最新の「陶説」(公益社団法人・日本陶磁協会発行 2022年10月号)を読んでいましたら、現在九州国立博物館で開催(2022年9月27日~11月20日)されている展覧会「特集展示 御所の器ー公家山科家伝来の古伊万里」についての解説記事を発見しました。
その解説記事は、九州国立博物館の研究員の酒井田千明さんという方が書いておられます。
禁裏御用品の古伊万里に関する資料は少なく、大変に貴重な資料と思われますので、次に、その解説記事の一部を紹介したいと思います。
「 江戸時代の宮中では、食事の際にどのような器が用いられていたのか。そんな秘められた宮中の世界を、少しだけ垣間見ることのできる特集展示「御所の器ー公家山科家伝来の古伊万里」を九州国立博物館で開催している。本展でいう「御所の器」とは、学術上、禁裏御用品と呼ばれている磁器のことである。江戸時代に、肥前(現佐賀県)・有田で、主に辻家により生産されたものである。染付磁器の皿がよく知られており、見込みの中央を円形の白抜きとし、その周囲に、十六花弁の菊御紋と有職文様、そして、1~2点の伝統的文様をあらわし、裏には、梅花唐草文を描いたものである。主に食膳具であるため、皿・碗が多く伝世するが、煙草盆、香炉、文房具、植木鉢などの生活の調度品も作られた。公家山科家には、200点近くの様々な種類の禁裏御用品が伝来しており、本展はその全貌を初公開するものである。しかし、御所の器がなぜ山科家に大規模な点数で遺っているのだろうか?
『禁裏御膳式目』という文化5年(1808、写本)の、祝儀の際に天皇へ供膳された食事の記録がある。天皇の食膳具について、「右者弐重ぐりの御三宝、御茶碗ハいまり焼也」とあり、さらに「尤御茶碗一カ月限り 毎月遡日替申候」と記されている。つまり、天皇の食事には三宝に載せた伊万里焼の茶碗が使われ、毎月遡日(1日)に新調されていたことを伝える。幕末期の天皇の日常生活の一端が記された、『幕末の宮廷』(一條家の侍であった下林敬長による口述記録。大正11年刊行)には、これらの磁器が御所に仕える人々の手に渡っていたことが記されている。また、解説者の羽倉敬尚の注釈として、「お茶碗、御飯、お汁の器などは全部白地の陶器で、十六枚の菊の文様が青色の呉須であしらってあり・・・」と記されている。江戸時代には、御所周辺に公家屋敷が建ち並んでいたが、その公家町遺跡の発掘調査では、大量の禁裏御用品が出土しており、下賜品の規模は相当なものであったことが推察される。
禁裏御用品の伝世品は、美術館・博物館に所蔵されるものはあるが、点数は多くはない。個人では、池修氏のコレクションが出版物で紹介されている(池修『御所の器』光村雅古書院 2012)。公家の伝来品では、冷泉家の所蔵品が纏まって展覧会に出陳されたことがあるが(『冷泉家展ー近世公家の生活と伝統文化ー』冷泉家時雨亭文庫・朝日新聞 1999)、他家の伝来品については個人所蔵ということもあり情報が少ない。本展で紹介する山科家の資料は、冷泉家の伝来品以来の纏まったコレクションの公開といえよう。
山科家に伝来する禁裏御用品は、18世紀中葉から幕末まであり、さらに近現代に作られた同様のスタイルの製品も含まれる。その最大の特徴は、10枚、20枚といった組物がいくつも伝わっている点であり、これらの中には、同じ意匠で寸法の異なる皿や碗がセットになっているものがある。禁裏御用品でも、美術館等の所蔵品や、市場に流通するものの多くは1枚(口)単位であるため、組物の伝世品は非常に貴重な例である。山科家は代々、宮中において、金銀の管理や天皇家の装束などの調達を行う内蔵頭を世襲し、さらに天皇の食膳や宮中行事の酒肴の調進を行う、御厨子所別当も兼務した。おそらくこれらの職務に就いていたことから、御所の器を下賜される機会が多かった可能性が考えられる。数十枚単位で遺る器からは、宮中行事に用いられていた往時の様子が偲ばれる。本展に出陳する『旧儀式図画帖』(東京国立博物館蔵)という、宮中の儀式行事の記録絵図には、実際に染付磁器のようにみえる器が用いられている様子が描かれている。
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染付菊御紋竹節文皿
有田 江戸時代(18世紀後半~19世紀前半) 高2.9cm 口径14.2cm 高台径8.8cm 山科有職研究所蔵
18枚揃いの、菊御紋に竹節文を組み合わせた皿。このように20枚近い枚数が揃って伝来した禁裏御用品は珍しい。公家町遺跡から同じ意匠の碗・皿が出土している。天明の大火(1788)以降の製品と考えられる。
染付菊御紋菊花繋文皿・碗
