Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

古美術品交換会

2020年11月22日 16時15分44秒 | 骨董市など

 今日は、古美術品交換会に行ってきました。

 私の行っている古美術品交換会は、何時もは、毎月、第3日曜日に行われるんですが、今月は、古美術品交換会側の都合で、1週間遅れの第4日曜日の今日行われました。

 コロナの感染が拡大している影響なのか、或いは、開催日が変更になったせいなのか、出席者は何時もよりも少なく、従って、競りにかけられる品数も少なく、午前中で終わってしまい、昼食を摂って解散となりました。

 そんな調子ですから、私の狙っている気の利いた古伊万里の登場は少なく、私が槍を入れる(競り人から発句が告げられた際、それを上回る額で買いたいという意思表示をすること)機会はほとんどありませんでした(~_~;)

 でも、1点だけ、登場してくれました\(^O^)/

 それを見るなり、私は、「今日は、是非とも、これを落札しよう」と、密かに決意を固めました!

 出席者も少なく、今日のように低調な古美術品交換会では、これを落札しなかったら、今日は1点もゲットすることなく終わってしまうように思われたからです。

 それで、気合いを入れて競り上げていき、私が最高額の槍となりましたので、落札出来たと思ったのですが、そこで、売主から、「その額では安すぎて売れません」との発言です(~_~;)

 これでは、買えませんよね(><) 私としては、「今日は、是非とも、これを落札しよう」と、密かに決意しているわけですから、なんとしても欲しくなります!

 「売れない!」と言われれば、余計に益々「買いたい!」となりますよね(笑)。

 それで、私は、更に食い下がり、今度は、売主との直接交渉となり、少しずつ額を積み上げていきましたが、なかなか決着が付きません。その時、古美術品交換会の会長が中に入ってきて、会長から、「それでは、〇〇円で決着してはどうか!」との発言がなされました。その一言に双方納得し、その額で私が落札者となりました(^-^*)

 ということで、今日、やっと手に入れることが出来た古伊万里は、1点のみでした。その古伊万里は次のようなものです。

 

 

伊万里 色絵 花束に折紙文嗽(うがい)碗

 

立面

 

 

見込み面

 

 

底面

 

 

製作年代: 江戸時代中期

サ イ ズ : 口径;14.8×15.1cm  高さ;5.9×6.2cm  高台径;4.7cm

 

 

追記 令和2年11月23日)

 この嗽碗を紹介してから、故玩館館長さんより、次のような趣旨のアドバイスをいただきました。 

「これは、折形(おりがた)礼法に則って花を贈る時の折形の一種の「花包み」をモチーフにしたもので、平たい部分は折形を開いた状態を描いたものかと思います。また、下方のリボン状のものは折形の外側を結ぶ水引をデザイン化したものでしょう。従いまして、この嗽碗の正式な名称としては、「花包み崩し文」とか「花折形崩し文」ということになるかと思います。」

 よって、この嗽碗の正式な名称としましては、「花束に折紙文」ではなく、「花包み崩し文」とか「花折形崩し文」となります。


伊万里 染付 ザクロ文捻縁小皿

2020年11月21日 13時23分02秒 | 古伊万里

 今回は、「伊万里 染付 ザクロ文捻縁小皿」の紹介です。

 これは、昭和58年に(今から37年前に)、仕事でお隣の県に出張した際の帰り、乗り換え駅の近くの骨董店買ったものです。

 駅での待ち合わせ時間が長かったものですから、時間潰しに駅周辺をぶらぶらしていましたら、偶然、骨董店を見つけたわけです。しかも、運良く、なんとかこれを買うだけのお金を所持していましたので、買ったわけです(^_^)

 私は、この手のものは、それまで、図録などでしか見たことがありませんでした。ところが、それを実際に手に入れることが出来たわけで、私にとっては忘れられない感激の伊万里となったわけです。犬も歩けば棒に当たるというやつでもありますね(^_^)

 

 

