今回は、「色絵 男子立像」の紹介です。
この「色絵 男子立像」につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で、既に紹介しているところです。
つきましては、次に、その時の紹介文を再度掲載することをもちまして、この「色絵 男子立像」の紹介とさせていただきます。
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<古伊万里への誘い>
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*古伊万里ギャラリー224 伊万里柿右衛門様式色絵男子立像 (平成29年1月1日登載)
古い埃だらけの箱の中には汚らしいボロボロの布が突っ込んであり、そんな状態の箱の中に入っていたものである。
この人形自体も薄汚く汚れていた。それを見て、磁器の人形ではなく、陶器の人形に人工的な工作を施して古い人形に見せかけた物ではないかと思ったほどである(-_-;)
その後、漂白剤に4~5日漬けておき、その間、毎日、小型のタワシと歯ブラシでゴシゴシ洗っていたら、随分と奇麗になった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/6a/b9b53b39ea8069455ebcf056e55d28e4.jpg)
漂泊前の前面
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/1a/c61fe1f7cd0f024785f8418ace6d172d.jpg)
漂白後の前面
全体的にだいぶ奇麗になった。しかし、眉毛が少し薄くなってしまった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/e6/812b071ed14be528c444bce8d97cdb39.jpg)
漂白前の背面
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/90/b3b7f8c06cf2aa7a380862510b4a0d0a.jpg)
漂白後の背面
全体的にだいぶ奇麗になった。しかし、頭髪がだいぶ薄くなってしまった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/74/f9da489e064e3e1f0f736458dc13a564.jpg)
漂白前の、特に汚れの酷かった部分(顔面、首筋、胸の辺り)の画像
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/b4/8bb00c9713329401b6fba4be2cc64fe1.jpg)
漂白後の、特に汚れの酷かった部分(顔面、首筋、胸の辺り)の画像
だいぶ綺麗になった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/9f/01c8e533fcb97bd86dde78b78cd5827e.jpg)
水洗い後の底部
底部は特に汚れが酷く、茶色っぽくなっていて磁器には見えな
いほどだったので、漂白剤に漬ける前にとりあえず水洗いした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/e1/ee8fbbe890a3a36d41ff45e07ec8391b.jpg)
漂白後の底部
水洗い後とさほど変わらない、、?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/b5/8e7c1cfcb8d485d5e554b14fbb50afc7.jpg)
漂白後の右側面
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/96/8284e1a7e005a7dbc00f7caa742fb4ea.jpg)
漂白後の左側面
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/a2/7e4ab4a47b39bb1020a095e74fe3e241.jpg)
空気穴(右袖の下部)
中が中空になっているため、焼成時に中の空気が膨張して破裂しないようにするために、空気穴を設けている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/52/e55eea31dcd4f3506827dbe2b5c40601.jpg)
空気穴(左袖の下部)
中が中空になっているため、焼成時に中の空気が膨張して破裂しないようにするために、空気穴を設けている。
漂白剤に4~5日漬けておき、その間、タワシや歯ブラシでゴシゴシ洗っていたわけではあるが、それ以上には奇麗になりそうもないので、それ以上の洗浄作業は止めることにした。
或る程度は奇麗になったが、時代の汚れはどうしようもないようである。
350年近く経過しているので、止むを得ないところもあるが、保存状態が悪かったのであろう。
表面は磁器のテリのようなものが失われ、艶がなくなっている。
しかし、釉剥げ、特に前面の赤の釉剥げが酷いが、疵もなく、その程度で済んだのは幸いであった(^-^;
「よくぞご無事で!」 と言いたい。
生 産 地 : 肥前・有田
製作年代: 江戸時代前期(寛文時代)1670~1700年代(寛文末~元禄)
サ イ ズ : 高さ;28.5cm
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*古伊万里バカ日誌152 古伊万里との対話(柿右衛門人形)(平成29年1月1日登載)(平成28年12月筆)
登場するものたち
神 様 (古伊万里の神様)
主 人 (田舎の平凡なご隠居さん)
柿 男 (伊万里柿右衛門様式色絵男子立像)
・・・・・プロローグ・・・・・
主人は、先日、ものすごく汚れた古伊万里の人形を買ってきたようである。
その汚れを落とすため、何日間か漂白剤の中に漬けて置いたが、その汚れもだいぶ消え、なかなかに美しい姿を現わしてきたようである。
嬉しくなった主人は、元旦の記念すべき日に、その人形と対話を始めた。
主人: お前のことは、つい先日、何時も行っている古美術品交換会で手に入れたんだ。
柿男: そうでしたね。劇的な出会いでしたね。
主人: そうだった。意外な出会いだった。
その古美術品交換会は、言っちゃ悪いが、どうも、古伊万里に関しては、良い物が登場して来ないんだよね。ちょっと良い物かなと思うと、疵がひどかったり、発色が悪かったりで、欠点ばかり多く、言うなればガラクタばっかり登場してくるんだよ。
ところで、私の行っているその古美術品交換会では、競りにかける物を木製の長方形の浅いトレイ(そのトレイのことを「盆」と言ってるが)に乗せ、座っている参加者の前を通過させるんだ。参加者は、自分の前に来た「盆」に乗っている物をじっくりと事前に観察しておいて、その物が競りにかけられた時に競りに参加するという方法で行っているんだ。
先日も同じような感じだった。どうせまたガラクタばっかり登場してくるんだろうとの先入観から、「盆」に乗った物をよく見もしないでいたら、急にお前が競りにかけられたんだ。びっくりしたね。慌てたよ!
