるのでしょうね。
底面(1)
底面(2)
高台内の銘:二重角福
ところで、この中皿については、以前に、いまでは止めてしまった拙ホームページの「古伊万里への誘い」に於いても紹介していますが、その中で、この中皿の名称を、「古伊万里様式染付松原文中皿」としてみたり、或いは「古九谷様式染付松原文中皿」としてみたりで、一定していませんでした。
それでは、なぜそのようなことになったかですが、当時は、上手のもので生掛けならば古九谷、素焼きしていれば柿右衛門・古伊万里ということになっていたわけです。
ところが、この中皿の場合、生掛けなのか、素焼きしているのか判然としませんので、一応、素焼きしているのだろうということで、従来は、「古伊万里様式染付松原文中皿」という名称を使っていたわけですね。ただ、現実問題として、その器が、生掛けなのか、素焼きしているのかを見分けるのは、難しいものがありますね(><)
でも、そうこうしているうちに、平成10年に「[伊万里]誕生と展開」(小木一良・村上伸之著 創樹社出版)という本が刊行され、そこに衝撃的な記述を発見することになります。そこには、「古九谷様式を焼いたと思われる楠木谷窯では、少なくとも中・小皿については、ほぼ間違いなく素焼きしている点も見逃せない。」旨の記述があったんです(同書217~218頁)。
つまり、これまで、古九谷様式と柿右衛門・古伊万里様式との分水嶺は、素焼きしているか否かにあったわけですが、これからは、少なくとも中・小皿についての古九谷様式と柿右衛門・古伊万里様式との判別には、素焼きの有無は無関係になったということなんですね。
そうであれば、この中皿についても、素焼きの有無に関係なく、純粋に様式そのものから判別し直す必要があるだろうということで、素焼きの有無に関係ないのなら、この中皿は、様式的には古九谷様式とみるべきですから、同書を読んで以来は、古九谷様式に再分類したわけです。そのことは、特に、裏面の二方に描かれたつる草などにその特徴を見出すことが出来ると思います。
以上のことから分かりますように、様式区分というものには、なかなか釈然としないものがありますね(__;)
それで、今では、柿右衛門も古九谷も、全て伊万里になったわけですから、様式区分は必要悪ではないかと思うようになり、私は、最近では、基本的には、様式区分をしないことにしたわけです。ですので、現在は、この中皿の名称を、「伊万里 染付 松原文中皿」としています。
製作年代: 江戸時代前期
サ イ ズ : 口径;20.2~20.5cm(歪みがあるため) 高台径;12.2cm
惜しい、惜しいです。
これでは時代がタイトルからうかがえません。
典型的な「アイクタ」がもったいないです。
やはり、分類項目に、「伊万里藍古九谷様式」を追加していただくよう、小木センセーにお願いせねば。
昔の名前にこだわる遅生でした(^.^)
でも、私も、カラオケで、たまに、「昔の名前で出ています」を歌いますが、最近ではあまりうけないようです(__;)
もう、「伊万里」も、骨董の分野から学問の分野に行ってしまったのかもしれません。
いつまでも骨董の世界に縛り付けないで学問の世界に解き放ち、自由に世界を羽ばたかせてやるのが親心なのかもしれません(^_^;
伊万里を、骨董として愛してきた身としては、ちょっぴり寂しい気もしますが、伊万里を飛躍させるためには耐えなければならないのかな~などと考えるようになってきた今日このごろです(^_^;
子供に期待を寄せる、老親の心境になってきたのかもしれません(笑)。