表面

上半分には白地の中に染付でざくろが二個描かれ、下半分には染付の中に唐草と桜が白抜きにされ、

いわば片見替りとなっており、洒落た文様です。周辺は二十の鋭い捻となっていて、

口縁には口紅が施されています。

 

 

裏面

 

 

側面

かなりの歪みが見られます。

 

製作年代: 江戸時代前期

サ イ ズ : 口径;13.1×13.8cm(歪んでいるため)  高台径;8.9cm

 

 

 なお、この「伊万里 染付 ザクロ文捻縁小皿」につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」でも既に紹介しておりますので、それを次に紹介し、この小皿の紹介に代えさせていただきます。

 

 

 



 

                 <古伊万里への誘い>

 


 

*古伊万里ギャラリー9 伊万里 古九谷様式 染付 ざくろ文捻縁小皿 (平成13年11月1日登載)

 

 

 薄作り、捻縁、片見替り、逆蛸唐草、口紅・・・・・。いろんな手法、技法、秘法が駆使されている。技とデザインのデパートだ。小さな物体の中に、よくもまあ、これだけのものを詰め込んだものよとあきれるほどである。かといって、技巧に走っているわけでもなく、嫌味もない。

 この手のものを・・・・・と狙っているが、なかなか手に入らない。絶対量が少ないのだろう。

 「初期伊万里から古九谷様式」(小木一良著 創樹社美術出版)137ページが「・・・・・藍九谷や色絵古九谷の捻縁中皿類は伊万里全期を通じ、最高の作ぶりと評し得るものと云えよう。」といっているのもうなずける。

 伊万里の歴史は、草創期からまもなくして全盛期を迎え、あとはだんだんと退潮していった。中国の陶磁器の歴史もまたしかりである。そうであれば、人間の歴史もしかりで、現在は退潮期・・・・・? 


伊万里 色絵 花文小皿

2020年11月20日 14時02分01秒 | 古伊万里

 今回は、「伊万里 色絵 花文小皿」の紹介です。

 これは、昭和58年に(今から37年前に)買ったものです。

 

表面

 

 

裏面

高台内には、焼継師の屋号の「イ」の文字が入っています。

 

 

側面

高台がバチ高台になっています。

 

 

 見ての通り、大傷ものですが、当時、勉強のための教材として買ったものです。現在、コレクターの間で陶片を買うことが流行っていますが、それと同じような感覚でしょうか。

 なお、この「器」を「皿」としましたが、上の側面の写真からも分かりますように、高台がバチ高台になっていますことから、この「器」は「皿」ではなく、何かの「蓋」だったのではないかとの疑念があります。伊万里の場合、高台造りがバチ高台になってない場合が多いからです。それに、「蓋」とした場合、バチ形であれば、その部分を摘まんで持ち上げれば開け易いですからね、、。

 ところで、この小皿には、上の写真からも分かりますように、大傷を焼継(やきつぎ)という方法で修理が施されています。 

 焼継という修理は、江戸後期に、磁器の修理方法として流行ったようです。当時、白玉粉という無色ガラス(鉛ガラス)の粉末を継ぎ目に塗って低温度で焼いて接合するというもののようです。この焼継を商売とする人を「焼継師」といったとのことですが、その商売がとても流行ったため、磁器が売れなくなって瀬戸物屋さんが大変に困ったと言われています。しかし、修理代は安かったと思われます。高かったら新しい磁器を買いますものね、、、。

 また、「焼継師」は、焼継を終了した器に自分の屋号を残すことが多かったようで、この小皿の場合も、上の「裏面」の写真にありますように、高台内に「イ」という屋号を残しています。

 次に、では、この小皿は、何時頃作られたかについて見ていきたいと思います。

 そのヒントの一つは、小皿表面に描かれた「雲」の文様にあります。それは、この小皿表面に描かれた「雲」の描き方に特徴があるからです。これに関しては、以前、このブログで紹介(2020年10月20日に紹介)したことのある「伊万里 色絵 家・舟・葦原文輪花形小鉢」の解説が参考になります。

