歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

「鎮魂の森」という詩

2005-03-15 |  宗教 Religion
全生園の自治会では以前から、「人権の森構想」というものに基づいて、将来的には、今の療養所を「ハンセン病記念公園」として残す企画があり、そのための「対策委員会」もあります。東村山市の公文書の中にも「人権の森」の語が出てきます。そして、これまでの活動としては、「全生園の史跡を残そう」という呼びかけのもとに、昭和3年に建てられた山吹舎(男子独身寮)の復元などを行っています。したがって、「人権の森」という用語はかなり知られていて、東村山市の公文書の中にも出てきます。

これに対して、全生園の森を「鎮魂の森」と呼ぶことは決して一般的ではありません。その言葉を私が初めて聞いたのは、緑化委員長を永らく務められ、全生園の植樹と樹木の世話をされてきた長老より、「消えゆく並木」のインタビューでのなかでした。

この「鎮魂の森」の記事をよまれた方から、伊藤赤人さんの次の詩を教えて頂きました。その内容は、緑化委員長の古老の話と響き合い、全生園の樹木の持っているもう一つの決して忘れてはならない意味、人権の森を補足するもう一つの意味を教えてくれました。

「人権」が、同時代を生きる人々の権利と責任=応答可能性に関わるのに対して、「鎮魂」は、過去の世代(死者達)に対する責任を我々が自覚すべきことを教えます。そしてこの二つは相補的であって、鎮魂の意識のない人権、人権の意識のない鎮魂は、それぞれ一面的なのではないでしょうか。

そんなことを思いつつ、伊藤赤人さんの次の詩を読みました。

鎮魂の森

         伊藤赤人

私がいる病棟の窓から
「徒然」の御歌碑のある
森の一隅が見える
其処は いま晩年の
安らぎを得た入所者の
静かな散策の場となっている

新緑をつけた
楓 銀杏 欅 松などが
初夏の太陽を浴び 風に揺れ
幻想的な――
光りのさざめきをつくっている
そんな自然の織り成す
光のさまをじっと見ていると
その映(まばゆ)い光景の向こうに
――伝説のように
時の彼方に過ぎ去った
消えることのない記憶の中の
暗い一つの森が浮んでくる

かつて その森には厳しい掟があり
入った者は森から出ることを
許されなかった
そんな掟の中で――彼等は
望郷の思いに自らを燃やし
その炎を掻き立てながら
ひたすら命の日々を生きつづけた
それは自由を奪われた者が 呵責な病と
不条理に耐えながら
なお人間として
生きようとする――
修羅のような
闘いの日々であった
――そんな中で
多くの者たちは
火蛾のように燃えつき
倒れていた

――あれから
いくたびか雪が降り
木枯が吹き 月が照り
森の上を霧のように
歳月が流れていった

いま森には――
何事も無かったように
季節の太陽が――
燦々と降りそそいでいる

そして生き残った者たちは
失った永い時間を思いながらも
ようやく得た
小さな「自由」と倖せの中で
僅かに残された
時を惜むかのように
森に植えた緑の苗木を
自分たちの命の芽のように
育んでいる

やがてその苗木が大木となり
生き残った者たちも
みな森の地に還り
新しい緑の森に生まれ変わったとき
この森に生き
ハンセン病と闘い
時代の波に翻弄されながら
歴史の襞の中に消えていった
人間たちのいたことも
いつか伝説となり
森の由来を知らない
二十一世紀の市民たちの
楽しい憩いの森となっていることだろう

病棟の窓から見える
梅雨入り前の六月の森は明るく
真向いの躑躅が真紅の花を
いっぱいにつけて一際美しい
森の近くに巣があるらしく
鳩笛のような声をひびかせて
郭公が啼いている

窓を開けると
グラウンドで野球をしている
若者たちの白い影が
木の間隠れに躍び交っているのが見える

緑の木々に溢れた光りが
今は亡き療友たちの
鎮魂の曲を奏でるかのように
さざめきながら
若草の上に降りそそいでいる

(1986年『多磨』8月号より)

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