今回は、「伊万里 色絵 人物文陶板=菓子器仕立て」の紹介です。
陶板が菓子器に仕立てられ、「菓子器」と書かれた箱に収まっています。
菓子器に仕立てられた陶板
菓子器に仕立てられた陶板の裏面
陶板部分のみの写真
陶板部分の人物文部分のみの写真
製作年代: 江戸時代中期
サ イ ズ: 枠の外周;19.5×19.5cm 陶板部分;11.5×11.5cm
これについても、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」で既に紹介済みですが、次に、それを再度紹介することで、この「伊万里 色絵 人物文陶板=菓子器仕立て」の紹介に代えさせていただきます。
<古伊万里への誘い>
*古伊万里ギャラリー98 古伊万里様式色絵人物文陶板=菓子器仕立て (平成18年6月1日登載)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/63/719c4cb6f14e8a4b6b060f2b673aa0c9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/cb/0721e016b5538d5ebcc41d51c365543f.jpg)
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表面 陶板部分の拡大 裏面
この種のものは、南京赤絵や天啓赤絵によく登場する。そして、その絵のオリジナルは、中国明末に安徽省で刊行された「八種画譜」等に登場する。
私も、最初、これは南京赤絵か天啓赤絵かと思ったが、やはり古伊万里であろうと思っている。
伊万里においては、南京赤絵や天啓赤絵をお手本として、さかんにその写しを作っているし、直接、「八種画譜」等をお手本として作っている。
つまり、この種のものは、中国の景徳鎮でも作られているし、日本の肥前地域でも作られているわけである。
従って、この陶板がどちらで作られたかが問題となるが、木枠で囲まれ、「菓子器」に仕立てられてしまっているので、表面だけしか見えないわけで、その判断が難しい。肝心の裏面が見えず、表面だけからしか判断せざるをえないわけであるが、絵の線の調子、釉薬の色合い、磁器の肌合い等から判断して、私は日本製であると思っている。
江戸時代中期 枠の外周 : 19.5cm×19.5cm ( 陶板 : 11.5cm×11.5cm )
*古伊万里バカ日誌37 古伊万里との対話(菓子器仕立ての陶板) 平成18年5月筆)
登場人物
主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
陶 男 (古伊万里様式色絵人物文陶板=菓子器仕立て)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/63/719c4cb6f14e8a4b6b060f2b673aa0c9.jpg)
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箱と共に 表面 裏面
・・・・・プロローグ・・・・・
主人は、前回、網目文の小壷を見つけ出してきて対話をしたところである。ところが、網目文の小壷と対話をしていたら、ちょうどその網目文の小壷を買った頃に、網目文の小壷を売っていた骨董屋から、ちょっと変わった面白い物を買っていたことに気付いたようである。
そこで、押入れの奥の方から、くだんの「ちょっと変わった面白い物」を汗だくになりながら引っ張り出してきて対話をはじめた。
主人: いや~、ずいぶんと暑くなってきた。もっとも、もう6月だものな。お前を引っ張り出してくるのに汗をかいてしまった。なにせ、押入れの奥の方にいるからな!
陶男: 奥の方に入れっぱなしだからじゃないですか! 私がこの家に来ましたのが昭和58年ですから、20年以上も太陽を拝んでないことになりますよ!!
主人: 悪い悪い。最初は、珍しいんで、眺めたり使ったりしていたんだけれど・・・。なにせ木の枠だろう。木の枠だと、傷付いたり、変形したりしそうなので、ついつい使いづらくなって、押入れに入れて、それっきりになってしまったのさ。
陶男: そんなに使い惜しみしないで、どんどん使って、木枠が壊れたら木枠をはずして、今度は陶板として鑑賞されてはどうですか。
主人: 確かに、私もそう思ったこともあったよ。でもね、お前は古い箱に入っていて、その箱には「菓子器」と書いてあるんだよ。せっかく「菓子器」として仕立てられたんだから、それはそれとして大事に保存しようと思ってね。
陶男: 私は、最初から「菓子器」とするために作られたのでしょうか?
主人: う~ん? それはよくわからないな。少なくとも、お皿などの中心部分でないことは確かだね。お皿の縁の部分が割れてしまったので、中心部分だけを四角に削り取って作ったものでないことだけは確かだと思うよ。湾曲してなくて平だからね。恐らく、陶板として作られたのだと思う。どのような目的のための陶板だったかは知らないけど・・・・・。それを、誰かが、「菓子器」に仕立てたんだろうと思ってるんだけどね。
陶男: そうですか。わかりました。
ところで、私は、何時、何処で生まれたのでしょうか。
主人: 戸籍調べだな。
ハハハ。確かに気になるところだね。ところがね、私にも正直よくわからないんだよ(笑)。
陶男: えっ? ご主人様ほどのお方でも時代判定ができないんですか!(軽蔑のまなざし)
主人: ん? それはどういう意味だ。褒めてるのか? 貶してるのか?
陶男: 勿論、褒めているつもりですとも。(「アカンベー」をしている。)
主人: だってね、お前は表面だけしか見えないだろう。表面の一部だけから判定するのにはむずかしいものがあるんだよね。
陶男: そんなものですか。ご主人様ほどのお方なら、表面だけでも十分に判定できると思いましたが。(再び軽蔑のまなざし。)
主人: いや~、そんなに簡単ではないな。「やきもの」の鑑定というのはな。
いかにも自信たっぷりに、大きな声で、断定的に言えば、聞いた人には十分に説得力を与えるように感じるだろうけど、自分自身が納得しないね。良心の呵責が許さないというやつだね。
お前は、表面だけ見てると、中国明末の天啓赤絵といっても通るだろう。今でこそ「古伊万里」というものが評価されているが、以前は、古伊万里は「型物」と言われるような極く一部のものしか古伊万里としては評価されていなかったから、もしお前が「古伊万里」だったとしたら、「菓子器」に仕立てられた当時は、全く評価されず相手にされなかったろうね。
お前には悪いが、私は、お前を天啓赤絵写しの「古伊万里」だと思っているんだ。でもね、私は天啓赤絵よりは「古伊万里」の方が好きだから、お前を「古伊万里」と思ったからこそ買ったんだよ。
陶男: それはそれはありがとうございます。
主人: それにしても、お前を見るたびに、木枠を壊して裏を見たくなるね。「やきもの」の鑑定には、裏の、特に高台等の釉薬のかからない土見せの部分がポイントだからな。素地の色、性質、削り具合等の作業方法等、鑑定のポイントがいっぱい詰まっているからね。「やきもの」の鑑定にはお尻がポイントだよ。ニワトリだってそうだろう。ニワトリのヒナの雌雄の判別はお尻でするよね。
陶男: なるほど。(へんな所で感心)
主人: 思えば、「やきもの」の尻を追いかけまわして30有余年がたった。お前達にとってはいやなやつだったろうと思うね。でも、人間の尻を追いかけまわさないで済んだので人生を踏み外さないですんだと思っている。その点、お前達に感謝するよ。