 その解説の中で、この雲の描き方に似ているものを「柴田コレクション」から捜した結果として、「柴田コレクションⅠ 362」の染付館唐人文輪花大皿(1690~1710年代)と「柴田コレクションⅧ 196」の染付琴高仙人文小皿(1730~60年代)の2点をあげています。そして、そのうちでも、特に「柴田コレクションⅧ 196」の染付琴高仙人文小皿(1730~60年代)が似ていると指摘しています。

 ということで、この小皿は、1730~60年代に作られたものであろうということが分かります。

 

 

製作年代: 江戸時代中期(1730~60年代)

サ イ ズ : 口径;10.3cm  高さ;3.5cm  高台径;4.3cm


印判手そば猪口ほか

2020年11月18日 19時14分53秒 | 古伊万里

 今回は、先日(11月15日)、我が家の近くの骨董市と「一言主神社」境内の骨董市から買ってきた、①今年の8月29日にこのブログで紹介したことのある「伊万里 色絵 牡丹文小碗」に似た小碗2個、②印判の蛸唐草文のそば猪口、③蛸唐草文の灰吹き(灰落し)について紹介いたします。

 


 

①今年の8月29日にこのブログで紹介したことのある「伊万里 色絵 牡丹文小碗」に似た小碗(「伊万里 色絵 カキツバタ文小碗」)2個について

 

 これは、我が家の近くの骨董市で見つけたものです。

 骨董市会場内をぶらぶらしていましたら、ガラクタの山の中にこれらがあるではないですか! 今年の8月29日にこのブログで紹介したことのある「伊万里 色絵 牡丹文小碗」に非常に似ています。いわゆる古九谷様式の古伊万里です! こんなものが、ガラクタの山の中にあるわけがありません。店主が、ガラクタの山の中に間違って入れ忘れているのかもしれません。

 それで、おそるおそる、値段を聞いてみました。そうしましたら、私の予想に反し、ガラクタの値段の返答です。そこで、若干の傷があることを指摘し、二つまとめて買うので更に少し値引きしてもらえないかと打診し、若干の値引きをしてもらって手に入れたものです。結局、ガラクタの値段よりも更に値引きした値段で手に入れたものです(笑)。

 ところで、今年の8月29日にこのブログで紹介したことのある「伊万里 色絵 牡丹文小碗」というものの写真を、次に、1枚だけ、ここで再度紹介いたします。再度、もっと詳しくご覧になりたい方は、今年の8月29日のブログ記事の「伊万里 色絵 牡丹文小碗」をご覧ください。

 

 

 前置きが長くなりましたが、その「伊万里 色絵 カキツバタ文小碗」2個というものは、次のようなものです。

 

 

伊万里 色絵 カキツバタ文小碗

 

 

                    左:小碗A              右:小碗B

 

 

                  左:小碗Aの裏面             右:小碗Bの裏面

 

 

小碗Aの正面(仮定)

 

 

小碗Aの正面から右に120度回転させた面

 

 

小碗Aの見込み面

 

 

小碗Aの裏面

 

 

小碗Bの正面(仮定)

 

 

小碗Bの正面から右に120度回転させた面

 

 

小碗Bの見込み面

 

 

小碗Bの裏面

 

 今年の8月29日にこのブログで紹介したことのある「伊万里 色絵 牡丹文小碗」の写真とこれらの小碗A・Bの写真を対比していただければ分かるんですが、今年の8月29日にこのブログで紹介したことのある「伊万里 色絵 牡丹文小碗」とこれらの小碗A・Bとは非常に似ています。

 形は勿論ですが、見込み面及び裏面の圏線の引き方、見込みに描かれた文様、高台内の銘など、大変に似ています。従いまして、これら小碗A・Bの製作年代及び製作場所は、今年の8月29日にこのブログで紹介したことのある「伊万里 色絵 牡丹文小碗」と同じであろうと思われます。

 

製作場所: 有田皿山

製作年代: 江戸時代前期(1650~1660年代)

サ イ ズ : 小碗A・・・口径;9.9cm  高さ;5.3cm  高台径;4.0cm

        小碗B・・・口径;9.5cm  高さ;5.2cm  高台径;3.9cm 

 

