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松山櫨(はぜ)復活奮闘日記

失われてしまった松山櫨の景観を復活させようと奮闘していく日々の記録。

甘木盆俄(歌舞伎)

2007-10-21 20:19:48 | 感動したモノ
今日は甘木盆俄(ぼんにわか)を見ました。
なぜに盆俄というのかというと、
お盆頃に俄(にわか)に思い立ってやるからだそうです。

甘木盆俄の歴史は、およそ660年前、
鎌倉末期に祇園社の開山式に奉納された「風流」からとされています。
元禄十二年(1699)になると、踊りを奉納するようになり
次第に歌舞伎に転向していきました。

セリフの入る歌舞伎が固定化してくると
全町あげて熱演されるようになります。
天保九年(1834)には七代目市川団十郎の大一座が甘木に来演し
十日間超満員の公演を行っています。
その時、団十郎は梅西舎塾の佐野東庵に
「未だかってこの土地のような熱烈な観客の眼に出会ったことはない。
自分が最も苦心した芸の勘どころで
拍手を送る観客の優れた鑑賞眼には驚いた。」と感嘆したとのことです。

昭和29年に舞台は絶えてしまったものの
昭和56年には保存会が発足し、地元の有志で復活しました。
今回は復活後27回目の公演となっています。

今回の題材はまず白波五人男。定番ですね。


私はよく知らなかったんですが、
つまるところ五人の盗賊が出てきて、
「連ね」と呼ばれる七五調の長セリフで自己紹介していきます。

この五人男は、あの「秘密戦隊ゴレンジャー」の原型とも言われ、
確かに、それぞれ次々に「アカレンジャー」
「キレンジャー」とか言ってたのを思い出すと、まさしくそのノリなんですね。

白波五人男は盗賊とはいっても、せちがらい封建時代に縛られない
自由で華やかなヒーローとして、民衆から大喝采を浴びました。

今回は地元の小学六年生が「見栄」を切って熱演してました。

こちらは大人版の「五人男」ならぬ「六人男」。


盆俄ならではの創作歌舞伎「伊達模様(かぶき)甘木賑」です。
郵便局長や工場長、校長など地元の名士たちが
市内各地の地名や風俗を
ふんだんに取り入れたセリフを披露していました。

これが公演のトリ「寿曽我対面」です。


ストーリーは、源頼朝お気に入りの武将工藤祐経が、
自分を親の仇と憎む曽我兄弟と対面する話。

なんで仇と出会う出来事を「寿」とするのかというと
めでたい正月に公演があるためとされてきましたが、
どうも私は納得がいきませんでした。

ところが、今日、いつものように
NHK大河ドラマ「風林火山」を見ていたら、
なんと長尾景虎が山本勘助と高野山で出会う話でした。
そう。長年の宿敵が出会うエピソードです。
今や大人気のGacktが、内野聖陽扮する主人公に絡み
火花を散らして剣を交わすという、
ファンにとっては、かなり素敵なエピソードでした。

よく考えたら、長年の宿敵と出会うというエピソードは
物語の華の中の華。
最も観客が期待し、興奮する話なのです。
だから「寿」がつくわけだ…と、一人で納得したりして。

もちろんこれに出てくる曽我兄弟は、
二枚目の代表が兄を、若手の花形が弟を演じ、
華やかな舞台が繰り広げられます。
盆俄は、みなアマチュアとはいえ、
経験が長いせいか、非常に達者なセリフ回しでした。
ぜひ、ずっと続けていってもらいたいものです。

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