歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

菅野淳さんのことなど

2005-03-01 | 日誌 Diary

     白梅の御堂や風は何処から

   photo by ガラクタ箱さん 

昨年の9月4日に全生園の愛徳会聖堂で東條耿一詩集の朗読会を開催してからもう半年近く経過した。その後、晩年の東條の晩年の手記を戦前の雑誌「聲」で発見したこと、また昭和9年代の詩誌に投稿した東條の詩群が幾つか見出されたので、村井澄枝さんとともに彼の作品集をあらためて編纂中。遺漏のない様に校正の作業を充分にしたあとで、今年の9月までには何とか編集を終えたいと思っています。

日曜日の愛徳会のミサのあとで、おもいもかけず東條耿一の妹の渡辺立子さんとご縁のあった菅野淳さんの消息を伺いました。渡辺立子さんのエッセイにはF神父とあるので気が付きませんでしたが、菅野さんは典礼聖歌の作詞者の一人です。菅野淳とはペンネームですし、しかも典礼聖歌の楽譜には作詞者KJと書かれているだけなので、私はその名前を全く存じ上げませんでした。

現在全生園の資料館に展示されている北條民雄日記(昭和12年度)は、菅野さんから寄贈されたものです。これは、もともと自筆本が検閲によって没収されることを危惧した東條耿一が保管していたものでした。東條の数少ない遺品でしたが、それが渡辺立子さんを通じて菅野さんのもとに送られていたという事情があります。東條耿一詩集朗読会の時にもお話し頂いた新井さんが、その自筆本に基づいて復刻本を出されたのが昨年のことでした。

菅野さんの書かれた文章は、東條耿一の義弟の渡辺清二郎さんの遺稿集でも読ませて頂きましたが、戦後間もない頃の全生園のこと、信仰と人権の狭間で苦しまれた司祭のこころの偲ばれるものでした。そのご菅野さん御自身は還俗されましたが、菅野さんの作詞された「風はどこから」(作曲高田三郎(MIDI)や「ごらんよ空の鳥」は、いまも教会でよく歌われています。

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