 


 

②印判の蛸唐草文のそば猪口(「伊万里 染付 印判手蛸唐草文そば猪口」)について

 

 このそば猪口も、我が家の近くの骨董市で手に入れたものです。

 「伊万里 色絵 カキツバタ文小碗」2個をゲットした後も、なお、骨董市会場をぶらぶらしていましたら、今度は、蛸唐草文のそば猪口に目が留まりました。先月も、この会場で「伊万里 染付 蛸唐草文灰吹き(灰落し)」を買ったばかりです。どうも、最近、蛸唐草が気になるようです(~_~;)

 近寄って、よく見ましたら、蛸唐草文の部分が印判になっているんですよね!

 「あれっ! 蛸唐草のそば猪口に印判というものがあったかな~?」と気になりました。

 私は、そば猪口にはあまり興味がありませんので、これまで、そば猪口をよく観察していなかったものですから、よくは分かりませんが、これまで見たことがないような気がしてきました。

 そうなりますと、「珍品」ということになりますよね。「珍品」という文言にコレクターは弱いんです(__;)

 それで、それほど高くもない値段だったものですから、買ってみることに、、、。

 その写真は、次のようなものです。

 

伊万里 染付 印判手蛸唐草文そば猪口

 

正面(仮定)

蛸唐草文部分のみが印判。その他の口縁内部の文様、腰部の文様、見込みの文様、高台内の銘などは手描き

 

 

正面から右へ90度回転させた面

印判の合わせ目が見られます。

なお、口縁の左側に傷と1.5cmほどのニューがあります。それは、買った後、自宅で気付きました(~_~;)

 

 

正面から左へ90度回転させた面

印判の合わせ目が見られます。

 

 

見込み面

 

 

底面

面白いのは、この銘です。「成 明 化 年」となっています。正式には「大明成化年製」の6文字ですが、普通、

それを省略して「成化 年製」の4文字にしている場合が多いですよね。ところが、ここでは、「成 明 化 年」

の4文字になっているんです。「大明成化年製」の6文字から、適当に4文字を選んできて書いているんですね。

それでは全く、文字としての意味を成しませんよね(笑)。文字等知らない当時の陶工が、年号という意識がなく、

単に、文様として描いている証拠ですね(^_^)

 

製作年代: 江戸時代後期 明治時代 (padaさん及び越前屋平太さんのコメントにより訂正)

サ イ  ズ: 口径;8.0cm  高さ;6.4cm  高台径;4.1cm

 

 

<追記>(令和2年11月19日)

 この記事を、インスタグラムに投稿しましたところ、まず、padaさんから、次のようなコメントが寄せられました。

「この印判は、銅版転写による印判と思われます。また、銅版転写は日本の場合、明治になってから導入されたと思われます。ところが、この器体の製作年代が江戸後期となっていますので、時代的な矛盾を感じます。」

 次に、その件に関連しまして、そば猪口コレクターの大家であられる越前屋平太さんから、次のようなコメントが寄せられました。

「この器形の物で明治20年代の紀年銘入り時代箱に収まった猪口を見たことがあります。銅版転写との時代も合致しており、明治の作と見てよいと思います。
 しかし、この銅版転写による蛸唐草文は初見です。珍しい物だと思います。 」

 ということで、疑問が解決いたしました(^_^)

 矛盾点をご指摘くだされたpadaさん、疑問を解決してくれた越前屋平太さん、ありがとうございました(^_^)

 

 


 

③蛸唐草の灰吹き(灰落し)(「伊万里 染付 蛸唐草文灰吹き(灰落し)」について

 

 これは、「一言主神社」の境内で行われていた骨董市で買ったものです。

 これまで、蛸唐草は殆ど買わなかったんですが、最近、蛸唐草が安くなったこともあって、ちょっと気になりだしました。先月も「伊万里 染付 蛸唐草文灰吹き(灰落し)」を買ったばかりです。

 ところが、あろうことか、ここでも、また、「伊万里 染付 蛸唐草文灰吹き(灰落し)」が売られているではないですか。しかも、先月買ったものよりも上手です!