有田 江戸時代 18世紀後半~19世紀前半
中皿:高3.1cm 口径13.3cm 高台径8.2cm 小皿:高3.0cm 口径12.4cm 高台径7.2cm
中碗:高5.6cm 口径10.8cm 高台径4.8cm 小碗:高5.3cm 口径10.0cm 高台径4.5cm
山科有職研究所蔵
菊御紋と菊花繋文を組み合わせた意匠の、中皿3枚、小皿5枚、中碗6口、小碗3口が揃う。禁裏御用品が、同様の意匠で様々な器種や寸法の異なる製品として作られたことを伝える貴重な作品。
染付光格天皇菊御紋散皿
有田 江戸時代 19世紀前半 高3.8cm 口径21.7cm 高台径14.0cm 山科有職研究所蔵
光格天皇(在位:1780~1817)の菊御紋をあしらった優美な皿。現在の皇族が用いられる「お印」の風習は、後桜町上皇(1740~1813)が仙洞(せんとう)菊紋を使用された頃から始まったともいわれる。 」
「陶説」の中の解説記事の一部の紹介は以上のとおりですが、ついでに、ここで、現在九州国立博物館で実施されている「特集展示 御所の器ー公家山科家伝来の古伊万里」のポスター写真を、九州国立博物館のホームページから転載し、紹介したいと思います。
ところで、このポスターの写真を見ていて気付いたのですが、私が、以前、このブログで紹介しました「染付 家紋文 小皿」(2021年3月8日紹介)の文様が、上のポスターの写真の右上の小皿の文様と非常によく似ていることです。
「染付 家紋文 小皿」を紹介しました2021年3月8日の時点では、この小皿が禁裏御用品とは知らず、単に「染付 家紋文 小皿」として紹介したわけですが、この上のポスター写真に接し、この「染付 家紋文 小皿」は禁裏御用品であったということを確信した次第です。
さすがに上品な小皿の数々、こうしてポスターで見せて頂いただけでも有難いです。
この中の一つと、同じ小皿という嬉しい発見があって良かったですね(^_-)-☆
研究が進み、これまでに持っていた物が良いほうに位置付けられると嬉しいですね。
コレクター冥利につきますね(^_^)
遅生さんは、このポスターの上段の左から2番目のものとそっくりなものを所蔵されています。
その他、禁裏御用品と思われる小皿を数点所蔵されています。
禁裏御用品と分かってしまってからでは、なかなか入手出来なくなりますものね。
自分の目を信じてコレクションされた者の勝利ですね(^-^*)
これを、先見の明と言うのでしょうね(^-^*)
これまで、あちこちで紹介されていた御用品は、あまりに綺麗でいかにもという感じの品がほとんどでした。あたかも、こういう品がポンと御用品として作られたといわんばかりでした。
今回の九博の展示品は、それらより一時代古い物だと思います。
Drの皿も私のも、禁裏御用品のパターン化がすすむ過度期の伊万里といっていいと思います。
御用品皿についてのモヤモヤが晴れて、気分が良いです(^.^)
そうしましたら、遅生さんが、それらしいものを紹介してくれるようになって、だんだんと禁裏御用品のことがわかるようになってきました。
今回の展示で、はっきりしましたね(^-^*)
ヤッターという感じですよね(^_^)
コレクター冥利に尽きますよね(^-^*)
いずれにせよ神経の張った職人の技が見事ですね。drさんのお持ちのモノも禁裏御用品とわかりコレクションの幅がまた拡がりましたね。
padaが使うと手が切れそうです(笑)
李朝も中国にも官窯はあるんですが、日本は皇室にも将軍家にも官窯がないのが不思議です。
デザインの大人しさ、品の良さはさすが禁裏御用品ですね。
コロナも落ち着きつつあり、足を延ばせたらと思っています。
つまり、江戸期の禁裏御用を務めた有田の辻家の製品というものがよく分からなかったわけですが、この展覧会によってかなり明らかになったような気がします。
私としても、禁裏御用品というものを、ほんの少し分かるようになりました(^-^*)
この小皿で食事などをしたらバチがあたりそうです、、、。
李朝や中国には官窯というものがありますが、日本にはそれに相当するようなものがありませんね。
敢えて対比すれば、皇室の官窯に相当するものが有田の辻窯で、将軍の官窯に相当するものが鍋島藩窯でしょうかね、、、。
この展覧会は、一般的ではなく、ちょっとマニアックな展覧会ですが、「古伊万里」に関しては、「禁裏御用の古伊万里」というものは、あまり注目されていない分野ですから、ある意味、最先端の分野になるかもしれませんね(^_^)
知っていますと、古伊万里の話題の最先端を行けますから、是非、行ってきてください(^-^*)