松山櫨(はぜ)復活奮闘日記

失われてしまった松山櫨の景観を復活させようと奮闘していく日々の記録。

小郡松崎で展示販売

2008-10-18 23:06:52 | 復活奮闘日記
今日もお知らせです。(最近お知らせばかりだなぁ)
来週の25(土)・26(日)に、小郡市松崎の「旅籠鶴小屋」で、当委員会の展示販売を行います。

10月28日は小郡出身の文学者・野田宇太郎氏の誕生日。

野田宇太郎氏がどんな方だったかというと…

幼い頃、両親が料亭「松廻屋」(今の「旅籠鶴小屋」)を経営し、財政的に豊かな環境で育った宇太郎は、朝倉中学校(今の県立朝倉高校)在学時に詩を発表するなど繊細な文学青年でしたが、18才の時に父が亡くなり、早稲田大学に入学直後に病気のため帰郷して療養生活を余儀なくされます。おまけにその翌年には残された義母が出奔(!)。

天涯孤独となった宇太郎は久留米で文房具店をはじめ、詩の同人誌「街路樹」活動をはじめます。その後結婚し、久留米市役所に二年間勤めた後、なんと太平洋戦争前年に上京して編集者になるのでした。

上京後すぐに「新風土」を編集し、下村湖人の『次郎物語』を刊行しベストセラーになります。翌年開戦となりましたが、戦時中も詩集「旅愁」を刊行しベストセラーになったり、昭和26年には日本読書新聞に「新東京文学散歩」の連載を始めるなど精力的に文筆・編集活動を行います。この「文学散歩」という用語を最初に使ったのは宇太郎で、その後も各地方の文字を入れて「九州文学散歩」とか「関西文学散歩とかシリーズを刊行しています。

宇太郎は戦前・戦中・戦後という激動の時代の中で、軽視されがちな文学への情熱を燃やし、藤村記念堂・鴎外記念館・白秋生家復元など、歴史文化財保護運動を起こした先覚者でもありました。

宇太郎の生涯について詳しいサイトはこちらです。

さて、その宇太郎の誕生祭を、宇太郎が幼い頃に過ごした旅籠「鶴小屋」で行います。
展示は宇太郎の「歴史と文学の散歩道」、「鶴が来た村」と共に、「近世のジャパンワックスロード」と題して、小郡で生まれた伊吉櫨についての展示と、当委員会の和ろうそく等による展示販売です。

また、紙芝居「狐に貰った赤ん坊」が26日13時から行われます。

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