 こうなりゃ、買うしかないですよね! 特に「灰吹き(灰落し)」コレクターを目指しているわけではないんですが、、、(~_~;)  成り行きというやつですね。

 もっとも、売主は、これは、「東大寺の大僧正が使っていた湯呑みですよ。滅多に出てこないものですよ。珍品ですよ」との触れ込みでした(笑)。だいたいにおいて、こんな能書きは信用できないんですよね(~_~;) でもそんなやりとりが面白いのも骨董市ならではですね(^_^)

 私は、これは「灰吹き(灰落し)」である、との確信のものに買いました(^_^)

 ということで買った「伊万里 染付 蛸唐草文灰吹き(灰落し)」というものは、次のようなものです。

 

伊万里 染付 蛸唐草文灰吹き(灰落し)

 

立面

 

 

蓋を開けたところ

 

 

底面と蓋裏

 

 

                     蓋表                            蓋裏

      摘まみの根元部分にも文様があります。なかなか気を使っています。

 

製作年代: 江戸時代後期

サ イ  ズ: 口径;6.2cm  高さ(蓋共);9.9cm  底径;6.0cm


「伊万里 染付 鳳凰壽字文小皿」と「古染付 鳳凰壽字文小皿」

2020年11月17日 16時19分47秒 | 古伊万里

 今回は、「伊万里 染付 鳳凰壽字文小皿」と「古染付 鳳凰壽字文小皿」の紹介です。

 このうちの「古染付 鳳凰壽字文小皿」のほうは、昭和55年に或る地方都市の古美術店で買ったものです。

 それを買ってから間もなくのことです、「図鑑 伊万里のすべて」(野村泰三著 光芸出版 昭和55年10月20日初版第4刷発行)という本の67ページに、この「古染付 鳳凰壽字文小皿」を模倣した「古伊万里」が存在することを知りました。

 その「図鑑 伊万里のすべて」の67ページには次のように書いてありました。

 

 

                   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

                        <「図鑑 伊万里のすべて」P.67から抜粋>

 

              (左)中国明末染付鳳凰と壽字の皿    (右)古伊万里染付鳳凰と壽字の皿

 

 二枚のうち、左側の中国製がオリジナルである。それを伊万里が江戸時代前期において倣作したもの。注意した眼でみると、本歌は闊達自在、線がよく伸びてよどんだところがなく、開放的であるのにくらべ、倣作の場合はどうしても線が生硬で伸びがなく、いじけて姑息的であるのが、二枚並べた場合によくわかるというものである。だが、写しがすべて悪いというのではない。進歩という大前提があるならば、その模倣は許されてしかるべきものであろう。とくに伊万里は、次期においてヨーロッパを席巻してしまうというような、大飛躍がひかえているのだから。

 この左図の古染付ができた時代の中国は、明の終末期をむかえて天下はすべて疲弊し、ようやく動乱のきざしがみえはじめたころであった。中国には、「陶によって政(まつりごと)を知る」という言葉があるが、これは案外、的を射た言葉である。というのは、明朝の最盛期には、景徳鎮官窯では天下に並ぶものがない優秀精巧な名品が焼造されたが、明も終末に近づき政治力が衰えると、同時に焼物も衰えて、窯の組織も官窯から民窯へと格がおち、粗製乱造されるようになったのである。それまでの大得意先であったオランダ連合東インド会社からは、そっぽをむかれ、やむなくそれらの品を、日本へ振り向けねばならなかったと考えられる。

 

 

                ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 私は、この本を読んで、私もこの「中国明末染付鳳凰と壽字の皿」を真似た「古伊万里染付鳳凰と壽字の皿」が欲しいな~と思いました。

 でも、その「古伊万里染付鳳凰と壽字の皿」に遭遇するのにはそれほど時間がかかりませんでした。

 その本を読んでおよそ2年ほどが経過した昭和58年のこと、或る地方都市のデパートで開催された「骨董際」で、この「古伊万里染付鳳凰と壽字の皿」に出会ったんです\(^O^)/