私は、何時も、競り人の対面の位置に座っているので、競りにかけられた物とは一番遠い所にいるわけで、座っている位置からは、競りにかけられた物の詳細が分からないんだよね。だが、遠目ながら、形・色から判断し、一目見て、「これは本物だ!」と直感したね。
でも、ここからは詳細がわからない。例によって疵がひどかったりの欠点だらけなのかもしれない。とにかく近くで見なければ、と思い、競り人の所まで急いで歩いて行ったんだ。
ところが、近くで見てガッカリだった。ほこりだらけの古い箱が付き、その箱の中には薄汚いぼろぼろの布切れが突っ込んであり、お前はといえば、古く見せるために全面的に人工的に汚くよごされているように見えたんだ。お前の底部なんか、茶色っぽくなっていて、とても白磁の素地のようには見えなかった。新しい物を古く見せて売るための条件が揃っていたんだよ。私は、うっかりして事前に「盆」に乗って回ってきた時点で見ないでしまったんだが、事前に「盆」に乗って回ってきたお前を見た皆さんも同じように思ったんだろうね。「これは、新しい物を古く見せかけるように工作した偽物だ、と・・・・・」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/6a/b9b53b39ea8069455ebcf056e55d28e4.jpg) |
前面 |
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/e6/812b071ed14be528c444bce8d97cdb39.jpg) |
背面 |
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/74/f9da489e064e3e1f0f736458dc13a564.jpg) |
特に汚れの酷かった部分(顔面、首筋、胸の辺り) |
結局、誰も槍を入れる者(競りに参加する者)がいなかった。私も参加するのは止めようかなと思ったんだが、事前に見逃していながらも、遠目ながら、お前を見た第一印象が「本物」だったし、競り人も、「奇麗に洗えば良くなるかもしれないよ!」と言うので、参加してみようかなという気になった。それで、「発句の値段でなら買ってもいいが」と言ったところ、競り人は、「それは駄目です。でも、それに千円乗せてくれるなら落札としますよ」ということなので、発句の値段でも、発句に千円乗せた値段でもたいした変わりはないし、その申し出を承諾したんだ。私としては、それはカケでもあったが、ハズレた場合には、そのお金はドブに捨てたと思って、また、夢を買ったと思って、買うことに決断したわけだ。
柿男: 複雑な心境のもとで手に入れたんですね。
主人: そうなんだ。晴れ晴れとしなかったね。だってね、私が落札者と決まった時の周りの目は、「あいつは目の見えないやつだな! ダマシの罠にまんまと引っかかったよ! 可哀相に! 憐れなやつよ!」と語っていたものな。交換会会場から自宅に戻る車の中でも沈んだ気持ちで運転していたよ(><)
それで、自宅で、さっそく、とりあえず、底部を水に濡らし、タワシでごしごし洗ってみた。そうしたら、なんと、茶色っぽい色が消え、白磁の素地が現れてきたんじゃないの! 嬉しかったね(^-^; とりあえずボデーは「本物」ということがわかったからね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/9f/01c8e533fcb97bd86dde78b78cd5827e.jpg) |
水洗い後の底部 |
あとは、どれだけ原形をとどめているかだからね。どれだけ人工的な工作が加えられているかだからね。
ただ、人工的に加彩が施され、その上に全体的に何かが塗られてコーティングされているとした場合、もしも油性のものでコーティングされているとすれば、漂白剤に漬けただけでその汚れは落ちるのだろうか・・・・・等と、次から次へと疑問が湧いてくるんだよ。
しかし、色々と考えていてもしかたがないしね。一つ一つ作業をしていくほかないものね。それで、とりあえず、漂白剤の中に漬けておくことにしたんだ。
柿男: それでどうなりましたか?
