さて,年が改まったわけだが,だからといって私自身にかんしては別段何が変わったというわけでもない(ここ数年は毎度々々こんなことばっかり言っているような気がする。。。) そうだ,変わったことといえば今年は年頭に「明けましておめでとうございます」 を言わないことにしたのであった。だって別に目出度くも何ともないんだもの。当然,年賀状も出さない。ただし,私宛に賀状をお送り下さった方(個人に限る)に対しては,返礼として「寒中お見舞い申し上げます」の便りを丁重にしたためた。それはそれで世間の義理,というか生きていくうえでの最低限の礼儀である。 なんて,新年早々陰気くさい話で恐縮です。
ショボイ話のついでに述べれば,一昨年夏の民主党政権誕生以来,仕事が急激に少なくなってしまった。なるほど政権交代というのはこういうことかとシミジミ納得している次第である。これまでは定年とは無縁の零細自営業者として この先 体力・気力の続く限り仕事を続けてゆこうと思っていたのだけれども,ここにきて政治の側から唐突かつ一方的に定年宣告を突きつけられたわけだ。別にルーピー鳩山@東大工学部だとかスッカラ菅@東工大だとかを恨むわけではないが,実際問題として彼らのメカニカル・ブレイン(硬直脳)から発せられた誤謬にみちた思惑ないし邪悪にあふれた企てが私共の仕事量減少に直接的な影響を及ぼしたことはほぼ確実なのであって,「コンクリートから人へ」というマヌケなキャッチ・コピーが端なくも言い表しているように,彼らがいま行っているのはまさに我が国の歴史をとことん愚弄した猿芝居なのである。そして,このオロカナル政党を選択したのは他でもないオロカナル国民大衆の意志なのである。私自身の意志はそれに反していたなどと抗弁しても始まらない。議会制民主主義社会においては畢竟「数は力」なのであります。
そんなわけで,昨今では仕事のことなんかすっかり忘れ,というか仕事からすっかり見放され,終日蟄居して黙々とテツガクしているか,あるいは盆地内外をフラフラと自転車徘徊しているか,といった日々を過ごしている。南関東地方の冬空のように,毎日がスッキリと晴れ渡った心持ちである,と敢えて申しておきましょう(別に開き直っているわけではゴザイマセン)。山間盆地をスッポリと覆っている冷たく澄んだ空気の層と,頬を切るような丹沢下ろしの北風と,そして新生代更新世に堆積した砂礫層を通して湧出するまろやかな地下水と,それらが老いたる体躯と退行した脳髄をつかのま活性化させる。
ちなみに,この一見「晴耕雨読」モドキの生活は収入をまったく伴わないのが少々辛いところで,雀のナミダほどの蓄えが砂時計のアッパー・セルのように日々目に見えて減少してゆく。せめてもの対策として,衣食住等の日用消費に係わる個人的支出は極力抑えている。衣類は買わない。外食はしない。内食も質素に済ませる。家屋の修理は業者に頼まず自分で直す。外出の際は電車やバスは利用せず自転車ないし徒歩で出掛ける。当然,自家用車なんて動かしもしないし触れもしない(即座に売り払いたいくらいだが若干1名が頑強に抵抗している)。最盛期には10以上も加入していた諸々の学会・協会等の会員はひとつを除いてすべて退会した。10数年前に取得してソレナリニ気に入っていた独自ドメインも放棄した。そして,これは少々辛いことだが,書籍・雑誌も極力買わない。少なくとも新刊本はまったく購入しない。どうしても欲しい本があればネット古書店やブックオフ等で気長に探索する。。。 他にも対策はいくらでも挙げることができるが切りがないのでこれくらいで止めておく。 その一方で,別途新たな収入源を模索しようという気は,現在のところ一向に起きてこない。せいぜい身の回りの不用品をネットオークションやリサイクルショップで売却する程度である。 ソレデイイノカ? という詰問が一部から挙がってはいるものの,いえ何,国家財政がかくのごとく無茶苦茶で今にも破綻しかかっている現況を鑑みるに,取るに足らない一家計の財政が破綻したところでそれがナンボノモンジャイ!
