25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

スマートフォンから

2018年06月01日 | 文学 思想
 ぼくが使うぐらいのパソコン仕事はおおかたスマートフォンで済ませることができる。今やパソコンではレンタル音楽CDをSDにいれるか、写真や文書をスキャンするくらいのもので、すっかりスマホを使っている。
 民泊届け出もスマホ。booking.comやECO のようなポータルサイトへの民泊を紹介してくれるサイトへの登録もスマホである。おかげでどこにいても仕事ができる。20年前とは大違いだ。ドコモの発表によると、字数制限あったショートメールも制限なしになるらしい。LINEも便利である、

クラウドサービスがでてきてさらに安心できる物となった。裏腹に危険性もあるのだろうが、今のところ、迷惑メールさえなければ快適である。
 インドネシアや中国は固定電話時代を飛び越して、携帯電話に向かった。一足飛びだ。中国では現金なしで、スマホだけで、決済することができる都市がある。
 携帯・スマホで躍り出たソフトバンクは現在アメリカの車に目をつけている。GMが来年から無人タクシーを走らせるらしい。
 日本では2025年あたりで、バスやトラックの無人運転が高速道路や市内交通網を走る予定らしい。ヨーロッパや中国はEV車になりガソリン車を禁止していく方向である。一挙に公害もなくすのだろう。都市の大気汚染がひどい中国はこの分野でも一足飛びをするのだろう。

 スマホのアプリを作っている若い社長がスマホの時代もそう長くは続かないと見ている、と言っていた。スマホより便利なものがでてくることを言うのだろうが、それはどういうものなのだろう。すべて正確な音声認識で事足りるのかもしれないし、下敷き程度の薄さで今のスマホ以上のことができるのかも知れない。

 定例の週刊誌読みをしていたら、近いうちに注射1本で血圧をコントロールできる療法が現実化するらしい。1年に1回打つだけでよいという。脳梗塞においても壊れた細胞を再び作り出す医療治験が進んでいる。これも注射1本らしい。
 人間が作り出したそれぞれの神という共同幻想も終焉していくのだろうか。
 平和、自由、それぞれの価値観を認め合う共同幻想がトップになるのはいつの日だろうか。
 スマホをいじっていて思うのである