 それまで、欲しい、欲しいと思っていましたから、即、購入となりました(^_^)

 その、「古伊万里染付鳳凰と壽字の皿」=「伊万里 染付 鳳凰壽字文小皿」というものは、次のようなものです。なお、ついでに、以前に(昭和55年に)手に入れていた「中国明末染付鳳凰と壽字の皿」=「古染付 鳳凰壽字文小皿」とともに紹介いたします。

 

 

              (左)古染付鳳凰壽字文小皿(表面)   (右)伊万里 染付鳳凰壽字文小皿(表面)

 

 

             (左)古染付鳳凰壽字文小皿(裏面)    (右)伊万里 染付鳳凰壽字文小皿(裏面)

 

 

伊万里 染付鳳凰壽字文小皿(表面)

 

 

伊万里 染付鳳凰壽字文小皿(裏面)

 

 

古染付鳳凰壽字文小皿(表面)

 

 

古染付鳳凰壽字文小皿(裏面)

 

 

「伊万里 染付鳳凰壽字文小皿」

  製作年代: 江戸時代前期~中期

  サ イ  ズ: 口径;16.1cm  高台径;10.0cm

 

「古染付鳳凰壽字文小皿」

  製作年代: 中国明時代末

  サ イ  ズ: 口径;15.8cm  高台径;9.2cm

 

 

 なお、これら「伊万里 染付鳳凰壽字文小皿」と「古染付鳳凰壽字文小皿」につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」においても既に取り上げているところです。次に、参考までに、それも紹介いたします。

 

 



 

                   <古伊万里への誘い>

 


*古伊万里ギャラリー99 古伊万里様式鳳凰壽字文小皿 (平成18年7月1日登載)

 

                 左:古染付   右:古伊万里        左:古染付  右:古伊万里

 

 「図鑑 伊万里のすべて」(野村泰三著 光芸出版 昭和50年刊)の67ページには、「二枚のうち、左側の中国製がオリジナルである。それを伊万里が江戸前期において倣作したもの。注意した眼でみると、本歌は闊達自在、線がよく伸びてよどんだところがなく、開放的であるのにくらべ、倣作の場合はどうしても線が生硬で伸びがなく、いじけて姑息的であるのが、二枚並べた場合によくわかるというものである。」と書かれている。

 この本に載っている伊万里は、かなり忠実に中国製のオリジナルを写しているので、正に倣作であり、今なら盗作であろう。それに反し、ここに載せた伊万里は、それよりはかなり自由に描いてはいるが、今、洋画で話題になっているように、盗作にはちがいないだろう。

 また、この本に載っている伊万里は、中国製のオリジナルをかなり忠実に写しているので、この本の著者は江戸前期に倣作したものであろうと言っている。その点、ここに載せた伊万里は、それよりはかなり自由に写しているので、相当に写し慣れてきたとみることが出来るので、江戸前期でもかなり後半に入り、江戸中期ぐらいになるのではないかと思っている。

 古伊万里の場合は、当初、どうしても中国の模倣になってしまったことは否めない。オランダ連合東インド会社から、中国景徳鎮のピンチヒッターとして指名され、それをバネとして隆盛を誇るようになってきた経緯から考えてもやむをえないのである。

 しかし、模倣がすべて悪いわけではないのではなかろうか。それを参考に、追いつけ追い越せの精神で精進し、進歩発展するならば許されると思う。その後、伊万里は、ヨーロッパにおいて一世を風靡したのであるから!

 

古伊万里・・・江戸時代前期~中期    口径:16.1cm  高台径:10.0cm  

            ( 古染付・・・中国明時代末        口径:15.8cm  高台径:9.2cm )

 

 


*古伊万里バカ日誌38 古伊万里との対話(中国模倣の古伊万里) (平成18年6月筆)

 

登場人物
  主  人 (田舎の平凡なサラリーマン)
  元  子 (古染付鳳凰壽字文小皿)
  真似男 (古伊万里様式染付鳳凰壽字文小皿)

 

