歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

恨の情念-「長恨歌」 に寄せて

2008-08-08 | 美学 Aesthetics
七月七日長生殿,夜半無人私語時。
在天願作比翼鳥,在地願為連理枝。
天長地久有時尽,此恨绵绵無絶期。

「恨」とは、日本語では怨恨の「恨」であり、うらみ、つらみという意味であるし、現代中国語でも似たような意味である。ニーチェやマックスシェーラーの言葉を借りるならば、「ルサンチマン」という語がピッタリとするかも知れない。しかしながら、この言葉(中国語読みではhen4)は韓国では重要な意味を持つ言葉だということを、友人の韓国人から聴いて認識を新たにしたのである。この言葉は韓国語では「ハン」と読むが、それは大韓民国の「韓」に通じるのだという。抑圧された情念という意味だけでなく、もともと人間が生きるということの根柢にある情念の力を表す言葉なのであり、韓国とは「ハンの国」であるというのだ。哲学的に云えば、プラトンの云う神的なるエロース、新約聖書に云うアガペーにも匹敵する哲学的含意があるとのことであった。アガペーの神学というかわりに「ハンの神学」というものもあり得るのである。

 私がただちに思い浮かべたのは、白楽天の長恨歌の最後の言葉であった。

「永久に存在するように見える天地もいずれはつきることがあろうが、この「恨(ハン)」の情念のみは絶えることがない」

とは、まさに恨の神学の根源的命題とも云うべきものだ。キリスト教の福音書では「天地は滅びようとも御言葉(ロゴス)は永遠である」という。それに対して、ハンの神学では、おそらく「天地は滅びようとも恨は永遠である」ということになろうか。
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