ドーデモイイ繰り言をグダグダと続けすぎたようだ。面目ない。標題の話に移らせていただく。
そういったセツナイ日常のなかで,最近では何故だか生物係(いきものがかり)という三人組音楽グループの歌にハマッている。小田急線沿線に住まう神奈川県民が何を今更?などという指摘はここでは却下させていただく。もちろん,そのグループ名だけは大分以前から知ってはいたけれども,彼らの歌う楽曲については,せいぜいのところ《SAKURA》と《YELL》と《ありがとう》くらいしか承知しておらなかった。それだってそんなにきちんと聴いていたわけではなく,要するにチマタに数多存在する若手音楽グループの1組,ワン・オブ・ゼムとして漠然と認知している程度に過ぎなかった。それが,何のきっかけだったか,《ノスタルジア》という唄をYouTubeで聞く機会があり,その歌詞とメロディーと女性ボーカルの魅力的な声質とが織りなす甘美な憂いと一途な切なさに溢れた世界,青春を生きる「ウタゴコロ」,未熟さゆえの「詩と真実」といったものが,ゾクッとするくらい私の心に沁み入ったのだ。
ありきたりな恋でいい,と 素直に心揺らしてた
幼いままの私を包む まぼろしは 空に消える
冷たいまま動いている 時計の針は もう戻せなくて
今,ほどけた恋の糸が とまどう私を 切ないほどしめつける...
後で知ったのだが,それは今から10年近く前の彼らがまだ無名であった時代,路上ライブなどをやっていた頃に録音された音源であるらしい。大いなる夢と幾ばくかの不安とを抱えた,いわば発展途上の音楽人によって生み出された名もなき歌Chanson sans paroles,けれどそれは珠玉の輝きを放つ歌として私には受け入れられたのだ。それ以来,YouTubeやニコニコ動画などインターネットのあちこちにアップされている彼らの曲をヒマにまかせて探し出しては次々に視聴した。そしてどんどん惹かれていった。
あるサイトを見たら,いきものがかりファンの年齢層は小学生から50代まで,とあった。60代のワタクシがまるでスッカリ遅れてきた青年みたいに今頃になって生物係にハマッテイルというのは,端から見れば何とも場違いな,間の抜けた光景なのかも知れない。ズビバゼンね。
地方都市に在住する音楽好きの高校生たちが何人か集まって,お互いにヤイノヤイノと切磋琢磨しながら,詩を書き,曲を作り,仲間うちで歌い,校内の文化祭で歌い,町角の路上で歌い,小さなライブハウスで歌い,そうして徐々に成り上がってゆく,もとい,立派な姿に成長してゆく。サカナの一生における成長段階を言い表すのに,前期仔魚期,後期仔魚期,稚魚期,未成魚期,成魚期,老魚期という区分法があるが,彼らの活動ぶりを追いかけていると,そのような段階的成長の軌跡が実に羨ましいほどに体感できる。ああ,若さってハズカシイくらいにキモチイイなぁ,なんて,既に老魚期に入った私はシミジミ思うのである。
グループのメンバーのうち,ヨッチャンとホッチは海老名市在住で厚木高校へ,1才年下のキヨエチャンは厚木市在住で海老名高校へ,というのも面白い巡り合わせだ。相模川中流域の右岸と左岸を行ったり来たりの高校生活。恐らく彼ら三人が自転車通学で相模大橋を日々往来していたであろう1990年代の終わり頃,私自身はといえば仕事で大橋のすぐ上流,三川合流地点(相模川・中津川・小鮎川)付近の水域一帯で魚類調査やら底生動物調査やら付着藻類調査やらの環境調査を頻繁に行っていたのであった。ときには県の水試職員や地元漁協の幹部らも同道した大がかりな調査部隊?のときもあったので,それなりに付近では目立っていたかも知れない。そんなわけで,無名の高校生ミュージシャンたちが下校の途中,大橋を自転車で通り過ぎるときに欄干越しに何気なく川を見下ろすと,ん?誰かが川のなかでゴソゴソ何かやっているゾ!などと不思議なまなざしてこちらの作業を眺めていた,ということだって十分に考えられる。あるいは逆に,平日の午後遅く,大橋のすぐ下の河原でギターかきならして歌を唄っている若い三人組を,付近で調査中のこちらがチラリと一瞥したことがあったかも知れない。何やら奇遇の思いを強くするわけである。
少し前のことになるが,YouTubeに昨秋おこなわれた横浜アリーナでのライブ公演の模様がアップされていた。WOWWOWで放映されたものらしい。このようなネットゲリラ的行為は,衛星放送なんぞという最新情報受信システムとはまったく無縁の生活をおくっている者にとっては大変に有難い。んで,昼となく夜となく,何度も何度も繰り返しそれを視聴した。コンサート最後の曲,《タユムコトナキナガレノナカデ》など,実に見事な歌いぶり,見事なステージであった。60代が20代に元気をもらう,老いては子・孫に従う。世代交代・輪廻転生。それはそれで年寄りにとって残されたわずかな日々を生きるための糧であり,愉しみである。 ただし,ヤハリというか,例のsengoku38がアップした尖閣ビデオと同様に,そのライブ映像は数日後には削除されてしまった(バガヤロ~!)