主人: 幸いなことに、だんだん汚れが落ちてきたんだよ。どうやら、あまり人工的な工作は施されていないらしいことがわかってきたんだ(^-^; 漂白剤に漬けておくだけで十分なことがわかってきた。毎日、漂白剤の中に漬けたままで、小型のタワシや歯ブラシでゴシゴシ洗っていたら、随分ときれいになったよ。
ただ、頭髪の部分の黒の釉剥げと眉毛の黒の釉剥げ、それと、着物の赤い部分の釉剥げが目立つようになってしまった(><)
だが、どうやら、この部分の釉剥げは、かなり前からあったんだと思う。そこを、かなり前に加彩して補修し、釉剥げがわからないようにしたんだと思う。そして、今回、漂白剤に入れられたことによって、再度、釉剥げが出現したんだと思う。それでも、髪の毛と眉毛の部分の黒の加彩は、それほど酷い結果を招いていなかったようだが、着物の前側の赤の加彩はまずかったね。その赤の加彩がだんだんと周辺にも薄く滲んできてしまって、全体をより一層きたならしくしてしまっていたんだね。
でも、考えてみれば、お前が作られたのは寛文(1661~1672年)頃1670~1700年代(寛文末~元禄)だから、もう350年三百数十年近くも前なんだよね。作られてから350年三百数十年近くも経てば、状態は悪くなるわね。特に、お前は人形だから、単に飾られていただけではなく、手に取って近くで眺めたり、さすったり、こすったりした人もいただろうから、長い間には釉剥げも生じるわね。
そうそう、私が、当初、お前には、古くみせるために、人工的に全体的に油性の物でコーティングされているのかなと思ったのは、手に取って眺めたり、さすったり、こすったりした際の人の手脂だったんだね。長い間での手脂の累積が、全体的に油性の物でコーティングしたように見せていたんだね。
なお、所々に、シミのようなものが残ってしまった。これは、いくらゴシゴシやっても消えないんだ。何か化学的な処理をすれば消えるのかもしれないが、まっ、古いシミのようなものは、古さを証明する勲章のようなものだから、これはそのままにしようと思っている。
ところで、幸いなことに、お前には疵がないことが判ったんだ。人形の場合は、たいてい、首が折れ、それを接着剤のようなもので継いでいるケースが多いんだが、それもないんだよね。嬉しかったね(^-^;
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漂白後の前面 全体的にだいぶ奇麗になったが、眉毛が少し薄くなった。 |
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漂白後の背面 全体的にだいぶ奇麗になったが、頭髪がだいぶ薄くなった。 |
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/b4/8bb00c9713329401b6fba4be2cc64fe1.jpg) |
特に汚れの酷かった部分(顔面、首筋、胸の辺り)の漂白後の画像 だいぶ奇麗になった。 |
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漂白後の底部 水洗い後とさほど変わらない、、? |
柿男: そうそう、ご主人は、柿右衛門人形の本物を見たことがあるんですか?
主人: もちろんあるさ。あちこちの美術館で見ているが、特に、栃木県にある栗田美術館では何度も見ているね。栗田美術館には、最近こそ足を運ばなくなってしまったが、栗田館長さんがご存命の頃はよく行ったもんだよ。そして、そこで柿右衛門人形も見てきていたからね。
それに、特に、柿右衛門男子人形に関しては、強烈な思い出があるんだ。
柿男: どんな思い出ですか。
主人: もう25年も前のことになってしまったが、ハリウッド女優のエリザベス・テーラーさん(2011年3月死去)が、1991年の9月にエイズ撲滅キャンペーンのために来日したことがあるんだよ。その時、栗田美術館にも来たんだ。
余談だが、その際、私は、エリザベス・テーラーさんを1メートルくらいの至近距離で見ているんだ。至近距離だったので、ついつい顔をまじまじと見てしまった。そうしたら、顔じゅう産毛だらけだったことを覚えているよ。更に余談になるが、その時、エリザベス・テーラーさんはストッキングを穿かないで素足のままで靴を履いていたんだ。日本人には珍しいので、ついつい足の方にも気をとられて見てしまった。そこでも、スネ毛がいっぱい生えていたことを覚えているよ。その時に、日本人の女性と違って、白人の女性は毛深いんだな~と思ったね。
ちょっと脱線してしまった。話を元に戻そう。