 左:元子    右:真似男

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 主人は、今回も何と対話をしようかと迷ったようである。
 今の時節に合ったものをとも考えたが、どうも発想力が弱く、どのようなものが今の時節に合う古伊万里なのかが思い当たらない。もっとも、紫陽花文などがいいのかなとかの陳腐な発想は浮かんだが、それとても貧庫ゆえ、期待に応えるような物を取り出して来ることは困難である。
 そこで、「時節」の意味を、「季節」ではなく「世の中の情勢」という観点から考えてみようということを思いついた。主人にしては大ヒットの発想ではある。
 昨今、洋画において、倣作とか盗作というようなことが問題になっているので、これに沿ったものを押入れの奥の方から引っ張り出してきて対話をはじめた。

 

 

主人: ここのところ、ずーっと、一人だけに登場してもらっていたんだが、今日は、特別、元子と真似男の二人に登場してもらった。最近、洋画の分野で、外国のものの倣作とか盗作が話題になっているので、それに関連した話をしたかったからだ。

元子・真似男: 理由はともあれ、出していただいて嬉しいです。

元子: 私は、この家に来ましたのは昭和55年ですから、26年ぶりのご対面ですね。

真似男: 私は昭和58年に来ていますので、23年ぶりです。

主人: ずいぶんと久しぶりになってしまったな。
 確かに、最初は元子と出会ったんだよね。地元の骨董屋で見かけたんだ。最初見た時、高いな~と思った。でも、そのうち、何回か見ているうちに、「買っておこうかな~」という気になってきて、遂に買ったわけだ。当時は、「古染付」というのは珍しかったんで高かったんだよ。その後、だんだんと安くなってしまってね。26年も経ったが、値段は今よりも当時の方が高かったかな。
 ところで、お前を買ったのが昭和55年の10月なんだが、それからまもなくして「図鑑 伊万里のすべて」(野村泰三著 光芸出版)というのにお前と同じようなのが載っていることを発見した。同書は昭和55年5月が初版第1刷だけど、私の買ったものは昭和55年10月の初版第4刷のものだから、たぶん昭和56年の1月頃にその本を買ったんだと思う。だから、同書にお前と同じようなものが載っていることを発見したのは昭和56年の1月頃だろうね。

元子: 以前は、私のようなものは今よりも高かったんですか。

主人: そうなんだ。特に地方ではね。珍しかったからね。その後、どんどん輸入されるようになってきて安くなってしまった。
 話は変わるが、その「図鑑 伊万里のすべて」の67ページに、元子を写した古伊万里があることを発見したんだ。当時は、「なるほどなー、そんなこともあり得るんだろうなー。」と思い、是非、元子を写したような古伊万里を入手したいもんだと思うようになった。
 それで、その後、気を付けて見ていて、遂に見つけたわけだ。それは、或る地方都市のデパートの「骨董祭」だった。最近でこそ、あっちこっちで骨董市やら骨董祭というものが開かれているが、当時は、年に1~2度デパートで開かれていたんだ。デパートの会場使用料みたいなのが乗っかっているから骨董屋の値段よりは1~2割高いのは自明の理になっていた。でも、品数も多く、良い物も出ていたので、皆んな楽しみに待っていて出かけて行ったもんだよ。
 ちょっと脱線したが、真似男を見つけたのが昭和58年の2月だから、真似男のような存在を知ってから2年が経過していたわけだ。もっとも、たった2年で入手できたんだからラッキーといえるかもしれないがね。

真似男: 私を熱心に捜したくれてありがとうございました。

主人: いや~、礼を言われるほどのことではないがね。でも、みつけた時は嬉しかったよ。その後、東京などで大がかりな骨董市などで何度か見たような気はするが、当時は少なかったと思う。
 ところで、昔は、外国の物を真似るなんてことは問題にならなかったんだろうね。むしろ、東西の交流とか何かとか言われるぐらいだから、大いに模倣されたんだろうと思う。今では、意匠権などの知的財産権の侵害とか何かとかやかましいね。それだけ地球が狭くなったんだろうかね。美術の世界でも、そうした時代の流れというものを十分に認識していなければならないと思う。