行き交う人の流れにさからい 今わたしは 何処へと向かうのだろう
徒然なる夜には 月明かりのなかで 君を思い出そう...
しかしながら,ヤハリのヤハリというか,それにメゲルことなくその後もネット検索を度々試みていると,そのうち海外の別サイトにそのライブステージ映像がアップされているのを見つけた。ま,そもそもゲリラってのは転んでもただでは起きないし,叩かれても踏まれてもそう簡単にクジケルことはないってもんだ。おかげで再びその映像を何度も何度も繰り返し視聴することができるようになりました(アリガト~!)
弛まぬ時の流れに 今わたしは
何を思い 何を見て 何を感じながら生きるだろう
畏れること それすら包み込める すべて愛し続けよう...
そのような次第で,最近は生物系の仕事をスッカリ干されても生物係の音楽にドップリ浸っていることでシアワセの日々である。あげくのはて,一昨日には厚木・一番街にあるタハラレコード(いきものがかりの聖地)にも初めて参上しましたですよ(もちろん♪自転車に乗って~♪)。 するとなんと,この日から閉店セールのため商品70%OFFになっているとかで,店内は若者の熱気で溢れ(中高年も多少は混じっていたけれど)恐ろしくごった返していた。いきものがかり関係のディスプレイも賑々しく,とても楽しい雰囲気を味わうことが出来た。せっかくなので,彼らのインディーズ時代のCDと,それからついでにマタチッチのブルックナーなんぞを買ってまいりました。ホクホク。
ああ,シアワセの日々はいつまで続くのか。 ノカ?
ショボイ話のついでに述べれば,一昨年夏の民主党政権誕生以来,仕事が急激に少なくなってしまった。なるほど政権交代というのはこういうことかとシミジミ納得している次第である。これまでは定年とは無縁の零細自営業者として この先 体力・気力の続く限り仕事を続けてゆこうと思っていたのだけれども,ここにきて政治の側から唐突かつ一方的に定年宣告を突きつけられたわけだ。別にルーピー鳩山@東大工学部だとかスッカラ菅@東工大だとかを恨むわけではないが,実際問題として彼らのメカニカル・ブレイン(硬直脳)から発せられた誤謬にみちた思惑ないし邪悪にあふれた企てが私共の仕事量減少に直接的な影響を及ぼしたことはほぼ確実なのであって,「コンクリートから人へ」というマヌケなキャッチ・コピーが端なくも言い表しているように,彼らがいま行っているのはまさに我が国の歴史をとことん愚弄した猿芝居なのである。そして,このオロカナル政党を選択したのは他でもないオロカナル国民大衆の意志なのである。私自身の意志はそれに反していたなどと抗弁しても始まらない。議会制民主主義社会においては畢竟「数は力」なのであります。
そんなわけで,昨今では仕事のことなんかすっかり忘れ,というか仕事からすっかり見放され,終日蟄居して黙々とテツガクしているか,あるいは盆地内外をフラフラと自転車徘徊しているか,といった日々を過ごしている。南関東地方の冬空のように,毎日がスッキリと晴れ渡った心持ちである,と敢えて申しておきましょう(別に開き直っているわけではゴザイマセン)。山間盆地をスッポリと覆っている冷たく澄んだ空気の層と,頬を切るような丹沢下ろしの北風と,そして新生代更新世に堆積した砂礫層を通して湧出するまろやかな地下水と,それらが老いたる体躯と退行した脳髄をつかのま活性化させる。