その際、故栗田館長さんが、「エイズ財団」に百万ドルを寄付し、エリザベス・テーラーさん個人には、お前と同じくらいの1尺くらいの色絵の柿右衛門男子人形をプレゼントしたんだ。「これを私と思って連れ帰ってください」と言ってね。
当時、エリザベス・テーラーさんは腰痛を患っていて、ヘリコプターで栗田美術館に来たんだが、腰痛のためもあり、当初はウカヌ顔をしていた。ところが、それらの寄付やプレゼントを受けたとたん、急に表情が明るくなり、ニコニコとし、元気になった。腰痛のことなどすっかり忘れてしまったかのようだった。エリザベス・テーラーさんの写真を撮っていた者のカメラをとりあげ、逆にそのカメラでその人の写真を撮ってやるというようなサービスぶりも発揮していたよ。よほど嬉しかったんだろうね。
当時の新聞によると、栗田美術館に来る前日か前々日に、東京で自民党から1万ドルの寄付を受けたようだが、こんな田舎の美術館で百万ドルも寄付されるとは思ってもみなかったのかもしれないね。当時の為替レートは現在よりもずっと高かったから、相当な額になるからね。
まっ、そんなことで、柿右衛門男子人形については、強烈な思い出があるわけなんだ。その時、「私も、いつの日にか、あのような、エリザベス・テーラーさんが貰ったような柿右衛門男子人形を手に入れたい!」と思ったものだよ。
神様: アルジよ! アルジよ! 聞こえるか!
主人: ん? 今、なにやら、天の方から私を呼ぶような・・・・・。
神様: アルジよ。気が付いたか。私じゃよ。古伊万里の神じゃよ。
主人: ハハ~~~。
神様: アルジは、日頃より、古伊万里たちを愛してくれているようだな。古伊万里たちに代わって礼を言いたい。また、古伊万里の美を世界に向けて発信してくれているようで、感謝にたえない。
主人: ハハ~~~。身に余る有り難きお言葉、痛み入ります。
恐れながら、私は単に古伊万里が好きで、古伊万里に少々のめり込んでいるだけでして、古伊万里の神様から感謝されるなど恐れ多いことにございます。
神様: うん。それでよいのだ。
ところで、今日は、アルジにお年玉を進呈するためにやってまいった。
主人: それはそれは重ね重ねの有り難きお言葉、天にも昇る心地にございます。
神様: アルジは、ず~っと、柿右衛門男子人形を手に入れることを願っていたな。今、そこにある柿右衛門男子人形は私からのお年玉だと思ってくれ。
主人: ハハ~~~。有り難き幸せにございます。終生の宝といたします。
神様: これからも益々、古伊万里を愛し、古伊万里の美を世界に向けて発信してくれ。
主人: ハハ~~~。益々精進いたします。
神様: うん。さすれば、また、私からの更なる感謝の意もあるであろう。
主人: ハハ~~~。
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追 記(令和6年4月18日)
ぽぽさんが、最近買ったという古伊万里に関する本を何冊か紹介していました。
その中の1冊に、「古伊万里・柿右衛門・鍋島の系譜 肥前色絵の美」(佐賀新聞社発行)という本がありました。そして、その中に、この「色絵 男子立像」と大変似ているものが紹介されていました。
それによりますと、この「色絵 男子立像」と大変似ているものは、今右衛門古陶磁参考館蔵のもので、その製作年代は18世紀前半となっていました。
そうしますと、この「色絵 男子立像」の製作年代も18世紀前半とすべきものかもしれません(~_~;)
私はこれまで、この手のものの製作年代を、栗田美術館の例に倣い、「寛文(1661~1672年)頃」と考えていましたが、どうも、もう少し新しいのかもしれません(~_~;)
ちょっと、私は、この「色絵 男子立像」の製作年代を若干古くみてしまったようにも感じます(><)
そこで、数少ない手持ちの資料の柴コレで調べてみましたら、この「色絵 男子立像」の製作年代は「1670~1700年代(寛文末~元禄)」辺りに位置付けるべきではないかと思いました。もっとも、柴コレにはこの手の立像の例は載っていなかったのですが、少し似た立体物から類推しました。
従いまして、当面、この「色絵 男子立像」の製作年代を、江戸時代前期(寛文時代)よりは少し新しく、今右衛門古陶磁参考館蔵のものよりは古く、妥協点として、「1670~1700年代(寛文末~元禄)」と訂正したいと思います。それに伴い、上記文中の「寛文(1661~1672年)頃」を「1670~1700年代(寛文末~元禄)」に、「350年」を「三百数十年」に訂正したいと思います。
なお、新たな信頼の出来る資料などが見つかった際は、更に訂正いたします。