ちなみに,この一見「晴耕雨読」モドキの生活は収入をまったく伴わないのが少々辛いところで,雀のナミダほどの蓄えが砂時計のアッパー・セルのように日々目に見えて減少してゆく。せめてもの対策として,衣食住等の日用消費に係わる個人的支出は極力抑えている。衣類は買わない。外食はしない。内食も質素に済ませる。家屋の修理は業者に頼まず自分で直す。外出の際は電車やバスは利用せず自転車ないし徒歩で出掛ける。当然,自家用車なんて動かしもしないし触れもしない(即座に売り払いたいくらいだが若干1名が頑強に抵抗している)。最盛期には10以上も加入していた諸々の学会・協会等の会員はひとつを除いてすべて退会した。10数年前に取得してソレナリニ気に入っていた独自ドメインも放棄した。そして,これは少々辛いことだが,書籍・雑誌も極力買わない。少なくとも新刊本はまったく購入しない。どうしても欲しい本があればネット古書店やブックオフ等で気長に探索する。。。 他にも対策はいくらでも挙げることができるが切りがないのでこれくらいで止めておく。 その一方で,別途新たな収入源を模索しようという気は,現在のところ一向に起きてこない。せいぜい身の回りの不用品をネットオークションやリサイクルショップで売却する程度である。 ソレデイイノカ? という詰問が一部から挙がってはいるものの,いえ何,国家財政がかくのごとく無茶苦茶で今にも破綻しかかっている現況を鑑みるに,取るに足らない一家計の財政が破綻したところでそれがナンボノモンジャイ!
ドーデモイイ繰り言をグダグダと続けすぎたようだ。面目ない。標題の話に移らせていただく。
そういったセツナイ日常のなかで,最近では何故だか生物係(いきものがかり)という三人組音楽グループの歌にハマッている。小田急線沿線に住まう神奈川県民が何を今更?などという指摘はここでは却下させていただく。もちろん,そのグループ名だけは大分以前から知ってはいたけれども,彼らの歌う楽曲については,せいぜいのところ《SAKURA》と《YELL》と《ありがとう》くらいしか承知しておらなかった。それだってそんなにきちんと聴いていたわけではなく,要するにチマタに数多存在する若手音楽グループの1組,ワン・オブ・ゼムとして漠然と認知している程度に過ぎなかった。それが,何のきっかけだったか,《ノスタルジア》という唄をYouTubeで聞く機会があり,その歌詞とメロディーと女性ボーカルの魅力的な声質とが織りなす甘美な憂いと一途な切なさに溢れた世界,青春を生きる「ウタゴコロ」,未熟さゆえの「詩と真実」といったものが,ゾクッとするくらい私の心に沁み入ったのだ。
ありきたりな恋でいい,と 素直に心揺らしてた
幼いままの私を包む まぼろしは 空に消える
冷たいまま動いている 時計の針は もう戻せなくて
今,ほどけた恋の糸が とまどう私を 切ないほどしめつける...
後で知ったのだが,それは今から10年近く前の彼らがまだ無名であった時代,路上ライブなどをやっていた頃に録音された音源であるらしい。大いなる夢と幾ばくかの不安とを抱えた,いわば発展途上の音楽人によって生み出された名もなき歌Chanson sans paroles,けれどそれは珠玉の輝きを放つ歌として私には受け入れられたのだ。それ以来,YouTubeやニコニコ動画などインターネットのあちこちにアップされている彼らの曲をヒマにまかせて探し出しては次々に視聴した。そしてどんどん惹かれていった。
あるサイトを見たら,いきものがかりファンの年齢層は小学生から50代まで,とあった。60代のワタクシがまるでスッカリ遅れてきた青年みたいに今頃になって生物係にハマッテイルというのは,端から見れば何とも場違いな,間の抜けた光景なのかも知れない。ズビバゼンね。
地方都市に在住する音楽好きの高校生たちが何人か集まって,お互いにヤイノヤイノと切磋琢磨しながら,詩を書き,曲を作り,仲間うちで歌い,校内の文化祭で歌い,町角の路上で歌い,小さなライブハウスで歌い,そうして徐々に成り上がってゆく,もとい,立派な姿に成長してゆく。サカナの一生における成長段階を言い表すのに,前期仔魚期,後期仔魚期,稚魚期,未成魚期,成魚期,老魚期という区分法があるが,彼らの活動ぶりを追いかけていると,そのような段階的成長の軌跡が実に羨ましいほどに体感できる。ああ,若さってハズカシイくらいにキモチイイなぁ,なんて,既に老魚期に入った私はシミジミ思うのである。
グループのメンバーのうち,ヨッチャンとホッチは海老名市在住で厚木高校へ,1才年下のキヨエチャンは厚木市在住で海老名高校へ,というのも面白い巡り合わせだ。相模川中流域の右岸と左岸を行ったり来たりの高校生活。恐らく彼ら三人が自転車通学で相模大橋を日々往来していたであろう1990年代の終わり頃,私自身はといえば仕事で大橋のすぐ上流,三川合流地点(相模川・中津川・小鮎川)付近の水域一帯で魚類調査やら底生動物調査やら付着藻類調査やらの環境調査を頻繁に行っていたのであった。ときには県の水試職員や地元漁協の幹部らも同道した大がかりな調査部隊?のときもあったので,それなりに付近では目立っていたかも知れない。そんなわけで,無名の高校生ミュージシャンたちが下校の途中,大橋を自転車で通り過ぎるときに欄干越しに何気なく川を見下ろすと,ん?誰かが川のなかでゴソゴソ何かやっているゾ!などと不思議なまなざしてこちらの作業を眺めていた,ということだって十分に考えられる。あるいは逆に,平日の午後遅く,大橋のすぐ下の河原でギターかきならして歌を唄っている若い三人組を,付近で調査中のこちらがチラリと一瞥したことがあったかも知れない。何やら奇遇の思いを強くするわけである。
少し前のことになるが,YouTubeに昨秋おこなわれた横浜アリーナでのライブ公演の模様がアップされていた。WOWWOWで放映されたものらしい。このようなネットゲリラ的行為は,衛星放送なんぞという最新情報受信システムとはまったく無縁の生活をおくっている者にとっては大変に有難い。んで,昼となく夜となく,何度も何度も繰り返しそれを視聴した。コンサート最後の曲,《タユムコトナキナガレノナカデ》など,実に見事な歌いぶり,見事なステージであった。60代が20代に元気をもらう,老いては子・孫に従う。世代交代・輪廻転生。それはそれで年寄りにとって残されたわずかな日々を生きるための糧であり,愉しみである。 ただし,ヤハリというか,例のsengoku38がアップした尖閣ビデオと同様に,そのライブ映像は数日後には削除されてしまった(バガヤロ~!)
行き交う人の流れにさからい 今わたしは 何処へと向かうのだろう
徒然なる夜には 月明かりのなかで 君を思い出そう...
しかしながら,ヤハリのヤハリというか,それにメゲルことなくその後もネット検索を度々試みていると,そのうち海外の別サイトにそのライブステージ映像がアップされているのを見つけた。ま,そもそもゲリラってのは転んでもただでは起きないし,叩かれても踏まれてもそう簡単にクジケルことはないってもんだ。おかげで再びその映像を何度も何度も繰り返し視聴することができるようになりました(アリガト~!)
弛まぬ時の流れに 今わたしは
何を思い 何を見て 何を感じながら生きるだろう
畏れること それすら包み込める すべて愛し続けよう...
そのような次第で,最近は生物系の仕事をスッカリ干されても生物係の音楽にドップリ浸っていることでシアワセの日々である。あげくのはて,一昨日には厚木・一番街にあるタハラレコード(いきものがかりの聖地)にも初めて参上しましたですよ(もちろん♪自転車に乗って~♪)。 するとなんと,この日から閉店セールのため商品70%OFFになっているとかで,店内は若者の熱気で溢れ(中高年も多少は混じっていたけれど)恐ろしくごった返していた。いきものがかり関係のディスプレイも賑々しく,とても楽しい雰囲気を味わうことが出来た。せっかくなので,彼らのインディーズ時代のCDと,それからついでにマタチッチのブルックナーなんぞを買ってまいりました。ホクホク。
ああ,シアワセの日々はいつまで続くのか。 ノカ?